にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

花沢の里 (静岡県焼津市) -古民家立ち並ぶ旧東海道の集落

花沢城に続いて近隣にある歴史的建造物保存地区、花沢の里へ。
港町焼津とは思えない山間の集落には、商店はカフェくらいしかなく、ほとんど観光地化されていない古い街並みは良い雰囲気に包まれていました。

花沢の里
HP: 焼津市/花沢の里~重要伝統的建造物群保存地区~
訪問日:2021年1月

f:id:tmtmz:20210116174525j:image

概要

花沢の里は、焼津市北部にある30戸ほどの集落です。
奈良時代東海道と呼ばれ、万葉集にも詠まれた「やきつべの小径」に沿って形成されています。

山間の川沿いの小径に石垣と板張りの古民家が立ち並ぶ景色は、江戸時代以来の伝統を保っており、静岡県で初めて重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。

静かな集落には古民家カフェもあり、その道は日本坂峠へと続くハイキングコースとしても整備されています。

訪問記

花沢城を訪問したその足で訪問。
自転車だったので、そのタイヤで、ですかね。花沢城からは歩いても15分程度です。

駐車場の看板で周辺を把握。
f:id:tmtmz:20210116174512j:image
駐車場を中心にした観光ルートが整備されています。
でも花沢の里内の地図はなし。どっちかというとハイキングのベース基地になっているんでしょうか。

この先、花沢城方面には自転車も含めて観光の自家用車乗り入れ禁止です。
歩きで向かいます。

入口には常夜灯
f:id:tmtmz:20210116174508j:image
足元には地名を示す石碑があります。古くからの交差点だったんでしょうかね。

街並みに向けて歩き始めます。途中にはなにやら看板が。
f:id:tmtmz:20210116174539j:image
オシャモッツァンだそう。
f:id:tmtmz:20210116174536j:image
山肌の大きな岩のことでした。
歯痛や子供の病気にご利益がある地元の方の信仰の対象だそうです。
あまりに馴染みがない言葉なので、語源が気になるところ。

オシャモッツァンの反対側には立派な案内看板 
f:id:tmtmz:20210116174542j:image
長文が書かれていると思ったら右半分は多言語対応。でも焼津市のやる気を感じます。
古い日本家屋が多いので、インバウンド受け良かったのかな

山と川に挟まれた狭い道を進んでいきます。
f:id:tmtmz:20210116174516j:image
この道路が奈良時代旧東海道といわれます。

集落に到着。
f:id:tmtmz:20210116174554j:image
こういう雰囲気は好きです。

さらに進むと、道路西側の石垣の上に板張りの古民家が建ちならぶと書かれていたその通りの景色が広がります。
f:id:tmtmz:20210116174525j:image
江戸時代もこのような景観だったとか。良いです。

ちなみに、写真左手に写る家が古民家カフェ
この時はすでに閉まっていましたが、とても惹かれる外観です。
ほっこりできそう。

この先も同じような石垣に板張りの家が一列に並ぶ景観が続きます。
小川が流れる音を聞きながら、所々にあるミカンの無人販売を見ながら、落ち着いた気持ちになれる散策路が続きます。
f:id:tmtmz:20210116174529j:image
傾斜地を整えるための石垣と書かれていましたが、川から距離をとりたいというのもあったのかな。

水車小屋
f:id:tmtmz:20210116174550j:image
ご自由にお入りくださいとは書かれていますが、勇気が出ませんでした。。
散策路にある数少ない観光施設ですが、ちょっと残念。

さらに進むと歌碑
f:id:tmtmz:20210116174545j:image
きっとこのあたりのことを詠んでいるのでしょう。浅くてすいません。和歌には造詣はないもので。

そして集落最奥部に古刹法華寺
f:id:tmtmz:20210320091520j:image
コロナの影響で参拝はご遠慮ください、となっていたので外見だけ。
愚痴聞き地蔵がいるそうなので、愚痴りたかったなぁ。

そして、15分も歩けば集落末端へ。
f:id:tmtmz:20210116174522j:image
この先は日本坂などへのハイキングコースになっています。
歩けば奈良時代東海道を散策している気分になれるかも。

感想

片道10~15分程度のこじんまりした集落で、あっという間に終わってしまいますが、古民家立ち並ぶ風景はまさに古い町並み。
商店はほとんどなく、通行人も地元の方とハイカーさんばかりですが、花沢城に行かれた際は少しだけ足を延ばしてほっこりした気持ちになるのも良いのではないでしょうか。
みかんが安くで売られていますし。

アクセス

花沢の里

  • アクセス
    鉄道・バス:JR焼津駅よりバス 高草山石脇入口バス停下車 徒歩30分
    車:東名高速 焼津IC より10分
      無料駐車場あり。
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    ~30分
  • 付近のスポット
    明治以降の東海道も近くにあります。

    tmtmz.hatenablog.com同じ花沢地区のお城

    tmtmz.hatenablog.com

↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ

花沢城 (静岡県焼津市) -駿府の西の守りは武田今川激戦地の一つ

引き続きGoogle mapで見つけた静岡県内の知られざる?名所を巡っていきます。

続いて訪れたのは焼津市にある花沢城
有名観光地ではないですが、今川家の防衛線、武田軍の駿河侵攻における合戦の舞台として歴史に名を残しています。
丁寧な整備とパンフレットが好印象でした。

お城:花沢城 静岡県焼津市
HP:公式のものは見つけられませんでした。
訪問日:2021年1月
f:id:tmtmz:20210116173719j:image

概要

花沢城は、駿府の西の守りとして今川方によって築城されました。
今川義元の命により築城されたともいわれますが、その時期は明らかではありません。

花沢城は武田信玄による駿河侵攻の際の激戦地として著名です。

桶狭間の戦いでの義元の敗死などで求心力を失った今川氏は、武田、徳川両軍の侵攻により瞬く間に戦国大名として滅びます。

しかし一部では今川勢力の活動はまだ残っていました。

その一つが花沢城での小原資良らの抵抗です。

1570年、花沢城のある山西地域に武田軍が侵攻を開始します。
武田軍は正月4日に攻撃を開始、主君を失った状態にもかかわらず小原資良らは奮戦しましたが及ばず、正月27日に落城しました。

訪問記

散策開始:登り口

いきなり花沢城の登り口への最後の分岐から。
まぁここまではGoogleマップ通りに進めばつきますということで。
f:id:tmtmz:20210116173846j:image
この分岐、なんとなく階段が誘っていますが(誘ってはいない?)、右の舗装されたアスファルトが正解です。
みかん畑があるおかげで結構先まできれいに舗装されています。

車の場合はこの先に停める場所が無いので、近くの花沢の里の観光駐車場に停めましょう。
f:id:tmtmz:20210116173656j:image
この分岐自体は看板が出ているので見落とさないはず。

入口には解説板パンフレットが置かれています。
f:id:tmtmz:20210116173700j:image
雨に濡れることもなく、パンフレットの状態は良好でした。
仕事が丁寧です。

ちなみに、パンフレットには花沢城落城にまつわる伝説がたくさん記載されています。
合戦時に給水路を絶たれたことにまつわる祟りは読んでいて思わずゾクッとしました。。

花沢城全体図

花沢城は一の曲輪二の曲輪を中心に、合計9つの曲輪が山中に点在しています。
f:id:tmtmz:20210313141308j:image

この図ではなかなか分かりにくいので一の曲輪にあった縄張り図を拝借。
f:id:tmtmz:20210313141311j:image
上の青線で一の曲輪へ、その先三の曲輪を見てから下の青線に従って降りて、最後八の曲輪の様子を見るルートかな。

1つ目の縄張り図で「切通しは昔の堀りです」と書かれていた切通しはこちら。
f:id:tmtmz:20210116173827j:image
ちょっと当時の感じは分かりにくいかなぁ。

散策:一の曲輪~三の曲輪

最初のアスファルトの道を進んで散策開始。

奥へ進むと道路脇に登り口がありました。
f:id:tmtmz:20210116173901j:image
分岐があるたびに看板が置かれていて、丁寧な仕事に頭が下がります。

登城路は急な坂ですが、頑張って登ります。
f:id:tmtmz:20210116173741j:image
足場はきちんと整備されているので、体力面以外は問題なし。

いきなり一の曲輪(本丸)へ到着。
一の曲輪には鳥居とお社が建っています。
f:id:tmtmz:20210116173857j:image

f:id:tmtmz:20210116173734j:image
最近整備されたと思しき解説板。やはり仕事が丁寧です。

曲輪自体は割と広め。周りは断崖絶壁です。
f:id:tmtmz:20210116173930j:image

その分ここからの眺望が素晴らしい
f:id:tmtmz:20210116173933j:image
焼津市街地が一望できます。
同時期に戦いの地となった田中城(徳一色城)もどこかに見えているはず。
ベンチもあるのでハイキングとして登って、ここでご飯を食べても良いかもしれませんね。

一の曲輪の鳥居脇には城趾碑。
f:id:tmtmz:20210116173719j:image
雰囲気あるデザインです。
その奥の高まりはきっと土塁跡でしょう。

一の曲輪の北西隣には三の曲輪
f:id:tmtmz:20210116173819j:image
縄張り図には虎口のような絵が書かれていましたが、段差しか見て取れませんでした。

三の曲輪はかなり狭め。
f:id:tmtmz:20210116173850j:image
この曲輪の先に信玄軍が陣取った高草山がありますが、さすがに見えません。
同じくこの先に四の曲輪があるようですが、断崖なので先には進めません。。

折り返して反対側、二の曲輪方面へ

散策:大堀切、二の曲輪~六の曲輪

一の曲輪と二の曲輪の間に花沢城一番の見どころ 大堀切があります。

下から
f:id:tmtmz:20210116173833j:image
深さがすごい。

こちらは二の曲輪側から
f:id:tmtmz:20210116173726j:image
堀の写真ってとりにくいんですが、土嚢のお陰で角度が分かりやすいですね。
武田軍の侵攻にある程度耐えたことを思っても、当時から丁寧に整備されていたのでしょう。

二の曲輪は一の曲輪同様に割と広い曲輪です。
f:id:tmtmz:20210116173752j:image
今は雑木林ですが。。

二の曲輪の先は完全に竹林
f:id:tmtmz:20210116173927j:image
トラロープとヒト1人分の踏み跡である意味迷いようがない道ではあります笑
この辺にあるはずの五の曲輪は分かりません。

竹の圧迫感がすごい笑
f:id:tmtmz:20210116173830j:image

開けたと思うと六の曲輪
f:id:tmtmz:20210116173924j:image
ここからも焼津市街地が見えます。
f:id:tmtmz:20210116173817j:image

そして予定通りもう一つの登り口から道にでました。
f:id:tmtmz:20210116173837j:image

こちら側も看板があるので迷わずに登り始められるかと。
f:id:tmtmz:20210116173756j:image
で、ここまでで終わりそうですが、アスファルトの道をもう少しだけ進みます。

散策:八の曲輪

アスファルトの道を終点まで進むと八の曲輪がありました。
f:id:tmtmz:20210116173737j:image
小さい看板が誘ってくれています。

こちらも竹林ですが、曲輪に着くと、竹林が切り開かれて整備されていました。
f:id:tmtmz:20210116173908j:image
本当に仕事が丁寧です。竹林の管理は大変でしょうに。

そしてここからの眺望がまた素晴らしい。
f:id:tmtmz:20210116173706j:image
開けすぎて、新幹線から見えてるんじゃないかと不安になりつつ。
西日を拝んで、花沢城終了です。

せっかくなので花沢の里に向かいます。

感想

満足度 3/5

全体にこじんまりした城跡ですが、曲輪群、一の曲輪と二の曲輪を切る堀切は良く残っていました。
案内所などはありませんが、パンフの設置、ロープの整備も進められていて、登りやすい。
山頂からの焼津市街の眺望はよいですね。

アクセス

花沢城

  • アクセス
    鉄道・バス:JR焼津駅よりバス 高草山石脇入口バス停下車 徒歩20分
    車:東名高速 焼津IC より15分
      花沢の里の無料駐車場を利用可能です。
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    ~1時間
  • 付近のスポット

    tmtmz.hatenablog.com

    tmtmz.hatenablog.com

↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ

黒田代官屋敷 (静岡県菊川市) -梅まつりで愛でる今年の梅

桜開花の便りが届き始めましたが、本日は初春の花、梅まつりの話題です。
ネタを熟成していたら時期を逃すところでした。危ない危ない。

梅を見たのは静岡県菊川市にある黒田代官屋敷
このお屋敷、現役の住宅でありながら国指定重要文化財に指定されています。
梅まつりの特別公開にあわせて訪問してきました。
さすが代官屋敷というお堀の中のお庭では、120本の梅が初春の訪れを告げていました。

黒田代官屋敷は梅まつりの時期のみお庭を開放されていて普段は長屋門だけが見学可能です。
住民の方にご迷惑をおかけしないように見学しましょう。

城館:黒田代官屋敷
HP:菊川市/黒田家住宅/菊川市内の指定文化財
訪問日:2021年2月

f:id:tmtmz:20210212175512j:image

概要

黒田代官屋敷は、永禄年間(1558-1570)にこの地に移り住んだ徳川家旗本黒田家が築いた屋敷です。

正面に大きな長屋門を設け、周囲にはを巡らせた広大な屋敷は広さ1haほど。
長屋門は18世紀前半の建築、主屋1854年安政東海地震後に再建されたものと考えられています。
1973年に主屋と長屋門が、1993年には米蔵なども含めた建物全体が国の重要文化財に指定されています。

現在も住まわれているため普段は長屋門しか見学できませんが、梅まつり期間中はご厚意で庭園を公開されています。

訪問記

梅まつりのニュースを見て、満開になった頃を見計らって訪問。
花も歴史遺産も同時に見られるなんて良いスポットですよね。

この辺り、黒田代官屋敷以外にも塩の道など、歴史上重要なスポットが集まっています。
塩の道は初耳でしたが、御前崎から長野県塩尻に続く、塩を輸送した道だそう。
知らない歴史が沢山あるものです。

こちらはそんな塩の道を記念して作られた塩の道公園にあった地図。
f:id:tmtmz:20210212175409j:image
塩の道公園はよくある整備された公園でしたが、すぐ隣に黒田代官屋敷があります。

地図上の環濠の絵に格式を感じつつ、屋敷へ向かいます。

黒田代官屋敷:長屋門

すぐに濠が見えてきました。
f:id:tmtmz:20210212175346j:image
どこの平城ですか、と言いたくなる立派な濠沿いに進んでいくと、

黒田代官屋敷の長屋門へ。
f:id:tmtmz:20210212175512j:image
こちらは18世紀後半に建てられたもの。
当時、一般農家が家に門を構えることは許可されておらず、黒田家の格式を表す門といわれます。
まぁ壕を見た時点で明らかに一般庶民とは異なることは分かるので、門でダメ押しというところでしょうか。

そして昭和50、51年に全面解体修理を行ったこともあり、状態もよさそうです。

説明板もしっかり設けてあります。
f:id:tmtmz:20210212175450j:image

黒田代官屋敷:梅まつり

と、普段はここまでですが、この日は梅まつりの特別公開によって中に入らせていただくことができました。
門をくぐって、検温と緊急連絡先を提出したら、いざ観梅です。

f:id:tmtmz:20210212175440j:image
早速梅の木。ちゃんと咲いている時期に来られて良かった笑

我が家が何個入るんだろうという敷地には、主屋、米蔵、ほかにも蔵や庭園など。
主屋などの建物には、間取りの説明板が出されていました。

現役のお家ですし生活感を感じたので写真は遠慮しましたが、自分の庭に説明板が出されるなんて、想像したこともありません。
せめてご迷惑をおかけしないようにしないと。

お庭にお邪魔すると、色とりどりの梅が花を咲かせていました。
f:id:tmtmz:20210212175457j:image
満開の木とつぼみの木とがいて、結構長い間楽しめるのかもしれません。

白梅
f:id:tmtmz:20210212175349j:image

お濠と紅梅
f:id:tmtmz:20210212175504j:image
どこかの城跡に来たかのような。

黄色みがかった花も。
f:id:tmtmz:20210212175434j:image

このあたりは満開の木が多かった。
f:id:tmtmz:20210212175443j:image

この木が一番咲いていたかな。
f:id:tmtmz:20210212175431j:image

広大な梅園とまでは行きませんが、十分に梅でお腹いっぱいになりました。
そもそも個人宅のお庭としては破格の広さですし、これが無料とは懐が深いです。

主屋では陶器のひな人形が飾ってありました。
f:id:tmtmz:20210212175437j:image
こういう大きなひな人形が飾れるおうちに住んでみたいと思ったこともありました。

長屋門の外には資料館があります。
f:id:tmtmz:20210212175340j:image
こちらはもちろん公開されていますので、梅以外の時期に来られた方はこちらへ。

感想

現役のお宅で重要文化財という驚きのお屋敷でしたが、それにたがわぬ広さと立派さを感じました。
また、名ばかりではなく思いっきり現役ということも分かりました。維持するの大変だろうな。

梅は言うまでもなく綺麗。無料で見せていただけて嬉しいような畏れ多いような。
こちらも個人で管理されているなんて信じられません。

梅だけを見るならもっと広いところもありますが、お客さんも少なめで密を全く感じませんでしたので、コロナ禍の観梅にはちょうど良いかもしれません。

アクセス

黒田代官屋敷

↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ

横地城 (静岡県菊川市) -広大な城跡は横地姓発祥の地

遠出がしづらいご時世ですが、そんな時こそ密にならない近所の名所を巡りましょう。
ということで、日々Google mapと睨めっこを続けています。

今日ご紹介するのは牧之原台地にある中世山城、横地城
国指定史跡にも指定されているので、きっと貴重な史跡なんだろうと思って行ったら正解。

戦国時代初期の古い山城ですが、遺構は実にたくさん残っていました。
過去の歴史にまつわる逸話も多く、見ていて、読んでいて面白い城跡でした。

お城:横地城 静岡県菊川市
HP:横地城跡/ハローナビしずおか 静岡県観光情報
訪問日:2021年1月

f:id:tmtmz:20210204222924j:image

概要

室町時代遠江の有力国人であった横地氏が築いた山城です。
横地氏は藤原氏の血を引く豪族で、鎌倉時代から室町時代にかけて約400年間、遠江の地に君臨しました。

当時の駿河守護の今川義忠遠江守護の斯波義廉との争いにおいて、斯波氏方につきますが、敗北。
横地城も1476年に焼き討ちされ、落城しました。
なお、義忠もこの帰路に夜襲を受けて討ち死にしています。

落城の後は表舞台に登場しなくなった横地城ですが、現在も牧之原台地の尾根筋を利用した東の城中の城西の城の3つの曲輪、一騎駆けなどがきれいに残ります。

ちなみに、横地城のある旧横地村は横地氏の名字の由来となった土地であり、かつ全国の横地姓発祥の地とされます。

訪問記

横地城へのアクセス・駐車場位置など

冬の抜けるような快晴の下、サイクリングがてら訪問。
山城は駐車場への道が狭いことも多いので、いけるなら小回りの利く方法で行きたいもの。
かなり遠めですが、頑張って漕ぎます。
f:id:tmtmz:20210204222902j:image
途中には牧之原大茶園

f:id:tmtmz:20210307002012j:image
茶畑越しの富士山

冬は晴れが多い静岡とはいえ、ここまで快晴の日は珍しく、素晴らしいサイクリング日和でした。ちょっと空っ風が強いけど。
景色もきれいでサイクリングだけで十分満足してしまいそう。

はい。話を戻します。

県道245号沿いに立派な看板が出ていました。
f:id:tmtmz:20210204222951j:image
国指定史跡の文字が光っていますね。気のせい?

看板の先はこんな道路ですが、
f:id:tmtmz:20210204223121j:image
右手が正解の道です。
やっぱり車一台分の細い道なので、車で訪問する方は要注意。自転車で来た甲斐あった。
散策中に3台ぐらい車が通ったので、入るならすれ違う覚悟が必要です。

この道を進んだ先に駐車場があります。看板左手の「現在地」のあたり。
f:id:tmtmz:20210204223038j:image
運転に自信がない方は下の太めの灰色の道が本当に太めの道なので、下部中央の上池右手の駐車場が広くておススメ。トイレもあります。

横地城全体図

さて、横地城を訪問する前に全体像を確認。
ちなみに、この看板は上の図でいう広い道の駐車場にあったものです。
今回ご紹介するルートで行くと、ある程度進むまで案内図は出てこないので要注意。
f:id:tmtmz:20210307083931j:image
大きな曲輪は西の城(二ノ丸)中の城東の城(本丸)の3つですが、その他にも見どころはたくさん。
中央には小学生が喜びそうな下ネタのような地名も書いてありますね。

今回は左下の「三光寺跡」から右斜め上に「東の城」まで真っすぐ向かいます。
実は山の絵もデフォルメされているようで結構忠実でした。アップダウンあります。

散策:三光寺跡~武衛原庭園跡

もう一度入り口に戻って散策開始です。
曲輪に着くまでの間も看板がたくさんあって見ていて飽きません。

まずは三光寺跡
f:id:tmtmz:20210204223012j:image
横地氏の菩提寺だったそう。さすがに残ってはいませんね。

登るとすぐに横地氏一族の墓
f:id:tmtmz:20210204223044j:image

その先にももう一ヶ所横地氏一族の墓がありました。どっちが正しいのでしょう?
f:id:tmtmz:20210204223057j:image

このあたりで一気に高度を上げて尾根の上に到着。

藤丸館跡
f:id:tmtmz:20210307085922j:image
今は茶畑ですが、横地氏最後の若君、藤丸の屋敷があったとされます。写真が汚い。。。

隠し井戸という看板もありました。これは隠れ過ぎ。
f:id:tmtmz:20210204222847j:image

武衛原庭園跡。斯波義廉や家臣団の住居があったと言われているそう。
f:id:tmtmz:20210204223022j:image
近い関係性がよく分かる立地です。

ここまでは看板はあるものの実際は茶畑というところが多かったですが、この先で城跡感が増してきます。

散策:金玉落としの谷~西の城、中の城、東の城、一騎駆け

上池の駐車場からの道が合流して、すぐに金玉落としの谷膝つき谷
f:id:tmtmz:20210204222924j:image
実に小学生が喜びそうな名前ですが、れっきとした謂れのある地名です。
f:id:tmtmz:20210204223127j:image
ここはかつて兵士の戦闘訓練の場でした。
兵が谷底に膝をついて待機し、山上より落とした金の玉(または木の玉)を一斉に探し、見つけたものは山上に駆け上がって賞を取ったとされます。

金の玉落としの谷だったんですね。
でも名前だけ聞いたら全然違うことを想像してしまいますねー(お前が喜んでいるって?

このあたりから、曲輪の間は一騎駆けという大群が通れない細い道でつながれています。
f:id:tmtmz:20210204222817j:image
おかげで車も一騎掛けです。

千畳敷に到着

なんだか立派な石碑と
f:id:tmtmz:20210204223035j:image

東屋、城址碑がお出迎え。
f:id:tmtmz:20210204223159j:image
広い平場ですが、ここは説明なし。何があったんでしょうか。お屋敷かな。

このあたりに看板がたくさんあるので、時間がない方は先ほどの谷やこの千畳敷から見始めるのも良いかもしれません。
f:id:tmtmz:20210204222914j:image

f:id:tmtmz:20210204223130j:image
パンフレットがある!と思ったら、横地城ではなく地区の案内でした。。。

千畳敷の反対側には横地神社
f:id:tmtmz:20210204223152j:image
この先が西の城(二ノ丸)です。奥に行くにつれて段を刻みながら標高を上げていきます。
また、重要な曲輪だったことがよく分かる土塁壕跡もたくさん。
f:id:tmtmz:20210204222959j:image

もちろん最上段には今はお社が立てられています。

このお社の裏からの眺望はとても良好でした。

振り返って南方向。
f:id:tmtmz:20210204223053j:image
短距離で標高を稼いでいて、ここからなら攻めやすそう。

戻って先へ。次は中の城
f:id:tmtmz:20210204223005j:image
兵器庫や干飯庫が置かれた曲輪です。
f:id:tmtmz:20210204222948j:image
何となく想像できる曲輪。隅の高まりは土塁跡でしょうか。

再度一騎駆け
f:id:tmtmz:20210204223102j:image
アスファルト舗装、雰囲気的なご意見はあるでしょうが、とりあえず歩きやすい。

東の城(本丸)に到着。さらに小高い場所に築かれています。
f:id:tmtmz:20210204223136j:image
左手、北面から上がります。
南面は断崖絶壁、北面は堀で斜面を切ってあります。
f:id:tmtmz:20210204223146j:image
今まで自然の絶壁ばかりでしたが、ここにきて明らかな堀が登場。
f:id:tmtmz:20210204222813j:image
しかもすごく立派で、この斜面から登る気は起きない。。

近くには井戸跡もありました。
f:id:tmtmz:20210204222922j:image
東の城の曲輪
f:id:tmtmz:20210204222928j:image
さすがに広くはありませんが、十分な曲輪。ここにも土塁跡らしき高まりがありました。

やや浮いている感もある石碑
f:id:tmtmz:20210204223141j:image

眺望は非常に良好です。
f:id:tmtmz:20210204222911j:image
当時もきっと今川軍の様子をこんな景色から眺めていたのでしょう。

最後に、東の城のもう少し奥の一騎駆けへ。

f:id:tmtmz:20210204222941j:image
アスファルトがないので、こちらの方が当時の一騎駆け感を感じることができます。
ササのせいで足元も見えないのでこれは広がれない。。

感想

満足度 3.5/5

古い城跡ですが、曲輪と一騎駆け、堀がよく残っていました。さすがは国指定史跡。
非常に広い縄張りでしたが、随所に看板や謂れが書かれていて、なるほどーと思いながら回ると時間が過ぎるのはあっという間でした。
アスファルト舗装はどうかとは思いましたが、回りやすいのは回りやすい。

アクセス

横地城

  • アクセス
    鉄道・バス:JR菊川駅から静鉄バス「神尾公民館」バス停下車 徒歩30分
    車:東名菊川ICから10分
      無料駐車場あり。3か所
      道が細いので運転に自信のない方は上池の駐車場が無難です。
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    0.5~1.5hr
  • 付近のスポット
    百名城:時代は違いますが高天神城が近く。
    同時期の城跡:横地氏とともに今川義忠に対抗した勝間田氏の勝間田城も近く。

    tmtmz.hatenablog.com

↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ

天竜浜名湖鉄道 歴史探訪の旅5 堀川城 -家康による撫で斬りの地

天竜浜名湖鉄道途中下車の旅もようやく最終回です。

前回に引き続き気賀駅周辺を散策。
googleマップでたまたま見かけた堀川城へ向かいます。
そんな堀川城では堀川城の戦いという凄惨な戦がありました。
遺構はありませんが、大事な地域の歴史を知ることができました。

そのあとはもう一方の起点駅、新所原駅まで最後の乗車。
こちらは車窓の移り変わりが楽しい列車でした。

f:id:tmtmz:20210109085731j:image


緑1:堀川城 緑2:三ケ日駅 緑3:新所原駅

堀川城

観光施設の方の気賀関所から歩いて数分。
田畑を通る道路脇に堀川城はあります。

現地や後から学んだ知識で、堀川城の概要です。

1560年、桶狭間の戦い今川義元が戦死した後、今川家が弱体化し、遠江に武田、織田、徳川らが進出を狙い始めます。
そんな中、遠江の中でも信濃三河に近い気賀の人々が選んだ勢力は今川家でした。

堀川城は、そんな情勢で徳川家康遠江侵攻に備えて築かれた城であったと言われます。

こちらがそんな堀川城の全容。
f:id:tmtmz:20210109085708j:image
まっ平な道端に存在していて、本当にここで戦ったのか不安になるような立地ですが、
当時は浜名湖岸の干潟に位置し、満潮時には道が沈む難攻不落の立地だったとのこと。

今は遺構が何もないため、車で走っていたら見過ごしてしまうような小さな区画です。
一応道端に車を停められるちょっとしたスペースはあって、この時もちょうど1台車が出ていったところでした。

柵のそばには市が設置した看板
f:id:tmtmz:20210109085756j:image
城跡名は伝堀川城跡。

解説板はかなり詳しく記載されています。
予習なしでも十分に背景が理解できるレベルでありがたい。

裏は堀川城の戦いについて記載。
f:id:tmtmz:20210109085639j:image
こちらも詳しい。

堀川城の戦いは以下のような戦いでした。

1568年12月、家康井伊谷の軍勢を味方につけ、遠江に侵攻します。

堀川城近傍にあった刑部城 (おさかべじょう) 、今の浜松市街地にある曳馬城訪問記を落城させ、堀川城にも攻撃の手は及びますが、地元の土豪と農民たちが立て籠り激しく抵抗しました。
掛川城攻めが長引いたこともあり、家康は堀川城を落とすことなく、いったん三河に引き返します。

翌1569年に再度遠江に侵攻した家康は、堀川城を徹底的に攻め、落城させます

一説には、立てこもった2000人の城兵の半数は撫で切りにされ、残りのうち700人は戦闘終了後半年間に渡って探し出され、女子供まで斬首、首をさらされたとされます。

これが堀川城の戦いと呼ばれる戦いです。
首をさらした地は、獄門畷として今も気賀の地に残ります。

そこまでして自分たちの地域を守りたかった気賀の人たち、そこまでして遠江を落としたかった家康。
現代の感覚では到底理解できませんが、そこまでしなければならない何かがあったのでしょう。

さて、堀川城の柵の中に入ります。
f:id:tmtmz:20210109085653j:image
といっても非常に小さい敷地ですが、

今の堀川城跡には城址碑とともに首塚が残ります。
f:id:tmtmz:20210109085731j:image
気づくと自然と手を合わせていました。

遺構はありませんが、その地でしか知ることのできない地域の歴史をよく知れたのはよかった。来た甲斐ありました。

5本目 気賀駅〜新所原駅

さて、気賀駅に戻って最後の列車に乗車。

一気に豊橋側の起点駅、新所原駅へ向かいます。
f:id:tmtmz:20210109085818j:image
やってきたのは天浜線ベーシックカラーの列車でした。
そういえばここまで全部ラッピング列車だったので、最後の最後でようやくベーシックカラーを見られました。
写真は新所原駅で撮影

新所原までは45分くらいの列車旅。ラストランです。
当然ベーシックカラー列車の窓はラッピングがなく、車窓はとてもきれいです。
車窓のラッピングに悩まされてきたこの旅最後の車窓がきれいで嬉しい。

もう一度浜名湖佐久米を通ります。
f:id:tmtmz:20210109085749j:image
相変わらずカモメの大群がお出迎え。

さらに先へ。
ミカンで有名な三ケ日駅に到着
f:id:tmtmz:20210109085705j:image

f:id:tmtmz:20210109085830j:image
この駅もレトロな雰囲気の駅舎が残っています。

そしてやはり登録有形文化財になっています。
駅ナカにはやはり飲食店。ハンバーガー屋さんが入っています。
少し前に買いに行った時の記憶はこちら。

tmtmz.hatenablog.com

三ケ日を過ぎると線路は南下。一路東海道線へ向かいます。

この辺りから車窓にはミカン畑が見えてきました。
f:id:tmtmz:20210109085739j:image
ちょっと躍動感あふれる写真になってしまっていますが。

f:id:tmtmz:20210109085650j:image
三ケ日みかんは東海地方では有名なミカンです。
斜面が一面みかん畑というところもあって、さすがは産地、という車窓。
これだけみかん畑が広がっていたらそこら中で三ヶ日みかんを見かける訳です。

のどかな田園から浜名湖、そしてみかん畑と、路線が長いだけあって車窓もバラエティに富んでいます。

終点の新所原駅に到着。
f:id:tmtmz:20210109085623j:image
この駅も駅ナカに飲食店。鰻屋さんが入っています。

もう少し見て回りたいところですが、時間もないので新所原から即帰宅。
ですが、名残惜しいのでJRへの乗り換え口からもう一度天浜線を眺めます。
f:id:tmtmz:20210109085825j:image
やっぱり一両の列車がちょこんといる雰囲気がとても良いです。
もう一回乗って帰りたくなりました。笑

感想

天竜浜名湖鉄道は、第三セクターに典型的な地方ローカル線ではありますが、駅舎自体も駅の周辺にも見どころがたくさんある良い鉄道でした。
途中下車できていない面白そうな駅もたくさんあるので、まだまだ旅に使えそう。
また行こうかな。

旅の最初はこちらから。

tmtmz.hatenablog.com

↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ

天竜浜名湖鉄道 歴史探訪の旅4 気賀駅散策-気賀関所へ

天浜線の途中下車の旅、第4回は気賀駅を巡ります。

気賀といえば井伊直虎気賀関所
ただ、到着前にGoogleマップを見ていたら駅近くに気になる城跡も発見。
いろいろ回ったら内容多めになってしまいました。
まずは気賀駅と気賀関所から。
f:id:tmtmz:20210109085633j:image

橙1:気賀駅 橙2:気賀関所 橙3:気賀関所番所

気賀駅

気賀駅での途中下車から旅を再開。
f:id:tmtmz:20210109085648j:image

相変わらず木造のプラットホームと一両の気動車の雰囲気が良いです。
f:id:tmtmz:20210109085633j:image
ただ、ここまでの駅とは違い、気賀駅は井伊直虎でデコレーションされています。
直虎ゆかりの龍潭寺の最寄り駅でもあるからか、観光に力を入れている印象。
龍潭寺まではタクシーで5分かかるそうですが、気賀駅にはレンタサイクルもあるので行けなくはないのかな。

レンタサイクルはアピールされているので見落とすことはないはず。
f:id:tmtmz:20210109085724j:image
関係ないけど、ホームから駅舎までの微妙な距離感、昔はこちら側にも線路があったんだろうなぁ。

f:id:tmtmz:20210109085822j:image
気賀駅も駅舎とプラットホームなどが登録有形文化財に指定されています。
もはや天浜線では珍しいことではありませんが。

駅舎正面から一枚。
f:id:tmtmz:20210109085943j:image
こちらは井伊家のお屋敷かのような飾りっぷり(笑)
大河からは結構時間が経っているはずですが、まだまだ推し続けています。
ちなみに浜松市役所は2023年のどうする家康に乗り換えていました。

駅ナカには観光客向けの詳細な散策マップがありました。
f:id:tmtmz:20210109085620j:image
気賀関所以外にも姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館堀川城獄門畷刑部城長楽寺のお庭など気になるフレーズが目白押しです。
実はこれ、散策後に撮った写真。散策前は人が途切れなくて、見ずにスタートしちゃったんですよね。
見ておけば自転車借りてもうちょっと詰め込んだなぁ。

さて、気賀関所のある南側から散策を開始です。

振り返りがてら一枚。
f:id:tmtmz:20210109085832j:image
いろんな駅でこのアングルの写真を見ていますが、この雰囲気はやっぱり良い。

気賀関所

気賀関所は、気賀の地を通っていた姫街道に1601年に設けられたとされる関所です。
箱根、新居と並んで東海道大関と呼ばれます。

この姫街道は、東海道から見付(磐田)で分かれ、浜名湖の北岸を通り、三河御油東海道に戻る脇街道で、当時危険を伴った浜名湖渡し船を避けられるとして一定の交通量があったために関所が設けられました。

関所としては明治に廃止された後も本番所の建物は長らく残りましたが、1960年に一部を残して解体されています。

現在は、一部が残る「気賀関所」と、別の場所に建物を再現した「気賀関所」があります。
Googleマップで検索すると二か所出てきてややこしいのはこのため。両方気賀関所なんです。

まずは再現の方の「気賀関所」から。徒歩5分くらいの駅近物件です。
f:id:tmtmz:20210109085743j:image
早速大きな看板で迷いようもないです。駐車場も近くにありました。

f:id:tmtmz:20210109085758j:image
入場券は通行手形と呼ばれています。
お金を払えば誰でも発行してもらえるので、現代は良い時代です。

f:id:tmtmz:20210109085814j:image
通行手形はさすがに紙。天浜線の切符は絵馬だったのに
ちなみに、コロナでなければ着付け体験もできます。

中へ。まずは冠木門
f:id:tmtmz:20210109085718j:image
関所の出入り口に設けられた門で、6時に開門して18時に閉門していたそう。
夜間の通行は基本的には禁止でしたが、近隣住民のためにくぐり戸が設けられていて気賀の犬くぐりと呼ばれていたようです。
こちらは今の気賀関所には無く、細江神社の近くに再現されています。

写真では冠木門から向こうの門、町木戸門が見えてますね。
当時は町木戸門の向こう側に気賀宿の町家が広がっていました。

敷地全景
f:id:tmtmz:20210109085721j:image
中に入ると敷地外の現代の建物が見えず、当時の雰囲気。顔はめパネルは目立ってますが。

お客さんが途切れたタイミングだったからか、たまたまか、入るとともに解説の音声が流れ始めました。しばし拝聴してから見学開始。

最初に1番大きな建物 番所
f:id:tmtmz:20210109085753j:image
通行人や荷物の取り調べを行う場所でした。
入り鉄砲に出女の監視が当時の一番の目的で、気賀関所は特に厳しかったとされます。

番所の向かいには番所
f:id:tmtmz:20210109085746j:image
こちらでは足軽や中間、門番が張り番をしながら休憩していました。
建物脇から中に入ることもできました。

番所の裏には二階建ての遠見番所 こちらも中に入って登ることができます。
f:id:tmtmz:20210109085801j:image
二階で遠見できるのかと思っていましたが、周りの建物が低いので遠くまで見渡せます。
当時もこんな感じだったんでしょう。

こちらは札場
f:id:tmtmz:20210227005956j:image
文面はおふざけなしで、まじめに当時のお触れが書かれていました。

その後、要害堀や資料展示も含めて30分くらいで見学終了。
こじんまりした観光施設なので長居するものではないですが、勉強になりました。
ここまで来たらもう一歩足を伸ばします。

気賀関所跡」当時の本番所跡へ。

気賀関所番所

気賀関所からは駅の反対側へ歩いて10分程度。
かなりわかりにくいところですが、Googleマップの場所は正確でした。
「ききょうや」さんと「ノズエ時計店」さんの間に看板が出ています。

f:id:tmtmz:20210109085657j:image

そして看板脇の路地を進むと気賀関所跡の建物を見られるスポットがあります。
人の家入り口に入っている感じで、それはまぁ入りにくいですが、勇気を持って進みましょう。改めて看板があります。
f:id:tmtmz:20210109085735j:image
この看板がなかったら諦めて帰るところでした。
細江町」は2005年に浜松市に合併されたはずですが、手入れはされていないんですね。。

そしてこちらがその現存部分。
看板によると残っているのは屋根の切妻破風と狐格子、下の間・勝手の間の部分だそう。
外からわかるのは切妻破風狐格子
f:id:tmtmz:20210109085617j:image
建物の一部が残っているというのは想像しづらいですが、確かにこの部分は特に古いような印象。

見られるのはこれだけですが、きっとたまたま残ったであろう建物跡、長く残ってほしいものです。

気賀駅散策はもう少し続きます。

tmtmz.hatenablog.com

旅の最初はこちらから。

tmtmz.hatenablog.com

↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ

天竜浜名湖鉄道 歴史探訪の旅3 かもめの駅浜名湖佐久米

天浜線の旅 3回目は(きっと)有名な観光地カモメの駅浜名湖佐久米へ。
カモメの数が凄すぎて降りるのも一苦労するくらい。
噂にたがわぬ良いもの見ました。
f:id:tmtmz:20210109085004j:image


青1:フルーツパーク駅 青2:金指駅 青3:浜名湖佐久米

3本目 岩水寺駅〜浜名湖佐久米

岩水寺駅から旅を再開です。
f:id:tmtmz:20210109085030j:image
相変わらずこの線路1本だけのローカルな雰囲気がたまりません。CM撮れそう。

乗車したのは12:56発の新所原行き。
かけがわ茶エンナーレというイベントのラッピング列車でした。
f:id:tmtmz:20210109085021j:image
窓まで広告が被っていて、また嫌な予感(第1回参照)。結構乗るんだけどなぁ、、

不安を抱えつつ、まずは内装。
かけがわ茶エンナーレ号は割と大人しめです。
f:id:tmtmz:20210109085011j:image
掛川ミュージアムに変わる30日間」というキャッチコピーは気になりますね。

そして車窓。
f:id:tmtmz:20210222124537j:image
やっぱり見えない…
この区間浜名湖佐久米から折り返してくるところもあるからほどほどにしようかな。

ちなみに、窓の向こうはフルーツパーク駅
浜名湖フルーツパークへは徒歩10分程度と十分にアクセス駅になりえる近さです。
ちょっと本数少ないけど。

浜松にはガーデンパークフラワーパークと似たような花がコンセプトのテーマパークがたくさんありますが、こちらはフルーツ狩りができます。
いちご狩りしに行ったとき、お土産が充実していた記憶があります。

もう少し進んで、こちらも見えませんが金指駅
f:id:tmtmz:20210109085049j:image
この駅で近くの高校の学生がたくさん乗ってきました。
やはり主な乗客は高校生なんでしょう。

結構使われているところが見られて安心しました。

浜名湖佐久米

岩水寺駅から35分ほどで浜名湖佐久米に到着。

ドアが開いた瞬間からカモメカモメカモメ。
足の踏み場にも困る状態。

降りて少し離れたところから一枚。
f:id:tmtmz:20210109085004j:image
聞いていた以上の状況にびっくりです。

発車とともに大騒ぎに。
f:id:tmtmz:20210109085307j:image
飛び立つカモメと去りゆく列車。撮り鉄さんにはたまらない状態でしょう。

これは、地元の方が10年以上冬季に餌を与え続けたことで、それを目当てにカモメが押し寄せるようになったものです。
午前と午後に餌やりの時間があって、その時間帯には特にカモメが多くなるそう。
冬季、特に寒い日にはカモメが増え、ピークは1月末から2月上旬とのことです。

この日は、ちょうどお客さんが餌やりをしていたことや、年末年始寒波の影響で寒かったこともあって多かったのかもしれませんが、それにしてもすごい状況。

カモメも気になりますが、いったん駅前を散策。こちらは駅舎。
f:id:tmtmz:20210109085007j:image
見た目は普通の地方の駅ですが、喫茶店が入っているのは特徴的。
こちらでカモメの餌を販売しているので、餌やり体験ができます。

この日はほかの方の餌やりで十分えらいことになっているので、買わないで見学だけで良いかな笑

駅前探索をしても良かったのですが、次は折り返し20分後の掛川行きに乗車予定のため、もう少し駅ナカでカモメと戯れることにしました。

駅名に浜名湖とはいっているように、実はこの駅、浜名湖に接する形で立地しています。
f:id:tmtmz:20210109085043j:image
ただ、レイクビューは東名高速で完全に遮られています。結構な圧迫感。

その壁を乗り越えてやってきてくれるカモメたち。
多いと7-800羽にもなるそう。かなり多く感じましたが、この日は何羽いたんだろうか。
f:id:tmtmz:20210109085027j:image
首を傾げたり

f:id:tmtmz:20210109084958j:image
澄ましたり。結構表情豊かですね。

カモメを眺めていたらすぐに次の掛川行が入ってきました。
f:id:tmtmz:20210109085018j:image

f:id:tmtmz:20210109084951j:image
またお祭り状態です。

えらいことになっているわりに意外とフンは少なくて、楽しく見物できました。
f:id:tmtmz:20210109085040j:image
実は車内からも周りのカモメを見ることができます。降りなくても十分観光を楽しめるかもしれませんね。

4本目 浜名湖佐久米駅〜気賀駅

4本目、乗ったのは新所原から帰ってきた音街ウナ号でした。
この車両は車窓がきれいなので好きなんです笑

次の目的地、気賀駅まで今までとは逆方向への3駅10分間、車窓を楽しみます。

天浜線は昼間でも毎時1本は列車が走っています。
第三セクター鉄道では走っている方だとは思いますが、それでも毎回1時間か2時間しか散策の時間が取れないのはなかなか困りもの。
そういうときに1日フリー券を生かした折り返し乗車は有効です。

浜名湖佐久米の東どなり、寸座駅~西気賀駅あたりでは、車窓に浜名湖が広がります。
f:id:tmtmz:20210109085036j:image
f:id:tmtmz:20210109085102j:image
浜名湖は湖岸が入りくんでいてなかなか広さを感じにくいですが、海から遠く離れたこの場所でも湖を見られるということを思うとやっぱり広いですね。

晴れていたらもっとキレイな車窓だったんだろうなぁ。

西気賀駅
f:id:tmtmz:20210109085046j:image
こちらは洋食屋さんが入っています。
天浜線では駅舎にお店が入っている駅がたくさんあります。

このお店、食べログ評価高めだったので、コロナが落ち着いたら行ってみようかな。

そんなことを考えているうちに最後の目的地気賀駅に到着
f:id:tmtmz:20210109085015j:image
天浜線にたくさんある木の駅名標が旅情を誘います。

さぁ歴史探訪してきますよ。

tmtmz.hatenablog.com

旅の最初はこちらから。

tmtmz.hatenablog.com

↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ