にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

勝間田城 (静岡県牧之原市) -五重の堀切が立派な中世山城

静岡県中部、お茶畑で有名な牧之原台地にある勝間田城の訪問記です。

続百名城でもないですが、続百名城公式ガイドブックに土居の例として載っています。
それくらい遺構、見どころ多めの城跡でした。

でも土居より五重堀切の方が印象的だったけど、そっちでは載ってなかったなぁ。

お城:勝間田城 静岡県牧之原市
HP: 勝間田城跡 - 牧之原市ホームページ
訪問日:2021年5月 

概要

平安時代末期から鎌倉時代にかけて牧之原市勝間田川流域を治めた勝間田氏が、15世紀半ばに勝間田川最上流部、牧之原台地の尾根上に築城したと考えられています。

勝間田氏は応仁の乱以降、今川氏と対立し、1476年、今川義忠に攻められ、勝間田城も落城しました。
その後、城が使われたという記録はありませんが、改修の形跡が認められています。

城跡からは数度にわたる発掘調査で遺構、遺物が多数検出されています。
東方を向いて堀、土塁、曲輪が配置されており、今川氏を意識した縄張りとなっています。

訪問記

牧之原市のアクセス道路となる県道233号からスタート。
入り口となる曲がり角には看板が出ていて迷わず訪問できます。
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写真ではちょいと見にくいですが。

曲がってしばらく進むと到着です。駐車場完備
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駐車場の周りにはトイレとパンフレット、看板も完備
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縄張りが書かれた図もたくさんあって至れり尽くせり。

一番わかりやすかったパンフレットのルート通り北東(右上)から南(下)に進みます。
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ちなみに、駐車場の先にも道路が続いていて車で進みたくなりますが、これは農道です。
最後まで細いうえにすぐに通行止めになりますので、潔く駐車場に停めましょう。
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三の曲輪・二の曲輪

最初の看板は出曲輪
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今はお茶畑でしかありませんが、先へ進むと

木が伐採されて見やすくなった三の曲輪が見えます。
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周囲は土塁に囲まれ、今いる場所との間は自然の谷になっています。

三の曲輪の入り口に立派な城趾碑
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三の曲輪は土塁に囲まれた、勝間田城では一番広い曲輪です。
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この先の本曲輪近辺とは違った様相で、後世の改修の可能性を考えられています。

左手には馬洗い場という水場があります。
今も水が溜まっていますね。たまたまでしょうが、水が溜まりやすいのは当時からかな。

曲輪内部はウッドチップのおかげで草も少なめで歩きやすいです。
たまにウッドチップの下が沼化していて靴はドロドロになりましたが。

三の曲輪から東側へ続く尾根には二重の堀切が設けてあります。
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パンフレットの記載通り、東側への守りの意識が感じられますね。

ルートに戻って反対側の西三の曲輪は草ボーボー
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さすがに入れませんが、ここに掘立柱建物跡があるようです。

ニの曲輪への虎口
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この虎口も高い土塁に挟まれています。

ニの曲輪内部
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二の曲輪は北と西を土塁に囲まれていて、やはり後世の改修を考えられています。

また、ここには平面復元が多数作られています。

ニの曲輪には11棟の掘立柱建物1棟の礎石建物がありました。
特に礎石建物は珍しく、貯蔵庫や兵糧庫として使われていたと考えられています。
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それにしてもこんなに平面復元があるとは。
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全く知らなかったので良い驚きでした。
と言いつつ全部掘立柱で礎石建物の平面復元の写真を撮り忘れていました。。

二の曲輪から本曲輪への間には大きな堀切が設けてあります。
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本曲輪、五重の堀切

さらに先へ進むと本曲輪近辺の小さな曲輪が集まるゾーンへ。
このあたりの曲輪は土塁もなく、面積も小さく、これまでの曲輪とは違った様相です。

まずは東尾根曲輪
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尾根を登って、

東尾根曲輪
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この曲輪では物見台の跡が発見されています。
東側に位置するので、やはり今川氏への備えでしょうか。

今も良い眺めです。
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手前には先ほどまでいた二の曲輪、三の曲輪、遠く右奥には富士山静岡空港が見えます。
空気が澄んでいれば、富士山も見えるそう。
ここに物見台まであったら、と思うと、曲輪自体に物見の目的があったんでしょうかね。

そしてこの尾根の東側には有名な五重の堀切
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が、心の綺麗な人には見えるはず。私には見えませんが。。。
寒い季節に来ないと見えませんね。一応肉眼では四本くらいは見えたような。

東尾根曲輪から東は長く尾根が続く地形で本曲輪にも近いからか、守りが特に厳重です。

本曲輪方面へ。

一番本曲輪に近い曲輪が北尾根曲輪
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本曲輪周辺では一番はっきりした曲輪でした。
ここからも建物跡が検出されています。

ちなみに本曲輪近辺の曲輪の東とか西とかは、本曲輪に対する位置でつけられています。
本曲輪は四方を曲輪に囲まれた構造で、守りの意識を感じます。

そしてもう少し登ると本曲輪
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先ほどの東尾根曲輪でも高さが分かるかと思いますが、そこからさらに階段を使う高さ。
三の曲輪からでもかなりの高さに来ています。

本曲輪には南西と北西の角に今も高く残る土塁が残されています。
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そして年季の入った城址碑と祠。
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勝間田氏の御子息も集まる城址祭が開かれているそうです。

と、本曲輪を見終えたところですが、四方を曲輪に囲まれているということは、もちろん本曲輪の脇を通って南側にも少しだけ続きます。
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大きな堀切
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右が本曲輪、左が隣の南尾根曲輪です。

南尾根曲輪への登り口はなかなかリスキー
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左側に小さく通路が見えますかね。

登ると、南側に土塁が残る曲輪
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小さな曲輪ですが大部分をこの土塁が占めています。
さらに土塁の南側は堀切。本曲輪から南側への守りも万全です。

この先はさすがに細い尾根だけ。
残る西側の腰曲輪もよく分からなかったので、ここで勝間田城の散策終了です。

感想

満足度 4/5

堀切くらいしか事前知識を入れずに向かったので、良い驚きがたくさんでした。

丁寧な説明のパンフレットと現地遺構を見ると、中世の築城思想がよく分かりました。
当然散策中は人に会うことはなかったんですが、もっと知られてほしいところです。

また五重堀切を見られる時期に再訪しないと。

アクセス

勝間田城

  • アクセス
    電車・バス:JR金谷駅からバス 中島バス停下車 徒歩20分 
    車:東名高速 牧之原ICより15分
      無料駐車場あり(10台)
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    1時間
  • 付近のスポット
    百名城関連では諏訪原城が近くです

    tmtmz.hatenablog.com

    近くには同じ中世に活躍した横地氏の横地城もあります。

    tmtmz.hatenablog.com

    こちらの名家は同じ牧之原市内です。

    tmtmz.hatenablog.com

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夏のビーナスラインをドライブ② - 霧ヶ峰高原のニッコウキスゲ

ビーナスラインドライブの2日目は霧ヶ峰高原へ。

エアコンの名前でよく聞くので、行ったことないのに馴染みがある不思議な感覚です。
口に出すときについリズムをとってしまうのは関西人だけでしょうか。

今日のお目当てはニッコウキスゲ。一面の黄色い花畑に出会えるかな。
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橙1.霧ヶ峰高原 橙2.ニッコウキスゲ群生地 橙3.霧ヶ峰高原自然探求路

霧ヶ峰高原

まずは2日目も素晴らしい天気と景色の中をドライブです。
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気温も含めてすべてが快適。晴れていて良かったー

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なんだか車のCMが撮れそうな良い道じゃありませんか。

霧ヶ峰高原に到着
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中心部にはドライブイン霧の駅自然保護センターがあります。

自然保護センターには地図と霧ヶ峰の自然の解説がありますので、最初に立ち寄るのがおススメ。

山頂部は草原になっています。
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定期的に火入れや採草をして景観を保っているそう。
この火入れも縄文時代までさかのぼる歴史があるのだとか。

そんな草原の中をグライダーが優雅に降りてきました。
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この日は条件が良かったのか、ずっとグライダーが飛んでいました。
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高原リゾート感が半端じゃないです。

ニッコウキスゲ群生地へ

地図ではお目当てのニッコウキスゲ群生地は霧ヶ峰の中心地と隣の車山肩の間に描かれています。
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車山肩に車を置いたほうが楽なんでしょうが、ハイキングも兼ねて散策していきます。
まぁ朝一から車山肩の駐車場が混雑していて避けたというのもあるのですが。

自然探求路へ
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2本あるので行きはビーナスライン側、帰りは奧を使いました。

どちらも道は整備され、分かれ道では看板もあり、素人でも迷う心配なしでした。
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さすがに足元はちゃんとした装備がよさそうです。
あと、ビーナスライン側の道は日差しを遮るものが無くて暑いです。よく焼けました。

帰りの道は、散策路に覆いかぶさるようにササが生い茂っていてワイルドでしたが、途中から森の中で涼しかった。
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途中に咲く花も楽しませてくれました。
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歩きやすいけど暑い道と涼しいけど歩きにくい道。往復で両方行くのが良いでしょうかね。

さて、霧ヶ峰から60分歩いてニッコウキスゲ群生地に到着。
群生地は間ではなく車山肩周辺でした。
ここまで書いておいてなんですが、楽するなら絶対車山肩スタートが良いです。

ニッコウキスゲたち。
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時期はちょうどだったようですが、今年は例年より花が少なかった様子。
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あと写真じゃ分かりにくい。
もうちょっときれいに見えていたんですが、どうやったらきれいに撮れるんでしょう。。。

それでも群生地には黄色い花畑が広がっていました。
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ニッコウキスゲは一日花なので時期を合わせるのがとても難しいよう。
それでもこれだけの花を見られたんですから、ラッキーでした。

ソフトクリームタイム@ドライブイン霧ヶ峰

最後はドライブイン霧の駅に戻って恒例のソフトクリームタイムです。
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白樺高原牛乳ソフト。
お店の方のご厚意でいつもより多めに巻いてくださいました。

これは牛乳感強め。好みにあっていて大盛りでもぺろりと食べられました。
ごちそうさまでした。

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初日は美ヶ原高原美術館八島ヶ原湿原を訪問しました。

tmtmz.hatenablog.com

実は昨年も長野県に来ていました。

tmtmz.hatenablog.com

夏のビーナスラインをドライブ① -美ヶ原高原美術館・八島ヶ原湿原

7月中旬の週末、愛車乗り換え前の思い出作りとニッコウキスゲを目当てに長野県はビーナスラインにドライブに行ってきました。
思えばあのころはコロナの感染者数も少なかったなぁ

まずは北端の美ヶ原高原からドライブ開始。

まさに高原という素晴らしい景色。しかも涼しい。
ツーリングの方がたくさんいらっしゃるのもよく分かります。

これは毎年避暑に行きたくなりますね。

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青1.美ヶ原高原美術館 青2.八島ヶ原湿原

美ヶ原高原美術館

ビーナスライン諏訪湖近くの長野県茅野市から、長野県上田市美ヶ原高原美術館までをつなぐ高原道路です。
高原の景色の良いワインディングロードは素晴らしいドライブコースになっています。

そんなビーナスラインを走るためにまず向かったのは松本市

松本城に後ろ髪を惹かれつつ、よもぎこば林道とアザレアラインを登ること1時間
思ったより急かつグネグネの山道にビビりながらもビーナスラインの北端、美ヶ原高原美術館に到着です。
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天気はとても良くて日差しはありますが、涼しい。いやー楽園ですね。

眼下には上田盆地北アルプス
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天気も良くて来てよかった。

こちら道の駅も併設されていて、お土産やちょっとした食べ物も売られています。
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換気も抜群のレストランが空いているうちを狙って早めのお昼ご飯は黒カレー
エアコンのいらない気温なので外からの風が気持ちいい。

ちなみにレストランのメニューはザ・山の上という感じでした。
カレーとかそばとかうどんとか。道の駅っぽいご当地メニュー感は薄めです。

お腹を満たしたら美ヶ原高原美術館へ。
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外からも見えているんですが、ちゃんとお金払って見に行きますよ。
まぁもちろん見えているのはごくごく一部ですし。

この美術館は現代アートなのでなかなか分かりにくかった笑
金沢21世紀美術館の野外展示みたいな感じですね。
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でも周りの緑と青空、白い雲にカラフルな展示で見ているだけで十分楽しいです。

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なんだかラピュタっぽい構図

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一応化学を勉強したことがあるので、こういう構造式みたいな形には惹かれてしまったり。

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背景に盆地を見下ろしつつ展示が見られる非日常感はここならではかな。
友達と写真を撮りあうのも楽しそうですね。

頂上にはビーナスの城という施設があって、もちろんその上に展望台があります。
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建物自体はちょっと年季を感じますが、

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展望台からの景色は素晴らしい

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駐車場でも十分高く上ったと思っていましたが、それ以上に見晴らしがよい。

ここまでで展示は半分。

残りも同じように楽しみましたが、写真を撮る元気はなくなっちゃいました笑
結構アップダウンがあって見て回るだけでも良い運動なんですよね。

あとは直接現地でお楽しみください。

一通り回ったら、道の駅に戻って長門牧場ソフトクリームのお時間です。
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観光地に来たらご当地ソフトクリームを食べたくなるたちなので。

これは濃厚でした。その分溶けるのが早くてびっくりしました。
これでも受け取ってすぐに写真を撮ったんですよ。

ここから八島ヶ原湿原へちょいとドライブです。
道中景色はさまざまですが、ここが一番きれいだったかな。
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絵にかいたような高原道路。

ちょうど駐車スペースもあったので、愛車との最後の写真も撮れました。

八島ヶ原湿原

美ヶ原高原美術館から30分ほどで八島ヶ原湿原に到着。
駐車場空いていて良かった。意外と入れ替わりが早いのかな。

まずはビジターセンターで情報収集です。
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八島ヶ原湿原1万2千年前に誕生した高層湿原で、国の天然記念物に指定されています。

ちなみに高層湿原とは標高が高い湿原、、、ではなくて、湿原が成長して地面が周辺から入る水より高くなったもののことです。

八島ヶ原湿原も元は湖でした。
そこに生えた植物が枯れて、寒さのために分解されずに泥炭となり、それが溜まって溜まって高層湿原となりました。

高層湿原になると地下水も届かなくなり水源は雨水だけになるため栄養が乏しく独特の植生を見せるようになります。

近年、湿原はさらに高層化、乾燥化、森林化していて、まだまだ姿を変えているそうです。

というようなことがビジターセンターに書いてありますので、散策前に見学されることをお勧めします。

一通り基礎知識を身につけてから、散策へゴーです。

駐車場とは道を挟んだ反対側。アクセス抜群
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相変わらず良い天気でした。日焼け対策必須です。

最初に全景
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手前に見える八島ヶ池とその周りの緑が美しい。
八島ヶ池は絵にかいたような鏡のような水面ですね。

下りて湿原の周りの散策路へ。

湿原を囲むように周回する木道が整備されていて、ほぼ平坦で歩きやすい。
ただ、最後は木道ではなく石の道も出てくるので、足元はちゃんとしていた方が良いです。
スニーカーで行っちゃいましたが。

翌日の霧ヶ峰高原で出会うと思っていたニッコウキスゲがすでに登場
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可憐な花が美しい。
ただこの時は一面のニッコウキスゲとはいかず。ちょっと早かったみたいです。

こちらはノバナショウブ
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このような高山植物がたくさん生えていて気持ちの良いハイキングができました。
知識があるともっと楽しめたとは思いますが、カラフルな花は見ているだけでも楽しい。

このチョウチョが一番飛んでいた気がします。
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それにしてもこの花に2匹とまるとかどれだけ美味しい蜜があるのか笑

八島ヶ原湿原を一周すると約90分

美味しいところだけを歩いて引き返すこともできますし、駐車場から道を渡るとすぐに別世界のアクセスの良さ。
最初は少し人が多いですが、皆さん途中で引き返す?のか奥の方はほとんど人もいません。おススメです。
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清々しい気持ちになれますよ。

次は霧ヶ峰へ向かいます。

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実は昨年も長野県に来ていました。

tmtmz.hatenablog.com

百名城 水戸城(14・茨城県水戸市)2/2-弘道館を散策

引き続き水戸城を散策。
続いてはスタンプも設置されている弘道館から三ノ丸を回ります。
1回目の記事はこちら

tmtmz.hatenablog.com

お城:水戸城 茨城県水戸市
HP:水戸城跡 « 水戸市の観光情報サイト「水戸旅」【公式】水戸観光コンベンション協会
訪問日:2018年10月、2021年4月
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訪問記

弘道館

本丸の薬医門から戻って弘道館を見学です。

弘道館は9代藩主の徳川斉昭の藩政改革の一環として1841年に創設されました。
藩校としては当時最大級の規模を誇りました。

藩内抗争や戦災でたくさんの建物を焼失しますが、正庁と至善堂は焼失を免れ、現代までその姿を残しています。

というようなことが正門前の看板に書いてあります。

さて、こちらが正門
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歴史ある佇まいは1841年の創建時のもの。

向かって右の門柱には穴が開いていますが、これは弘道館の戦いの弾痕
歴史を感じます。

さすがにこの正門は通してもらえないので、向かって右手の今の正門から中へ。
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この先の券売所に百名城スタンプがあります。

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百名城スタンプはこんな感じ。
モデルは薬医門と堀でしょうか。弘道館ではないんですね。

弘道館の敷地内の配置
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現存の正門、正庁、至善堂以外にも、さまざまな建物が復元されています。
有料ゾーンの外にもありますので、しっかり見ていかないと。

入ると早速正庁
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今の入り口は上の写真のところですが、多分こっちがかつての正面、かな
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正庁は、藩主や重心が列席して試験や儀式をおこないました。

中は撮影せずに見て楽しみました。
歴史ある施設は雰囲気を含めて見て楽しむのが一番。

ここも落ち着いていてとても良い雰囲気でした。

普段は入口の向こう側にかけられている「尊攘」の掛け軸を間近で見られたのが記憶に残っています。
全く下調べなしで訪問したらたまたま限定公開の日にあたったらしく、珍しくラッキー

中を見終わったら外を散策

梅林になっているところにはもともと文館がありました。
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梅の季節は綺麗なんでしょうね。

こちらは至善堂だったかな
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至善堂は藩主の休息所や諸公子の勉学所として使われました。慶喜公の謹慎した部屋でもあります。

対試場越しの正庁
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対試場では武術の試験が行われました。
今もその時の様子が目に浮かぶような気がしますね。

写真では見づらいですが、対試場に面した正庁の縁側には游於藝(げいにあそぶ)の扁額が掲げられています。
六芸と呼ばれた礼儀作法、音楽、弓術、馬術、習字、算数を文武に凝り固まらずに悠々と極めるということを意味しています。

鹿島神社

弘道館の有料区域を出て外周へ。

北側には立派な堀が残されています。
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弘道館の当時からあった遺構です。

その一端にあった土橋を越えて中へ。
看板や敷地は完全に鹿島神社のそれですが、弘道館とともに建てられた建物が復元されています。

孔子廟

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弘道館は神需一致の精神をもって建学されたため、儒学の祖、孔子を祀る孔子廟鹿島神社とともに設置されています。

見えている戟門と土塀以外は第二次大戦時に焼けてしまいましたが、復元されました。

そしてこちらは鹿島神社
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弘道館の本開館式と同時に遷座祭が行われました。
常陸の国の一之宮である鹿島神宮から分霊を祀っています。

現在の建物は、第二次大戦時に焼失したのち、昭和49年の伊勢神宮式年遷宮の際に風日祈宮の旧殿一式を譲り受けて、伊勢神宮で造営されていた時とほぼ同様に移築されたものとのこと。

鹿島神社の境内にはまだまだ当時のものが残されています。

八卦
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弘道館見学の精神の象徴である弘道館記碑を収めています。

要石歌碑
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斉昭自筆の和歌が刻まれています。

学生警鐘
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その名の通り学生に時刻を知らせるための鐘です。
鐘にも斉昭自筆の和歌が刻まれています。
こちらは戦災にも耐え、当時のものが弘道館内で展示されています。

それぞれの由来を知ると、斉昭の弘道館にかけた思いも見えてくる気がします。

そしてこの敷地の端には少しだけ虎口も復元されています。
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何の気なしに通るとただの公園の入り口(というか突き当たり)ですが、土塁や通路が再現されていて、頑張れば想像できなくもないかも。

繋がってはいませんが、喰い違い虎口から三ノ丸外に出る北柵御門も復元されています。

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三ノ丸周囲を散策

弘道館の敷地見学を終えた後は、水戸駅に帰るついでに三ノ丸をぐるっと一周

途中見かけたハイカラな建物は配水塔でした。
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昭和7年から平成11年まで使われていました。

こちらは東武館という武道場
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開館は明治なので弘道館よりは少し新しい時代の建物です。

と、普通の街歩きになりそうなところですが、折れて裁判所前の道を歩くと立派な堀
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当時から空堀だったと考えられているので、ほぼこんな景色だったのかな。
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広さ深さともに非常に立派。やっぱり水戸城だとこれくらいの規模の堀になりますよね。

これなら堀底に道路や線路を通したくなる気持ちはよく分かります。

感想

満足度 3/5

二の丸、本丸は学校になっていて広い敷地のわりに遺構は少ないですが、それでも大手門や薬医門など、間の空堀から感じられる格式は別格のものがあります。
弘道館だけを回っていたらもったいないですね。

鹿島神社側はほぼ神社の見た目なのでコアなファン向けですが、三ノ丸西側の堀は一見の価値アリです。

基本情報

水戸城

  • アクセス
    電車:JR水戸駅から徒歩10分
    車:常磐道 水戸ICから約30分
      北関東道 水戸南ICから約15分
      無料駐車場あり(弘道館前に普通車13台)
  • スタンプ・開館時間
    弘道館料金所
    開館時間:9:00~17:00(10月~2月中旬は16:30まで)
     休館日:12/29-12/31
     入館料:大人400円、小人200円
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    弘道館だけなら30分
    全て回ると1.5時間
  • 付近のスポット
    おなじく斉昭が作った偕楽園はバスで少し行ったところですね。
    百名城関連だと、土浦城、笠間城が近くです。

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百名城 水戸城(14・茨城県水戸市)1/2-復元された大手門から今も残る薬医門へ

土浦城に続いて、茨城の百名城は水戸城です。

1回目に来たときは大手門の復元工事真っ最中で、二の丸は完全に工事現場でしたが、復元工事が終わってから再訪すると全く印象は変わりました。

跡地はほとんど学校になっていますが、それでも徳川御三家の城ですから、隠し切れない格式が感じられますよ。

お城:水戸城 茨城県水戸市
HP:水戸城跡 « 水戸市の観光情報サイト「水戸旅」【公式】水戸観光コンベンション協会
訪問日:2018年10月、2021年4月
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概要

1193年、馬場資幹が源頼朝から大掾に任命され、居館を築いたのが始まりです。

1427年に馬場大掾氏の留守をついて江戸氏が占拠しました。

1590年、佐竹義宣が江戸氏を攻め、入城します。
佐竹氏時代は僅か13年でしたが、この間に曲輪を整え、出入口を移し、大手門などを作るなど、近世城郭に改修されました。

佐竹氏の秋田移封後は、何人かの城主を挟んで、家康の11男、頼房が入り、廃城まで水戸徳川家が治めました。
頼房時代に、三の丸や城下町が整備拡張され、二ノ丸に御殿や三階櫓が立てられました。
また、9代斉昭のころに藩校弘道館偕楽園が作られました。

幕末の天狗党の乱や、廃城後の放火、太平洋戦争時の空襲により城内の建物の多くは焼失しましたが、弘道館や薬医門が現存しています。
また2021年に大手門が復元されるなど、復元整備事業も進められています。

訪問記

水戸駅~大手門

水戸駅から訪問開始です。

水戸駅ペデストリアンデッキからすでに櫓が見えていて、テンションを上げてくれます。
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こいのぼりにしか目がいかないって?奥の二の丸隅櫓ですよ。

まずはこの地図で真っすぐ右上に伸びる道を通って弘道館公園へ。
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わざわざこの道を通ったのは、ここが深い深い堀跡だから。
櫓や二の丸の高さを見ても堀の深さがよく分かります。
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左側が三の丸側
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そして、あそこまで登るのかとげんなりさせてくれます笑
登るだけでも嫌なんですから、攻めるなんてもっての外ですね。

。。。さて、つべこべ言わずに登りますか。

登りきって弘道館前の広場に到着。
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正面が駐車場。
知名度のわりに狭いですが、前回来たときは意外と停められました。

左手すぐに見える弘道館にも惹かれますが、まずは大手門から二の丸方面へ。
美味しいものは後に残しておくたちなので。
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ちなみに、水戸城は三の丸、二の丸、本丸、下の丸が直線状に並ぶ連郭式。
行って帰ってくる形の散策コースになります。
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橋を渡る前に斉昭公を見てスタートです。
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もうちょっと大きくしてあげても良かったのでは。

上から先ほどの空堀跡を上から眺めつつ橋を渡ると
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大手門
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佐竹氏時代の1601年に建てられ、幾度かの建て替えの後、明治時代に解体されたと考えられています。

今の門は2021年に復元されました。さすがに、ピカピカ。良いにおい笑

裏はこんな感じ
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個人的には少し遠目の土塁も含めた全体像が見える構図がお気に入りです。
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高い土塁にこの屈指の規模を持つ門。美しい。

前回来た時は復元中。
土塁の上をまたぐ工事足場がかけられていて何もわからなかったので、再訪してよかった。

二の丸~薬医門

大手門の内側は二の丸。文教地区の綺麗な街並みが広がります。
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たくさんの学校が立ち並ぶ広い広い曲輪ですが、城跡感は薄め。

でもちょいちょい名残はあるので、お散歩にはちょうど良いかも。

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歴史ある門と思ったら、まさかの中学校の門

こういうところも含めて他にはない雰囲気が広がります。

もう少し行くと二の丸展示館
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規模は小さいですが、かつての姿を再現したジオラマがあって無料とありがたい施設です。
こういうのを見ないとなかなかかつての姿は思い浮かべにくいですしね。

安積澹泊像を見つつさらに奧へ。
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水戸城天守にあたる御三階櫓跡がありますが、説明板だけ
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跡地は完全に学校ですから、仕方ない。

学校の隙間にある二中見晴らし台と書いた門と看板が誘っていますね。何があるのかな。
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ご自由に、とは書いてありますが門を抜けると学校のグラウンドが丸見えの通路。
これ平日に行ったら不審者になるやつ…

通り抜けた先には北に隣接する那珂川を望む景色がありました。
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当時もこんな景色だったのでしょう。この眺望は確かに良いかも。

戻って先へ。二の丸御殿も説明板のみ
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二の丸北東方向の入り口 杉山坂と、
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その脇に杉山門が復元されています。
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ただ、杉山坂は現役道路で、二の丸道路との合流はt当然枡形ではなく丁字路です。

一方で杉山門は、かつての枡形、今の杉山坂から90度曲がった場所に建っています。
もちろん枡形なので二の丸道路にもずれた場所。

つまり、杉山坂と二の丸道路の交差点脇に立つよく分からない状態になっています。

もともとの枡形の場所に正確に再建されているんですが、ちょっとかわいそうかな。
足元にかつての通路を書いてあげるとか。。。

本丸・薬医門

杉山門を過ぎるとすぐに二の丸の突き当たり。空堀を越えていよいよ本丸です。
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といっても本丸は水戸第一高校なんですが、勇気を出して正門へ。
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二の丸と本丸の間の堀には水郡線が走っています。
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何も知らないとただの切通しに見えるんでしょうが、知っているとちょっと得した気分

学校の敷地に入るところにはきちんと説明の看板が建てられていました。
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お互い気持ちよく居たいですよね。ちゃんと見学範囲が定められていてこれは安心

正門を過ぎるとすぐに薬医門

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先ほども大手門もそうでしたが、規模が大きい。

こちらの薬医門は水戸城唯一の現存建築物です。
創建時期は、佐竹氏時代だろうと考えられています。

長らく城外に移されていため正確な場所が分からず、あくまで薬医門と呼ばれていますが、規模・風格からして本丸の表門だったと推測されています。

そして、本丸に移築復元されて今に至ります。

それにしても大きさと格式は本当にすごい。
高校の敷地内、部活中の生徒に見られるという、なかなかに入りにくいところにありますが、勇気を出して入ってよかった。

次回は、ここから折り返して弘道館へ。

茨城の百名城関連で、土浦城の訪問記です。

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続百名城 土浦城 (113・茨城県土浦市) -番外編 土浦城下町を歩く 

土浦城を回った後、散策前に見つけた気になる看板をもとに街歩きをしてきました。
土浦城の痕跡を回る街歩きです。

中城町の蔵が立ち並ぶ街並みは雰囲気もよく、お店が開いている時間に歩きたかったところ。
城の痕跡としては僅かですが、門跡の位置関係を知るだけでも当時の大きな城域を感じることができますね。
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訪問記

冒頭に触れた気になる看板がこちら。
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大手門跡、などの配置を書いてくれています。
これを参考に、大手門跡→南門跡→中城通り→搦手門跡へと回っていきます。

大手門~南門

旧前川門から歩いて5分ほどで最初の目的地大手門跡へ。
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正直、ここにたどり着くまでは遺構のようなものもあるのかなと思っていました。

残念ながら石碑があるだけ。
でもちょっとだけでもこうして歴史を教えてくれることに感謝しないといけないのかも。

現地は綺麗な幼稚園の正門前で、不審者と間違えられそうな立地。
写真を撮るのも憚られる笑

もともと門を備えた内枡形があったらしいのですが、そんな様子はわからなかったな。

さて、まずは南門方面へ向かいます。

覺寺

やってきたのは䓁覺寺。
小田氏治の弟、治算によってこの地に移された由緒正しいお寺です。
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実は土浦城櫓門脇にあった、かつての土浦城の地図にも記載されていました。
ここまで歩いて10分ほど。城域の広さを感じ始めました。

立派な銅鐘と鐘楼が気になります。

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遠目にも異彩を放っていますが、銅鐘は建永年間(1206~07)に小田氏の祖である八田知家が寄進されたもので、菅谷氏時代以降は土浦城の本丸にあったそう。
鐘楼も1865年に建てられたものです。

やはり寺院の歴史は別格です。

さらに歩いて、トータル15分ほどで南門跡
1727年まではここが土浦城の南端でした。
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ここも名残は石碑と解説板だけでしたが、この手前で道路がクランクになっていました。
当時はこの場所で水戸街道に角馬出が設けられていたそうで、名残だったらいいなぁ。

ちなみに石碑は片側2車線+高架の道路沿い、しかも道路に向いて文字があって大変見にくかった笑

南門~中城町

南端までたどり着いたので、戻って江戸時代の土浦の商業の中心、中城町方面へ。

グーグルマップ載っていた南門の土塁も見たいところですが、どうやら東光寺さんの境内にあった様子。
そもそも東光寺さんにはどうやって行くのかもわからず、こちらは断念。

諦めて真っすぐ中城町へ向かいます。
途中には田宿町の旧町名石碑。
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かつての町人町で、今も寺院が多く残るのが痕跡だとか。たしかに。

周辺は今はさすがに住宅街ですが、チラホラ歴史を感じさせるものもありました。
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このあたりに醤油蔵があったそう。

中城町までたどり着くと、雰囲気のある建物が出てきました。
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水戸街道11番目の宿場町の雰囲気が感じられます。

矢口家住宅
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1800年代中盤の土蔵造りの建物で、間取りの変遷の記録も残ります。

中心部は特に良い雰囲気。
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白黒の蔵がたくさん残っていて、コロナが無ければもっと観光で回りたいところ。
というかもう少し昼間に来てお店を見てみたかった。

左手のまちかど蔵が、土浦市立博物館休館日のスタンプ置き場ですね。

不動院さんを参拝して、

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中城町を端まで行くと櫻橋の欄干
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ここも今や何の変哲もない交差点ですが、かつては水戸街道が川を渡っていました。

かつての川の跡、今の亀城通りを少し土浦城方面へ進むと、搦手門の跡がありました。
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こちらも何の変哲もない石碑ではありますが、このあたりも当時は城域だったのかなぁとか、あの道路が水堀跡だろうか、とか考えると想像が膨らんで良いです。

ほとんど下調べなしにのんびり散歩レベルで楽しんでしまいましたが、中城町を中心に城下町の風情を残そうとされている感は伝わってきました。
市街化が進む街中で残すことも難しいと思いますので、少しだけでもかつての雰囲気を残していただいていることに感謝です。

やっぱり昼間に歩きたかったなぁ。

土浦城の訪問記はこちら

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続百名城 土浦城 (113・茨城県土浦市) -亀城公園は地域住民の憩いの場

このブログ初めての関東地方のお城の訪問記 土浦城から開始です。

ブログを始めてすぐにコロナ禍になって、宣言やらで訪問できなかったんですよね。
ようやく隙間をついて北関東を回れました。

まずは亀城。街中で当時の名残を感じるのは厳しいですが、現存建築は立派でした。

お城:土浦城 茨城県土浦市
HP:名所・史跡の紹介 | 土浦市公式ホームページ
訪問日:2019年9月、2021年3月
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概要

室町時代に小田氏の家臣、若泉三郎が築いたのが始まりとされます。

戦国期には、小田氏家臣の菅谷氏の居城となります。
このころ小田氏の勢力は衰え、小田城を奪われると土浦城に移りました。
菅谷氏は小田氏をよく支え、何度も小田城を奪い返しましたが、最終的に小田氏が佐竹氏に臣従し、土浦城を失いました。

小田原征伐のあと、土浦は結城秀康の所領となり、その後も城主はたびたび変わりました。
平信一、信吉のころに城の大まかな形が、松平信興の頃の大改築で最終的な縄張りが作られました。
最終的に城主は土屋氏で落ち着き明治維新を迎えます。

何重もの水堀で囲われ、水害の際にも水没せずに水に浮かぶように見えた姿から亀城と呼ばれています。

訪問記

土浦市立博物館

1度目はスタンプだけでほとんど回った記憶がなかったので、再訪問です。
今回はバスで訪問して、まずは土浦城となりにある博物館へ。

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と思ったらこの時は休館日でした。

1回目の訪問時には、花火が土浦の名物ということを学んだ気がします。
あと105円という中途半端な入館料がやたらと記憶に残りました。

ちなみに、車で土浦城を訪問するときは博物館の無料駐車場を使えますが、博物館を見ないと車を出す券をもらえないのでご注意を。
1回目は結構びっくりしました。

亀城公園

休館日なら仕方ない、ということで亀城公園へ。
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割れてしまっていて見にくいですが、左側の博物館側から訪問。

下の外濠沿いに位置する二ノ丸→櫓門を通って本丸→霞門から旧前川門へ回ります。
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水堀と復元された西櫓を見ながら進むと二ノ丸へ。

このあたりは公園となっています。
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ちょっとした動物園。
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都市部の公園あるあるでしょうか。小田原城もこんなのありましたね。

進むとすぐに櫓門
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大手に当たる太鼓門でした。
こちらは江戸時代からの現存建築、かつ関東地方唯一の現存する櫓門です。

櫓門脇に先ほどのバキバキの地図がありました。
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さらにその片隅にひっそりと二ノ丸の石碑。
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地図でも二の丸ということは理解できますが、二ノ丸も残っているのは一部、というか縄張りはほとんど残っていないため、現地を巡っても分かりませんでした。
市街地の平城なので、この辺は仕方ないかな。

櫓門脇に城址
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本丸・百名城スタンプ

櫓門をくぐって本丸内部へ。
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かつては郡役所としても利用された本丸御殿があったそうですが、明治時代に焼失。
今は広場の様相です。

すぐ目に入るのは東櫓
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松平信吉のあと、西尾氏の頃に西櫓とともに建てられましたが、本丸御殿の火災による損傷で解体されました。

博物館の105円のチケットでこちらも中に入ることが可能です。

中に入るとスタンプ
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西櫓と水堀でしょうか。

そんな西櫓も復元されています。
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こちらは昭和の台風被害で解体、平成4年に当時の材料で復元されました。
そのような経緯もあってか土浦城では数少ない立派な説明板もありました。
ちょっとのっぺりしすぎている気はしますが、当時もこんなもんだったのかな。

本丸は土塁に囲まれています。
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改変されてはいるようですが、内部から見る雰囲気はこんな感じだったんでしょうね。

東櫓の脇には霞門
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搦手にあたる位置にあり、こじんまりしていますが、こちらも現存建築物です。

ここを抜けると、
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水堀越しの東櫓
何となく雰囲気のある構図じゃないですか。

二ノ丸東側にあたる場所を散策します。
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と言ってもやはり縄張りがよく分からない公園なのですが。。。

聖徳太子堂というお堂を見ながら
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右手の水堀越しの東櫓を眺めていくと、
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旧前川口門
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もともとはもっと外、武家屋敷のあった多計郭と町屋を仕切る門であったと言われます。
この場所には二ノ丸の入り口の二之門がありました。

これで土浦城は一周。
少し周りの城下町を散策していたら、櫓門のライトアップが始まりました。
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満開の桜にライトアップされた櫓門。
美しいものを見せていただいて、今度こそ土浦城の見学終了です。

感想

満足度 2/5

櫓門や霞門、旧前川門は良いですが、城跡としての遺構は少ない。
二ノ丸も堀が埋められていて、亀城と呼ばれた当時の姿を思い浮かべるのはちょっと厳しいです。
現存建築と復元の建築を見て楽しむところですね。

基本情報

土浦城

  • アクセス
    電車:JR土浦駅から徒歩15分 またはバス 亀城公園前バス停 下車すぐ
    車:常磐道 土浦北ICから約10分
      駐車場あり
     博物館を見ないと出られない駐車場ですので要注意。
  • スタンプ・開館時間
    土浦市立博物館・土浦城東櫓
    開館時間:9:00~16:30(東櫓は12:15~13:00が昼休み)
     休館日:月曜日、年末年始(12/28-1/4)
     入館料:大人105円、小中高生50円(土浦城東櫓と共通です。)
    月曜日はこちらで押印可能です。
     土浦市観光協会 まちかど蔵「大徳」
     開館時間:9:00~18:00
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    ~0.5h
  • 付近のスポット
    百名城関連だと、水戸城や笠間城が近くです。

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