にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

百名城 掛川城 (静岡県掛川市) 番外編 -満開の掛川桜とともに

掛川城3度目の訪問記は、春の掛川

2014年に認定されたばかりの新品種は桜は桜でもソメイヨシノとも、河津桜とも違った特徴を持っていました。
逆川沿いに咲く濃いピンクの桜並木と掛川城は、掛川の春の風物詩でしょうね。

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逆川沿いの掛川

3月中旬。しだれ梅の龍尾神社 (訪問記)から、もう一つ早春を感じに掛川城へ。
こちらもソメイヨシノより一足早く春を感じることができるスポットです。

逆川沿いの看板から桜並木の全体像を最初に確認。
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掛川城南の天然の堀となる逆川沿いに、濃いピンクの桜が300本植えられています。

大手門駐車場に車を置いて、さっそく逆川へ。
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逆川に架かる橋からは天守掛川桜。絵になります。

この景色を目当てに多くの方が集まっていましたし、カメラを構えておられました。
ただ、駐車場も広く、掛川駅からすぐの立地で渋滞やら混乱はありませんでした。
スムーズに見に行けるのも良い。

掛川桜は2003年に掛川で発見、2012年に命名、2014年に新品種認定された新しい桜。
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カンヒザクラの血を引いて、ソメイヨシノより少し早い3月中旬に満開を迎えるため、龍尾神社のしだれ梅と同じ時期に見られるわけですね。

逆川沿いの約300本の桜並木。うつくしい
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花は下を向いているものが多く、素人でも明らかに変わった桜だと気づけました。
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まずは掛川城から遠い東方面。と言ってもこちらは離れるほどに幼木が増えました。
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何年かしたらこの辺も素晴らしい桜並木になるのかな
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もう一度掛川城方面へ
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二本の橋が掛川城天守と桜のコラボポイント。
三脚を構えた方も多いですが、待てば良い場所で写真を撮れる程度の人出なのも良い。

河津桜のように見える緑の葉と濃いピンクが混ざった木もありました。
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これはこれで美しい。全部同じ品種だと思うのですが、この辺の違いは何でしょうか。

掛川城の下側も掛川桜。天守は隠れてしまいましたが、太鼓櫓と一緒に。
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この辺、車道の下に遊歩道も作られていました。もちろん後で散策しましたよ。

まさに春の小川ですね。
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この川は結構な暴れ川だったらしいですが。

川沿いの遊歩道を通って戻ります。
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下から見上げる掛川桜もまた良い。

掛川城内へ

一通り桜並木を散策したら掛川城へ。
せっかくここまで来たので登らない理由はないですね。
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この辺りはソメイヨシノかな。4月頭にはこの辺からの天守を見てみたいところ。

登ったお目当ては、上からの桜並木。f:id:tmtmz:20220313172252j:image
太鼓櫓の左手に目を引く濃いピンクなので遠くからでも存在感があります。綺麗。

もちろん木造復元天守も堪能しました。

一番印象的だったのは、天守で流れる「私の掛川三城ものがたり」のVTRでしょうか。
くすっと笑わせていただきました。
www.youtube.com

無理やり傷心旅行と絡めているのですが、何か所か上手くかかっているんですよね。
「殿、もやもやして前に進めませぬ・・・」「私も・・・」とか。

何度目かの訪問でも意外な新発見をしたら、最後にもう1度掛川桜。
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自然と気持ちが明るくなる春は良いですね。

掛川城の訪問記はこちらから。

tmtmz.hatenablog.com

掛川城大手二の門が残る油山寺の訪問記も

tmtmz.hatenablog.com

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龍尾神社 (静岡県掛川市) -掛川城主の崇敬を集める神社のしだれ梅園

満開の時期に、少し遅れた季節の話題は同じピンクの、しだれ梅。
3月上旬に訪問した静岡県掛川市にある龍尾神社さんです。

300本のしだれ梅園はとても綺麗
お庭はアップダウン含めて良く作られていて、歩いて回るだけでも一面の赤とピンクと白の梅を堪能できました。圧巻の景色です。

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龍尾神社

今や桜が満開ですが、少し前の季節の話題でしだれ梅。

テレビでしだれ梅のニュースを見てすぐ向かったのは掛川市の龍尾神社。
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神社があるのは掛川市街地です。

ちょうどこの石碑の手前に大きな駐車場がありました。
ただ、訪問日は梅パワーか、午前中から満車。
5分ほど駐車場を待っていたら、山上、本殿脇の駐車場に誘導されるまさかの展開に。
掛川駅からも歩けるので電車にすればよかったかな。

記事上は礼儀正しく?鳥居外から始めていきます。

龍尾神社の創建は不明ですが、古くから著名な神社であったと考えられています。
当初は別の場所に位置しましたが、朝比奈泰熙の掛川城築城に際して北東の鬼門封じとして現在の龍尾山に遷座されました。

という訳で、本殿は山上。登ります。車で登った後にちゃんと足でも登ったんです。
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頂上は見えているので、そこまでの高さではありません。ちょっと頑張ろう、くらい。
数分頑張りました。

ちなみに、徳川家康掛川城攻めの際に本陣が置かれたのもここでした。
後ほど触れますが、ここから掛川城天守を見ることもできます。

山上の本殿
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麓のしだれ梅園から離れた山上ですが、こちらも人がたくさん。
さすがに参拝しますよね。もちろん参拝してからしだれ梅園へ向かいました。

しだれ梅園の前にちょっと気になってしまったのが、こちらのドラえもん
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境内鳥居脇に居たドラえもん
なんで神社にドラえもんがいるのかとても気になりますし、なんだか違和感も。
こんなにおじさん感あるひげでしたっけ。

しだれ梅園

参拝を済ませたところで麓のしだれ梅園へ。
入場料600円としっかりお金がかかりますが、その分の見ごたえはあったと思います。
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駐車場の込み具合と同じく結構な人出で。

早速咲き誇るしだれ梅。
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梅はもっと花が小さくて目立たない印象でしたが、しだれ梅は花の存在感がしっかり。

梅のいいところは花の色がたくさんあるところかなと思います。
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白梅もいいですね。

紅白をバックにしたしだれ梅を見るとおめでたい気持ちに。傘回しが似合いそうな。
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龍尾神社のしだれ梅園は大きく分けると2カ所に分かれます。
1つ目は入り口側。山の下側です。
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入り口側は狭い方の区画です。奧まで続く赤白ピンクがきれい。

見渡す限りの満開。3月上旬のいい時期に来ました。
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山を登って山上。奥の区画へ
こちらも変わらずたくさんの梅の木が満開。
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山の上なので、梅の間から掛川城が見えたりもします。
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龍尾神社は掛川城攻めの本陣からの景色はきっとこんなだったんでしょう。

こちらの区画は結構広く、小川なんかも作られていて、また違った雰囲気もあります。
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この辺は日陰でまだ少し早かった。。

日向へ目を向けましょう。
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30分ほどで一番奥に到着。

この辺りは1番高い場所。
1本1本が幅を取って植えてあり、青空に映える見事な1本の梅も楽しめます。
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濃いピンクが青空に映えます。
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一番高い場所から見下ろした梅園
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いやー綺麗でした。

足元の黄色との対比も良い
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最後、帰りがけにもう一度入り口側区画を見下ろします。
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ひとめ何本あるんでしょう。色とりどりで本当に綺麗です。

来年の見頃にもまた行こう。

アクセス

龍尾神社

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金沢城下町を散策-主計町茶屋街・惣構・長町武家屋敷跡 -能登と金沢の旅2021⑧

引き続き金沢観光。金沢の歴史ある街並みを巡ります。
有名な主計町茶屋街を見て、金沢城を守る惣構の跡を見て、長町武家屋敷跡を見て。

人気の観光スポットはもちろんですが、散策の中でひっそりと残る惣構遺構に出会えた喜びが大きかったかな。

尾山神社と西内惣構跡

最初は金沢城からその足でまずは隣の尾山神社

鼠多門橋でつながっていることから推測されるように、尾山神社もかつての金沢城の城域、金谷出丸という曲輪跡にあります。
金谷出丸には隠居した前藩主や世継ぎ、側室が暮らす御殿がありました。

今の尾山神社前田利家正室お松を祀ります。
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雨中でもこの人出。さすがの人気です。

尾山神社で有名なのは和漢洋の3様式を用いた神門
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神社には珍しい雰囲気を持ちますので、知らなくてもおっと思うものがありますね。

特に最上段のギヤマンは特徴的。
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写真は別機会に撮ったものです。

そんな神門の裏にあったのが西内惣構跡
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看板を撮ったかのようですが、その奥の水路がそれ。

1559年に時の金沢城主、前田利長高山右近に命じて造らせた、内外2本の惣構のうち、内惣構の西側の一部がここにありました。
当時はこんな小さくはなく、堀と土居からなる立派なものでしたが、明治時代に埋められて水路になりました。

今の姿は小さな側溝ですが、昭和の時代に暗渠化されたものが再び開渠になったおかげで惣構があった場所が見えるわけで、戻していただけてありがとうございますです。

主計町茶屋街と惣構遺構

続いて少し離れて主計町茶屋街へ。
浅野川を挟んだひがし茶屋街も良い雰囲気ですが、今回は初めてを選びました。

そんな主計町茶屋街目当てにたどり着いた橋場交差点で見かけたのが、またも惣構跡。
これまで金沢に来た時には気づかなかったのに、目が良くなったのか何なのか。

出会ったのは東内惣構跡木橋詰遺構
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ここは当時、街道から城下町に入る枯木橋と木戸が設けられた場所でした。
今も枯木橋が架かっているものの広い道路の一部としか思えない状況で、周りも地方都市の姿ですが、少し下がると残された惣構がきれいに整備されています。

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土居側の石垣は19世紀前半に築かれたものをもとに復元

堀は段々埋め立てられて側溝サイズですが、18世紀には手前の石列までありました。
もともとはもっと広かったようですが、看板を見ても理解力不足で分からず。。

ただ、看板からこの場所が内惣構のどこにあたるのかは理解しました。
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浅野川にそそぐ形で今の国道359号沿いと主計町茶屋街沿いに惣構があったわけです。

予備知識を得たら、国道359号を通って主計町茶屋街へ

道中立ち寄ったのが町屋をリノベーションした雑貨屋八百萬本舗さん
目的は金沢、北陸の雑貨をお土産に買うことでした。

が、ここでも偶然の出会い。お店の奧にあったのが東内惣構跡
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先ほどの枯木橋遺構から真っすぐ伸びていた惣構と同じ方向に真っすぐ歩いたので、当たり前ではあるのですが、それを目の前に見ると感慨が違います。しかも偶然の出会い
堀は見えませんが(建物下かな)、土居を見せる形で建ててくれたことに感謝です。

土居が残っていると住んでいる方は不便でしょうが、本当に地形が分かりやすい。

www.yaoyoroz-honpo.jp

ようやく主計町茶屋街へ。
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細い路地に古い建物。私が入れるようなお店はなくても、雰囲気に魅了されました。

路地に面した小さなお寺に
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狭い狭い路地
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天気の良い日ならきっととてもフォトジェニックなスポットでしょう。

浅野川沿いもとても良い雰囲気。
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雨だったからか、時間を外したからか人も少なくて落ち着いた雰囲気でした。
雪の積もった冬の景色も見てみたい。

主計町茶屋街で外せないのがあかり坂暗がり坂
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あかり坂は五木寛之命名

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暗がり坂は日中も日が当たらないことから呼ばれました。

暗がり坂の上からもう一枚。
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いやーいい。

先の惣構の地図からすると、ここも惣構の土居かなと思うのですがどうなんでしょう。

主計町茶屋街の西側にも惣構の復元があります。
こちらは西内惣構主計町緑水苑内遺構
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最初に惣構が作られた際は浅野川河川敷で、17世紀頃、堀が作られました。
その後、やはり堀は両岸から埋め立てられましたが、発掘により明らかになった江戸時代の堀幅を少し狭める形で復元されました。
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ここは石垣はなし。大事な場所とそれ以外での作りの違いでしょうか。
堀には今も豊富な水が、浅野川へ流れ込んでいます。

角度を変えてもう一枚。
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ここは土居上に建物が無いので高さがよく分かります。

金沢城自体は鉄壁とは呼べないと言われますが、広い堀に高い土居は高い防御性を持っているような。戦国の世の惣構の重要性が分かる気がします。

長町武家屋敷跡

最後はまた少し飛んで長町武家屋敷跡へ。
こちらは武家屋敷が残るまた違った雰囲気の、古き良き町。
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雨の夕暮れ時の散策となりましたが、雰囲気がまた素晴らしい。
土塀にあかりの反射する石畳、美しい。

枡形になった古い路地と古い建物
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この時間だと入れるお店はほぼありませんが、人も少なくゆっくり散策できました。

有名な野村家さんにも入れなかったのはちょっと残念でしたが。
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日が暮れるまで街歩きをして、この旅行は終了です。

前半の能登半島は初めての地を広く楽しむ旅、後半の金沢はフォーカスをしぼって何度目かの地を深く楽しむ旅。
七尾城、金沢城の両百名城や取り上げなかったご飯含めて、大満足の旅となりました。

この旅は氷見の魚介からでした。

tmtmz.hatenablog.com

同じ北陸の旅行記はいかがでしょう。

tmtmz.hatenablog.com

長野、山梨の百名城巡り

tmtmz.hatenablog.com

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百名城 金沢城 (35・石川県金沢市) 3/3 -意匠を凝らした石垣を探して -能登と金沢の旅2021⑦

金沢城訪問記その3は、城内に点在する意匠を凝らした石垣を回ります。

縁取りにはめ込みに色紙短冊に。呪文のようですがすべて石垣の意匠です。
泰平の世の遊びかもしれませんが、遊べるだけ良い時代だったということですね。

その1はこちら

tmtmz.hatenablog.com

お城:金沢城 石川県金沢市
HP:金沢城公園
訪問日:2016年8月、2018年2月、2021年11月
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訪問記

本丸附段・三十間長屋・鉄門

極楽橋を通って本丸附段へ。
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この石垣もまた特徴的。ブラタモリでも登場しました。後でじっくり堪能します。
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本丸附段には三十間長屋が残ります。
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幕末に再建された現存建築。漆喰壁に海鼠瓦にと金沢城特有の建築の臭いがプンプン。
当初は食器類を納めていましたが、再建後は弾薬などを納めていたそう。

三十間長屋一番の特徴は足元の石垣でしょう。
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石は切り込みはぎで隙間なく積んであるにもかかわらず、あえて石の見える面は中央を荒く残し、縁のみ綺麗に加工する金場取り残し積みという技法が用いられています。

ここもやはり綺麗に積むだけでは飽き足らない芸術的なものを感じます。

この後ろが本丸鉄門
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ここは、ザ・近世城郭といった趣の巨石を使った切り込みはぎ
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いや、石が四角じゃないところは普通じゃないかも。

二の丸から本丸への正門として、鉄板を貼った扉に渡櫓を持つ門が構えてありました。
今は本丸園地として人もすくない静かな森ですが、この先に幻の天守がありました。
本丸が自然のままそっとしてあるというのは珍しいですね。

折り返して本丸外周を戌亥櫓方面へ。ここの石垣もまた特徴的。
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古く荒々しい打ち込みはぎの石垣ですが、

隙間に小さな石を詰めて、切り込みはぎの精緻な石垣に見せる工夫がされています。
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長い年月で抜け落ちてしまってただの打ち込みはぎに見えるところも多いですが、

このあたり抜け落ちていない石が多くてきれいな面が見えます。
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そしてもう一つ目に付くのがレンガのトンネル
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こちらはもちろん当時のものではなく、陸軍のもの。
石垣を壊さずに回り込めばよいのに、とか言ってはいけないんでしょう。きっと。

本丸近辺から空堀
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ちなみに、レンガのトンネルあたりからは、紅葉越しの橋爪門続櫓が狙えました。
建築と石の写真ばかりの記事にちょっと色を足してみました。

本丸空堀・旧第六旅団司令部

改めて石の世界へ笑

本丸空堀下の石垣。ここでは大量の刻印石が見られます。
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その1で見た百間堀の刻印石とは違って大量の刻印が入り乱れて設けてあります。
普通は刻印は石垣を築いた人を示すためのものだと思いますが、これだけ入り乱れるとちょっとそうとは思えません。ブラタモリではデザインと紹介されていたような。

ここにだけはポップな看板が置いてありました。
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たしかに子連れで刻印を探すのも楽しいかも。

まぁ多すぎてとても探しきれませんでしたが笑
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空堀を抜けると玉泉院丸庭園へとつながりますが、その前にもう少し石垣を巡ります。

旧第六旅団司令部

紅葉に門と純和風の奧に、
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イカラな洋風建築
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建物は旧陸軍の明治建築です。これも趣があってよいですが、ここも石垣目当て。

数寄屋という側室の住まいがあったここの石垣はまた様子の違う真っすぐ長方形の石垣
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えらく綺麗で現代的に見えますが、これも当時からあったもの。
すごい技術力です。本当に。

そしてこの先が玉泉院丸庭園なのですが、また折り返してもう少し寄り道。

土橋門石垣を見に行きます。

ここの特徴は、相変わらず入り組んだ切り込みはぎの中に珍しい亀甲の石。
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防火の願いを込めたとも言われています。

その割に金沢城は燃えてる気がしましたが、土橋門は大火でも燃えなかったらしく、亀甲の御利益と言われています。

玉泉院丸庭園

ようやく最後の玉泉院丸庭園へ向かいます。
先ほどの旧第六旅団司令部から玉泉院丸庭園への道のりの石垣。ここもまた特徴的。

最初は切り込みはぎですが、
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次第に打ち込みはぎに。
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ただよく見ると、隙間に石を詰めて切り込みはぎに見せていました。
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その詰石が抜け落ちてただの打ち込みはぎのように見えているものでした。
戌亥櫓下の石垣と同じですが、こちらの方が面が尖って揃っているかな。

末端部分は残っている小さな石も多く、当時の様子が少し残っている気がします。
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残っているところはバラバラの石を積んで精緻な面を作る美しさを感じます。
これができる技術力が本当にすごい。

下りると玉泉院丸庭園
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ですが、お目当てはやっぱり石垣 色紙短冊石垣へ。
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色紙(方形)、短冊(長方形)で組まれた高い石垣。足元2m程度は埋まっています。
上部にあるV字の樋は滝を作るためのものだったことが分かっています。

そしてこの石垣のすごいところは、石垣で縦長の石が置かれているところ。
縦長の配置は禁忌のはずですが、たくさん。
場内でもっとも意匠に富んだ石垣と言われ、色、形、滝を駆使した庭園の一つの目玉となっています。

そんな庭園の全景はこちら
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遠い、、、ぜひ、肉眼でご覧ください。

鼠多門

最後は玉泉院丸庭園脇の鼠多門 
金谷出丸と呼ばれた尾山神社と玉泉院丸をつなぎ、2020年に再建されたばかりです。
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他の門と違って黒漆喰の海鼠壁。重厚感を感じます。
一方で、枡形にはなっていません。つながる曲輪の位置づけの違いでしょうか。

鼠多門も中に入れますが、もう足がびしょびしょで遠慮しました。

最後は鼠多門橋から振り返って1枚。
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欄干のプラスチックに若干寂しさは感じますが、尾山神社境内とのつながりも分かる復元で、さらに金沢城の魅力が増したように思います。

これで長く回った金沢城も終了。
このあとは、周辺の総構の跡などを見に行きます。

感想

4.5/5

石垣の博物館の異名の通り、あらゆる意匠を凝らした石垣がとても興味深い。
一夜漬けでも石垣の勉強をしてから行った方がずっと楽しいです。
もちろん建築物も、現存再建問わずとても興味深く、いくらでもいられます。

数多の土地利用の結果、縄張りがよく追い切れなかったところだけもやっとしましたが、これからの復元整備事業でさらに魅力的になっていくことでしょう。

いうまでもありませんが兼六園だけでなく金沢城にも行かないともったいないです。

アクセス

金沢城

  • アクセス
    電車・バス:JR金沢駅からバス
          兼六園下-石川門口
          広坂-玉泉院丸口
          
    車:北陸道 金沢西IC、金沢東ICから約30分、金沢森本ICから約20分     
     有料駐車場多数
  • スタンプ・開館時間
    二の丸案内所 または 石川門入り口案内所
    開館時間:7:00~18:00 (3/1~10/15)
         8:00~17:00(10/16~2月末)
    休城日:なし
    入館料:無料
    菱櫓、五十軒長屋、橋爪門続櫓、橋爪門:大人320円、小人100円
  • 城跡
    同上
  • 所要時間
    ~約2時間
  • 付近のスポット
    百名城関連だと鳥越城、七尾城、富山城が近くです。

    tmtmz.hatenablog.com

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    この旅は氷見の魚介からでした。

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百名城 金沢城 (35・石川県金沢市) 2/3 -三御門と石垣を見て回る -能登と金沢の旅2021⑥

金沢城訪問記その2は、いよいよ公園内部へ。

河北門、石川門、橋爪門の三御門など建築も味わいつつ足元の石垣も味わいつつ。
雨の寒さにも負けずに隈なく堪能してきます。

その1はこちら

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お城:金沢城 石川県金沢市
HP:金沢城公園
訪問日:2016年8月、2018年2月、2021年11月
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訪問記

新丸・河北門

雨の中の金沢城石垣巡り、大手門から金沢城公園の内部へ向かいます。

最初は、大手門内部の新丸
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今は遠くに河北門や菱櫓を眺める広い広場ですが、かつては越後屋敷という重臣たちが政務を行う場と、建築工事を司る作業所、食事を用意する下台所などがありました。
当時は郭内に堀も走っていたようですが、今はさすがにかつての姿は分かりません。
大手筋ですが人も少なめですし、綺麗にしてもらっているだけで十分かな。

河北門から二の丸へ向かいましょう。

綺麗な紅葉の先に、
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河北門一の門
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高麗門の脇には櫓台も従えた門。2011年に復元されました。
海鼠壁には隠し狭間もあり、緊急時には突き破って狭間として仕えたそう。

河北門は、石川門、橋爪門と合わせて三御門と呼ばれていました。
石川門一ノ門とは形式も同じですが、こちらの方が少し大きく作られています。このあたりは大手筋ですね。

ちなみに内側にある橋爪門の一ノ門が1番広く作られています。

石垣の上下で積み方の綺麗さが違いすぎる気もしますが、当時にできるだけ忠実に切石積みで積んだとも書かれていました。当時も継ぎはぎな感じだったのでしょうか。

河北門右側の櫓台はニラミ櫓台と呼ばれました。
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大手筋ににらみを利かせるという意味と推測されています。
当時は二重櫓だったそうですが、燃えてしまい、太鼓塀だけの姿となっています。
当時の姿だと、右手に二の丸の菱櫓も見えて、圧巻だったでしょう。

枡形内部から河北門二の門
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寸分の狂いもない綺麗な石垣の上に立派な櫓門。
右手の漆喰塀は当時にならって隠し石垣となっています。

河北門を城内からもう一度
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やはり美しい石垣に櫓門です。
屋根は鉛瓦で鉄砲玉として使うとも言われているようですが、瓦をはがしているようじゃ間に合わないですよね。

百名城スタンプ・石川門

河北門を越えた二の丸、石川門からすぐの石川門休憩所に百名城スタンプがあります。
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モデルは橋爪門ですかね。
三の丸と二の丸を仕切る門なので、見に行くのは石川門の後で。

という訳で、石川門。まずはニの門f:id:tmtmz:20211123205014j:image

そして一の門
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こちらも非常にきれいな石垣の枡形門。
二重櫓と長屋、渡櫓には威厳も感じますし、今は兼六園とつながっていて実質的な表門のようになっていますが、当時は裏門でした。

また、こちらは現存。宝暦の大火のあと、1788年に再建されたものが残っています。
綺麗すぎる石垣含めて当時からこれ。すごい技術です。

石川門の特徴は、枡形内部の石垣の積み方が右と左で違うこと。
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理由は分からないようですが、当時の石工さんに変わったこだわりがあったようで。
今見ると適当に再建したのかとか邪推してしまうかもしれません。ないか。

石川門を出るとその1で見て回った百間堀を上から眺めることができます。
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こう見ると改めてその規模感に驚きます。
石川門下はこの高さの石垣が築かれていますし。

三の丸・菱櫓・五十間長屋

折り返して三の丸内部へ。

かつては重臣の居館、その後は番所があった三の丸も今はだだっ広い芝生広場。
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その分、遠くの五十間長屋や菱櫓、橋爪門続櫓の存在感が光ります。
当時は建物があったとはいえ、連なる櫓には威厳を感じたでしょう。

私も圧倒されながら菱櫓五十間長屋橋爪門続櫓を見に行きます。
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右端が菱櫓
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その名の通り菱形で、眼下の三の丸、新丸の見張り、二の丸の防御を担いました。
また、今の金沢城で一番高い建物かつ大手門を入ってすぐ見えていたように、天守を失った金沢城の実質的なシンボルでもありました。

菱形感は、あんり分かりません。どこの菱櫓でもそうですが。

繋がるのが五十間長屋橋爪門続櫓
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それぞれ二の丸や橋爪門周辺の守り、橋爪門の見張りを担いました。
ちなみに長屋というのは多門櫓の金沢城での呼称。こういう地域色も良いですよね。

足元の石垣は、見えているこちら側は打ち込みはぎ、二の丸側はより精緻な切り込みはぎと使い分けられているそう。使い分けにも何か意図があるんだろうなぁ。

橋爪門・二の丸

二の丸への正門、橋爪門へ向かいます。
これまで見てきた河北門、石川門と同様に、高麗門の一の門と
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櫓門の二の門からなる枡形門。ただ、三御門で一番大きい門でした。
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他の二門と違い、二の門の足元には、二の丸御殿の玄関周りと同じ、斜め45度のデザインで敷石が敷かれています。
また、二の門内側(向こう側)にも番所と石垣台で区切られた区画があります。

さらに特徴的なのが橋爪門続櫓の石垣
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カラフルな石を用いて、びっちり積みながら、直線ではなく所々ずらす手の込みよう。
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あまりにもレベルの高い人がついに遊び始めたような石の積み方。
石垣に芸術性を持たせるところまで行きついた頃の作品、ともいえる気がします。
この先、このような作品とも呼べる石垣は他にもたくさん出てきます。

二の丸へ。ただ工事中。
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この奥、明治期に焼失した二の丸御殿のあった場所は工事柵に覆われていました。
二の丸御殿表向の復元に着手する、と報道されていた関係でしょうか。

1631年の大火の後は本丸ではなくこちらの二の丸が金沢城の中心となりました。
今も五十間長屋や菱櫓など入れる建物が多くて観光の中心ですが、御殿が再建されるとなおさら人気は増しそうです。

ただ、今回は石垣に時間を使いたいのと足元が雨でぐちょぐちょなので建物たちはパス。
引き続き本丸方面と残りの石垣たちを見ていきます。

この旅は氷見の魚介からでした。

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金沢城は外周から回りました。

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同じ石川県の百名城はいかがでしょうか。

七尾城
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鳥越城
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百名城 金沢城 (35・石川県金沢市) 1/3 -いもり堀、大手門の石垣を回る -能登と金沢の旅2021⑤

旅行記も後半 能登から金沢に舞台を移します。金沢城へ。

有数の観光地金沢でも人気スポットなだけあってさすがの人気と見どころ。

まずは外周の石垣、いもり堀、百間堀の高石垣や大手門石垣を見に行きます。
大手門、人は少なかったですが、いいところだったと思うんですよね。

お城:金沢城 石川県金沢市
HP:金沢城公園
訪問日:2016年8月、2018年2月、2021年11月
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概要

1546年、加賀一向一揆の拠点として金沢御堂が築かれます。

1580年、織田家家臣の佐久間盛政が攻略、金沢城を築きました。

1583年、前田利家が入り、近世城郭へと改修しました。
1587年、高山右近によりさらに大改修され、基本的な縄張りが築かれたとされます。

1602年、落雷で天守を失います。その後、天守は再建されませんでした。
その後も何度も火災に遭いながら明治維新を迎えます。

明治期には陸軍連隊が、戦後は金沢大学が置かれますが、1995年に移転。
現在は金沢城公園として整備されています。

今も残る石垣の多様さなどから、石垣の博物館とも呼ばれます。

訪問記

金沢城へのスタート地点は金沢駅。何度来てもいい雰囲気です。

ただ今日はお決まりの鼓門は見ずバスターミナルからスタート。理由は後ほど。
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飛び乗ったバスが近くまで行かなかったので、近江町市場から歩いて到着。

という訳で普通はスタート地点にはならない場所だとは思いますが、合同庁舎前の交差点から玉泉院丸庭園の下の石垣と復元されたばかりの鼠多門を見上げます。
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鼠多門橋が架かるかつての堀底ですが、姿を想像するには中に入った方が良いかも。

ここから始めたのは、今の外周など石垣の博物館の石垣にフォーカスしたかったから。
何度目かの金沢城なので意図をもって回ります。ちょうどブラタモリ見た後でしたし。
分かりやすい解説も随所にあるので素人でも石垣巡りを堪能できます。

ただ、かなりの雨。だから駅でも鼓門を見に行かなかったわけです。雨の城めぐりかぁ。。

パンフで金沢城散策の全体像を確認
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パンフ左上から以下のルートでまわっていきます。
現在地→鯉喉櫓台(左下)→百間堀~石川門→大手門(右)→新丸→三の丸→石川門(赤1)→橋爪門→二の丸→三十間長屋(赤8)→戌亥櫓跡(赤7)→本丸と二の丸の堀→旧第六師団司令部(赤6)→玉泉院丸(青1)→鼠多門(緑1)

いもり堀・鯉喉台櫓・百間堀

金沢城南西を守るいもり堀。変わった名前ですが、由来は不明。
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陸軍がいたころに埋め立てられましたが、調査結果をもとに復元されました。
さきほどの道路と違って堀になっているとずっと想像しやすいですよね。

このいもり堀の南東端。今は21世紀美術館に最も近い場所にあるのが鯉喉櫓台
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いもり堀が埋め立てられた頃に上部が撤去されましたが、こちらも復元されました。
いもり堀同様に名称の由来は不明。櫓は建っていなかったと見られています。

下部は江戸時代からの石垣とのこと。なんとなく違いが分かるような。
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この鯉喉櫓台辺りがブラタモリ開始スポット。ここから気分はブラタモリです笑
詳しくないのでアナウンサーの気持ちになりきろうかな

という訳で、番組で最初に見ていた鯉喉櫓台奥、辰巳櫓跡付近の高石垣へ。

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本丸南面の高石垣だった場所。今は4段の石垣となっています。
写真外には階段まであったりして、まるで防御性とは異なるものとなっています。

というのも、陸軍の頃、いもり堀の埋め立てに絡んで石垣が崩れてしまったから。
1番下と上2段は陸軍の手が入っています。明らかに新しい谷積みですしね。

本来の高石垣は下から2段目。
段々になっている今ではこんなもんかとも思ってしまいますが、これが22mの高さだとさぞ威圧感を放っていたでしょう。

ここから石川門方面。金沢城公園と兼六園の間の百間堀の跡を進みます。

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金沢城の紅葉はそんなにですが、このあたりは色づいた木を見ることができます。

が、お目当てはこの辺りのたくさんの石垣。

旧車橋門付近には明治期の谷積み
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紅葉越しの石垣も楽しめます。
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進むほど石垣は高さを増します。こちらは野面かな。
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百間堀あたりには刻印もしっかり。
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おなじ刻印がまとまっているのが、ここの特徴だそう。丸に下棒のものと、

丸に三角のもの
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場所ごとに担当を決めて競わせたのかな。当時の方針が見て取れる気がして面白い。

さらに進んで東の丸東面の石垣
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城内で最も古い石垣で、1592年に作られました。
トータル21mにもわたる野面積みは圧巻。

石川門が見えるあたりには三の丸東面の高石垣が見えます。
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1807年ごろの修築で、堀縁の石垣は荒く積むという信念に従って荒く積まれたそう。
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分かるようなわからないような。ただ、一枚の高石垣の威圧感は感じます。

大手門

石川門には向かわず、大手門方面へ向かいます。
紅葉越しの石川門や、
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前田利家を見て、
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大手門に到着。当時の正門なのにこの静けさはちょっともったいないような。
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立派な大手堀に
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大きな石を交えた櫓台もあるのに。
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この上に櫓や長屋はなかったようですが。

この大手門の見どころは枡形正面の鏡石でしょう。
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さすがは百万石のお城。めったに見ないサイズの巨石がゴロゴロです。

櫓台側にも巨石がたくさん。
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左手の石はちょうど角にいるので横からも見えて、
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その薄さ、からくりが分かって面白い。まぁ重すぎても運べないですしね。

ちゃんと当時の痕跡も、刻印も残っています。
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これだけの大きな石を運ばせた権威には驚くばかりです。

大手門から金沢城内に入っていきますが、ここからまた次回。

この旅は氷見の魚介からでした。

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能登半島一周ドライブ後編・白米千枚田、上大沢の間垣集落 -能登と金沢の旅2021⑤

引き続き、能登半島ほぼ一周ドライブ。
今回は折り返して能登半島の外側へ向かいます。

海岸沿いの断崖絶壁の道路を走る、内側以上に険しい地形の外側。
そこに住む人々の工夫を、千枚田間垣で垣間見ることができました。


黄が後編。それぞれの場所は目次と対応しています。
前編はこちら 

tmtmz.hatenablog.com

道の駅すず塩田村

折り返し最初のスポットも道の駅。
道の駅ばかり寄ってますが、ここも現地でつい見に行きたくなってしまったのです。

断崖絶壁で見るからに険しい地形の能登半島北岸の特産品がお塩。

そしてここには日本で唯一の揚浜式塩田が残されています。
揚浜式と聞いてもピンとこないかもしれませんが、要は昔ながらの塩田がある訳です。
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ここに塩水を撒いて乾かし、

もろもろ処理した後に砂を集めて煮詰めて塩を得るという昔ながらの製法
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それが今でも体験できる施設です。まぁ体験するのは大変でしょうが。。

体験せずとも実際の大釜を見たり、塩づくりの展示を見たりすると、揚浜で作ったお塩を買いたくなりますよね。
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もちろん買わせていただきました。
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でもまだ開けてないので味は分からないのです。楽しみにしておきます。

曽々木海岸

寄り道を増やしすぎて着実に時間が無くなってきました。
でも能登半島北岸の道路は奇岩・景勝地の山で見たいところばかり。

時間を気にしつつ止まってしまったのが曽々木海岸
ここにもポケットパークが整備されていて、停まってくれと言わんばかりなんです。
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日本海を望む奇岩を眺める景勝地の一つです。
もっとここだけでももっと見に行きたいところがありましたが、今回はこれで精一杯。

白米千枚田

そのぶん時間を取ったのが、有名な白米千枚田

今までのポケットパークは全然人がいなかったのに、ここにきて一気に観光客の山。
駐車場に停めるのも一苦労の驚きの人出でした。
訪問した11月下旬には稲刈りも終わっていて中途半端な時期、かつ夜のライトアップには早い時間帯だったはずなのですが、さすがの人気です。

でも、この景色を見ればその人気も納得。
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丘陵地の上から海ギリギリまで続く、本当に千枚あるんじゃないかという棚田たち。
実際には1004枚あるようです。越えてた。まさか。。。

小さい田んぼを重ねるというのは、広い田をとれる平地が無いということの裏返しだと思いますが、この地で生きていくための工夫にもまた驚嘆です。

白米千枚田は、あぜ道を通って一周することも可能。
1周15分のお散歩に出かけましょう。f:id:tmtmz:20211121232638j:image
全くの素人ですが、大小さまざまな棚田のすべてに水を送り届ける工夫などもあったりするのかな、などと考えながら散策。

小さく重なる棚田の管理はどうしても手がかかります。
管理のための棚田オーナー制度もあるそうです。
やるなら道路から近いところがいいけど、みんなそう考えるんだろうなぁ。

海岸近くの田んぼは潮をかぶったりしないんだろうか、とか。
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現地の看板で描かれていた一番小さい田を探したり。
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結局見つけられなかったのですが。

その分、棚田オーナーになっているであろう有名人の名前を棚田で見つけました。
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安倍昭恵夫人と

小泉進次郎議員
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芸能人や漫画家の名前も見つけたのに、なんで写真は政治家ばっかり…

気を取り直して1番キレイだと思った写真を最後に。
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まだ西日の時間で、しかも刈り取った後の田んぼなのに何枚か光っていました。
水が入る時期に、この角度で見る夕日は本当にキレイでしょう。見てみたいなぁ。

輪島朝市通り

西日ということでもう結構いい時間ですが、最後もう一か所行きたい場所に急ぎます。

その前に通り道で輪島朝市通りへ。
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夕方なので出店も無ければ人もいませんでしたが、小ぎれいな街並み。
輪島塗のお箸をゲットして、慌てて最後の目的地へ。

間垣の里 上大沢

それが、間垣の里 上大沢です。

すれ違い困難な断崖絶壁の道路を30分。それでもほとんどすれ違う車なし。
それだけ秘境の地にやってきて見たかったのが、この集落。
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お隣の大沢とこちらの上大沢
この両集落に広がる、苦竹を並べた間垣という垣根で家を囲った独特の風景です。

この旅最後のポケットパークに車を置いて散策を始めましょう。

谷間に広がる小集落に立ち並ぶ苦竹の壁
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能登半島ドライブの間、ずっと黒い能登瓦の屋根を見ていて、それも十分特徴的でしたが、こちらは全く見たことないような景観。
またとない独特の風景は、大沢とあわせて朝ドラまれの舞台にもなりました。

間垣は真夏の西日や冬の日本海からの厳しい季節風から家を守るために作られたもの
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断崖絶壁のわずかな隙間に開く湾は、海の恵みと強烈な西風を運んでくるのでしょう。
晩秋の夕方でしたが、すでに冬の冷たさすら感じます。

間垣の里には食事処もありませんが、それでも歩きたくなる景色が広がっています。
所々設けられた苦竹の扉からは、厳しい土地に息づく生活も垣間見えます。
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苦竹の壁には、どことなく圧迫感を感じるような温かみを感じるような。
人も車もほとんどいない地で、いつまでも続いてほしい生活の工夫を感じました。

もっと見たいですが、地元の方の戸締り時間に差し掛かったので散策は入口まで。

一度来たら忘れない、圧倒的な印象を受け、七里ヶ浜に行けなくなっても十分な満足感を感じながら金沢市街へと向かいました。

この旅は氷見の魚介からでした。

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