自粛生活から少しずつ日常に戻ってきて、少しずつ外出しやすくなってきましたね。
と思ったらすぐに暑くなってきて、梅雨も目の前でまた外出できなくなってしまうのかな。
今の時期を大切にしないと。
さて、この期間に初めて百名城以外のお城跡を訪問しました。
訪ねたお城は花倉城
今川家のお家争い、花倉の乱の最終決戦の舞台です。
これでにわかから一歩レベルアップかな笑
お城:花倉城
HP:先人達の訪問記はたくさんありますが、オフィシャルなものは見つけられませんでした。
訪問日:2020年5月
概要
花倉城は、藤枝市の城山(標高297m)にある山城です。
1353年に今川範氏によって築城されたと伝えられます。
1536年に今川氏輝が急死したことに端を発する栴岳承芳(のちの今川義元)と玄広恵探の異母兄弟の家督争い(花倉の乱)において、玄広恵探側の拠点となりました。
最終的に義元側が花倉城を攻めたて、落城。
玄広恵探は敗走の上で自害し、乱は終結しています。
そんなお城跡に、ふらっとサイクリングしてきました。
訪問記
先人たちの訪問記を見て、アクセスがとても大変そうなことが分かっていたので、その中でも一番マシそうな道を選んで花倉城へ向かいました。
アクセスが大変な理由は、道が細くて長くて急なこと。
これでもある程度のところまで舗装された道があるだけマシなのかもしれませんが。
また、途中からはGoogle mapにも道が載っていません。
ただ、現地には看板が整備されていたので迷うことは少なかったです。
結果的に最初の入り口が一番迷うポイントでした。
道を確認しながら進んでいましたが、それでも見落として行き過ぎてしまいました。
左奥につながる人の家のような道が入り口です。
いきなりこの道に入る勇気は出ないですね。
地図的にはこの場所です。
藤枝市街から向かって盤脚院 藤枝霊園さんの入り口が見えたら行き過ぎです。
実は入り口には小さな看板があります。
まぁ字も消えてしまっていてとても読めませんが。。。
ここを曲がるといきなりの激坂&狭路のスタート。
今回は自転車で向かいましたが、坂を考えると自転車も正解とは言えない気がします。
乗用車ではしんどい道が続きますので、バイクが最適でしょうね。
しばらく頑張って進むと分かれ道。ここを右に折れます。
ここの看板はちゃんと読めます。が、花倉城の文字がない(笑)
道はこんな感じです。
1車線分ですが、ここはまだ広い場所の写真です。
両脇の茶畑はボーボーですが、この先は茶畑や果樹園が広がっていて、結構農作業をしている人が多いです。
そういった方が、道端に軽トラを停めていたりして、ただでさえ狭い道がなおさら狭くなっています。
しばらく進むと少しずつ道が悪くなってきます。そして細い。
軽自動車一台分ぐらいの幅しかなく、車だと離合がきつそうです。
また、行き違いをするための待避スペースはほとんどありませんでしたので、対向車が来たら結構な長距離をバックで帰らないといけなくなりそうです。怖い。。
ちなみに、途中に分かれ道はたくさんありますが、その都度看板が置いてあるので、意外と迷いません。
自転車で20分ぐらいで花倉城入り口に到着。
距離があるので歩きもきついですね…
入り口にはちょっとした広場があります。
車2台ぐらいは置けるかな
手作り感満載の看板。道中の分かれ道を助けてくれました。
隣にきちんとした看板もあります。最近整備されたんでしょうか。
この地図はとても役立ちました。
その隣にもう読めない看板もあります。
それでもこういうのを見ると読みたくなったしまうのが人間のさがですね。それはそれは頑張りましたよ(笑)
この先が花倉城です。
なかなか草が生い茂ってそうな雰囲気で、不安になりながら入っていきます。
虫除けしてくればよかった…
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