にわかお城ファンの旅行記

にわかお城ファンの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。城と景色と郷土料理が楽しみな旅好きです。

一乗谷朝倉氏遺跡(37)復元町並 -福井城巡り⑤

この旅3つ目のお城は一乗谷朝倉氏遺跡
大河でも注目されていてタイムリーな訪問になりました。

事前のブラタモリ予習のおかげで理解も深まり、2回目ですがいっそう楽しく見学できました。
というか、1回目は雪で平面復元がほとんど何も見えなかったんですよね。

お城:一乗谷朝倉氏遺跡(37)
HP: 一乗谷朝倉氏遺跡 | 観光スポット | 福井県観光情報ホームページ ふくいドットコム
訪問日:2018年2月、2020年7月

f:id:tmtmz:20200730091808j:image

概要

一乗谷朝倉氏遺跡は、一乗谷に築かれた朝倉氏5代103年の本拠地の跡です。
朝倉氏の館、その城下町や4つの山城を含みます。

その始まりは1471年に朝倉孝景が拠点を移したことから始まります。
その後、応仁の乱から逃れてきた京の公家や文人などにより発展、最盛期には人口1万人を超えた越前の中心地となりました。
しかしながら1573年、刀禰坂の戦いに敗れた朝倉義景一乗谷を放棄、翌日、織田信長の軍勢によって火に包まれました
その後、越前の中心は北ノ庄城に移り、跡地は田畑に埋もれたことで、跡地は状態良く現代まで残ることになります。
1967年に発掘が始まり、現在では武家屋敷や街並みが復元されています。

訪問記

2回目の訪問ですが、前回は雪の中の訪問で何も見えなかったので、実質初訪問。
福井駅から車で移動します。
駅からもほどほどの距離なので本当は列車で行ってみたいところでしたが、コロナもあるので仕方ない。そもそも列車の本数が問題ですが。

足羽川から一乗谷川沿いの道に曲がると道沿いにも平面復原地区が見えてきてテンション上がります。
f:id:tmtmz:20200730092102j:image
復元町並を通り過ぎて南の入り口前の駐車場に車を停めて出発。
f:id:tmtmz:20200730091805j:image
道の向こうにも見える平場も気になって、どうしても見てしまいますが、まずは目の前の復元町並から。

復原町並

復原町並は朝倉氏の時代の発掘結果や資料に基づいて、当時の街並みを200mにわたって立体復元した日本初の施設です。
ブラタモリ予習で見どころを頭に入れたつもりですが、ちゃんと入り口でタブレットも借りて万全の体制で訪問スタート。

と、その前にゲートでスタンプもゲット(もらったのは1回目の訪問時なので日付はその時のものです)。

f:id:tmtmz:20201024222440j:image
モデルは唐門ですね。もちろん後で回りますよ。次の回になるかも。
無印百名城のスタンプは滲みがちなものも多いですね。

ゲートをくぐるといきなり武家屋敷跡の平面復元が広がります。
f:id:tmtmz:20200730091940j:image
広いです。その後の復原町並の家と比べてもとても広い。
位の高い家臣のお屋敷だったんでしょうね。
f:id:tmtmz:20201027231645j:image
ちなみに1回目の訪問はこんな感じ。すごい雪でした。
雪原で本当にここが同じ場所かの自信もありませんが、遠くに復原町並が見えるのできっと同じ場所のはず。

先に進むと復原町並が始まります。
この写真で向かって右側に町屋や小さめの武家屋敷たちが、左側に大きな武家屋敷があります。
f:id:tmtmz:20200730091808j:image
とても雰囲気があって良いです。
石垣や礎石は発掘されたもの。
区画なども当時のものですし、柱や壁なども発掘調査結果に基づいて復元されています。
当時の景色もこうだったんだろうと思うと想像が膨らみます。

東側の町屋や武家屋敷は建物まで復元されていて中に入ることができます。
f:id:tmtmz:20200730091831j:image
町屋は当時の染物屋など中まで再現されていました。
もちろんそれも当時のものを忠実に再現されているのでしょう。
コスプレ趣味はありませんが、当時の格好で行き来しても違和感なさそうな雰囲気です。

ほかにも町屋がたくさん復元されています。
f:id:tmtmz:20200730091843j:image
今のところ町屋しか見ていませんが、道を挟んだ向かいは間口の大きな武家屋敷の土塀が続いています。
町屋が武家屋敷と近接して建てられていること自体が異例ですが、これは当時商業が発展して、商人が重視されたからだそう。

はい ブラタモリ的知識です。この町屋もブラタモリに登場したものですね。
さすがにあの時の演者さんはいませんでしたが、あの時と同様にお皿を売っていました。

西側では非常に大きな屋敷跡の門が見えてきました。
f:id:tmtmz:20200730091840j:image
こちらの門は4本柱プラス礎石からなる立派なもの。
後程出てくる小さな武家屋敷の門と比べると大違いです。

門をくぐったお屋敷の中。
f:id:tmtmz:20200730091837j:image
こちらは立体復元まではされていませんが、石で区切られた区画の広さと平面復元から雰囲気は良く伝わってきます。
立派な武士の家だったんでしょう。

この門あたりで東側も町屋街が終わり、土塀に囲まれた武家屋敷街になります。
f:id:tmtmz:20200730092117j:plain
町屋街と違って閉鎖的な作りです。

東側の小さな武家屋敷では門も簡素な作り。
f:id:tmtmz:20200730091930j:image
2本の掘っ立て柱からできているあたり、簡素です。と、書いてありました。

こちらの門の中は区画も先ほどより小さめで、どちらかというと庶民派な作り。
とはいえ、もちろん離れや蔵、井戸など建物はたくさんあって、当時の町屋とは全然違います。もちろん今の庶民の家とも全然違います。

と、こんなところで復原町並は見学終了。
このあと本当は川の向こうの朝倉館跡に向かいましたが、そちらに行くとだいぶ長くなるので、ブログでは復原町並の北の平面復原地区へ。

平面復原地区

復原町並からは1ブロックぐらい離れていますが、平面復原地区にも駐車場もたくさんあるので車を使っても、そのまま散策してもどちらでもすぐに行ける距離です。

この地区は、南北の太い道路の周りにたくさんの屋敷、町屋の区画が見つかっていて、山際には寺院跡や医師の家もありました。
今は道路や区画が平面復元されています。
f:id:tmtmz:20200730092023j:image
井戸の跡がとてもたくさん。そんなに広い間取りでないので町屋の区域だと思うのですが、それでもこれだけの井戸があるのが特徴的です。

f:id:tmtmz:20200730091943j:image
井戸とともにたくさんあったのが便所の跡
ブラタモリでキ〇カクシで喜んでいたところですね笑
f:id:tmtmz:20200730091934j:image
甕が埋まっているので紺屋さんの跡だったんでしょう。
復原町並でもそうですが、町屋地区まできちんと排水溝を整備しているところも仕事が丁寧な気がします。
f:id:tmtmz:20200730091949j:image
屋敷跡に立派な木が生えていて、本当はずっと長く時間が経っているはずなのになぜか月日の流れを感じてしまいました。
復原町並とはまた違ったセンチメンタルな気分になって、平面復原を後に、朝倉館跡へ向かいます。

tmtmz.hatenablog.com

この旅は越前大野城からでした。

tmtmz.hatenablog.com
↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ