にわかお城ファンの旅行記

にわかお城ファンの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。城と景色と郷土料理が楽しみな旅好きです。

安土城(51)後編 -京都テイクアウトグルめぐり③

前回に引き続き安土城訪問記です。
前回はこちら

tmtmz.hatenablog.com

ようやく天主跡に向けて登山開始です。
こんなに一段一段が高くて昔の人は疲れなかったんでしょうかね。私はくたびれました笑

f:id:tmtmz:20201121213148j:image

訪問記

大手道

門を越えるとすぐに大手道が始まります。

f:id:tmtmz:20201121213148j:image
まっすぐに延びる太くて立派な道。両脇には重臣の立派なお屋敷跡。
安土城のシンボルです。
にしても良くこんなもの作りましたね、本当に。当時の権力や人柄がにじみ出ている気がします。

大手道を通じて何か所も石仏が石として使われていました。転用石ですね。
f:id:tmtmz:20201121213211j:image
当時のままに残しつつ、ちょっと目立たせて踏まないようにしている両方面への配慮がいいですね。

大手道左手には羽柴秀吉邸跡
f:id:tmtmz:20201121212749j:image

f:id:tmtmz:20201121212620j:image
上下二段の郭からなり、下段には櫓門と厩が、上段には高麗門や隅櫓、主屋が建っていました。

武者走りを通って上段に上がることができます。
f:id:tmtmz:20201121212821j:image
気分は秀吉ですね。(言い過ぎ

上段郭へ。
f:id:tmtmz:20201121212951j:image
主殿の礎石が残っています。
案内板の主殿の絵が実寸大で想像できてとてもイメージが膨らみます。立派です。

大手道を挟んだ向かい側には前田利家邸跡
こちらは伝羽柴秀吉邸より複雑な構造をしていて、上中下三段の曲輪や枡形虎口からなります。
また、枡形虎口を囲むように多聞櫓や隅櫓、門があったと考えられていますが、礎石がなかったりして、不明な点も多いです。
f:id:tmtmz:20201121212706j:image
こちらはその枡形虎口の全景。

左手には6mにおよぶ三段の石垣。
f:id:tmtmz:20201121213114j:image
石垣には武者走り、武者だまりなどが設けてあり、多聞櫓より近くで侵入者を攻撃できるように設計されています。
f:id:tmtmz:20201121212954j:image
多聞櫓につながる階段は蔀の石塁で隠されていて、道も細く、さらに侵入を難しくしています。
f:id:tmtmz:20201121213243j:image
この先も見てみたいところですが、主殿跡は整備されておらず、ここまで。
それでも当時の思想が垣間見えてとても面白いです。

先へ進みます。

大手道は真っすぐの道を過ぎて横道・七曲り状部分
f:id:tmtmz:20201121212858j:image
つづら折れにするのでなく、グネグネと曲がりながらも前へ前へと登るのは珍しい気がします。
この辺が一番急で、一段一段がかなりしんどいです。頑張りましょう。

f:id:tmtmz:20201121110157j:image
振り返って大手道。思えば高くに来たものだ、ですね。
これは春の写真なので桜が満開です。

大手道にはまだ屋敷跡が続きます。
f:id:tmtmz:20201121213043j:image
こちらは伝武井夕庵邸跡
f:id:tmtmz:20201121213208j:image
こちらは織田信忠邸跡

f:id:tmtmz:20201121213046j:image
相変わらず石段が続きます。これだけの石をよく集めたものです。

f:id:tmtmz:20201121213059j:image
伝織田信澄邸跡森蘭丸邸跡
このあたりは整備が間に合っていません。広すぎますしね。

黒金門〜天主

進むと黒金門。ここから先は本丸、二の丸、三の丸などがある中枢部です。
f:id:tmtmz:20201121212657j:image
ここで枡形虎口になっていますし、大きな石を使っていますし、重要な門であったことが一目瞭然です。
f:id:tmtmz:20201121212915j:image
黒金門の石碑は折れてしまった跡がありますね。

f:id:tmtmz:20201121212647j:image
黒鉄門はこれまでと違って一つ一つの石が大きいです。
それにしてもこんな大きな石よく山上まで運んできたものです。

黒鉄門脇にも屋敷跡
f:id:tmtmz:20201121212939j:image
伝長谷川邸跡

黒鉄門を過ぎると傾斜も緩やかになり雰囲気が変わります。
f:id:tmtmz:20201121212632j:image
信長が生活していた天主もすぐそばですし、このあたりは本当に選ばれた家臣しかいなかった場所なんでしょう。
写真の左手は二の丸石垣。
f:id:tmtmz:20201121212739j:image
近くで見ると結構な迫力です。今さらながらやはり立派。

f:id:tmtmz:20201121213139j:image
道中には仏足石というお釈迦様の足跡を表現した石が飾られていました。
大手道の石仏と同様に転用石で、石垣の石材として使われていたとのこと。
乱暴なのか気にしないのか時間がなかったのか。当時の人に聞かないと分かりませんが。

この階段を登ると二の丸、本丸の郭です。
f:id:tmtmz:20201121213025j:image

左手の二の丸へ。
f:id:tmtmz:20201121213102j:image

今は織田信長公本廟となっています。
f:id:tmtmz:20201121213129j:image
秀吉が信長の遺品を納めて建てたもので、今ももちろん立ち入り禁止。外から窺うのみです。
二の丸を降りて本丸方面へ向かいます。
f:id:tmtmz:20201121213122j:image
こちらは二ノ丸を降りたところにあった変わった形の石。
何かわからないまま気になったのでパシャリ。ご存じの方いらっしゃったら教えてください。

改めて本丸へ。
f:id:tmtmz:20201121212635j:image
左手は天主台石垣。
f:id:tmtmz:20201121213227j:image
上が気になりますが、まずは本丸へ。

本丸に到着です。
f:id:tmtmz:20201121213055j:image

f:id:tmtmz:20201121212710j:image
本丸には礎石がたくさん。
本丸御殿が作られていたと言われます。
礎石の配置は天皇の住まいである内裏清涼殿に似ていることがわかっています。
天守台下に清涼殿に似た建物を建てて、行幸御殿としたかったのかもしれないとのこと。

階段を登って天主跡へ向かいます。
f:id:tmtmz:20201121213011j:image
天主台には礎石がたくさん。
発掘調査で現れた痕跡がそのまま残されています。

f:id:tmtmz:20201121212727j:image
ぱっと見は1階かと思ってしまいますが、写真の高さは天主の地下一階部分。
周りの石垣の上が一階です。

が、ここに五層七階の天主を建てるのはスペース上厳しいのではと思ったら周りの石垣が崩れて狭まっているようで、本当はこの2倍半あったんだとか。

石垣の上にも、足場は悪いですが登ることができます。
f:id:tmtmz:20201121212946j:image

こちらは上から眺めた景色。
f:id:tmtmz:20201121212924j:image
遠くに湖が見える景色はとても綺麗で当時のままのようですが、当時は安土山の周りまで湖がきていたと言われますので、これも変わっています。
400年以上経っていますしね。

摠見寺

さて、天主まで登って終わりと思いきやもう少し見どころが続きます。
信長が建立した摠見寺の跡地です。
摠見寺は当時の城下町と天主をつなぐ百々橋口道の途中にあり、かつて安土城へ訪れる人の多くは境内を横切って天主へ向かったと記録されています。
f:id:tmtmz:20201121212717j:image
摠見寺本堂跡地。
摠見寺は本能寺の変直後の天主の火災では焼けませんでしたが、その後江戸時代末期に焼けてしまって、今は別の場所に移りました。

本堂は焼けてしまいましたが、近くには当時の建物が残っています。

f:id:tmtmz:20201121213221j:image
こちらは三重塔。国の重要文化財です。

1575-76年頃に信長が甲賀の長寿寺から移築したものとされていて、建物自体は1454年に建立されました。
見た目から非常に年季が入っていて、雰囲気が良いです。

裏には綺麗な黄色のイチョウの木。
f:id:tmtmz:20201121212742j:image
空の青とのコントラストがきれいです。

さらに下りると二王門。こちらも重要文化財です。
f:id:tmtmz:20201121213204j:image

f:id:tmtmz:20201121212840j:image
楼門と金剛力士像ともに国の重要文化財です。
門は1571年建立、1576年に信長が移築したとされます。
金剛力士立像はさらに古く1467年の作品。
こちらも年季が入った雰囲気がとても良いです。

このまま参道を降りると百々橋口につながるはずですが、今はそこからグイっと曲がって伝羽柴秀吉邸へとつながります。
これで、安土城の散策終了です。 

感想

満足度 4.5/5

大手道から天主跡にかけて綺麗に整備されていて見どころがとても多いです。
建物は残っていませんし、遺構も分かっていないところが多いですが、調査、整備されたところで十二分な満足度でした。
全部調査されたら廻りきれないかも。
まぁ全部調査するには莫大なお金と時間が必要でしょうが。

これだけ立派なお城を建てて、10年しか持たないとは。。。諸行無常ですね。

基本情報

安土城
滋賀県近江八幡市安土町下豊浦

この旅は近江牛からでした。

tmtmz.hatenablog.com

↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ