わずか68日の在城期間ですが、広い敷地に立派な縄張り、防御機構が印象的でした。
この城にかけた思いが見える気がします。
目玉の丸馬出、出構など武田家の特徴的な遺構をはじめ見どころが多く、当時のイメージが膨らむ良い城跡でした。
お城:新府城(127) 山梨県韮崎市
HP:新府城跡/韮崎市観光協会
訪問日:2020年12月
概要
新府城は、長篠の戦いで織田・徳川連合軍に敗れたあと危地に立たされた武田勝頼が、領国の防衛体制を固めるために築城しました。
八ヶ岳から延びる七里岩の断崖を利用した平山城で、丸馬出や三日月堀、堀や出構が設けられた構造から武田流築城術の集大成とも呼ばれます。
1581年に築城が始まり、年末には未完のまま躑躅ヶ﨑館から移りました。
しかし、織田軍の侵攻を受け、1582年3月には岩殿城へ逃れようと勝頼自ら火を放ちます。在城期間はわずか68日でした。
勝頼は岩殿城へ向かうも、岩殿城主小山田信茂の謀反を知り、道中で追い詰められ、自害しました。
新府城はその後、天正壬午の乱で徳川軍の本陣が置かれるなどしますが、甲府城が築かれると拠点が移り、廃城となりました。
訪問記
スタンプ@韮崎市民俗資料館
まずはスタンプをもらいに韮崎市民俗資料館へ。
新府城とは少し離れているので要注意です。
また、休館日多めなので、HPでご確認ください。
よくある昭和な民俗資料館です。
入口すぐにスタンプ
モデルは七里岩の断崖ですかね。航空写真?
資料館の受付でマップ付パンフレットを頂いて出発です。
なお、このパンフレットはpdfも存在します。HP
職員さんによれば、駐車場から本丸まで「まっすぐ行けば15分、城好きなら1.5時間」。
あんたみたいな城好きなら、と言われたのがかなり恥ずかしかったですが、続百名城スタンプを探して来たら城好き扱いになりますか。まだ下手の横好きのつもりですが。
後から振り返ってみると、所要時間はその通りでした。はい。城好きですね。
資料館は1階にジオラマ、2階には古代から昭和までの韮崎の歴史の展示でした。
ジオラマは結構力が入っていて、良かったです。
見学ルートを考えるのに役立ちました。
さらに周りにも建物展示がたくさん
水車小屋
花子とアンのロケセットたち
見ていたら感動もひとしおだったかなぁ。
一通り見学したら新府城へ。
新府城
明らかに城跡感漂う山を左手に見ながら通り過ぎるとすぐ右手に駐車場があります。
ただの砂地の広場ですが、迷わないし広いところは良い。
ナビで行っても駐車場を探して彷徨うなんてザラですしね。
駐車場に解説板。ただ、これは出構の説明で、縄張り図はありません。
現地で考えるスタイルの訪問は厳しそうで、パンフレットがあったほうがよいです。
マップ右上(北東)の駐車場から、下に向かう赤矢印に従って、丸馬出、本丸、乾門、出構の順に回っていきます。
駐車場正面に大きく広がるのが新府城。のはずですが、逆光で真っ暗。
道の向こうの出構を見たいんですが、肉眼でも全く見えません。。。
という訳で、全体像を見ることなく散策開始。
散策開始
東側にも堀や虎口が残っています。こちらは堀。
東側枡形虎口
このあたり解説は全くありませんが、早速立派に残っています。
ここまで見てからやっと道路を渡ります。いよいよメインの敷地へ。
新府城本丸には今は藤武神社が建てられています。
藤武神社へ向かう参道
左手に立派な解説板があるんですが、車通りの多い道路沿いで、歩道はなく、落ち着いて読むのは厳しい配置。
せっかくの立派な看板、場所変えられないものでしょうか。
道路を少し進んで入り口へ
全体に落ち葉がすごい。
色々巡ってみましたが、落ち葉がないところが順路でした。
進むとすぐに帯曲輪
新府城は山の中腹に帯曲輪が作られています。
今と同じく通路として使われていたとか。
先へ進むと大手枡形虎口と書いた矢印が落ち葉の溜まった道を指していますが、これはダウト。落ち葉の少ない綺麗な道が順路です。痛い目見ました。
大手枡形虎口・丸馬出
順路を進んで大手枡形虎口。
かなり高い土塁がしっかり残っています。当時はどれだけ高かったんでしょうか。
ジオラマにも描かれていたように門も建てられていたのでしょう。
今は遠くには富士山も見えています。
この先は丸馬出。
土塁こそ低くなっていますが、しっかり残った丸馬出。
これぞ武田流築城術です。その先の富士山もよい。
丸馬出からの眺め。
この素晴らしい眺望はきっと当時から変わらないはず。
脇から降りて三日月堀。
堀こそ浅くなっていますが、丸馬出の高さはすごい。
ここまで高いと下から攻めたらあっという間にやられてしまいそう。
もう一度順路に戻って本丸に向かいます。
と思いましたが、長くなってきたのでここからは次回へ。
本丸から縄張りの北方面へ、新府城の特徴、出構などを見に行きます。