にわかお城ファンの旅行記

にわかお城ファンの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

田中城 (静岡県藤枝市) -住宅地に残るまん丸縄張りの跡

藤枝市つながりで田中城へ。

街中の平城ですが、同心円の特徴的な縄張りで有名でしょうか。
名残は曲がった道路くらいかと思っていたら意外と点在していて、歩き疲れました。

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お城:田中城 静岡県藤枝市
HP:史跡田中城下屋敷/藤枝市ホームページ
訪問日:2020年9月、2021年11月

概要

約500年前に今川家の家臣、一色氏が築いた徳一色城が始まりと言われます。

1570年、武田信玄の手に渡り、家臣の馬場信春が改修、田中城と改名。
今につながる円郭式縄張りの原型や三日月堀が作られました。

甲州征伐では徳川勢の攻撃を受け、何度も耐えますが、1582年についに開城しました。

江戸時代にはさらに拡張されて直径600mに及ぶ同心円の縄張りが出来上がりました。
家康が鷹狩をしに何度も訪れ、1616年、てんぷらを食べたあと、食あたりを起こして駿府城で天寿を全うするということもありました。

明治時代に廃城となり、跡地の大部分は住宅街や学校となりました。
現在は南東端にある下屋敷跡に関連建物が移築復元されています。

訪問記

田中城下屋敷

今の田中城は下屋敷跡に移設された建物たちと、真ん丸の名残の残る住宅地に点在する遺構とに分けられます。

まずは駐車場のある下屋敷からスタート。
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ここは田中城の南東端にあたり、江戸時代後半に藩主の別荘庭園が置かれた場所です。

冠木門と本丸櫓が目を惹き、まるでここに櫓があったかのようですが、これは移設。
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まぁ足元の石垣風の何かを見ると、そんな思いも無くなるかな。
ただ櫓は当時の本丸櫓が移設されたものです。

中へも自由に入れます。階段が急
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廃城後に払い下げられて住宅として使われたらしいですが、さすがに狭くないかな笑

中にはジオラマと田中城の歴史の紹介があります。
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四角い本丸の周りの丸い縄張りもばっちり。

2階からは外を眺めることもできます。眺めはほどほど。写真撮らなかったな

下屋敷の敷地内には本丸櫓以外にもいくつかの建物が移設されています。

長楽寺村の郷蔵
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江戸時代に年貢米や非常米を保存するための蔵でした。

茶室
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元は田中藩の家老の茶室であったと伝わるものだそう。

仲間部屋・厩
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田中城から移されていたものを再度移設。江戸末期の建物とされます。

周りはちょっとした庭園となっています。
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当時の姿を残す部分もあるようですが想像は難しい。なんせ菊花展のお客さんばかりで。

という訳で早々に退散して住宅街の遺構探しに向かいましょう。

住宅街の遺構巡り

住宅街の最大の遺構は道路の形じゃないでしょうか。
という訳で、googleマップを拝借して、簡単にご紹介
田中城址のプロットを中心に、3/4周くらいは円周の道路が見えますね。
住民の方には不便と思いますが、残して下さってありがとうございますです。

1の下屋敷から大体数字の順番に回っていきます。
地図でも分かる通り堀も無くなり本丸には学校が建っていて、あまり遺構は多くありませんが、それでもチラホラ残っていたりするのです。

2の場所には平島木戸という門がありました。
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城の北東部、駿府城訪問記)から東海道を下ると最初につく門で、江戸時代初期に大手門が作られるまでは正門でした。
絵図によると最外周の四の堀の土塁内側にあった扉の無い門でした。

今は看板のみですが、年季の入った田中城の城址碑が建てられていました。
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この道を家康が鷹狩のために往復したため御成街道と呼ぶのだそう。

近くには三日月堀跡と書かれた木碑と三の堀の土塁が残ります(3)。
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三日月堀はありませんが、土塁ははっきり。
手前の田んぼ部分が三の堀だったのかな。わからないけど。

土塁の横には絵図の通り平島一の門という木碑
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さすがに朽ちすぎていて読めません。

続いて平島二の門の木碑
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気持ちは正門から城内へ、と言いたいところですが、さすがに周りが住宅街過ぎてそこまでの想像力はありませんでした。
あと、田中城全体に木碑がたくさんありますが、説明が消えちゃってるんですよね。。もったいない。

真っすぐ進んで田中城の本丸に到着。上の地図の4です。
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本丸跡は西益津小学校となっています。

疑われない程度の距離感を保って写真撮影 笑
小学校に作られたミニチュア田中城も見てみたいですが、部外者には厳しい立地です。

本丸北側へ

すぐに大手二の門と今も残る二の堀の一部に到着
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二の堀は本丸から2番目に位置します。当時の二の橋も再現されています。
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今は堀が埋まってしまってシュールな状態ですが、

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橋の上から堀を眺めた景色は当時に近いのかも?

さらに北へ。
北西端にはちょっときれいな城址碑が建っていました。
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大手門があったところですし、今も一番交通量が多い側ですからね

翻って三の堀の名残(7)を見に行きます。
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こちらは土塁と堀が残っていて、田中城の遺構でも一番わかりやすいのでは。
完全な住宅街に唐突に出てくる堀と土塁に驚きです。

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説明の通り、今も写真手前から水が湧いていました。それで残ったのかな。

最後、ぐるっと下屋敷側に帰って南東側の入り口、新宿二の門外の三日月堀(8)
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当時は草むらで気づきませんでしたが、右上隅に少しくぼんだ三日月堀が見えます。

看板で言及されている小山城(訪問記)や諏訪原城訪問記)と比べたらさすがに小さく、当時の半分程度とのことですが、住宅街に残る三日月堀には少し驚きです。
時期を選べばもっと見やすいようですし、これは再訪案件かな。

チラホラ残る土塁(9)を見ながら

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最後は大きく飛んで旭傳院にある
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田中城から移築されたという門へ(10)
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さすがに小さく、城内の屋敷の門とも言われているそうですが、移築と言われるだけの年季は感じられました。

住宅街で歩き疲れたところで散策終了です。

感想

満足度2.5/5

さすがに住宅街の平城で開発が進んでいますが、現存建築もあったり、土塁に堀に三日月堀にの遺構もあったりで見ていて楽しい要素はあります。
そもそも曲がった道路を歩くだけでも想像が膨らみますし。

あとはもう少し説明や点在する遺構が分かるモデルコースがあると良いかなぁと。
今まわるなら事前準備が必須です。
朽ちた木碑は何とかならないものですかね。

アクセス

田中城