金沢城訪問記その2は、いよいよ公園内部へ。
河北門、石川門、橋爪門の三御門など建築も味わいつつ足元の石垣も味わいつつ。
雨の寒さにも負けずに隈なく堪能してきます。
その1はこちら
お城:金沢城 石川県金沢市
HP:金沢城公園
訪問日:2016年8月、2018年2月、2021年11月
訪問記
新丸・河北門
雨の中の金沢城石垣巡り、大手門から金沢城公園の内部へ向かいます。
最初は、大手門内部の新丸へ
今は遠くに河北門や菱櫓を眺める広い広場ですが、かつては越後屋敷という重臣たちが政務を行う場と、建築工事を司る作業所、食事を用意する下台所などがありました。
当時は郭内に堀も走っていたようですが、今はさすがにかつての姿は分かりません。
大手筋ですが人も少なめですし、綺麗にしてもらっているだけで十分かな。
河北門から二の丸へ向かいましょう。
綺麗な紅葉の先に、
河北門一の門
高麗門の脇には櫓台も従えた門。2011年に復元されました。
海鼠壁には隠し狭間もあり、緊急時には突き破って狭間として仕えたそう。
河北門は、石川門、橋爪門と合わせて三御門と呼ばれていました。
石川門一ノ門とは形式も同じですが、こちらの方が少し大きく作られています。このあたりは大手筋ですね。
ちなみに内側にある橋爪門の一ノ門が1番広く作られています。
石垣の上下で積み方の綺麗さが違いすぎる気もしますが、当時にできるだけ忠実に切石積みで積んだとも書かれていました。当時も継ぎはぎな感じだったのでしょうか。
河北門右側の櫓台はニラミ櫓台と呼ばれました。
大手筋ににらみを利かせるという意味と推測されています。
当時は二重櫓だったそうですが、燃えてしまい、太鼓塀だけの姿となっています。
当時の姿だと、右手に二の丸の菱櫓も見えて、圧巻だったでしょう。
枡形内部から河北門二の門へ
寸分の狂いもない綺麗な石垣の上に立派な櫓門。
右手の漆喰塀は当時にならって隠し石垣となっています。
河北門を城内からもう一度
やはり美しい石垣に櫓門です。
屋根は鉛瓦で鉄砲玉として使うとも言われているようですが、瓦をはがしているようじゃ間に合わないですよね。
百名城スタンプ・石川門
河北門を越えた二の丸、石川門からすぐの石川門休憩所に百名城スタンプがあります。
モデルは橋爪門ですかね。
三の丸と二の丸を仕切る門なので、見に行くのは石川門の後で。
という訳で、石川門。まずはニの門
そして一の門
こちらも非常にきれいな石垣の枡形門。
二重櫓と長屋、渡櫓には威厳も感じますし、今は兼六園とつながっていて実質的な表門のようになっていますが、当時は裏門でした。
また、こちらは現存。宝暦の大火のあと、1788年に再建されたものが残っています。
綺麗すぎる石垣含めて当時からこれ。すごい技術です。
石川門の特徴は、枡形内部の石垣の積み方が右と左で違うこと。
理由は分からないようですが、当時の石工さんに変わったこだわりがあったようで。
今見ると適当に再建したのかとか邪推してしまうかもしれません。ないか。
石川門を出るとその1で見て回った百間堀を上から眺めることができます。
こう見ると改めてその規模感に驚きます。
石川門下はこの高さの石垣が築かれていますし。
三の丸・菱櫓・五十間長屋
折り返して三の丸内部へ。
かつては重臣の居館、その後は番所があった三の丸も今はだだっ広い芝生広場。
その分、遠くの五十間長屋や菱櫓、橋爪門続櫓の存在感が光ります。
当時は建物があったとはいえ、連なる櫓には威厳を感じたでしょう。
私も圧倒されながら菱櫓と五十間長屋、橋爪門続櫓を見に行きます。
右端が菱櫓
その名の通り菱形で、眼下の三の丸、新丸の見張り、二の丸の防御を担いました。
また、今の金沢城で一番高い建物かつ大手門を入ってすぐ見えていたように、天守を失った金沢城の実質的なシンボルでもありました。
菱形感は、あんり分かりません。どこの菱櫓でもそうですが。
繋がるのが五十間長屋と橋爪門続櫓
それぞれ二の丸や橋爪門周辺の守り、橋爪門の見張りを担いました。
ちなみに長屋というのは多門櫓の金沢城での呼称。こういう地域色も良いですよね。
足元の石垣は、見えているこちら側は打ち込みはぎ、二の丸側はより精緻な切り込みはぎと使い分けられているそう。使い分けにも何か意図があるんだろうなぁ。
橋爪門・二の丸
二の丸への正門、橋爪門へ向かいます。
これまで見てきた河北門、石川門と同様に、高麗門の一の門と
櫓門の二の門からなる枡形門。ただ、三御門で一番大きい門でした。
他の二門と違い、二の門の足元には、二の丸御殿の玄関周りと同じ、斜め45度のデザインで敷石が敷かれています。
また、二の門内側(向こう側)にも番所と石垣台で区切られた区画があります。
さらに特徴的なのが橋爪門続櫓の石垣
カラフルな石を用いて、びっちり積みながら、直線ではなく所々ずらす手の込みよう。
あまりにもレベルの高い人がついに遊び始めたような石の積み方。
石垣に芸術性を持たせるところまで行きついた頃の作品、ともいえる気がします。
この先、このような作品とも呼べる石垣は他にもたくさん出てきます。
二の丸へ。ただ工事中。
この奥、明治期に焼失した二の丸御殿のあった場所は工事柵に覆われていました。
二の丸御殿表向の復元に着手する、と報道されていた関係でしょうか。
1631年の大火の後は本丸ではなくこちらの二の丸が金沢城の中心となりました。
今も五十間長屋や菱櫓など入れる建物が多くて観光の中心ですが、御殿が再建されるとなおさら人気は増しそうです。
ただ、今回は石垣に時間を使いたいのと足元が雨でぐちょぐちょなので建物たちはパス。
引き続き本丸方面と残りの石垣たちを見ていきます。
この旅は氷見の魚介からでした。
金沢城は外周から回りました。
同じ石川県の百名城はいかがでしょうか。
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