にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

百名城 明石城 (58・兵庫県明石市) 1/2-三重櫓を三ノ丸から見上げる

関西城めぐりその3は少し飛んで兵庫県明石城へ。

元地元民としては、明石といえばタコ、鯛、明石海峡大橋、子午線が先に浮かんでしまいますが、駅からも見える三重櫓は貴重な現存櫓でそれはそれは立派でした。
もっと推していいような。実はもう推しているのかな

お城:明石城(58)兵庫県明石市
HP:明石城 公式ウェブサイト
訪問日:2021年12月

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概要

1617年、時の松本城主、小笠原忠真が明石に入ります。
翌18年、徳川秀忠より命を受け、西国監視のために築城開始。1620年に完成しました。

本丸には天守台も築かれたものの天守は建てられず、四隅に三重櫓が設けられました。

その後、60年ほどの間、城主は頻繁に交代しますが、越前松平家より移った松平直明の後は松平氏の居城となりました。

廃城令を受けて廃城、本丸に2基の櫓を残して明石公園として整備されています。

訪問記

関西遠征3城目は兵庫県明石城へ。

明石と言えば、の明石海峡大橋
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日本標準時子午線の通る天文科学館を車窓から眺めながら
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明石駅
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明石城は道路を挟んですぐ堀が始まる極端な駅近物件
駅ホームから本丸の三重櫓を見ることができます。
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こんな景色を見ながら通勤通学したいものです。毎日見てればなにも思わなくなるかな。

駅を出て道路一本渡ったところ。大きな中堀からスタート
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写真だと池にも見える広い堀の向こうは三の丸。
左手に写る土橋が大手道、太鼓門につながる道となります。
元は土橋ではありませんでしたが、公園整備で埋め立てられました。

中堀東西には不明門があり今も出入り口となっていますが、せっかくなので大手から向かいましょう。

明石公園の正面玄関ともなっている太鼓門枡形
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枡形越しに見える二基の三重櫓と土塀が美しい。。。

かつては高麗門と櫓門からなる太鼓門が置かれていました。
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立派な枡形を通り抜けて城内へ向かいましょう。

散策前に案内板をお借りして全体像を確認です。
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公園が広すぎて字が小さいですが、中央に東西(看板では上下)に並ぶ本丸、二ノ丸、東ノ丸、稲荷曲輪、その南北(看板では右左)に三ノ丸北ノ丸が置かれています。

このうち本丸、二ノ丸、東ノ丸、稲荷曲輪は石垣や曲輪など当時の姿を残しています。
川を北と西に置き、天守台も西に設けるなど、西の防御への意識が伺えます。

ということを頭に入れて、三ノ丸から二ノ丸、本丸、稲荷曲輪と見ていきましょう。

三ノ丸

本丸や二ノ丸を仰ぎ見る平地部分の広大な曲輪が三ノ丸。

西側には内堀に囲まれた居屋敷郭があり、表御殿、裏御殿などが置かれていました。
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今は内堀は埋め立てられ、公園と

明石トーカロ球場となっています。
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この明石トーカロ球場高校軟式野球の全国大会が開かれる軟式版の甲子園球場です。
2014年の延長50回の熱戦をはじめ硬式に負けず劣らずの熱戦が繰り広げられる地ですが、強度の問題を抱えていて、史跡保護と両立に苦心されているとか。
何とかうまい策が見つかってほしいものです。

トーカロ球場の近くには陸上競技場「きしろスタジアム」も。
広い敷地を使ったよくある再利用の図です。
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こちらもやっぱり老朽化の問題が浮上しているとか。難しい。

陸上競技場のある場所は元は捨曲輪、後に山里曲輪と呼ばれました。
捨曲輪と呼ばれた頃は、あえて敵を入れて迎撃するための曲輪として使われました。
城内最西部ですし、最前線として手厚い守りを想定していたのでしょう。

山里曲輪の頃は、樹木屋敷という遊興所が置かれます。

この樹木屋敷を作ったのは、かの有名な宮本武蔵

樹木屋敷自体は残っておらず、記録も少ないですが諸々考察しながら作られたのが、三ノ丸東側の武蔵の庭園
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乙女池周辺に樹木屋敷の庭園資材が移されたという記録などを元に整備されました。

当時の姿は神のみぞ知るですが、街中に居ながら自然を感じるというコンセプトは分かるような。今と同じようなわがままな希望を当時から持っていたんですね。
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武蔵の庭園からは池越しに巽櫓を見上げられます。
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池に移った鏡巽櫓。現地ではもう少しきれいに映っていたのに。。。

二ノ丸、東ノ丸

城の中心部へ向かいましょう。
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両櫓をつなぐ土塀阪神大震災からの復興に合わせて1999年に復元されました。
土塀と聞くと小さな復元と思ってしまいますが、あるとないとで大違い。効果的な復元はいいですね。

右手の辰巳櫓のさらに右手に、当時から続く二ノ丸への道があります。
という訳で、真っすぐ二ノ丸方面へ
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南面の細長い南帯曲輪を越えて

近くで見ると一層高い二ノ丸へ上がりましょう。
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石垣はどれも立派ですが、特に東側は反りが美しい。
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この石段、二ノ丸の、しかも本丸すぐそばにつながるので、一瞬弱点ではと思ってしまいましたが、広大な三ノ丸と二ノ丸への高低差などを考えるとさすがに正面突破はできませんね。
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本丸からも丸見えですし。

登り切ったところには大の門
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石垣の規模からするとさぞ立派な門があったのでしょう。

石段を何とか登ればすぐ本丸にも行けるように見せかけて、深い堀切もありました。
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深くて広い。総石垣で威圧感もあります。こりゃ正面突破はないですわ。。

櫓が気になるところですが、その前に二ノ丸、東ノ丸を見て回ります。

こちらが二ノ丸
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北東、南東隅に二基の二重櫓、礼の櫓真の櫓が置かれていました。
広さはそれなりですが、広すぎる三ノ丸があれば山上はこれくらいでも十分かな。

今は公園。とくに解説もありません。明石城全体に解説は少なめ。欲しいなぁ。
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明石の街並みがよく見えるベンチも置かれて、のんびりできそうです。

二ノ丸と東ノ丸を区切る虎口
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こちらも説明はありませんが、方の門がありました。

抜けると東ノ丸
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当時は南東隅に二重櫓、角の櫓がありました。

こちらも広さはそれなり、今の姿は二ノ丸と大差ありません。
もちろん現役時の使われ方は違ったのでしょうが、同じ高さ、堀も無い二ノ丸と東ノ丸を土居で区切った理由は何でしょうか。仲が悪い人でもいたのか笑

東ノ丸は北と東に虎口がありました。

こちらは北面の枡形虎口
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真の門が置かれていました。こちらも解説は。。。
さすがにこれまでより小ぶりですが、枡形や石垣は立派です。
抜けると北ノ丸。今は図書館や自転車競技場になっているので折り返し。

東の虎口へ

こちらには天の門が置かれ、
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抜けた東帯曲輪には弁の櫓と出の門も置かれています。こちらも、、、

外は堀を抜けて城外へつながる門だからか、真の門より少し手厚め。
とはいえ、東側だからか高低差も小さく、西より防御の意識が低いように思えました。

ちなみに、今も堀は残りますが、薮やらでよく見えません。

折り返して本丸を見に行くところから次回。
東ノ丸から見える明石海峡大橋とともにお別れです。
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近畿地方つながりでこのあたりはいかがでしょう。無理やり?

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