にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

長浜城 (静岡県沼津市) -櫓から臨むは三枚橋城か富士山か 北条水軍の本拠地へ

伊豆半島の付け根、駿河湾沿いにある長浜城へ。

長浜城で調べると滋賀の長浜城がよくヒットしますが、こちらも負けないくらい面白いんじゃないかな。
よく整備されて、小さい中に北条家の築城意図が詰まっている気がしました。

滋賀の長浜城はまだ行ったこと無いんですけどね。

お城:長浜城 静岡県沼津市
HP:長浜城跡(ながはまじょうあと)/沼津市
訪問日:2022年1月

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概要

15世紀後半ごろに築城されたと推定されます。

1579年、武田信玄今の沼津市三枚橋城を築いたことを受けて北条氏は国境を守る城を築城。海からの上陸ルートを抑えるべく長浜城を整備しました。
翌年から両家の間で海戦が起こっています。

豊臣秀吉の小田原攻めにおいても長浜城に守備隊が置かれました。
詳細は不明ですが、韮山城山中城の落城を受けて廃城となったと考えられています。

昭和期の調査の結果、1988年に国史跡指定を受け、2015年に史跡公園としてオープンしました。

訪問記

第四曲輪~櫓~第一曲輪

車で伊豆半島の根元にある長浜城へ。
有名な伊豆三津シーパラダイスから数分、至近距離と少し驚きの立地にあります。

駐車場は城の麓、みとしー側にあります。

見た目は漁港の駐車場で入り口には立ち入り禁止の柵。
これにも驚いて通り過ぎてしまいました笑

よく見ると看板が出ていて柵は間が開いていました。普通に入ればよかったとは。

すったもんだの訪問に最初から達成感も一入です笑

散策開始前に駐車場脇の立派な説明板を見ていきます。
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予備知識なしでも問題なしの整備具合。さすがは最近整備された史跡公園です。

立体的な縄張図もありました。
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高さは強調されているそうですが、高低の位置関係が分かりやすい。

長浜城は、尾根に沿って並ぶ四つの曲輪、それぞれ陸側に土塁を持ちます。
さらに第一曲輪から岬先端へ並ぶ四つの曲輪麓の田久留和と数多の曲輪を持ちます。

これでも一部略されていて、実際にはさらに多くの曲輪が並びます。
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こちらは第四曲輪にあった縄張図。小さな曲輪まで描かれています。

模型にない曲輪は見られていませんが、最高部の第一、第二曲輪が復元整備もされていて、主な見どころでしょう。

予備知識を入れたら城へ。
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山の上に向けて、ひたすら階段を上ります。

付近は今でも港として使われています。
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分かりやすい港のおさえの立地です。
この手前が駐車場なんですが、漁業関係者用にしか思えないですよね。。

登りきると第四曲輪と第三曲輪を切る堀に到着。
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左手階段を上って第四曲輪へ。
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これでほぼ全景。小さな曲輪には土塁が残ります。

かつてはより高く広い土塁だったそうで、狭さの割に土塁が大きいことが特徴でした。
第一曲輪につながる尾根端に位置する防御最前線の守りを示すのでしょうか。

向かいの第三曲輪方面へ。
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この先、数字が若い曲輪に近づくほど高い立地になっていきます。

第三曲輪への通路は、第二、第三曲輪間の堀切を通る虎口。
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正面は第二曲輪の土塁、右手上は第三曲輪の土塁。

進んだところに3つの柱穴が確認されています。
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左二つ第二、第三曲輪をつなぐ跳ね橋の、手前二つ門の柱穴で、跳ね橋→門の順に改築され、どの時代も重要な入り口であったと考えられています。
土塁の高さも含めて重要さを物語っている気がします。

まずは右手の第三曲輪
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祠が立ち、周辺の高まりが土塁に見えますが、これは祠建造時に削られた残り。

高まりの上がかつての地盤で
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その周りに少し残るのが当時の土塁です。
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土塁は先ほど通った大手口を見下ろしていて、横矢をかけられるようになっています。
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木で隠れすぎですが、雰囲気は分かるかな

先ほどの虎口も見下ろしておきましょう。
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やはり数字の若い曲輪の方が高い立地です。

その第二曲輪
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奧から振り返ってもう一枚
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今までの曲輪よりずっと広く、長浜城でも一番の広さ。
やはり陸側に土塁が設けられています。先ほどの虎口側は特に高く作られていました。

土塁に登って守備隊の気持ちにもなれます。
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登ってくる敵を討ってくださいと言わんばかりの配置。攻めあがりたくはないな。

第二曲輪中央には、たくさんの柱穴から推定された建物跡が展示されています。
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建物の役割は分からないそうですが、城中心部の曲輪ですし、重要な建物が建てられていたのでしょう。

第一曲輪との境には畝堀も。

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この堀は竪堀からつながっていて、そこに畝が入れられています。
北条家名物の畝堀の流れでしょうかね。

第一曲輪との境にはも復元されています。
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存在感ある櫓は珍しいことに第一曲輪との通路も兼ねていたと推定されています。
柱穴や岩盤上という場所、ここの見晴らしと、第一曲輪の登り口がここしかないことがその理由。

機能性と存在感を兼ね備えた櫓、自分が城兵だったら身内に自慢しそうですし笑、説明板通り城の象徴という雰囲気があります。

そんな櫓を建てる価値のある眺めを見てみましょう。

まずは第二曲輪と夕焼けの富士山。
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絶景。良い時間、良い天気の日に来ました。

櫓上からもう一枚
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今も見える沼津市街地に武田軍の三枚橋城がありました。
ここに櫓を置きたくなる気持ちが分かります。

そのまま櫓を抜けて第一曲輪
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長浜城で一番高い曲輪。やはり陸側に土塁が設けてあります。

柱穴も見つかっていて、門と塀で囲われた空間があったと考えられています。
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解説の通り、ここに重要ポジションの人物が陣取っていたのだろうと思えます。

第一曲輪からも富士山と沼津市街、三枚橋城を見ておきましょう。
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街並みは発展していても全体像は当時とそう変わらないはず。
ここに立って部隊の動かし方を議論していたのかもしれません。

腰曲輪~田久留和

この第一曲輪から海側に伸びる岬にも曲輪が置かれています。
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海の方向へ真っすぐ伸びる腰曲輪たち。
柱穴は見つかっていますが、出土品が少なく曲輪の性格までは分かっていないそう。

腰曲輪B
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腰曲輪C
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腰曲輪Dはよく分からず、そのまま海に出ました。
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曲輪の規模感を見ても配置を見ても、海側への防御のための曲輪だったのでしょう。

海から上がった部隊目線ではこんな感じ
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こんなに丸腰で見ることはないでしょうが、櫓までの道のりは遠いです。。

田久留輪・安宅船模型

最後は陸側、今の重須ガイダンス施設へと降りましょう。

道中、第一曲輪の下あたりには古そうな石垣もありました。
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案内の丁寧な長浜城では珍しくこちらは説明なし。いつのものなのでしょう。

最後、重須側に置かれた田久留輪を俯瞰します。
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今は安宅船の置かれたガイダンス施設となっています。
こちら側の入江には軍船を係留していたとされており、それを踏まえての展示です。
埋め立てが進んで分かりにくいですが、かつてはもっと深い入江となっていたそう。

改めて下から安宅船を。
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大きいですよね。これが原寸大。漕ぎ手50人と戦闘員50人が乗り込んでいたとか。
海上の城とも呼ばれるわけです。

近くからは堤防と思しき石垣も検出されており、レプリカが展示されています。
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船は武田軍から見えない場所に係留していたんだろうな、と思わせてくれる遺構です。

最後まで見どころたくさんの長浜城の散策終了です。

感想

満足度 5/5

百名城、続百名城に選出されていない城の中ではトップクラスに面白い城跡でした。
規模は小さいですが、岬の小山の尾根に曲輪を置き、堀、土塁で陸側、海側ともに防御を意識し、敵陣の攻撃に向けて偵察や軍船も置く意図がよく分かりました。

最近整備されただけあって案内もばっちり。おかげで理解もとてもよく進みました。
櫓や柱穴も整備されて、富士山ビューまであって、お城にそこまで興味がない人を連れても十分に楽しめると思います。実際、珍しいくらい観光客が多かった。

みとしーで家族サービスの後に訪問、、、はさすがに厳しいかな。

アクセス

長浜城