武田家本拠の躑躅ヶ崎館、の詰城、要害山城へ
続百名城には本格的な山城も選ばれており、ここもそのひとつ
それなりに山を登ることになりました。
とはいえ、遺構を考えると登らないのはもったいない。
スタンプは駅前ですが、もう一声行きたいところです。
お城:要害山城(128)山梨県甲府市
HP:甲府市/要害山(ようがいさん)
訪問日:2022年2月
概要
1519年、武田信虎が甲府の躑躅が崎館(訪問記)に居館を移しました。
翌年、詰城として築いたのが要害山城です。
1521年、今川氏軍勢の甲斐侵攻を受けて、正室が要害山城に避難。城内で信玄を出産したとされます。
武田氏の滅亡後、徳川氏、後に豊臣氏の所領となり、修築、再整備されました。
関ケ原の戦い後、甲府城(訪問記)が築かれると廃城となりました。
訪問記
スタンプ@甲府駅前 藤村記念館
要害山城は躑躅が崎館(武田氏館跡)の詰城。もちろん近傍の要害山山中にあります。
が、スタンプは全く違う甲府駅前の藤村記念館に。
登山後は訪問する元気がなくなりそうなので、事前にゲットしておきました。
綺麗な近代建築の博物館は明治期の旧睦沢学校校舎を再利用したもの。
この日は休館日でしたが入口にスタンプを押した紙は置いてあります。
春日山城と同じ方式ですね。紙をスタンプ帳に貼り忘れて危うく無くしかけたのはここだけの秘密。
モデルは要害山ふもとの積翠寺と主郭の信玄公誕生の碑。おいおい回っていきます。
甲府城山手御門と稲荷櫓をチラ見したら
登山口へ。
山手御門の記事はこちら
登山口~諏訪の水
登山口の駐車場へは車で15分の距離。
甲府駅からバスもありますが、1日3本と僅少です。。
こちらが登山口の駐車場。
看板もありませんが、Googleマップを信じてお借りしました。
登山を覚悟してちゃんとした靴とクマ鈴を初めてセットしたら登山口へ。
入口の縄張図をお借りして全体像を確認。
尾根伝いに東西に真っすぐ広がる連郭式の縄張りを持ちます。
図にも描かれる曲輪跡と堀、枡形、門跡などが見どころです。
熊城も遺構が良いらしく心惹かれますが、訪問難度が高そうで今回はスルー。
いずれ行けるようになるかな。
ちなみに、この縄張図は途中の見所が描かれず、縄張図素人には少し読解が辛い仕様。
甲府市HPのもう少しだけ詳しい縄張図も見ながら散策しました。
甲府市/要害山(ようがいさん)
本当に少しだけですが笑
準備を整えたら登山開始。
急勾配でもなくよく整備されて程よいハイキングくらい。
早速の石積みはさすがに後世のものかな、とか
ちょいちょいある平場は曲輪じゃないよな、とか考えながら
登ること5分で史跡境界の印
ここから国史跡の指定区域。見落としなく進みたいところ。
道端に石積みがでてきました。
足元もよく、気になるものもあって長さを感じず登れます。
と思っていましたが、さらに歩くこと約10分。
変わらない景色にそろそろ不安を覚えてきました笑
というところで、ようやく最初の看板。竪堀です。
ただ、肉眼でもよく分かりませんでした。この時は冬だったんですけどねぇ。
すぐ先、正面にこちらは明確な土塁と竪堀。
のこのこ登ってきたら真正面から攻撃を受けることになるのでしょう。
竪堀含めてここから山裾へは回り込ませまいという作り。
道も素直に折れ曲がって進みます。つづら折れを歩くことさらに5分。
門跡が見えてきました。
要害山城はたくさんの門跡が出てきますが、いずれもかなりしっかりしています。
本拠地の詰城だけあって守りが本当に厳重です。
この門跡は山中の尾根に明確な枡形虎口。
まるで平城かと見紛うまばりの枡形。山上にさぞ立派な門があったことでしょう。
越えると道端に小曲輪がたくさん現れ始めます。
代表的なものを一つ。どう使われていたんでしょうか。
少し奥にも曲輪。こちらは広く、不動曲輪と呼ばれています。
突き当たりですし、小曲輪たちとは使われ方が違ったんでしょう。
不動曲輪の由来は江戸時代後期に置かれた武田不動尊と考えられています。
現役当時はどう呼ばれていたのかな。
脇には古そうなカルピスソーダも。
こういうものもなんだか惹かれてしまうのです。
諏訪の水~主郭西側の門
ここまでは一本道でしたが、この先ルートが分岐します。
まずは脇道から。
こちらも小曲輪をわき目に進むと
井戸を持つ曲輪に到着。
祠を持つ雰囲気のある井戸は諏訪の水。枯れたことが無いのだとか。
かつても同様に拝みながら水を汲んでいたのかもしれませんね。
メインルートに戻ると、すぐにまた門跡
この門は先ほどにもましてしっかりしています。
やはり綺麗な枡形虎口。さらに両側に石垣。一層防御性を上げています。
左手の古い石垣はよく残っています。
裏から見ると土塁の高さもはっきり。
山中で石垣も使ってここまで高くするとは。絶対越えさせない強い意志を感じます。
枡形虎口を超えるとまた曲輪
ここから主郭方面の曲輪はこれまでと比べて大規模で毛色が違います。
だから門も厳重だったのかな。
上の写真では正面上部に次の曲輪が見えますが、ルートは横
ここまでクランクも枡形も駆使して来た道は、そりゃ真っ直ぐは行かないですよね
次の門
ここは枡形ではありませんが、高い土塁で厳重に守られています。
越えて次の曲輪
用途は分かりませんが、こちらもなかなか広い
まっすぐ進んで次の門
先ほどと似ていますが違う門ですよ
からの広い曲輪
そしてまっすぐ進んでまた門
ここまでグネグネ来ていたのに、突然ルートは直線に。
同じような門と曲輪が繰り返す不思議な配置に意図も感じますが、なんでしょうかね。
越えると、今度は曲がって雰囲気の異なる門にでます。
石垣も残り、土塁もひときわ高く、またここから雰囲気が変わりそうな予感。
内部では今も威圧感を感じます。
となると抜けた先はそろそろ主郭?
と思いましたが、さほど広くもなく。
さすがの規模感。焦らしますね笑
また門を抜けて
また小さめの曲輪を抜けて
石垣の残る高い門に到着。
背景から察されるように、こちらがようやく山頂。
主郭西側、大手にあたる門です。
ここまでのんびり登って1時間。
草むらからガサガサ登場したリスに本気でビビりつつも(笑)良い運動になりました。
ここからまた次回。主郭と搦手方面、さらに麓の積翠寺を散策します。
躑躅が崎館(武田氏館)の訪問記はこちらから
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