新横浜から一駅。
素晴らしいアクセスの続百名城・小机城へ。
完全な住宅街を抜けると、深い堀に囲まれた素晴らしい遺構が待っていました。
訪問の際は虫よけを忘れずに。
お城:小机城 横浜市港北区
HP:市民の森・ふれあいの樹林ガイドマップ 横浜市
訪問日:2019年9月、2022年6月
概要
築城年代は定かではありませんが、15世紀半ばまでと考えられています。
1478年の長尾景春の乱で景春方が立てこもり、扇谷上杉方の太田道灌が攻略しました。
上杉氏の領地となりますが、後北条氏の進出で廃城。
後に改めて整備されたと考えられています。
小田原征伐でも合戦はなく、落城。その後、家康の関東入府後に廃城となりました。
訪問記
小机城に駐車場はなく、周りは住宅街。車の場合も小机駅周辺のコインパーキングに停めることになるでしょう。
小机駅は日産スタジアムの最寄駅ですが、スタンプがあるのは反対の南口。
駅前はローカルな商店街が広がる、いかにも周辺住民のための駅といった雰囲気です。
まずは駅出てすぐの横浜市城郷小机地区センターでスタンプをゲット
こちらも完全に地域住民向けですが、入口にスタンプがあるので臆せず入りましょう。
パンフレットもここでゲットできます。
そして、パンフレットを見て、2階に小机城の展示があったことを今知りました。
臆していたことがバレてしまう笑
スタンプは分かりやすい堀の景色。
まさにこんな感じの景色でした。もっと深いかも。
地区センターから小机城へは線路を挟んで徒歩10分弱。
道中は看板完備で道に迷う心配ゼロです。
マリノスケの兜は小机城仕様のようですね。さすがにいつもの格好じゃなかったか。
最後までマリノスケとミズキーに導かれて登城口へ。
本当にギリギリまで住宅街が迫っています。
城内へ
城内を散策する前に縄張りを確認しましょう。
中心部に2つの曲輪とそれらをつなぐ「つなぎの曲輪」
周辺に多数の腰曲輪、南西には出城も置かれていました。
現在は破線で描かれた第三京浜が分断していますが、中心の2つの曲輪とその周りの堀などを見ることができます。
今いるのは根古谷あたり
現在地は小机城址市民の森としての看板の方が分かりやすいかもしれません。
改めて根古谷から散策スタート
腰曲輪のようなな様子が見えますが、どこまで当時のままかは分からないかな。
かつては城主や家臣の屋敷地が広がっていた場所とのこと。
もっと広かったんでしょうが、宅地になったところもあるのかも。
根古谷付近から住宅街が嘘のような森ですが、足元はきれい。さすが都会の城跡です。
腰曲輪のような平場を見ながら
小山を登ると
広がるのが空堀
この空堀の規模、深さが小机城一番の見どころです。
堀の両側に土塁が設けられた北条流の堀が広がります。
左が本丸、右がつなぎの曲輪だったかな。本丸、二の丸の表記は現地看板に合わせています。
通路に沿ってまずは二の丸へ
どこまでも続く深い堀に沿うと
角は少し広がった曲輪
櫓を置きたくなる見た目、場所ですが、説明なし。というか解説がありませんでした。
あまり調査が進んでいないことも影響しているかもしれません。
二の丸方面へは少し下がりながら向かいます。
空堀をより低い視点で堪能できるわけです。
高さがすごい。
このあたりにも腰曲輪のような広がります。解説が欲しい。
登って二の丸とつなぎの曲輪の間へ
左手には本丸方面へつながるつなぎの曲輪への虎口
正面は、北側にも広く広がる堀へと降りる通路
そして右手は、二の丸につながるちょっとした平場に井楼がありました。
このあたりに武器庫があったと言われています。
二の丸(東郭)
井楼の奥に広がる曲輪を越えると二の丸の虎口。
今は左手の櫓台を兼ねる土塁のみで広いものですが、かつては土塁があったのだとか。
このへんは解説あり。嬉しい。
天邪鬼を発揮して、今もそれなりの高さを保つ櫓台を
通って
二の丸へ
現地では二の丸と呼ばれていますが、二の丸、本丸の位置づけは結論が出ていません。
パンフレットによれば、東郭が初期小机城の本丸であったとも考えられています。
今の姿は土塁も少なく防御性に不安を覚えますが、これは畑地となったときに土塁が撤去されたためだそうで、当時の姿は不明。このあとの「本丸」との差も小さいような。
まあ素人がチラッと考えただけで位置づけが分かる訳もないです。
今は中央部に植え込みがあって南北に分かれていますが、さすがにこれも当時とは違うのでしょう。
こちらは植え込みの北側。
現地では北側はあまり広さを感じなかったんですが、写真ではそれなりに広い。
記憶違いかな。。。
ここから、北側の空堀を降りて散策。
南側も十分凄かったですが、北側はそれにもましてすごい。
というところから、また次回へ。
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