湖国の城めぐり、続いては戦国屈指の巨大山城、観音寺城。
ただでさえ広い山城を麓から歩いて登ってきました。我ながらよくやったものです。
麓から北端の大土塁沿いに見てまわります。
縄張図との照合が大変でしたが、随所に残る遺構はさすがでした。
お城:観音寺城 滋賀県近江八幡市
HP:観音寺城跡 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!
訪問日:2023年3月
概要
築城時期は定かではありませんが、古くから近江守護佐々木六角氏の居城でした。
1335年には北畠氏の侵攻に備えて立てこもったとの記述があり、応仁の乱では3度の侵攻を受けています。
その後、修築を重ねて石垣を多用した城へと変貌したものと考えられています。城下に楽市も置かれました。
1568年の織田信長の上洛の際、六角義賢、義治は城を捨てて逃亡。そのまま戻ることなく廃城となったとされます。
戦国時代最大級の山城で、日本の城で初めて本格的な高石垣を設けるなど多くの特徴を有します。
訪問記
川並ルートで山上へ
スタート地点は近江鉄道の八日市駅
近江鉄道の中心駅なので当然ですが、他のレトロな駅とは一線を画す綺麗な作りです。
もとは近江八幡駅を経て安土駅からレンタサイクルの予定でしたが、この日は雨模様。
旅先での雨中のサイクリングは避けたいので、急遽予定変更。バスで向かいます。
登り口に立ち寄る、八日市駅と能登川駅を結ぶバスは、訪問時ほぼ30分に1本走っていて便利でした。私は「ほぼ」の部分にハマって1時間弱待ちましたが。
やってきたのは観音寺口バス停。
その名の通り、観音正寺に向かう登山口があります。
観音寺城、観音正寺には横にも縦にも離れていますが、ちゃんと看板も出ています。
登山口がある結神社へ。バス停からは歩いて数分です。
広い神社で拝殿も本殿も大きく立派でした。

参拝したら、境内山側にある登山口へ。
丁という単位に馴染みがありませんが、大体1.3km。気合い入れていきましょう。
参道の足元はよく整備されています。
道中気になる石垣などはありますが、説明はなし。関係ないのかもしれませんが、城全体に説明は少ないので詳細は分かりません。
虎口を感じたので参道を外れて少し寄り道
中に忠霊塔があるあたりも非常に曲輪跡っぽいですが、どうでしょうね。
その後は、たまに出てくる距離の看板だけを頼りに上ること30分

林道にたどり着きました。
このあたりからが縄張図に描かれる範囲となります。
観音正寺に掲出されていた看板をお借りして、全体像を確認です。
文字が読めない引きの写真は、広大な観音寺城を描いた図が大きいからにほかなりません。繖山全体に、石垣を伴う無数の曲輪が広がります。
伝本丸は上図左に3つ並ぶ赤ハイライトの一番上。ここから下へ延びる青ラインが追手道とされ、道中には大きな石垣を持つ伝平井丸、伝池田丸、新幹線からも見える大石垣などが並びます。
中央の赤ハイライトが観音正寺。そこから上への赤ライン沿いにも曲輪群が残ります。
中央上端から右下へ延びる赤ラインは城北端に設けられた大土塁沿いのルート、右から延びる赤ラインが登ってきた結神社からの登城路を表しています。
今は図に入った所で、最初の明確な遺構は上下に赤く示された伝布施淡路丸、伝目賀田丸、そこから大土塁沿い、その後、観音正寺を経て伝本丸方面へ向かいます。
少し進むと伝目加田屋敷跡の看板がありました。
こちらがおそらく伝目加田屋敷こと伝目賀田丸。
肉眼では曲輪を感じましたが、写真はきついですね。
縄張図上は降りるルートもありそうですが、現地では見つけられず。
上に目をやると伝布施淡路丸の石垣も顔をのぞかせていました。
薮の中を指す看板はありましたが、こちらも登る勇気が出ず。登り口はあるようですね。
奥に向いた看板に淡路丸、と書かれています。そっちは藪。。。
先へ進むと、佐々木城跡と書かれた看板。分かれ道に到着です。
こちらが先の図で上端に描かれた大土塁沿いのルート
観音正寺へのルートと別れて、しばしこちらを進みます。
大土塁を伝沢田丸へ
ルート沿い、縄張図ではたくさん曲輪が書かれていますが、大土塁上であろう通路からはかなりの高低差。ここも案内がなく、どこがどこだかさっぱり、という状態です。
おそらくどこかの曲輪かな?と思って撮った写真と、
通路脇の石垣が気になった写真
あとから見ると何が何だかわからない藪写真ばかりが積みあがっていきます。
巨石が気になる写真を越えたら
佐々木城跡の城址碑にたどり着きました。
思い切り裏なのは、こう建っているからで、正面は佐佐木城跡と書かれています。
進むと、大きな堀切。

防御の大土塁に堀切が開いていることを思うと、土塁の向こうへの通路だったのかな。
この先もちょっとした石垣で区画されたどれかの曲輪を見ながら登ることとなります。
家臣団屋敷があったのかなと思わせてはくれますが、如何せん解説がないので素人には分からない。。。
そんな大土塁沿いの最終盤、至近距離に石垣が現れました。
ここも解説はありませんが、伝三国丸の石垣です。
算木になっていない古い石垣ですが、石の大きさ、荒々しさはインパクトがあります。
内部は櫓台として使われていたのではと考えられています。
先へ。分岐までやってきました。
佐々木城と観音寺城を別として扱っているのでなおさら?が湧くんですが、ここでは観音寺城本丸方面へ
このルート最高所の伝沢田丸も内部はよく分かりませんでしたが、石垣が明瞭。
苔むした様が良いですね。明らかに伝三国丸とは様子が違う理由も気になるところ。
現在地が分からない点はモヤモヤが募るところでしたが、それでも素晴らしい石垣が見られればここまで来た甲斐はあるってものですね。
ここから、いったん観音正寺方面へ向かいます。
付近のスポット
近江八幡市には百名城がたくさんあります。
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