2024-01-01から1年間の記事一覧
百名城の松坂城へ。 松阪と言えば牛肉かもしれませんが、有名店の近くにある松坂城にも、負けず劣らず?素晴らしい石垣が残っています。 商都松阪の礎となった城であり、その城下町であり、元をただせば牛肉が有名になったことにもどこかではつながるでしょ…
阿坂城訪問からその足で出城の一つ、高城へ。そのままハイキングコースをなぞる形になりました。 あくまで出城、附ではありますが、国指定史跡。大きくはなくとも良好な遺構がありました。登りもほとんどなくて足にも優しいですし。 お城:高城 三重県松阪市…
三重県の阿坂城へ。 椎ノ木城と白米城とも呼ばれる2つの郭を持つ山城は、白米にまつわる伝説が残る地。今の姿は、30分の登りが必要な山城とは思えないほどの人気の地でした。 遺構も素晴らしかったですが、そこに興味を持つ人はどれくらいいたかなぁ。 お城…
多気北畠氏居館跡からその足で向かったのは、五箇篠山城。 記録は少ないものの、この地の古城の多分に漏れず、やはり北畠氏関連のエピソードを持ちます。 訪問理由はルート上にあるから、という軽いものでしたが、アクセス容易なわりに遺構の残りは良く、良…
北畠氏詰城のあとは、もちろんその奥の詰城、霧山城へ。 居館跡からほど近かった北畠氏詰城とは異なり、山奥深くに位置する、まさに戦時の詰城と言った様相の霧山城。 遠く高く登りましたが、疲れも吹き飛ばす素晴らしい遺構と、なにより良い雰囲気に出会え…
宇陀松山城から県境を越えて実は近くの続百名城 多気北畠氏居館跡へ今回は、その中でも北畠氏詰城を訪問です。 麓の居館の近くに築かれた詰城は規模こそ大きくありませんが、居館や城下町の跡を眺める眺望はおそらく当時のままで、当時の意図を感じられるよ…
宇陀松山城を回ったその足で、麓に残る遺構と城下町を散策です。 麓の門跡は、とても立派でスルーするのは惜しい施設。そして城下町は、宇陀千軒と呼ばれた名残を強く感じさせる魅力的な風景。 登りと下りを別ルートにして麓の散策をいれたのは正解でした。 …
奈良県宇陀市にある続百名城、宇陀松山城へ。 周囲には城下町も残り、恥ずかしながら存じ上げませんでしたが、城を中心とした観光地となっていました。地元では秋山城とも呼ばれ親しまれています。 まずはお城部分から。多少の登りはありますが、その分眺望…
岩村城散策、最後は岩村城下町を散策です。 1.3kmに渡って古い町並みが残る、重伝建指定地域の岩村城下町。かつての名家が立ち並び、レトロ看板など細かな見どころも良く残っていました。 見て楽しいのはもちろん、食べて楽しいスポットもたくさん、、、あっ…
岩村城訪問の記憶、後編です。 麓から登ってようやくたどり着いた六段壁から本丸へ。ここまでの素晴らしい遺構を越える壮大な石垣を見に行きますよ。 前編はこちら。 tmtmz.hatenablog.com お城:岩村城 岐阜県恵那市HP:http://onna-jyoushu.iwamura.jp/訪…
明知鉄道でたどり着いた岩村駅から、そのまま百名城の岩村城へ。日本一高い地にある城として、三大山城とも呼ばれます。 ただ、三大山城の箔がなかったとしても、その遺構だけで訪問する価値は大アリ。登りはなかなかしんどいですが、山中に残る素晴らしい石…
明知城散策に続いて、第三セクター明知鉄道で少し移動して岩村へ。 城好きなら訪問先のお城の目星もつくとは思いますが、今回は明知鉄道の乗車記です。 末端部分をかじっただけですが、レトロ、ローカルな良い雰囲気と頑張る3セクの心意気の一端を味わうこと…
明知城の遺構に触れたその足で、今度は麓の街並みを巡ります。遠山氏が治めた明智の町は、江戸時代から宿場町として栄えましたが、さらに花開いた大正期以降の建築物が多数残り、日本大正村として売り出しています。 そんな大正村ともちろん明知遠山家ゆかり…
引き続き、岐阜県恵那市の明知城へ。明知城でも特に著名な遺構の数々、貯水池や畝状空堀群を回っていきます。 思わず声が出るほどの遺構でした。すごい。 お城:明知城(白鷹城)岐阜県恵那市HP:明知城跡|観光スポット|岐阜県観光公式サイト 「岐阜の旅ガ…
岐阜県に二つある明智/明知城の内、恵那市の明知城へ。 明智光秀生誕の地とも言われていますが、それより印象的だったのはその遺構。どこを見ても素晴らしい遺構の数々でした。 まずは大手道を本丸へ向かいます。 お城:明知城(白鷹城)岐阜県恵那市HP:明…
前回に引き続き、田丸城を散策。大手道を進んでいきましたが搦手から一度出てしまったので笑、もう一度入って二の丸、本丸、天守台と中央部を順にみていきます。 非常に残りの良い遺構たちを見ていきますよ。 その1はこちら。 tmtmz.hatenablog.com お城:田…
三重県の続百名城めぐり、最後は田丸城へ。こちらもやはり北畠氏の城でしたが、その後は織田信雄の手が入って、さらに江戸時代まで使われていました。 始まりは町役場に中学校に、ではありますが、その奥には素晴らしい遺構が残ります。アウェー感にめげずに…