にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

明知城周辺散策 -日本大正村と明知遠山家ゆかりの地をまわる

明知城の遺構に触れたその足で、今度は麓の街並みを巡ります。
遠山氏が治めた明智の町は、江戸時代から宿場町として栄えましたが、さらに花開いた大正期以降の建築物が多数残り、日本大正村として売り出しています。

そんな大正村ともちろん明知遠山家ゆかりの地を回ります。

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日本大正村

場所は戻って明智駅前。ここにある日本大正村の広い駐車場からスタートです。
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この日本大正村、テーマパークに分類されてはいますが、入場料などはなく、町全体に残る大正レトロな雰囲気と有料施設を楽しむ施設となっています。
街歩き趣味にはうってつけ。

大正浪漫亭のレストランやお土産処も気になりますが、街並みから見ていきましょう。
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なんてことはない町並みに写る煉瓦造り風の建物や
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明らかに狙った映えスポットを見ながら最初の目的地へ。
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大正路地

こちらがその目的地、大正路地
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石畳の細い路地です。

最初、両脇には趣きある蔵が並びます。
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白と黒が美しい外壁ですが、羽目板は桟をいくつか外すとすぐに土壁となり防火壁としても働く優れものだそう。
地元の名士の蔵だけあって、そのあたりもぬかりない、のかな。

蔵を抜けると、淡い色が大正っぽい(気がする)モダンな洋風建築につながります。
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訪問時はちょうどひな祭りの時期でした。和洋折衷な感じも良いですね。

近くには大正の歯科医院もあります。
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案内はなかったと思いますが、一目で古い病院だろうと思える見た目です。
全体的な重厚感、軒下の装飾やバルコニーが良いですね。
トタンになっている正面屋根の部分には医院の名前が掲示されていたようで、それも見て見たかった。

大正路地の先にあるのが、こちらは木造の大正村役場
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元は明智町役場として使われていた洋館です。
建てられたのは明治39年、今は登録有形文化財に指定されています。
水色に青と、今見ても美しい外観です。

明治に建てられたなら明治村ではとも思ってしまいますが、細かいことはいいんです、きっと。そっちもそっちで面白いテーマパークですし。

近くにもまたモダンな洋館。こちらは絵画館となっています。
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こちらも明治10年に建てられたもので、小学校などとして使われていました。

さらに明知城方面へ進んで、大正ロマン
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大正村に4つある有料施設の一つ。
ここまでの建物とは違って広々とした敷地でテーマパークっぽさを感じるような。

ここまでくると明知城が目と鼻の先。
ということでそちらに目を奪われておりまして、、、入ってはおりません。

金幣社八王子神社

ここからは明知城を巡ったその足で、明知城主、遠山氏ゆかりの地を巡ります。
始めは、金幣社八王子神社から。
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こちらは949年創建の由緒正しい神社。長らく地域の中心的な神社でした。
武田氏の侵攻に伴い、焼失した後は、たびたび遠山氏により再建されてきました。

唐門は明知城の大手門を移築したとされます。
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いまの社殿は1676年、遠山伊次により造営されたもの。
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立派な社殿は岐阜県指定文化財に指定されています。

境内には柿本人麻呂を祀った、その名もずばり柿本人麻呂明智光秀手植えとされる楓があります。
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伝承によれば、光秀が、学問所には天神神社を、八王子神社には人麻呂を祀り、楓を植えたとされます。
天神神社は明知城近傍にあったそれ。期せずして両方回ってしまいました。

tmtmz.hatenablog.com

龍護寺

最後は明知遠山家の菩提寺龍護寺へ。立地は、八王子神社の裏手にあたります。

1596年に遠山利景が建立したこちらのお寺、境内は今も広く綺麗です。
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山門を抜けて
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本堂と庫裡
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本堂によってもう一枚
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改めて、立派かつ綺麗なお寺です。

ここまでは今も信仰が篤いであろうお寺、という印象だったんですが、所々変わったものもありました。

例えばこちらの、おそるべきおみくじ
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何がおそるべきなのでしょう。。。しかも箱の後ろに隠れるように置かれています。
おそるべき中身、確認しておけばよかった。。

こちらは入ってすぐにあったお地蔵様。
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その名も「おかげさま地蔵」
お地蔵様ですし、その通りなんですが、なんか変わってるなーと。
キャッチーな名前を付けるのがこちらの特徴なのでしょうか。

変わったネーミング以外にも、明知遠山氏ゆかりのお寺だけあって、その時代ゆかりのものもたくさんあります。

こちらは入り口脇にあった、明智光秀公御霊廟
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光秀に関する碑はその悲痛な思いで割れると言う通説通り割れている、と言うスピリチュアルな話も書かれていました。

最後は、明知遠山家累代の墓所です。
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初代から十代までの歴代明知遠山家当主、ならびに初代の父の11人の墓が並びます。
さらに、中央には累代の墓が建てられ、分家ではありますが、遠山の金さんこと景元も合祀されていると伝えられているそう。

大正村と明知遠山家関連スポットを中心に散策したら、明智駅へ帰ってきました。
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ここから明知鉄道に乗って、次の目的地へと向かいます。続きはまた次回。

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