三重県の続百名城めぐり、最後は田丸城へ。
こちらもやはり北畠氏の城でしたが、その後は織田信雄の手が入って、さらに江戸時代まで使われていました。
始まりは町役場に中学校に、ではありますが、その奥には素晴らしい遺構が残ります。
アウェー感にめげずにその先まで見に行きたいところ。
お城:田丸城 三重県玉城町
HP:田丸城跡|見どころ|玉城町
訪問日:2020年1月, 2023年3月
概要
1336年、北畠親房が南朝方の拠点として築いたとされます。
南北朝時代に争奪戦が繰り広げられたのち、北畠氏の居城となりました。
信長の伊勢侵攻の結果、北畠具教の養嗣子となった織田信雄が1575年に入城、三層の天守を持つ近世城郭へと改築しました。
1580年、天守が焼失、信雄も松ヶ島城へと移りました。
その後は、稲葉氏、藤堂氏を経て久野氏が入り、明治維新に至りました。
久野氏のもとの居城、久野城の訪問記はこちら。
訪問記
続百名城スタンプ・大手門・二の門
田丸城訪問は、多気北畠氏城館からでした。
三重県を南下して、最寄り駅のJR田丸駅からスタートです。
せっかくの駅近物件ですが、三重のJRは列車の本数が物足りません。。。
駅舎はレトロな良い雰囲気でしたが、耐震性の問題で2023年に建て替えが始まりました。
最後に見られてよかった。
駅から徒歩10分ほどで田丸城に到着。駅からのアクセスは良好です。
駐車場も十分。こちらの地図のPの場所に駐車場があります。
一番大きいのは、玉城町役場の駐車場でしょうか。
駐車場近くにあった絵図をもとに、全体像を確認です。かなり薄いですが、あまり良い縄張図が現地になく。。
山頂に本丸、二の丸、北の丸を南北に並べ、その下に三の丸などを持ちました。
三の丸やその下の曲輪は玉城中学校などになっていますが、本丸、二の丸、北の丸やその石垣は非常に良く残っています。
改めて、大手門の外から見ていきます。
大手門は改変されて直線になっていますが、外堀が残っています。
今も結構な幅。
堀の内側、大手門左手には、紀州藩同心屋敷や目付役所がありました。
今は町役場が建ちます。
右手にはスタンプのある村山龍平記念館。かつては代官所などがありました。
村山龍平さんは、田丸生まれの朝日新聞の創始者。
田丸城も、村山氏が払い下げを受けたうえで町に寄付した経緯があります。
そりゃ堀の内側に記念館が建っていても不思議ではないですね。
という訳で、記念館でスタンプを頂きます。
モデルは天守台。石垣は本当に魅力的でした。
二の門方面へ進みます。
町役場側から二の門方面を見上げると、石垣と内堀。
石垣も良いですが、二の門脇のこの場所にだけある内堀も気になります。
他が埋められたわけでもなく、当時からここだけだったよう。なぜ。
二の門
先ほどから見えている石垣ですが、傾斜も相まってかなりの高さ。威圧感があります。
抜けると三の丸。今は玉城中学校。
当時は二の丸方向への直進ルートもあったようですが、今は中学校の脇を進みます。
学生さんがいない時間でよかった笑
中学校の近くには、蓮池という池や
富士見門がありました。
三の丸から二の丸富士見台に向かう門で、移築されていたものを再度移したもの。
両側にあった侍溜は取り払われていますが田丸城では貴重な現存建築です。
ただ、通路脇にポツンとある今の状態では何かの小屋のよう。
もう少し門っぽいところにおいてあげても良いのに。
さらに進むと本丸虎口がありますが、越えて中学校のグラウンド脇へ。
若干気まずい場所に、三の丸井戸の石碑があります。
田丸城周辺は湿地帯で、井戸の水質には苦労したのだとか。
この金明水、銀明水は、当然城内の飲み水でしたが、近代には城下の生活用水にも使われた、と看板に書かれております。
改めて本丸虎口から最上段へ。
二の門同様に傾斜を持った虎口です。
石垣や土塁に囲まれてなかなか厳重。
発掘調査では、宝暦年間の絵図にないより古い時代のものと思われる石列や礎石も見つかったそう。宝暦以後の遺構は立体的に、以前の遺構は平面的に表示されています。
門と思しき平面の礎石や
石組の側溝も見つかったそうです。グレーチングが目立つここじゃなくて奥だったかも。
奧にも礎石
門に加えて石垣、石垣、石垣。
当時は見通せていなかったとはいえ、なかなかの威圧感だったのでしょう。
正面上は、本丸と天守台の石垣です。
このまま真っすぐ本丸へ、はさすがにつながらず、本丸と北の丸の間に到着。
となると、まずは北の丸から、ですね。
北の丸
最上段の曲輪は深い空堀を持っています。
石垣となっていてなかなか厳重。
最上部の堀にまで石垣が使われているあたり、当時の権威を感じます。
北の丸内部へ
今は城山稲荷が建ちます。
鳥居に圧を感じます。
北の丸周囲には土塁が残ります。
なかなかしっかりと残っています。
搦手へ
参拝し、一通り周囲を見下ろしたりしたら、本丸方面へ。
こちらは本丸の石垣。
なんだか重厚感を感じる石垣です。真っすぐ、だからでしょうか。
ここからは本丸に入らず周辺の曲輪を散策。私は真っすぐではないので笑
右手には北の丸とを切る堀、奥には櫓台か横矢掛けの石垣も見えています。
土と石垣が共存する感じが良い
西側斜面に到着。
こちらはなかなかの傾斜、かつたくさんの腰曲輪?帯曲輪?があります。
桜の木でしょうか。時期が来たらきれいでしょうね。
見上げると石垣。
櫓台でしょうか。やはり重厚感を感じる石垣です。
しばらく進んで本丸南面と二の丸との堀に到着。
こちらもしっかりと断ち切られています。二の丸の石垣は残念ながら崩れていました。
あるとないとでだいぶ印象が変わってしまいますね。
道なりに二の丸を回り込んで、南面へ
こちらには一部崩れているものの、高い石垣が残っております。
傾斜も相まってかなりの高さです。今までで一番高いんじゃないかな。良い。
そして反対側には搦手につながる虎口。
こちらはこちらで高い土塁で厳重です。ここだけみると中世城郭のような雰囲気。
何度か折れながら降りると
外堀へ
今は保育所が建ちますが、かつては船着き場があったとのこと。
船が入ってくるとすると近くの川を経由してきたのかな。
天守を見ずに出てしまいましたので、もう一度搦手から登ります。
続きはまた次回。二の丸、本丸内部へと向かいます。
付近のスポット
おなじ三重県の続100名城を。
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