前回に引き続き、田丸城を散策。
大手道を進んでいきましたが搦手から一度出てしまったので笑、もう一度入って二の丸、本丸、天守台と中央部を順にみていきます。
非常に残りの良い遺構たちを見ていきますよ。
その1はこちら。
お城:田丸城 三重県玉城町
HP:田丸城跡|見どころ|玉城町
訪問日:2020年1月, 2023年3月
訪問記
二の丸
前回最後に訪れた搦手口からスタートです。
この搦手口、住宅街の狭い道の突き当りに位置していて、今も完全に裏口なのですが、遠くからも見える立派な看板が立ちます。
隣を走るJR参宮線に向けたアピールなのでしょう。
本来は田丸城への来訪を呼びかける意図の看板だと思いますが、参宮線もなかなかのローカル線ですし、両者ともに少しでもお客さんが増えると良いですね。
改めて二の丸下の帯曲輪まで戻ってきました。
今は二の丸南に上がる階段がついていますが、当然ながら当時はありませんでした。
という訳で、二の丸の南東方までやってきました。
当時からの二の丸への入り口である二の丸虎口です。
登りつつ枡形となっていて、高さもあり、さすがは二の丸、やはり厳重です。
二の丸はいろいろな所で展望が紹介されています。
こちらは東側
それくらい眺望が良いということですが、それは当時からだったのかもしれません。
というのも、二の丸南東側にあったのが、富士見台
ここから富士が見えるというのは、かなりの遠望ですね。
本当に見えるのか気になりますが、曇り空では頑張る気にはなれませんでした笑
改めて二の丸全景
縄張図では北の丸よりやや小さい曲輪ですが、こうしてみるとそこそこの広さ。
北の丸とは違い、土塁などはありません。
右奥にかすかに見えるのが本丸とをつなぐ土橋。
足元には北の丸同様に石垣が使われ、最上段には細部へのこだわりを感じます。
土橋を渡って本丸へ向かいます。
本丸
こちらが本丸に2つある虎口のうち、二の丸側にあたる本丸門
こちらも枡形となっています。さすがに本丸の方が高くなっていますね。
あと、石が心なしか大きいような。
本丸へ
最上段の3つの曲輪の中でも一番広い本丸は、実際に見るとやはりかなりの広さです。
奥に見える天守台に目が行きますが、その前にもう一つの虎口、東側の本丸虎口へ。
写真では右手にかすかに写るものです。
外から、本丸虎口
大手門から道なりに、北の丸との分岐を本丸側に進むとここに着きます。
発掘調査で遺構が見つかった、17世紀に建てられたと思われる門を、足元の礎石で表示されています。
なかなか大きな石を使った石垣ですし、門も立派だったのでしょう。
石垣は全体には野面に見えますが、隅石の近くは切石です。
算木を意図しているような不完全なような。
正面からのぞむ虎口内部には鏡石のような巨石もありました。
と、素人の推測を書かせていただきました。この辺、どこかに解説あるのかな。
天守台
改めて本丸内部にもどり、天守台へ
本丸北端に位置する天守台。右手前には付櫓台も見えています。
2回目の訪問では何ら違和感ない姿でしたが、最初の訪問ではこんな姿に。
冬場のイルミネーションで模擬天守?が置かれていました。
ちょっとチープすぎる気もしますが、馴染みを持ってもらえるなら良いのかな。
なお、織田信雄時代は三層の天守が建てられていました。模擬天守?の方が小さいとは笑
信雄時代の天守は火災にあい、あったのは僅かな期間。
松ヶ島城に信雄は去ってしまいました。
その後、田丸氏、稲葉氏時代を経て再度天守が置かれていたようですが、その天守も江戸時代に風雨で倒壊したと記録されています。
穴蔵から天守へ
奧には石の階段も見えていますね。
右手前にも階段
登って天守台全景です。
広さはさほど、かな。
ただ、天守台からでも眺めが良い。天守からの眺めはもっとよかったでしょう。
やっぱり天守があった姿が気になります。
感想
満足度 4/5
三の丸は町役場や学校など、よくある跡地利用をされていますが、それでも外堀や二の門はよく残っています。二の丸から内部はもっと良く残っており、かなり面白い。
当時に思いを馳せるには十分な残り具合で、野面の石垣の武骨さや搦手の土づくりの虎口も含めて多様な遺構が残っており、良いと思わせるには十分でした。満足度高めです。
アクセス
田丸城