にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

続百名城 要害山城 (128・山梨県甲府市) 1/2 -武田信玄出生の地・主郭へ

武田家本拠の躑躅ヶ崎館、の詰城、要害山城

続百名城には本格的な山城も選ばれており、ここもそのひとつ
それなりに山を登ることになりました。

とはいえ、遺構を考えると登らないのはもったいない。
スタンプは駅前ですが、もう一声行きたいところです。

お城:要害山城(128)山梨県甲府市
HP:甲府市/要害山(ようがいさん)
訪問日:2022年2月
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概要

1519年、武田信虎甲府躑躅が崎館訪問記)に居館を移しました。
翌年、詰城として築いたのが要害山城です。

1521年、今川氏軍勢の甲斐侵攻を受けて、正室が要害山城に避難。城内で信玄を出産したとされます。

武田氏の滅亡後、徳川氏、後に豊臣氏の所領となり、修築、再整備されました。
関ケ原の戦い後、甲府城訪問記)が築かれると廃城となりました。

訪問記

スタンプ@甲府駅前 藤村記念館

要害山城は躑躅が崎館(武田氏館跡)の詰城。もちろん近傍の要害山山中にあります。
が、スタンプは全く違う甲府駅前の藤村記念館に。

登山後は訪問する元気がなくなりそうなので、事前にゲットしておきました。
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綺麗な近代建築の博物館は明治期の旧睦沢学校校舎を再利用したもの。

この日は休館日でしたが入口にスタンプを押した紙は置いてあります。
春日山城と同じ方式ですね。紙をスタンプ帳に貼り忘れて危うく無くしかけたのはここだけの秘密。
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モデルは要害山ふもとの積翠寺と主郭の信玄公誕生の碑。おいおい回っていきます。

甲府駅前で武田信虎
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甲府城山手御門稲荷櫓をチラ見したら
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登山口へ。

山手御門の記事はこちら

tmtmz.hatenablog.com

登山口~諏訪の水

登山口の駐車場へは車で15分の距離。
甲府駅からバスもありますが、1日3本と僅少です。。

こちらが登山口の駐車場。
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看板もありませんが、Googleマップを信じてお借りしました。

登山を覚悟してちゃんとした靴とクマ鈴を初めてセットしたら登山口へ。
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入口の縄張図をお借りして全体像を確認。
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尾根伝いに東西に真っすぐ広がる連郭式の縄張りを持ちます。
図にも描かれる曲輪跡と堀、枡形、門跡などが見どころです。

熊城も遺構が良いらしく心惹かれますが、訪問難度が高そうで今回はスルー。
いずれ行けるようになるかな。

ちなみに、この縄張図は途中の見所が描かれず、縄張図素人には少し読解が辛い仕様。
甲府市HPのもう少しだけ詳しい縄張図も見ながら散策しました。
甲府市/要害山(ようがいさん)
本当に少しだけですが笑

準備を整えたら登山開始。
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急勾配でもなくよく整備されて程よいハイキングくらい。
早速の石積みはさすがに後世のものかな、とか

ちょいちょいある平場は曲輪じゃないよな、とか考えながら
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登ること5分で史跡境界の印
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ここから国史跡の指定区域。見落としなく進みたいところ。

道端に石積みがでてきました。f:id:tmtmz:20220202195553j:image
足元もよく、気になるものもあって長さを感じず登れます。

と思っていましたが、さらに歩くこと約10分。
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変わらない景色にそろそろ不安を覚えてきました笑

というところで、ようやく最初の看板。竪堀です。
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ただ、肉眼でもよく分かりませんでした。この時は冬だったんですけどねぇ。

すぐ先、正面にこちらは明確な土塁竪堀
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のこのこ登ってきたら真正面から攻撃を受けることになるのでしょう。
竪堀含めてここから山裾へは回り込ませまいという作り。

道も素直に折れ曲がって進みます。つづら折れを歩くことさらに5分。

門跡が見えてきました。
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要害山城はたくさんの門跡が出てきますが、いずれもかなりしっかりしています。
本拠地の詰城だけあって守りが本当に厳重です。

この門跡は山中の尾根に明確な枡形虎口
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まるで平城かと見紛うまばりの枡形。山上にさぞ立派な門があったことでしょう。

越えると道端に小曲輪がたくさん現れ始めます。
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代表的なものを一つ。どう使われていたんでしょうか。

少し奥にも曲輪。こちらは広く、不動曲輪と呼ばれています。
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突き当たりですし、小曲輪たちとは使われ方が違ったんでしょう。

不動曲輪の由来は江戸時代後期に置かれた武田不動尊と考えられています。
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現役当時はどう呼ばれていたのかな。

脇には古そうなカルピスソーダも。
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こういうものもなんだか惹かれてしまうのです。

諏訪の水~主郭西側の門

ここまでは一本道でしたが、この先ルートが分岐します。

まずは脇道から。
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こちらも小曲輪をわき目に進むと

井戸を持つ曲輪に到着。
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祠を持つ雰囲気のある井戸は諏訪の水。枯れたことが無いのだとか。
かつても同様に拝みながら水を汲んでいたのかもしれませんね。

メインルートに戻ると、すぐにまた門跡 

この門は先ほどにもましてしっかりしています。
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やはり綺麗な枡形虎口。さらに両側に石垣。一層防御性を上げています。

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左手の古い石垣はよく残っています。

裏から見ると土塁の高さもはっきり。
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山中で石垣も使ってここまで高くするとは。絶対越えさせない強い意志を感じます。

枡形虎口を超えるとまた曲輪f:id:tmtmz:20220202194641j:image
ここから主郭方面の曲輪はこれまでと比べて大規模で毛色が違います。
だから門も厳重だったのかな。

上の写真では正面上部に次の曲輪が見えますが、ルートは横
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ここまでクランクも枡形も駆使して来た道は、そりゃ真っ直ぐは行かないですよね

次の
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ここは枡形ではありませんが、高い土塁で厳重に守られています。

越えて次の曲輪
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用途は分かりませんが、こちらもなかなか広い

まっすぐ進んで次の門
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先ほどと似ていますが違う門ですよ

からの広い曲輪
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そしてまっすぐ進んでまた門
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ここまでグネグネ来ていたのに、突然ルートは直線に。
同じような門と曲輪が繰り返す不思議な配置に意図も感じますが、なんでしょうかね。

越えると、今度は曲がって雰囲気の異なる門にでます。
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石垣も残り、土塁もひときわ高く、またここから雰囲気が変わりそうな予感。
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内部では今も威圧感を感じます。

となると抜けた先はそろそろ主郭?

と思いましたが、さほど広くもなく。
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さすがの規模感。焦らしますね笑

また門を抜けて
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また小さめの曲輪を抜けて
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石垣の残る高い門に到着。
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背景から察されるように、こちらがようやく山頂。
主郭西側大手にあたる門です。

ここまでのんびり登って1時間。
草むらからガサガサ登場したリスに本気でビビりつつも(笑)良い運動になりました。

ここからまた次回。主郭と搦手方面、さらに麓の積翠寺を散策します。

躑躅が崎館(武田氏館)の訪問記はこちらから

tmtmz.hatenablog.com

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長浜城 (静岡県沼津市) -櫓から臨むは三枚橋城か富士山か 北条水軍の本拠地へ

伊豆半島の付け根、駿河湾沿いにある長浜城へ。

長浜城で調べると滋賀の長浜城がよくヒットしますが、こちらも負けないくらい面白いんじゃないかな。
よく整備されて、小さい中に北条家の築城意図が詰まっている気がしました。

滋賀の長浜城はまだ行ったこと無いんですけどね。

お城:長浜城 静岡県沼津市
HP:長浜城跡(ながはまじょうあと)/沼津市
訪問日:2022年1月

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概要

15世紀後半ごろに築城されたと推定されます。

1579年、武田信玄今の沼津市三枚橋城を築いたことを受けて北条氏は国境を守る城を築城。海からの上陸ルートを抑えるべく長浜城を整備しました。
翌年から両家の間で海戦が起こっています。

豊臣秀吉の小田原攻めにおいても長浜城に守備隊が置かれました。
詳細は不明ですが、韮山城山中城の落城を受けて廃城となったと考えられています。

昭和期の調査の結果、1988年に国史跡指定を受け、2015年に史跡公園としてオープンしました。

訪問記

第四曲輪~櫓~第一曲輪

車で伊豆半島の根元にある長浜城へ。
有名な伊豆三津シーパラダイスから数分、至近距離と少し驚きの立地にあります。

駐車場は城の麓、みとしー側にあります。

見た目は漁港の駐車場で入り口には立ち入り禁止の柵。
これにも驚いて通り過ぎてしまいました笑

よく見ると看板が出ていて柵は間が開いていました。普通に入ればよかったとは。

すったもんだの訪問に最初から達成感も一入です笑

散策開始前に駐車場脇の立派な説明板を見ていきます。
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予備知識なしでも問題なしの整備具合。さすがは最近整備された史跡公園です。

立体的な縄張図もありました。
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高さは強調されているそうですが、高低の位置関係が分かりやすい。

長浜城は、尾根に沿って並ぶ四つの曲輪、それぞれ陸側に土塁を持ちます。
さらに第一曲輪から岬先端へ並ぶ四つの曲輪麓の田久留和と数多の曲輪を持ちます。

これでも一部略されていて、実際にはさらに多くの曲輪が並びます。
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こちらは第四曲輪にあった縄張図。小さな曲輪まで描かれています。

模型にない曲輪は見られていませんが、最高部の第一、第二曲輪が復元整備もされていて、主な見どころでしょう。

予備知識を入れたら城へ。
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山の上に向けて、ひたすら階段を上ります。

付近は今でも港として使われています。
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分かりやすい港のおさえの立地です。
この手前が駐車場なんですが、漁業関係者用にしか思えないですよね。。

登りきると第四曲輪と第三曲輪を切る堀に到着。
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左手階段を上って第四曲輪へ。
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これでほぼ全景。小さな曲輪には土塁が残ります。

かつてはより高く広い土塁だったそうで、狭さの割に土塁が大きいことが特徴でした。
第一曲輪につながる尾根端に位置する防御最前線の守りを示すのでしょうか。

向かいの第三曲輪方面へ。
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この先、数字が若い曲輪に近づくほど高い立地になっていきます。

第三曲輪への通路は、第二、第三曲輪間の堀切を通る虎口。
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正面は第二曲輪の土塁、右手上は第三曲輪の土塁。

進んだところに3つの柱穴が確認されています。
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左二つ第二、第三曲輪をつなぐ跳ね橋の、手前二つ門の柱穴で、跳ね橋→門の順に改築され、どの時代も重要な入り口であったと考えられています。
土塁の高さも含めて重要さを物語っている気がします。

まずは右手の第三曲輪
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祠が立ち、周辺の高まりが土塁に見えますが、これは祠建造時に削られた残り。

高まりの上がかつての地盤で
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その周りに少し残るのが当時の土塁です。
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土塁は先ほど通った大手口を見下ろしていて、横矢をかけられるようになっています。
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木で隠れすぎですが、雰囲気は分かるかな

先ほどの虎口も見下ろしておきましょう。
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やはり数字の若い曲輪の方が高い立地です。

その第二曲輪
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奧から振り返ってもう一枚
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今までの曲輪よりずっと広く、長浜城でも一番の広さ。
やはり陸側に土塁が設けられています。先ほどの虎口側は特に高く作られていました。

土塁に登って守備隊の気持ちにもなれます。
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登ってくる敵を討ってくださいと言わんばかりの配置。攻めあがりたくはないな。

第二曲輪中央には、たくさんの柱穴から推定された建物跡が展示されています。
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建物の役割は分からないそうですが、城中心部の曲輪ですし、重要な建物が建てられていたのでしょう。

第一曲輪との境には畝堀も。

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この堀は竪堀からつながっていて、そこに畝が入れられています。
北条家名物の畝堀の流れでしょうかね。

第一曲輪との境にはも復元されています。
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存在感ある櫓は珍しいことに第一曲輪との通路も兼ねていたと推定されています。
柱穴や岩盤上という場所、ここの見晴らしと、第一曲輪の登り口がここしかないことがその理由。

機能性と存在感を兼ね備えた櫓、自分が城兵だったら身内に自慢しそうですし笑、説明板通り城の象徴という雰囲気があります。

そんな櫓を建てる価値のある眺めを見てみましょう。

まずは第二曲輪と夕焼けの富士山。
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絶景。良い時間、良い天気の日に来ました。

櫓上からもう一枚
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今も見える沼津市街地に武田軍の三枚橋城がありました。
ここに櫓を置きたくなる気持ちが分かります。

そのまま櫓を抜けて第一曲輪
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長浜城で一番高い曲輪。やはり陸側に土塁が設けてあります。

柱穴も見つかっていて、門と塀で囲われた空間があったと考えられています。
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解説の通り、ここに重要ポジションの人物が陣取っていたのだろうと思えます。

第一曲輪からも富士山と沼津市街、三枚橋城を見ておきましょう。
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街並みは発展していても全体像は当時とそう変わらないはず。
ここに立って部隊の動かし方を議論していたのかもしれません。

腰曲輪~田久留和

この第一曲輪から海側に伸びる岬にも曲輪が置かれています。
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海の方向へ真っすぐ伸びる腰曲輪たち。
柱穴は見つかっていますが、出土品が少なく曲輪の性格までは分かっていないそう。

腰曲輪B
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腰曲輪C
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腰曲輪Dはよく分からず、そのまま海に出ました。
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曲輪の規模感を見ても配置を見ても、海側への防御のための曲輪だったのでしょう。

海から上がった部隊目線ではこんな感じ
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こんなに丸腰で見ることはないでしょうが、櫓までの道のりは遠いです。。

田久留輪・安宅船模型

最後は陸側、今の重須ガイダンス施設へと降りましょう。

道中、第一曲輪の下あたりには古そうな石垣もありました。
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案内の丁寧な長浜城では珍しくこちらは説明なし。いつのものなのでしょう。

最後、重須側に置かれた田久留輪を俯瞰します。
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今は安宅船の置かれたガイダンス施設となっています。
こちら側の入江には軍船を係留していたとされており、それを踏まえての展示です。
埋め立てが進んで分かりにくいですが、かつてはもっと深い入江となっていたそう。

改めて下から安宅船を。
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大きいですよね。これが原寸大。漕ぎ手50人と戦闘員50人が乗り込んでいたとか。
海上の城とも呼ばれるわけです。

近くからは堤防と思しき石垣も検出されており、レプリカが展示されています。
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船は武田軍から見えない場所に係留していたんだろうな、と思わせてくれる遺構です。

最後まで見どころたくさんの長浜城の散策終了です。

感想

満足度 5/5

百名城、続百名城に選出されていない城の中ではトップクラスに面白い城跡でした。
規模は小さいですが、岬の小山の尾根に曲輪を置き、堀、土塁で陸側、海側ともに防御を意識し、敵陣の攻撃に向けて偵察や軍船も置く意図がよく分かりました。

最近整備されただけあって案内もばっちり。おかげで理解もとてもよく進みました。
櫓や柱穴も整備されて、富士山ビューまであって、お城にそこまで興味がない人を連れても十分に楽しめると思います。実際、珍しいくらい観光客が多かった。

みとしーで家族サービスの後に訪問、、、はさすがに厳しいかな。

アクセス

長浜城

狩野城 (静岡県伊豆市) -絵師 狩野派の発祥の地

伊豆半島の真ん中あたり、伊豆市狩野城へ。

伊豆市にあった狩野荘を本拠とした狩野氏の狩野城。
この狩野氏は有名な絵師の狩野派につながる系譜ともされています。

まぁ当たり前ですが城跡には大きな看板以外に絵師の痕跡はありませんので、絵に造詣が無くても大丈夫です。
その分(?)整備された遺構が残っていて見どころアリ。
絵師の名を借りなくても有名になってよいお城です。

お城:狩野城 静岡県伊豆市
HP:伊豆市 観光情報 特設サイト
訪問日:2022年1月

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概要

平安時代末期に狩野氏によって築かれました。

1180年、時の城主、狩野茂光は子の親光とともに源頼朝の下で石橋山の戦いに参戦、自刃します。その際、狩野城も落城しました。

狩野城は再興されますが、1493年からの北条早雲(伊勢宗瑞)の伊豆侵攻により攻略されました。
その後、狩野氏は後北条氏に従います。

なお、狩野氏第16代の狩野正信絵師狩野派の祖とされます。他にも説はあるようですが。

訪問記

伊豆半島の真ん中あたり、修善寺を通り過ぎたあたりの狩野城

Google mapに従い、伊豆半島の中央を貫く国道414号から脇道に折れてすぐ駐車場。
交差点には看板完備、わき道も道幅十分の良いアクセスで到着です。
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それなりに広い駐車場にも看板しっかり

駐車場には案内板もばっちり
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むしろ細かすぎるぐらいの立派さです。
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パンフ箱
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は空でしたが笑

さて、現地案内板の縄張り図をお借りして歩き方を確認です。
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この図の遊歩道を左回りに見ていきます。
赤い遺構が点在しているように書かれていますが、実際には一番左下の出丸はよく分からず、中郭〜西郭が中心で、図の通り、小さな曲輪が点在する縄張りでした。

散策開始
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緩やかに登るハイキングコースと言った整備具合。

最初の分岐をスルーして、左回りコースへ向かいます。
分岐や分かれ道は多いですが、道標が置いてあります。
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とはいえ、縄張り図との照合はちょっと骨が折れました。
デフォルメされているのと、10分歩いても遺構が見えず、不安になるんですよね

こんな平場も曲輪に見えてきたり(笑)
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実際には曲輪には看板がしっかりと整備されていました。焦る必要なかった。
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こちらは出丸

それなりに広い曲輪ですが、周りとの標高差も小さく、見晴らしもきかず。
半分自然地形にも見えてしまう曲輪でした。

中心部側には虎口も残っているので、間違いなく遺構ではあるのですが。
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出丸という名前にふさわしく少し離れているところにもちょっと不安になりながら先へ
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少し歩いて次の曲輪は、東郭。登って入ります。
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こちらが東郭
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普通の曲輪のように見えますが、実はU字型の土塁を持つ曲輪でした。
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縄張図にも小さく描かれている通りの形。
ようやく見えた明確な遺構にテンションが上がります。

今いる場所が城の中心部寄りということを思うと、私のような出丸側からの敵を隠れて上から迎え撃つ曲輪、土塁だったのかな。
奧からの敵を迎え撃つような土塁にも見えますが、奥に道はありませんし。

先ほど登ってきた方面は中郭との堀にもなっています。
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結構しっかりと深い堀です。やっと城域に入った感じ。

登って中郭
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細長い曲輪は狩野城で一番広いものでした。南、西と

北に明確な土塁が残ります。
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土塁上の石碑は旧字が読めませんでしたが、狩野茂光公関連の何かの址
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隣のかなり老朽化した建物は題目堂というお堂。武将の霊を祀っているそうです。

南西の土塁を登ると
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上には南郭という看板。
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さほど広くはありませんが、見晴らしもよさそうですし、物見台か櫓台だったのかな。
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ネット上にはこの曲輪の南にもいくつか曲輪があるという情報がありますが、現地ではルートが分からず。

下りて戻って先へ向かいます。
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土塁上からの方が中郭全景はよく分かりますね。
広いと言ってもとても広いわけではなく、ほかの曲輪が一層狭いだけといったところ。
古い時代の城跡だからでしょうかね。

次の本郭へも深い堀を通って向かいます。
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なかなか深くて良い。

こっちは縄張図にあった水の手方面だったかな。
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そして本郭へ到着
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虎口のある北側と西側に土塁が残り、本郭の看板も立ちますが、明らかに中郭より小さく余裕で一望できる規模

看板から振り返って北側虎口方面を一枚
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今通路となっているところからの比高も小さくて防御が固いようにも思えず、本当にここが狩野城の中心だったのかは、少し気になるところ。
中郭が中心な気がしてしまうのは、大きい所が中心に見える素人発想なのかなぁ。

先へ。

西郭との間には二重堀切があります。
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かなり浅くなってはいますが、それでもはっきりと分かる二重堀切。良い。

期せずして後に行くほど面白い遺構が出てくるルートになりました。
そしてこれを見ると先ほどの本郭が大切に守られているように思えるから不思議笑

二重堀の東側堀底から一枚。
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こうしてみると意外と中央部分も高く見えるもの。やっぱり堀の写真は難しい。

上がったところは西郭
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こちらもやはり小さめ。東、本、西郭は同じくらいの小ささですね。

西郭は東側も深い堀切で切られています。
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これは深い。最後が一番深いかも。

最初の出丸側と比べると高い守りへの意識が伺えます。
城のこちら側が大事だったのか、地形上の問題ゆえか。次から地形図も読み込むようにしようかな。

抜けた先には広い平場がありますが、土塁などはなし。
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先ほどの堀切までが遺構が残る区域でしょうね。

最後は遊歩道を通って最初の駐車場に帰ります。
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こちらは行き道と比べて落ち葉が多めですが、まあ歩ける道でした。
最後に良い遺構が見られた補正もあるでしょう。良い気分で無事帰還です。

感想

満足度 3/5

最初はなかなか遺構が見つけられず、ルートを追うのも大変でどうなることかと思いましたが、進むにつれて郭や土塁、二重堀など明確な遺構が現れて楽しい城めぐりとなりました。
焦らずのんびり歩くことがコツですね。

パンフレットも見たかったなぁ。

アクセス

狩野城

坂本城 (滋賀県大津市) -琵琶湖に沈んだ幻の石垣を探して

関西遠征最後は滋賀県坂本城へ。
2021年冬に話題になっていたあの石垣を見に行きます。

一列に並んだ石列は少しでも、あると無いとで大違い。
今につながる大きな手掛かり、良いものでした。

お城:坂本城 滋賀県大津市
HP:坂本城址 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!
訪問日:2021年12月

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概要

1571年、比叡山焼き討ちの後、織田信長の命を受けて明智光秀が築城しました。
安土城と並び称される壮大な城郭でした。

本能寺の変の後、山崎の戦いで敗れた明智光秀坂本城に戻る道中で命を落とします。
安土城にいた明智秀満はその報を聞き、坂本城に入城。
堀秀政に包囲され、城に火を放って自刃しました。

その後、丹羽長秀が城を再建。杉原家次、浅野長政が城主となります。
長政時代の1586年頃、大津城に移転。資材を移し、廃城となりました。

訪問記

関西城めぐり最後のスタート地点は、さらに飛んで滋賀県比叡山坂本駅

こんなブログを見に来られる方はお察しかもしれませんが、お目当ては石垣です。
2021年冬は琵琶湖の水位が記録的に下がり、湖面に現れていたのです。

というわけで、比叡山坂本駅から比叡山方面の観光地には目もくれず琵琶湖岸の坂本城へ向かいます。

明智

駅から歩くこと20分、何の変哲もない住宅街で最初に通りかかった関連史跡は明智
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坂本城落城の際に、光秀の脇差や宝物を埋めた場所とされます。

由緒もなかなかですが、地主さんが個人的に管理されていることもなかなか驚き。
綺麗に管理頂いて、案内まで立てていただいてありがとうございますです。

湖に残る石垣

明智塚で良い感じに雰囲気を作って、いざ石垣へ。

お目当ての石垣は道路から脇へ逸れた湖岸にあります。

明智塚から県道558号線を南下、ガソリンスタンドや企業の事務所を過ぎたところ。
大きな看板の足元の、お手製感ある小さな看板が目印です。
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このあぜ道を進むわけですね。
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入口は心細い感じですが、中はしっかりと踏み固められた道
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左折先は先が見通せず一層不安ですが子供向けひまわり迷路のような道を抜けると到着。
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こちらがその石垣跡
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湖岸の石と比べて明らかにおおきな石が湖に向かって真っすぐ並びます。
これが石垣の根石。

この日の水位は-45cmくらい(だったかな)。それでこのような見た目でした。
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写真では縦に4つですが、現地では左に向かう石列も少し見えていました。
水も綺麗で現地だとよく分かるのですが、写真では水面下は見えませんね。ぜひ次の機会に現地で(笑)
胴木も残るそうですが、そちらはさすがに肉眼でも見えませんでした。

報道直後は人も多かったらしく規制線も張られていましたが、この日は私だけ。
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話題になったころはさらに20cm以上水位が下がっていましたから、その時と比べたら全然見えていないんでしょうけど、それでも根石の角がはっきり。
ここまで歩いてきた住宅街か畑にほぼ遺構がないこととの対比もあって、本当にここに城があったんだという感慨を一層得られます。
たった数個の石でも思うところはあるものです。

この石垣のある敷地をお持ちの事業所正門には、本丸あとの石碑も置かれています。
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テカってよく見えませんが(笑)、目印の一つとして。
あぜ道の入口とは少し離れていますので要注意です。

坂本城址公園

引き続き、坂本城の石垣からさらに南に進んだところの坂本城址公園へ。
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立派な石碑とそこそこの駐車場。車で来られる方はここを使ってもよさそうですね。
訪問時は混雑避けで利用禁止になっていましたが、さすがにもう収まったのでは。

ここからだと石垣のある曲がり角の経路図まで完備です。
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きっと周りのあぜ道に入っちゃう人がいたんだろうなぁ。気を付けます。

公園には、古くからの浜があったり、
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坂本城を全力で推す掲示板、
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坂本城跡の案内板があります。
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が、これを見ていただいても分かる通り、実はここ(赤丸)は坂本城の外。
坂本城の跡地は住宅街化していてほぼ遺構はありません。残念。

デフォルメ強めの明智光秀像もいますが、
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城巡りを忘れて琵琶湖を眺めてのんびりする公園、と言ったところでしょうか。
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海と言われても信じそうなさすがの景色。ぼーっといくらでも見ていられます。

最後は、比叡山坂本駅までなるべく城域を通りながら戻りましょう。

坂本城址公園からすぐの場所にあるのが、東南寺
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延暦寺から見て南東にあるから東南寺。
お寺には深い伝統があり、さらに坂本城とのつながりも。
中には坂本城落城時に戦死した兵を弔う首塚も置かれています。

ただ、この日は入れず。その日に一目見ておきたかったところです。

最後は、二の丸跡に設けられた城址
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こちらは公園とは違ってかつての城域と推測される場所に置かれています。
と言っても、やっぱり周りの雰囲気からすると城址碑というより一里塚か何かかと思ってしまう環境。
水路や道路はかつての名残かと思うところもありますが、今一つ自信を持ちきれず。
すごすごと駅へと退散です。

感想

満足度 3/5

遺構はほぼ無いので点数も付けられませんが、石列ははっきりと残っており、ここに城があったことをしっかりと伝えてくれます。
一列だけの遺構ですが、静かに過去に思いを馳せることができました。

良い機会に見に行くことができて良かった。

アクセス

坂本城

百名城 明石城 (58・兵庫県明石市) 2/2-三重櫓が残る本丸へ

明石城訪問2回目は本丸へ。

石垣と櫓にばかり目が行くところですが、本丸手前の深い空堀や櫓台など随所に想像力を刺激してくれます。
最後には美味しい明石焼きも食べて、大満足の訪問でした。

お城:明石城(58)兵庫県明石市
HP:明石城 公式ウェブサイト
訪問日:2021年12月

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訪問記

本丸

改めて二ノ丸最西部に帰ってきました。
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ここから中央下(西)の本丸、稲荷曲輪を見ていきます。

始まりは本丸とをつなぐ土橋から。
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どうしても辰巳櫓に目が行きますが、
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足元の堀切もなかなかなもの
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石垣がふんだんな平山城ですが、土橋に堀とこの辺りはかなり山城的。
まだまだ戦国期の築城思想も残していたのかな

北面も見ておきましょう。
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良く残る石垣を見ていると、あのへんが艮櫓かなとか、妄想もはかどります。
ただ右の高い石垣には櫓はありませんでした。素人目には櫓台に見えますが、難しい。

本丸枡形虎口。当時は番の門が置かれていました。
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写真では窮屈でサイズ感小さめに見えるかもしれませんが、結構な高さの石垣でした。
さすがは本丸虎口です。

本丸内部へ。

築城当時は御殿と、四隅に三重櫓が置かれました。
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今は御殿はなく中央は自然豊かな森林。四隅の三重櫓のうち、二基が目玉の公園です。

というわけでようやく巽櫓
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本丸側には窓がなくちょっとのっぺりした印象。三ノ丸側からの姿がベストかな。

明石城の前身となった船上城の遺材が使われたと言われます。
偶数月の土日に開放されるそうですが、この日は平日。。。

そのまま南西隅の坤櫓
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坤櫓は本丸向きにも窓があってこちらから見ても美しい。

そして、下から見上げた姿はもっと美しい。
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巽櫓より一回り大きいこちらが天守の代わりだったという推測がよく分かる美しい姿
伏見城の遺材が使われたとも言われます。

奇数月に開放されるそうですが、この日は12月。。。

両櫓の間に復元された土塀には足場もあって、
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巽櫓と明石海峡大橋明石市街を一望できます。
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これはいいビュースポット。足場ありがとうございます。

ここまで見てきた三重櫓は、日本に12基しかない現存三重櫓の二つ。
現存12天守と同じ数の貴重なものですが、そこまで有名ではないような。
明石城でも特に説明はないですし。
もうちょっと丁重に扱っても良いような気がするのは私だけでしょうか。

さて、もう一度本丸西側へ。坤櫓の北隣には天守があります。
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天守の設けられなかった明石城ですが、大きな天守台は置かれていました。
本丸西に張り出していて、このあたりからも西側を意識していたことが窺い知れます。

広い天守台は五重の天守が建てられる規模だそうで。
四隅の櫓と全て揃ったらさぞ圧巻だったでしょう。
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残り二つの三重櫓は今は解体されていて、跡が残されています。

北東の艮(うしとら)櫓跡
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艮櫓は明治初期に解体され、資材は学校建築に回されました。
何の変哲もない場所に見えますが、礎石が残っているそうで、明石城には珍しく解説や展示用の礎石が置かれていました。

北西、乾櫓跡
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乾櫓も明治期に解体され、巽、坤両櫓の資材に回されました。
今は説明もなし。艮櫓と違ってかわいそうな扱いだったので写真2枚載せました。

本丸最後は、北側の埋見門跡から抜けます。
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二ノ丸南側と同様にこちらも坂虎口

本丸北側の石垣を見ながら降りると
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稲荷曲輪の北側の虎口、万の門に繋がります。
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ここが明石城中心部の搦手にあたります。

抜けると桜堀と本丸北面の石垣
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広い池に高い石垣と、防御正面でないもののこちらへの守りもしっかりしています。

この先は北ノ丸につながりますが今は公園。折り返して稲荷曲輪へ向かいます。
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ここから見上げるは本丸石垣
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この写真奥に見えるのが、

上からも眺めた大きな大きな天守
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下から見てもその大きさに圧倒されます。

南側虎口のあたりで坤櫓と一枚。
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良いですね~

稲荷曲輪内部を見ていきましょう。
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二基の櫓が置かれた曲輪も今は公園として整備されていて

西側には櫓台が残されています。正の櫓跡
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西国に向けた西側曲輪の最西端の櫓ですし、物見的な役割もあったのかな。

最後は、山里曲輪から稲荷曲輪の石垣を見上げます。
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阪神大震災からの積み直しもあって保たれている美しい石垣を堪能したら、明石城散策終了です。

おまけ・明石公園で明石焼き

明石城に来たからにはぜひ食べたい明石焼き(地元では玉子焼き)
お出汁と柔らかい生地、こりこりのタコが本当に絶品。個人的にはたこ焼きより美味しいんじゃないかというくらい。

そんな明石焼き明石城から線路を挟んで反対側にある明石市民の台所、魚の棚商店街でいくらでも選んで買うことができます。
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とても元気な駅前の商店街。魚介類や明石焼き以外にも買いたくなるものがたくさん。
明石城築城と合わせて、宮本武蔵がここの街割りにもかかわっていたのだとか。

今回の明石焼きはどのお店で買ったか忘れてしまいましたが、並んでいたのできっと人気店でしょう。
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明石焼き

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タコ飯をテイクアウト。

やっぱりはずれの無い味でした。明石城訪問の際には是非。

感想

満足度 3.5/5

兵庫県民の子供心に明石にはまったく城の印象がなく。姫路城の印象が強すぎたんでしょうか。ちゃんと訪問してみると大層立派な遺構で。満足度はかなり高いです。

二基の櫓はとても美しいですし、駅近ですし、明石観光で明石焼きを食べるついででも少し足を延ばす価値はあるでしょう。

ちょっと解説がなさすぎるところは、知識不足のにわかな城好きとしては残念。
まぁ周辺情報を頭に入れてから行けばよいのですが。

アクセス

明石城

  • アクセス
    電車・バス:JR神戸線、または山陽電鉄本線 明石駅から徒歩5分
    車:第二神明道路 大蔵谷ICから約10分
             または玉津ICから約15分
    有料駐車場あり
  • スタンプ・開館時間
    明石公園サービスセンター受付窓口
    開館時間:8:45~17:00(月初日は9:00~)
     休館日:年末年始
     入城料:無料
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    ~1時間
  • 付近のスポット
    百名城関連だと姫路城、赤穂城、洲本城や大阪城が近くです。

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百名城 明石城 (58・兵庫県明石市) 1/2-三重櫓を三ノ丸から見上げる

関西城めぐりその3は少し飛んで兵庫県明石城へ。

元地元民としては、明石といえばタコ、鯛、明石海峡大橋、子午線が先に浮かんでしまいますが、駅からも見える三重櫓は貴重な現存櫓でそれはそれは立派でした。
もっと推していいような。実はもう推しているのかな

お城:明石城(58)兵庫県明石市
HP:明石城 公式ウェブサイト
訪問日:2021年12月

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概要

1617年、時の松本城主、小笠原忠真が明石に入ります。
翌18年、徳川秀忠より命を受け、西国監視のために築城開始。1620年に完成しました。

本丸には天守台も築かれたものの天守は建てられず、四隅に三重櫓が設けられました。

その後、60年ほどの間、城主は頻繁に交代しますが、越前松平家より移った松平直明の後は松平氏の居城となりました。

廃城令を受けて廃城、本丸に2基の櫓を残して明石公園として整備されています。

訪問記

関西遠征3城目は兵庫県明石城へ。

明石と言えば、の明石海峡大橋
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日本標準時子午線の通る天文科学館を車窓から眺めながら
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明石駅
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明石城は道路を挟んですぐ堀が始まる極端な駅近物件
駅ホームから本丸の三重櫓を見ることができます。
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こんな景色を見ながら通勤通学したいものです。毎日見てればなにも思わなくなるかな。

駅を出て道路一本渡ったところ。大きな中堀からスタート
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写真だと池にも見える広い堀の向こうは三の丸。
左手に写る土橋が大手道、太鼓門につながる道となります。
元は土橋ではありませんでしたが、公園整備で埋め立てられました。

中堀東西には不明門があり今も出入り口となっていますが、せっかくなので大手から向かいましょう。

明石公園の正面玄関ともなっている太鼓門枡形
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枡形越しに見える二基の三重櫓と土塀が美しい。。。

かつては高麗門と櫓門からなる太鼓門が置かれていました。
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立派な枡形を通り抜けて城内へ向かいましょう。

散策前に案内板をお借りして全体像を確認です。
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公園が広すぎて字が小さいですが、中央に東西(看板では上下)に並ぶ本丸、二ノ丸、東ノ丸、稲荷曲輪、その南北(看板では右左)に三ノ丸北ノ丸が置かれています。

このうち本丸、二ノ丸、東ノ丸、稲荷曲輪は石垣や曲輪など当時の姿を残しています。
川を北と西に置き、天守台も西に設けるなど、西の防御への意識が伺えます。

ということを頭に入れて、三ノ丸から二ノ丸、本丸、稲荷曲輪と見ていきましょう。

三ノ丸

本丸や二ノ丸を仰ぎ見る平地部分の広大な曲輪が三ノ丸。

西側には内堀に囲まれた居屋敷郭があり、表御殿、裏御殿などが置かれていました。
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今は内堀は埋め立てられ、公園と

明石トーカロ球場となっています。
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この明石トーカロ球場高校軟式野球の全国大会が開かれる軟式版の甲子園球場です。
2014年の延長50回の熱戦をはじめ硬式に負けず劣らずの熱戦が繰り広げられる地ですが、強度の問題を抱えていて、史跡保護と両立に苦心されているとか。
何とかうまい策が見つかってほしいものです。

トーカロ球場の近くには陸上競技場「きしろスタジアム」も。
広い敷地を使ったよくある再利用の図です。
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こちらもやっぱり老朽化の問題が浮上しているとか。難しい。

陸上競技場のある場所は元は捨曲輪、後に山里曲輪と呼ばれました。
捨曲輪と呼ばれた頃は、あえて敵を入れて迎撃するための曲輪として使われました。
城内最西部ですし、最前線として手厚い守りを想定していたのでしょう。

山里曲輪の頃は、樹木屋敷という遊興所が置かれます。

この樹木屋敷を作ったのは、かの有名な宮本武蔵

樹木屋敷自体は残っておらず、記録も少ないですが諸々考察しながら作られたのが、三ノ丸東側の武蔵の庭園
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乙女池周辺に樹木屋敷の庭園資材が移されたという記録などを元に整備されました。

当時の姿は神のみぞ知るですが、街中に居ながら自然を感じるというコンセプトは分かるような。今と同じようなわがままな希望を当時から持っていたんですね。
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武蔵の庭園からは池越しに巽櫓を見上げられます。
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池に移った鏡巽櫓。現地ではもう少しきれいに映っていたのに。。。

二ノ丸、東ノ丸

城の中心部へ向かいましょう。
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両櫓をつなぐ土塀阪神大震災からの復興に合わせて1999年に復元されました。
土塀と聞くと小さな復元と思ってしまいますが、あるとないとで大違い。効果的な復元はいいですね。

右手の辰巳櫓のさらに右手に、当時から続く二ノ丸への道があります。
という訳で、真っすぐ二ノ丸方面へ
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南面の細長い南帯曲輪を越えて

近くで見ると一層高い二ノ丸へ上がりましょう。
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石垣はどれも立派ですが、特に東側は反りが美しい。
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この石段、二ノ丸の、しかも本丸すぐそばにつながるので、一瞬弱点ではと思ってしまいましたが、広大な三ノ丸と二ノ丸への高低差などを考えるとさすがに正面突破はできませんね。
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本丸からも丸見えですし。

登り切ったところには大の門
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石垣の規模からするとさぞ立派な門があったのでしょう。

石段を何とか登ればすぐ本丸にも行けるように見せかけて、深い堀切もありました。
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深くて広い。総石垣で威圧感もあります。こりゃ正面突破はないですわ。。

櫓が気になるところですが、その前に二ノ丸、東ノ丸を見て回ります。

こちらが二ノ丸
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北東、南東隅に二基の二重櫓、礼の櫓真の櫓が置かれていました。
広さはそれなりですが、広すぎる三ノ丸があれば山上はこれくらいでも十分かな。

今は公園。とくに解説もありません。明石城全体に解説は少なめ。欲しいなぁ。
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明石の街並みがよく見えるベンチも置かれて、のんびりできそうです。

二ノ丸と東ノ丸を区切る虎口
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こちらも説明はありませんが、方の門がありました。

抜けると東ノ丸
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当時は南東隅に二重櫓、角の櫓がありました。

こちらも広さはそれなり、今の姿は二ノ丸と大差ありません。
もちろん現役時の使われ方は違ったのでしょうが、同じ高さ、堀も無い二ノ丸と東ノ丸を土居で区切った理由は何でしょうか。仲が悪い人でもいたのか笑

東ノ丸は北と東に虎口がありました。

こちらは北面の枡形虎口
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真の門が置かれていました。こちらも解説は。。。
さすがにこれまでより小ぶりですが、枡形や石垣は立派です。
抜けると北ノ丸。今は図書館や自転車競技場になっているので折り返し。

東の虎口へ

こちらには天の門が置かれ、
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抜けた東帯曲輪には弁の櫓と出の門も置かれています。こちらも、、、

外は堀を抜けて城外へつながる門だからか、真の門より少し手厚め。
とはいえ、東側だからか高低差も小さく、西より防御の意識が低いように思えました。

ちなみに、今も堀は残りますが、薮やらでよく見えません。

折り返して本丸を見に行くところから次回。
東ノ丸から見える明石海峡大橋とともにお別れです。
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近畿地方つながりでこのあたりはいかがでしょう。無理やり?

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百名城 和歌山城 (62・和歌山県和歌山市) 3/3-御殿と御橋廊下と西の丸庭園と。

和歌山城の訪問記も3回目。
今回は西の丸、二の丸の御殿跡を見て回ります。

御殿自体は残っていなくても西の丸庭園に御橋廊下に、たくさんの復元整備施設を見ていたら御殿の様子も少し見えるような。

お城:和歌山城(62)和歌山県和歌山市
HP:トップ|史跡和歌山城
訪問日:2021年12月

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訪問記

三度地図をもとに場所を確認です。
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前回下りたのが、天守から下に伸びる新裏坂
今回は、左上の黄緑、西の丸庭園から黄緑ゾーンを右手に二の丸方面へ進みます。

西の丸〜二の丸

という訳で、現在地は西の丸庭園入り口
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西の丸庭園は、徳川頼宣が西の丸御殿に築いた庭園です。
内堀の一部や自然地形、湧水も使いながら築かれた、江戸初期における日本屈指の名園とも称されます。

お庭を楽しむ造詣は全くありませんが、それでも何となく心動かされる風景です。
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ちょっと長く見ていたくなるような。

こちらは水に浮かぶ鳶魚閣御橋廊下
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紅葉渓庭園と呼ばれるくらいの紅葉の名所なんだろうなぁと思える枯木模様。。。
真冬に来たことを少し後悔

ちなみに、鳶魚閣は当時はもう少し池の真ん中にあったようです。
というのも、この西の丸庭園は、明治維新以後は荒廃していたから。
ここまできれいに復元整備して下さって、無料公開して頂いて、感謝しかありません。

西の丸には、頼宣の隠居所としての御殿も建てられていました。
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広間だけでなく能舞台や茶室もあったそうで、趣味をたしなむ場所でもあったのかな。

御殿は復元されていませんが、西の丸と二の丸をつなぐ御橋廊下が復元されました。
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かつては藩主とおつきの人しか通れませんでしたが、今は誰でも通れるように。良い時代です。

屋根と壁に囲まれて、外から見えない廊下橋。渡る気分は藩主かな。
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この写真が右上に斜めなのは私の腕の問題ですが、奥に上がるのはこの橋特有の傾斜。
やや高い二の丸に向けて斜めにかかった珍しい橋です。
西の丸側の足元を持ち上げて真っすぐかけるより斜めを選んだ理由は何でしょう。

廊下橋と言えば福井城でも復元されていました。

tmtmz.hatenablog.com

二の丸

渡り切ったら二の丸、ですが、御橋廊下の足元に少し遺構が。
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何か大事なものを収納する施設だったと考えられています。
近くに大奥があり、江戸城では大奥近くに緊急時に調度品を納める施設がありました。
ということは、、、と思ってしまいますが、この施設は御橋廊下が架かっていた時期には使われていなかったらしく、いやはや難しい。

改めて二の丸
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広い二の丸には和歌山城の主要施設が集まる御殿があり、西から東に、謁見や儀式、政庁として使われた、藩主の居間や家老、側近が詰める場が置かれた中奥大奥とに分かれていました。
もちろん周りは多門や櫓に囲まれ、内部にも庭などもありました。

上の写真のあたりは大奥があった場所。

このあたりが中奥で浅野期から御屋敷と呼ばれていました。
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表との境は不明瞭な一方で大奥とは厳重に区画されていました。

このあたりが。政庁があった場所
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今の姿に違いはよく分かりませんが。。。

表の付近にあった建物は明治期に大阪城に移されたものの、戦後すぐに失火で焼失。
古写真ではたいそう立派な御殿だっただけにもったいない。。

裏坂・大手門

このまま大手門に向かう前に少しだけ寄り道。通っていないかった裏坂へ。
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ここは昔からある通路で台所門跡があります。

苔むして雰囲気の良い野面を見ながらそこそこ登ると
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銀明水に到着
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城内に40ほどある井戸の一つですが、素人が簡単に見つけられるのは少ないような。
それなりに天守からも近く非常用水となっていました。ええ、もう一度登りました。

最後は大手門方面へ。
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一中門を抜けていきます。
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きれいな切込接。解説を見つけられませんでしたが、徳川期のものでしょうか。

これだけ綺麗で大きいと振り返って見たくもなります。
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大手門と北内堀に架かる一の橋から城外へ。
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浅野氏の頃に岡口門から変えてここに大手門が置かれました。
ただ、大手門、一の橋と呼ばれるようになったのは1769年からと比較的最近のこと。
岡口門と比べてちょっと質素に見えるのはその辺もあるのかな。

門自体は明治末期に倒壊しましたが、昭和の頃に再建されています。
当時は門の西側(写真右手)に月見櫓が設けられていました。

改めて北内堀
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右手の内郭、二の丸と左手の外郭、三の丸を仕切っていました。
かつては、今の道路のセンターラインを越えたところまで続く41mの堀幅だったとか。
いやいや広すぎでしょうよ。

最後は天守ビュースポットからの一枚でお別れです。

御橋廊下越しの天守
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時間が無くてもたっぷり時間をかけて巡ってしまう、良いお城でした。

引き続き、関西の城めぐりを続けます。

感想

満足度 4.5/5

さすがは御三家の居城でした。
正直ここまでとは思っておらず、あまり時間を取っておらず、失礼しました。

足元の曲輪群、天守はもちろんですが、素人目にも分かる石垣の違いなど、いろいろ味わって回れるところも良いです。
珍しい連立式の天守もかつての姿に復元されていてとても良い雰囲気ですが、第2次大戦まで残っていたと聞くと当時の天守が惜しくなってしまいます。

アクセス

和歌山城

  • アクセス
    電車・バス:南海本線 和歌山市駅から徒歩10分
          またはJR阪和線 和歌山駅からバス 和歌山城前下車すぐ
    車:阪和道 和歌山ICから約15分
      有料駐車場が多数
  • スタンプ・開館時間
    和歌山城天守閣チケット売り場
    開館時間:9:00~17:30(最終入場17:00)
     休城日:12月29日~12月13日
     入城料:大人410円、小中学生200円
  • 城跡
    同上
  • 所要時間
    ~1.5時間
  • 付近のスポット
    百名城関連だと岸和田城が近くです。

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