にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

福岡佐賀 酷暑の中の城めぐり

2024年9月に訪れた、九州福岡と佐賀の城めぐり旅を振り返ります。

思いがけず時間ができた9月に、暑いとはいえ平城なら歩けるかなと計画しましたが、全然そんなことはなく、猛暑の中、体力勝負の城めぐりとなりました。
それでも初上陸の佐賀の風景が面白く、あっという間の2日間でした。

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1日目 福岡城・吉野ヶ里・横武城・姉川城・佐賀城

旅のスタートは静岡空港
飛行機の便が少ない中で福岡便だけは朝晩の良い時間に飛んでいてありがたいです。
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FDAのカラフルな機体

始発の飛行機は定刻より早く9時には福岡空港に到着。これもありがたい。

福岡空港はアクセスの良い空港として有名ですね。
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地下鉄一本で最初の目的地の、

平和台球場あと
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ではなくて福岡城へ
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あまり推されている印象はありませんが、ビル街にこれだけ立派な石垣や櫓が残っているのはすごいことだと思います。
あと、お客さんがアジア系ばかりでインバウンドパワーもすごいことだと思いました。賑やかでした。

福岡城の次は、少し離れて吉野ヶ里へ

博多から吉野ヶ里公園駅まで鈍行で1時間半ほどですが、乗り継ぎが悪いので特急に課金して時間を買います。
が、券売機行列でネット予約した切符の発券が間に合わない。。。
遅刻してホームに上がると乗る電車も遅れていて間に合いました笑 いろいろありますね。発券時間の件、結構問題になっていたらしく発券不要の制度も始まりました。

向かいのホームには憧れの観光列車も。いつか乗ってみたい。。
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いろいろありましたが、結局被害は昼ごはんを逃した程度で予定通りの電車で吉野ヶ里公園駅へ。
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近そうな名前ですが、ここから公園入口まで徒歩10分以上。9月中旬にもかかわらず37℃の灼熱の中、頑張ります。

格好いいポスターもありますし。
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ロマンですね。

ロマンつながりで?ロマンシング佐賀(サガ)。珍しそうな雰囲気ですが、たくさん置かれていました。
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吉野ヶ里への道中にもたくさんで迷うことはありません。かわいい看板ですね。

吉野ヶ里公園では、弥生人さんにも歓迎いただきました。
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ただ、弥生人も見た夏の景色は、現代人には暑すぎた。。。
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冷房の効いた北墳丘墓がなかったら、冗談抜きで倒れていたかもしれません。。。
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ありがとう北墳丘墓

冷房と冷たいジュースで復活。今度は西口近くのバス停から佐賀駅方面に向かいます。
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錆錆のバス停でもちゃんとバスは停まりました。

とまりますボタンさんというキャラがいるそうです。ご興味ある方は検索をどうぞ。
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降りたのは横武バス停。
クリークの広がる独特の景色を見ながらの散歩。楽しい。多少雲も出てきましたし笑
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横武クリーク公園として整備された横武城と
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公園整備もされていない姉川城をはしご。歩いて25分ほどでした。
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どちらもまっ平らな土地にクリークに囲まれた曲輪が入り組む他にない城です。
整備された横武城も面白いですが、縄張りを残しながら民家も立つ姉川城もよかった。要は頑張ってはしごしてよかった。

姉川城最寄りの、その名も姉川バス停からさらに佐賀市街方面へ。
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今度は途中下車せずに佐賀市街までたどり着きました。
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初めての佐賀の街歩き。市街地の水路も独特で楽しい。

佐賀城には鍋島直正公の交差点がありました。
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ど逆行ですが、「鍋島直正像前」と書かれています。いくら偉人でも交差点の名前になっているのは初めて見ました。

ご本人にご挨拶
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立派な大手門に
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夕焼けの水堀を堪能。
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さすがに都市化していますが、随所に残る遺構、特に水堀の広さは圧巻でした。

夜はご当地グルメのヒデシマライスも堪能しました。
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若者とたくさんいた国体選手に紛れた晩ご飯。
学生時代を思い出して美味しかったですが、昼向きかな。

ちなみに、国体選手がいたのはちょうど国体(国スポ)期間だったから。おかげで宿をとるのに苦労しました。。。

2日目 久留米城・小倉城

二日目は朝一で久留米へ。
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駅前が気持ち寂しい気がしましたが、繁華街はここじゃないんですね。

もう一つ知りませんでしたが、久留米はブリヂストンの街なんですね。
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大きなタイヤに

ブリヂストン通の郵便局と、どこまでもブリヂストン
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借りたレンタサイクルのタイヤもブリヂストンなのかな。

いろんなブリヂストンを見ながら、自転車で15分ほどで久留米城
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今の姿は篠山神社です。高石垣が立派。ちゃんと参拝しましょうね。

最後は帰り道を途中下車して小倉駅へ。
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モノレールが突っ込む、一度見たら忘れられない構造の駅ビルです。

中はこんな感じ。
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思ったよりモノレールが近い

駅から少し歩いて小倉城へ
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目立つ破風が追加された復興天守ですが、それでも四重五階の大きさは圧巻です。
この日は暑さがマシだったので、結構な時間をかけて絵になる角度を探しました笑

感想

思いがけず時間ができた9月中旬にもかかわらず酷暑の城めぐりでしたが、体力勝負に何とか打ち勝って計画通りに回れました。
特に個人的に初の佐賀の街歩き、水路を見ながらの散歩はとても楽しかった。ブ〇タモリの予習が効いたかも。

でも次から秋の城めぐりは平城でももう少し遅い時期まで待つことにします。

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#城

百名城 彦根城 (50・滋賀県彦根市) -3/3 天守へ

彦根城訪問の記憶その3。いよいよかの有名な天守内へと進みます。

さらにそこから西の丸三重櫓や登り石垣、大手門まで。
天守はもちろん素晴らしいですが、その先の西の丸三重櫓、大手門も素晴らしい。
ぜひ天守で満足せずに足を運んでほしいものです。

前回はこちらを回っていました。

tmtmz.hatenablog.com

お城:彦根城 滋賀県彦根市
HP:【公式】 国宝 彦根城
訪問日:2016年9月、2023年3月

訪問記

天守

前回、天守を目の前にして本丸の遺構のことを考えていましたが、本丸まで来たら早く天守に登りたいもの。実際には天守へ直行していました。
というわけで天守へ向かいましょう。
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三層三階の望楼型天守。大きくはありませんが多様な破風に飾られた姿が美しいです。元は四重五階だった天守を規模を小さく移築したことも分かっており、大津城天守だったと考えられています。

中へ入っていきましょう。今は結構混むようですが、当時は雨もあってかすんなり入れました。

現存天守特有の急すぎる階段を上っていきます。
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天守内部は質実剛健。展示も少なめです。
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お決まりの狭間はちゃんと解説されています。かなり昭和を感じるフォントで。
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あっという間に最上階。雨なので眺めはイマイチ。。。
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屋根裏はこんな感じ。通し柱なしで建てられた望楼型天守です。
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帰りに見かけたこちらは破風の間。たくさん設けられた破風の一部に、隠し部屋が設けられたものがありました。
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見にくいですが鉄砲狭間が切られています。
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天守以外も最初からそうですが、表向き見栄え重視に見えて、細部にきちんと戦闘への意識を感じます。

見終わったら、改めて外から天守を見直します。
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やはり破風の多い姿が美しい。

西の丸三重櫓

天守の先は、西の丸方面へと進んでいきます。

本丸北西側に位置する西の丸。当然、最初は彦根城を見上げる構図です。
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何回も振り返っちゃいますね笑

西の丸の今の姿は美しい桜広場です。
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これはこれで時期が来れば美しいのでしょう。あともう少しでした。

長い西の丸の北端に、もう一つ現存建築。西の丸三重櫓です。
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内側ということを差し引いても装飾的なものがなく、質実剛健の印象が強いですが、続櫓含めてきれいに残っています。
その割に人が少ない(というかほぼいない)ので、もったいない印象もあります。天守から少しなのですが。
中に入れるという記載も見ましたが、この日は入れなかったはず。

足元には門が置かれ、北側の出曲輪方面をつなぎます。
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この出曲輪とを切るのが大堀切、ですが、立ち入り禁止で見られませんでした。残念。

井戸曲輪・山崎曲輪・米蔵

気を取り直して、西の丸を戻って、天守足元の西の丸水手御門から下ります。
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水手御門の名称は、井戸曲輪と西の丸を分ける門だったからと考えられています。
江戸時代の絵図には高麗門風の城門が記載されていますが、解体修理の際には櫓門の可能性を示す遺構も見つかったとのこと。

門を抜けると井戸曲輪です。
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その名の通りの井戸に加えて北東隅には塩櫓が置かれていました。他の曲輪とは違った意味で要の曲輪です。だからこの場所にあるのかな。

井戸曲輪上下は10mを超える非常に高い石垣が組まれています。こちらが上段の石垣
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そしてこちらが下段。彦根城では最も高く19.4mもあります。
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下りきると黒門に帰ってきました。
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この先は最初に尋ねた玄宮園です。

このまま彦根城の北側をぐるっと回ります。
今の彦根城では完全に裏手に当たる場所で寂しい雨中の散歩となりましたが、道中ひっそりと残る登り石垣を見ることはできました。
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右手の堀は西曲輪と出曲輪を切る大堀切から続くもの。遠くからでもわかる規模、近くで見たかった。

第一郭最北端は山崎曲輪
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城内路が通っていてあまり風情はないかも。足場も悪いので速足で。

西側の内堀を見ながら南下します。
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こちらにも登り石垣
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その先には米蔵跡
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今は広い梅林になっていますが、当時はその名の通り17棟もの米蔵が建っていました。

脇には石垣も。ここから船で米を運び込んでいました。
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どうやら訪問後に崩れてしまったよう。積み直し工事が予定されています。

大手門

米蔵からさらに南下して大手山道を通り過ぎると
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大手門枡形へ。
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大坂城方面に置かれた大手門にも立派な枡形が伴います。

枡形の脇にも登り石垣が置かれています。登り石垣、彦根城では多用されています。
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わかりづらいですが、写真右手です。

内堀方面。犬走と
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反対側には犬走のほかに塵取と呼ばれる施設もありました。
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堀にたまった塵芥を集めるために堀に降りるための場所でした。

大手門橋からもう一度大手門を。威厳感じます。
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もう少しだけ散策します。高麗門を見ながら京橋口門方面へ
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大きな大きな長屋門は旧西郷屋敷長屋門。f:id:tmtmz:20250928213241j:image
今もこれだけきれいに保たれていることがすごい。

その先すぐに京橋口門
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2階2重の櫓を持つ厳重な枡形門でした。

大きな雁木も残ります。さすがに登りはしませんでしたが。
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外は中堀に面しています。
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抜けると夢京橋キャッスルロード。
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このルートで進むとそのままお土産選びに進めるのでお勧めです

感想

満足度 4/5

現存天守というだけで楽しいですが、足元の縄張もとても楽しい。
天守も縄張りも大きいというものではありませんが、登り石垣含めて随所に技巧も感じられて、天守以外の建築もよく残っています。
裏まで回る方はほとんどいませんでしたが、ぜひ隅々までかみしめてほしいものです。

アクセス

彦根城

  • アクセス
    電車・バス:JR東海道線彦根駅から徒歩15分
    車:    名神高速彦根ICより約15分
          有料駐車場あり
  • スタンプ・開館時間 
    彦根市開国記念館(彦根城内)
     開館時間:8:30~17:00
     休館日:12月25日~31日 休館日は以下で対応
    彦根城表門券売所
     開館時間:8:30~16:30
  • 城跡
    開館時間:8:30~17:00
     休館日:年中無休
     入館料:一般1000円、小中学生300円 近隣施設とのセット券もあります。
  • 所要時間
    約2時間
  • その他滋賀県の記憶はこちらから

    tmtmz.hatenablog.com

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    #城

百名城 彦根城 (50・滋賀県彦根市) -2/3 天秤櫓・太鼓門櫓を回る

引き続き彦根城をめぐります。
今回は内堀を超えて本格的な攻城開始。本格的な登城も始まります。

有名な天守以外にも数多くの現存建築が残る彦根城。それらを見ながら、よく聞く防御の工夫を見ていきます。きれいなものにはトゲがある。

佐和口多聞櫓をまわった前回はこちら

tmtmz.hatenablog.com

お城:彦根城 滋賀県彦根市
HP:【公式】 国宝 彦根城
訪問日:2016年9月、2023年3月

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訪問記

表門~鐘の丸

二の丸を回って、表門まで帰ってきたところからリスタート。

表門の奧に置かれた縄張図で現在地とこの先を確認です。
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内堀の中、第一郭と書かれた部分にも縦一列に6つの曲輪が並びます。
今までは平城でしたが、ここから登りが始まります。といっても知れていますが。

改めて足元、内堀と
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表門を越えていきます。
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立派な櫓台に櫓が建つ古写真も残されています。
大坂城方面に大手門がある中で表門。太平の世に大手門に代わり実質的な表門になったということのようです。

珍しいつながりで、表門の近くには珍しい登り石垣がはっきりと見て取れます。
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石垣左側の竪堀含めて明確に残っています。石垣だけでも立派なところ、当時はこの上に瓦塀が乗っていたとのこと。

登り石垣はこちらの赤丸・黒丸5か所に残されています。
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斜面を回り込む動きを封じたかったんだろうと意図を感じられる立地です。

この奥にある表門券売所でスタンプをゲット
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当然モデルは天守です。

表門のすぐ奥には表御殿も置かれていました。
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今は彦根城博物館として復元、使用されています。
ちなみに、あの有名なキャラもこのあたりで出陣されています。

今回は一人だったので硬派に山上を目指します。
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急なうえに左右にも傾いていて、まあ歩きにくい石段を上ること数分。天秤櫓と廊下橋が見えてきました。
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堀底にいる私は、正面の天秤櫓から確実に狙われているでしょう。分かりやすい。

深い空堀の左側が鐘の丸、右側が太鼓丸です。
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とくに太鼓丸側の石垣は、手前が切り込み接ぎ、奥が打ち込み接ぎで組まれていて、素人目にも違いが分かって面白い。
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空堀を抜けると、大手道からの登城路と合流します。
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天秤櫓西側の櫓はこちらを見下ろす立地です。

そのまま鐘の丸方面へ。
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天秤櫓に一度背中を取られることになります。

この虎口には鏡石も置かれています。
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目を惹くほど大きいわけではありませんが、はっきりとわかる鏡石。
表門、大手門から続く城門ということで分かりやすく権威を示していますね。

鐘の丸
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築城当初、鐘楼があったことから鐘の丸と呼ばれます。ただ、その鐘の音は城下に届かず、太鼓丸に移されたとのこと。その後、大広間や御守殿が置かれました。

天秤櫓~太鼓門櫓

改めて、正面から廊下橋と天秤櫓を見ましょう。
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いざというときに落とせる木橋、廊下橋の向こうに、左右に櫓を持つ他にない形式の櫓が建ちます。天秤櫓の名もこの形式に由来します。
左右対称のように思えてそれぞれの櫓が別の形をしているあたり、実戦を意図して作った結果の美しい櫓なんでしょう。

足元は先ほどまでいた表門と
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大手門からの登城路になります。
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石落としも狭間も見えませんが、実は狭間は置かれていて、外から見えないように細工されています。油断させる工夫でしょうかね。
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抜けると太鼓丸へ。
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斜面ということもあって曲輪というよりただの通路と感じてしまう曲輪が太鼓丸。

東西は石塁に土塀が置かれていました。
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もともと鐘の丸にあった時報鐘が置かれています。
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今も1日5回衝かれているこの鐘は、12代直亮の頃の鋳造です。

進むと太鼓門櫓
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本丸への入口となる櫓門。続櫓付きで美しく、かつ傾斜もあって威圧感もあります。
どこかの城の城門を移築したもの、とまでは分かっています。

特徴的なのは
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裏に回った姿。背面は壁がなく、高欄付の廊下。
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太鼓の音を響かせるためとも言われているようですが、定かではないとのこと。
築城時からある櫓門に高欄とは似つかわしくない気がしますが、裏側ならいいのかな。

太鼓門櫓を抜けると本丸。
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今は天守だけが鎮座する本丸には、御広間、宝蔵、着見櫓なども置かれていました。
御広間は表御殿が山麓に築かれるまでの藩主の居館でした。

と、少しだけ本丸の遺構のことを考えましたが、本丸まで来たら早く天守に登りたいもの。実際には天守へ直行です。
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このまま天守を見ていきたいところですが、続きはまた次回。

こちらもどうぞ。

近くの百名城だと、観音寺城

tmtmz.hatenablog.com

そのそばには安土城や

tmtmz.hatenablog.com

八幡山城もあります。

tmtmz.hatenablog.com

その他滋賀県の記憶はこちらから

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#城

百名城 彦根城(50・滋賀県彦根市)1/3-佐和口多門櫓・玄宮園を回る

湖国、いや日本を代表する名城、彦根城へ。まずは二の丸を散策します。

ともすればさっと車で通過するだけの門、遠くて足を延ばさない場所かもしれませんが、素晴らしい現存建築、素晴らしい庭園、屋敷を見ることができました。
徒歩には徒歩の良さがあるものです。

お城:彦根城 滋賀県彦根市
HP:【公式】 国宝 彦根城
訪問日:2016年9月、2023年3月

概要

関ケ原の戦いで優れた軍功を上げた井伊直政が、佐和山城を与えられたことが歴史の始まりです。

直政は、彦根山に城を移そうとしたものの病死。その遺志を継いだ子の直継が1607年に主要部を完成させました。家康の支援を受けた天下普請でした。

築城はその後も続き、1622年に城下町含めた現在の彦根城が完成しました。
この際、大津城や佐和山城などの資材を転用しました。

明治維新後の廃城令も戦災も免れた天守は、1952年に国宝に指定されました。

訪問記

彦根駅から佐和口多聞櫓へ

旅の始まりは彦根駅、のうちのローカルな近江鉄道の方。
琵琶湖を感じるおしゃれな駅名標もありますが、

時代を感じる駅名標も良い味を出しています。

改札を抜けるとすぐにあの有名人(猫?)がお出迎えです。
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絶対に彦根城への道を間違えさせまいとする圧がすごい。小さく佐和山城も案内していますね。今度行くぞ。

駅前にもいますが、井伊直政像の方が扱いが良くて少し安心しました(笑)

写真の通り本降りの雨の中、頑張って歩きで城へ。

道中にも彼。今日何体見かけるかな。

歩くこと5分少々。彦根城用の観光バス駐車場もある護国神社前交差点まで来ました。

ここに残るのが外堀跡。

中堀、内堀は残る彦根城ですが、外堀はほぼ埋められて残るのはこのあたりのみ。
中堀と近い場所にあるあたりなので、広い印象ではありませんが、貴重な遺構です。

一部道路になって狭まっているものの、様子はよく分かります。多くの方が推測される通り、かつては琵琶湖までつながっていました。

さらに先へ。中堀沿いに進みます。

水を湛える中堀と石垣、櫓台。雰囲気は抜群で、彦根城訪問の導入として完璧です。

その先は立派な立派な枡形に多聞櫓。二の丸佐和口多聞櫓です。

中堀に開く4つの口の1つです。表門に通ずるルートで重要な口の一つでした。
それを感じる立派な多聞櫓が建っています。

現存は向かって左側。1767年の火災を受けて1771年に再建されました。

右手はコンクリートの復元建築ですが、雰囲気を出すには一役買っています。
内部は開国記念館となっています。

かつては枡形を見下ろす櫓門が建っていましたが、右手の多聞櫓とともに撤去されて、石垣のみの空き地が残ります。

残っていたら、素人でも分かるくらいに威圧感を感じられたでしょう。

抜けると二の丸

右手の桜並木の奧はすぐ内堀。細長くいびつな形をしており、広さを感じづらい曲輪です。かつては家臣屋敷等が建っていました。

先の写真、左手に写る建物は馬屋

その名の通り馬を飼うための建物でした。

これだけを聞くとなんてことはないように思えるかもしれませんが、近世城郭の城内に馬屋が残るのは彦根城だけ。実は非常に珍しい建物なのです。

内側の写真も一枚。足元が悪くて進むのは断念しました。

玄宮園

さて、ここから内堀を渡って表門、本丸方面へ進めますが、まずは二の丸奧に置かれた庭園から見ていきます。玄宮園へ。

道中、内堀沿いの桜にも寄り道。期せずして見ごろでした。

二の丸北東にある玄宮園は、4代直興が1677年から造営した大名庭園です。

大きな池と、臨池閣、鳳翔台といった建物、橋などが置かれています。
素人目にも、その雰囲気と広さと、特別なことはよく分かりました。

こちらが鳳翔台

趣きあります。

池をぐるっと回ると、池越しの天守を見上げることもできます。

庭園に明るくない人間でも、良いなぁと思える構図です。雨じゃなかったらいくらでも長居できそう。

ぐるっと池を回ったら、最後にもう一つ大きな建築。槻御殿(楽々園)です。

こちらも4代直興の頃に下屋敷として建てられたもの。12代直亮により大規模な増築がなされました。

こちらは修復がなされた御書院

厳かかつ綺麗です。

奧にも複数の建築が見えていて、十分に大きな屋敷だと感じますが、最盛期にはこれよりずっと広かったそう。さぞ立派な屋敷だったのでしょう。

重ね重ね綺麗に維持修繕されていて、とてもよいです。

玄宮園はこれくらいにして、先へ進みます。近くの黒門からも本丸方面へ進めますが

ここはやはり一度戻って表門から向かいましょう。

続きはまた次回。この先は本丸です。

 

敏満寺城 (滋賀県多賀町) -サービスエリアにある城跡

全国的にも珍しい、高速道路のサービスエリアにある城跡。敏満寺城。
かつてこの地で栄華を極めた敏満寺が城塞化したものです。

そこに近江鉄道で向かってみました。こんなことをするもの好きほとんどいないんじゃないかな笑

お城:敏満寺城 滋賀県多賀町
HP:公式のものはありません。
訪問日:2023年3月

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概要

平安時代からこの地にあった敏満寺という天台宗の寺院が、佐々木六角氏や京極氏との対立を通して、次第に城塞化したものです。

1562年、浅井長政による攻撃を受け、坊舎はほとんど炎上します。1571年、信長の命に従わなかったことで、残った坊舎も焼かれ、寺領が取り上げられました。

残った礎石は、江戸時代に彦根城築城のために移されました。

訪問記

スタートは近江鉄道多賀大社前駅
本降りの雨の早朝だからか電車内も駅も誰もおらず、ちょっと寂しい滑り出しです。
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その名の通り、有名な多賀大社のアクセス駅ということで駅前には鳥居。
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その奥にも門前町が広がります。昼間は賑わっているのかな。

敏満寺城に行くためにこの駅で降りる人は限られている(ほぼいない?)と思いますが、敏満寺城がある多賀SAへの案内は意外と豊富です。
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奥の小さな看板がそれ。左600mが多賀大社、右900mが敏満寺城多賀SAです。

ミーハーなので一度左へ行った後で戻って右へ。その分時間が無いので駆け足で。

しばらく進んで名神高速をくぐり、高速沿いの脇道に入ります。
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多賀SAを経て胡宮神社への看板があるので細い道でも安心です。

すこし歩くと、名神高速多賀SA(上り)へ到着。
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車でも高速を使わずに同じルートで駐車場にたどり着けます。

高速で来た場合も、上りはもちろん下りからも写真に写る陸橋経由でこちらへ来ることができます。

もちろんステーキを食べに来たわけではなくて
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お目当てはSAの一角。北側にあるスペースです。
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意味深にくぼんだ公園。予備知識があれば周囲が土塁に囲まれているように見えるはず。

近くには全く読めない案内もあります。
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まるで見えない縄張図も書いてありますので、ぜひ現地で。

頑張って写真から解読すると、
土塁を伴う曲輪が南北2つ並ぶ縄張で、両曲輪とも一部石垣が用いられていました。
間には空堀が刻まれ、1郭には礎石建物や門、2郭には井戸がありました。

さきの公園はこちらの1郭にあたるもの。
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足元を見ると周囲の改変の程度も気にはなりますが、深く考えずに見ていきます。

土塁はなかなか急。
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この南面突き当りには喰い違い虎口もあるようですが、雨に負けて見落としました。。

中を見るとなだらかに感じる東側の土塁も
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外から見ると高さを感じます。
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間の空堀は下道からの駐車場となっていて
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その南に二郭。こちらも名残を感じる光景です。
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左手(南面)と手前(東面)に土塁が置かれた当時と同様に、西面は開けた作りです。
東屋が置かれているのは、井戸があったことを受けて、でしょうか。違うかな。

この先の故宮神社がかつての敏満寺の境内であったとされる場所にありますが、今日はここまで。
多賀大社前駅へとんぼ返りで次の目的地へ向かいます。

感想

満足度 2.5/5

遺構自体は少ないですし、どこまで当時のままか気になるところはありますが、SAにあっても名残を留めて残されていること自体がありがたい。
その歴史も興味深いものがあって、貴重な存在です。

ドライブの休憩中に友達連れで立ち寄るにはちょっと弱いかもしれませんが、城好き一人ドライブ中ならぜひとも立ち寄りたい立地です。

アクセス

敏満寺城

百名城 観音寺城 (52・滋賀県近江八幡市) 3/3-湖国の巨大山城 伝池田丸・大石垣・御屋形跡を巡る

観音寺城訪問記その3は伝平井丸を見たあとの追手道沿いの遺構を追います。
伝落合丸・伝池田丸・大石垣と御屋形跡。

もはや疲労困憊でしたが、その疲れも吹き飛ぶ素晴らしい遺構の数々。特に大石垣には圧倒されました。今でも新幹線から見えるたびに記憶がよみがえります。

その分、降りてからの疲労は一入でしたが(笑)、それも良い記憶ということで。

お城:観音寺城 滋賀県近江八幡市
HP:観音寺城跡 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!
訪問日:2023年3月

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訪問記

伝落合丸から伝池田丸へ

みたび、引きで撮りすぎた現地縄張図にご登場願います。
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現在地は、左手の3つ赤背景が連なった中央、伝平井丸を見たところです。
このまま伝池田丸と、青で記された線、追手道といわれるルートで下山していきます。

という訳で、伝落合丸にそって追手道を降りていきます。

こちらは伝落合丸の虎口
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追手道は伝落合丸の石塁に沿って伸びていました。
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伝平井丸と比べると明らかに石が小さく、背も低いですが、綺麗に作られています。

下り切ったら
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石段を少し登り
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伝池田丸へ
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かなり広い曲輪には、ぐるっと囲む低い石垣も残っています。
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一部内側に飛び出たところも。何かの台座だったのでしょうか。
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西の虎口は良好に残っています。
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すこし外から虎口の石垣を見てみましょう。
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こちらはなかなか大きな石材が使われていて、威圧感があります。

足元には排水溝?も。礎石も検出されていて、2区画で建物が建っていたと考えられています。観音寺城の序盤からそうですが、現地で解説がほしい。。。
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そのまま南東端の伝池田丸南虎口へ。
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石垣は低め、周りは荒れがちですが、踏み跡ははっきり。

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抜けると急こう配。ピンクの目印が頼りです。
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こちらの方が勾配は伝わるかな。
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何の案内もない曲輪?や
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石垣を見つつ
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進むこと5分ほど

巨石が見えてくると
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大石垣に到着です。
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といっても、こちらからは山中の石垣の一つにしか見えないかもしれませんが、

回り込んで反対側から見てみると
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高く良く残った石垣です。
今までの石垣もそうですが、これが六角氏の時代に山上に築かれていることが本当にすごい
疲労困憊でたどり着きましたが、疲労が吹き飛ぶ素晴らしさです。

また、その景色もすばらしい。がっつり曇り空なことは置いておいて。。。
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眼下に広がる石寺や東山道、ということはこちらも丸見えということ。
見せるための石垣だったのでしょう。今は新幹線から良く見えていて、アピールし続けてくれています。

少し離れてもう一枚
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その高さ、大きさは引きの方がよく分かるかもしれません。
そして写真の枚数で興奮度合いも分かるかもしれません(笑)

折れがあるようにも思えますが、どうなんでしょう。
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実は見せるだけではない役割もあったのかも??

この何倍も写真を撮ったところで、下山に戻ります。

最後は、伝木村丸へ。こちらは珍しく看板が整備されています。
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埋門は、本当に埋もれてしまっていますが。

石は小ぶりながらしっかりと残る石垣で区画されています。
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虎口、石段も残っていて良い。
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内部へ
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それなりに広い曲輪だったのだろうという景色です。

伝木村丸最後は、埋門を内部から。
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こちらも埋もれていますが、外より分かりやすいかも。溜まった土砂と苔が、経った年月を感じさせてくれて良いです。

この後はピンクの目印を頼りに一気に下山。
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下ること15分ほどで麓に到着

麓は御屋形跡と呼ばれる曲輪。
散策当時は麓まで下調べが及んでおらず、山上で満足して帰るだけのテンションでしたが、目の前に飛び込んできたのが、こちらの高石垣f:id:tmtmz:20250615145859j:image
驚きとともに一気にテンションが戻ってきました(笑)
巨石を巧みに組み合わせた野面積みの高石垣。しかも、この規模ですから。
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全く予定していませんでしたが、追手道で帰ってきてよかった。

前知識なしでも山麓居館だろうなと思わせてくれる立地と名前の御屋形跡は、六角氏の居館跡といわれています。

今は長い石段と
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天満宮
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日吉神社が建ちます。
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お参りしたら今度こそ最後

あとは麓の石寺集落を見て
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大石垣を振り返りながら
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徒歩50分ほどかけて最寄り?駅まで歩いて
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観音寺城、終了です

感想

満足度 4/5

本当に良く歩きました。疲れ切りましたが、それだけ歩きたくなる遺構の数々でした。山上まで車で行くのも手ですが、大石垣などは結構下りないと見られませんし、結局何をしても良く歩くことになるのでしょうね。

半日とっていましたが、時間ぎりぎりになってしまいました。

何度も触れた通り、現地に解説がほぼ無い上に、案内すらない曲輪も山ほどありますので、本当は詳しい方と一緒に行くのが良いのでしょう。欲を言えば整備してほしいですが。。。

ただ、それができなくても十分に面白いところでした。

アクセス

観音寺城

 

百名城 観音寺城 (52・滋賀県近江八幡市) 2/3-湖国の巨大山城 観音正寺から伝本丸・伝平井丸へ

観音寺城訪問記その2は観音正寺から伝本丸、伝平井丸を回ります。

伝本丸、伝平井丸に残る巨石は本当に立派。さぞ重要な曲輪であったであろう迫力がありました。
観音正寺からならそこまでの距離ではないので、ここだけ見るものありかも。

お城:観音寺城 滋賀県近江八幡市
HP:観音寺城跡 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!
訪問日:2023年3月

訪問記

伝沢田丸から観音正寺

その1では北端の大土塁に沿って、最高所の沢田丸まで進みました。

tmtmz.hatenablog.com

相変わらず字が読めないこちらの縄張図でいう中央上の赤ラインが分岐するのが伝沢田丸。
ここから下への赤ライン沿いに、中央赤背景の観音正寺へ向かいます。
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伝沢田丸から観音正寺方面への最短ルートは結構な急こう配。
道中、無数の曲輪群を突っ切って下りているはずですが、現地はおろか縄張図上も名前の書かれた曲輪はありません。
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まあこんな有様ですし。

という訳で、5分そこらでさくっと下りきったら
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しばし平坦な道で観音正寺へ。
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いつのものかは分かりませんが、良い感じの石垣などを見ていたら
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思い切り裏から観音正寺に突入していました。

仁王像が睨みをきかせる正門でお金を払って改めて拝観しましょう。
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観音正寺は、605年、聖徳太子の創建とも伝わる古刹です。
一説には聖徳太子が人魚と出会い、人魚の願いを聞き入れて建立したともされます。

佐々木六角氏の頃にはもちろん存在していて、その庇護を受けて大いに繁栄しました。
しかし、観音寺城が拡張すると防御の障害となって麓へ移り、信長の侵攻もあり、荒廃します。その後、1606年に現在の山上に移って復興されました。

山中にある境内は細長いもの
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突き当りに本堂があります。
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元は明治期に彦根城の欅御殿を移築したものでしたが、1993年に人魚のミイラと伝えられた本尊とともに焼失。2004年に再建されたものです。
ただ、新しいといっても、造りは荘厳そのもの。よいです。

もう一つ心に残ったのがこちら。
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石仏ではなく、岩がたくさん並べられた崖。説明もなく何かは分かりませんでしたが、とにかく石材が豊富な山だったことだけはよく分かりました。だから観音寺城も古い時代から石垣を作れたんですね。

せっかくの景色こそ雲がかかって見えませんでしたが、結構な山中でも、多くの参拝者で賑わう理由が分かった気がします。

伝本丸へ

参拝がすんだら、元来た道を本丸方面へ向かいます。
ちなみに、境内にも一応道案内は出ています。
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伝沢田丸から降りてきた道と本丸方面への分岐。今度は平坦な方を進みます。
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平坦路は長くは続かないもので、5分も歩けば再度坂道。
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まずは本丸方面から。大石垣は追手道をだいぶ下りた先にあたります。

石段、脇の石垣ともに深く苔むしていてとても良い雰囲気です。
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登ること数分で伝本丸。
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見通しが悪くて広さを感じづらいですが、かなりの広さを誇ります。
先の石段といい立派ではあるのですが、本丸というのは江戸時代の絵図をもとにした名称で、曲輪の配置などから疑問も持たれているとのこと。

ただ、先の写真の中央右手の標柱には本城跡とは書かれていますし、かなり年季の入った解説板も置かれていて、今の扱いは本丸と呼べるものです。
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伝本丸の見どころの一つが、北側に位置する立派な石塁からなる喰い違い虎口。伝本丸裏虎口とされます。
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使われている石も大きく威圧感があります。

抜けて少し進むと井戸
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太夫井戸伝承地、と書かれた井戸には、いまだ水が湛えられていました。
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周囲には低めの石塁も多数置かれていました。
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下りるのはこのくらいにして、伝本丸へ戻ります。

外から見た伝本丸裏虎口。藪が少なめで一層よい感じです。
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本丸ということには疑問があるにしても、重要な曲輪であったことは間違いなさそう。

再度伝本丸内へ。
縄張図にもある通り、西、南面は高い土塁、石塁に守られています。
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足元には、溜枡と呼ばれる貯水施設も。
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伝本丸下にも井戸はありましたが、ここにも。水が豊富な適地だったんでしょう。

本丸を一周したところで、大石段を下りて次へ向かいます。

伝平井丸へ

再度、本丸大石段を下りきったところへ
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今度は大石垣方面へ進みます。大石垣までは15分

少し進むと帯曲輪程度の小さな曲輪。看板はありませんがおそらく伝三の丸
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足元には竪堀が伸びるそうですが、よく分からず。

ここまで僅か1分程度でしたが、この曲輪の端までくると大石垣までは7分まで近づいていました(笑)
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もう一つ伝三の丸と思しき曲輪
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他の曲輪は家臣団の名前が付けられているところ、ここだけ三の丸と呼ばれている理由も気になります。

薮の中に顔をのぞかせる石垣を見ながら先へ進むと
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立派な石垣が見えてきました。こちらが伝平井丸
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最初に見える立派な石垣にもテンションが上がりますが、
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なんといっても巨石を用いた虎口は圧巻。思わず声が出てしまいました。
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興奮のあまり同じ虎口で何枚も写真を撮っていました(笑)
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石垣の南東部には埋門もあったようですが、今は崩落してしまっています。これは残念
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平井丸内部を散策しましょう。広い曲輪内部には平井氏屋敷跡の標柱。
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木がひどくて見通しが効きませんが、奥に進むとちょっとした虎口と石段
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その奥には石段数段分だけ高い小さな曲輪がありました。
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伝平井丸の最奥部ですし、最も重要な区画だったのでしょう。
その奥は到底進めそうになかったので引き返します。

内側から見た平井丸虎口も写真に納めてから次へ
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虎口を抜けて西方向に目をやると、伝平井丸石垣と相対する伝落合丸の石垣も見えてきます。
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標柱には伝落合氏屋敷跡とありますが、他と合わせて伝落合丸とさせていただきます。

こちらが伝平井丸石垣
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石の大きさからすでに威圧感があります。

こちらは伝落合丸の石垣
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こちらもなかなかの巨石が使われています。隅角部が丸みを帯びていて特徴的です。

このまま伝落合丸を見ていきたいところですが、長くなってきたので続きはまた次回。

付近のスポット
近江八幡市には百名城がたくさんあります。

tmtmz.hatenablog.com

tmtmz.hatenablog.comその他滋賀県の記憶はこちらから

tmtmz.hatenablog.com

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