にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

墨俣城 (岐阜県大垣市) -かの有名な一夜城と墨俣宿

西濃地方へ遠征。まずはいろいろな意味で有名な有名な墨俣城へ。
一夜城伝説、あらかじめ組んだ木材を流して建てた秀吉の大手柄は非常に有名ですね。

信憑性の議論も吹っ飛ぶような現地の現状ですが、周辺には興味深いスポットもチラホラ。
散策してみると良いところでした。

お城:墨俣城 岐阜県大垣市
HP:墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館) | 大垣市公式ホームページ/水の都おおがき
訪問日:2022年8

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概要

墨俣の地はもとより要衝で、斎藤氏が築いた洲俣要害がありました。
1561年、織田信長が美濃を攻め、洲俣要害を奪い、改修したことが記録されています。

1566年、豊臣秀吉がプレハブ工法を用いて一夜城を築いたとされます。
有名な伝説ではありますが、その信憑性には疑問も呈されています。

1991年、大垣城をモデルとした模擬天守を持つ歴史資料館として整備されました。

訪問記

墨俣城

犀川さくら公園の駐車場から散策スタートです。
天守目の前の橋のたもとにも数台分の駐車場はありますが、こちらも十分近いですし何より広いので、こっちの方が便利かな。

駐車場からは早速模擬天守が見えています。
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遠くからでも存在感があります。
地域おこしで作りたくなる気持ち、分からなくはない、、、かなぁ

川を利用した堀と天守、のような立地ですが、コンクリートがちがちで自然なんだか人工なんだかよく分からない景色。
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この天守が当時の墨俣城と全く違うというのは大垣市のHPにも書かれていることですし、それっぽければ良いんでしょう。
モデルとなった大垣城がすぐ近くにあるのはどうなんだろうとは思いますが。

右側に見えていた橋は太閤出世橋という名前。もちろんここでは秀吉全面推しです。
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橋の向こうが本丸、なのかな。

千成びょうたんに
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秀吉像もお出迎え。
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そのまま窮屈な立地で天守入城口に到着です。守りも何もあったもんじゃない笑
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できて30年くらいたっていますが、まだきれいすぎるかな。

中に入る前に周りも見ていきましょう。
思いを託す千成びょうたん絵馬に
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なんだかよく分からない出世の泉
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裏には一夜城の碑もありました。表にもあったような…
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当たり前ですが、遺構らしきものはありません。

天守内に入りましょう。
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内部は歴史博物館。もちろん秀吉の出世と墨俣城を絡めた展示となっています。

全面的に前野家古文書に基づいていて、潔い。論争なんて感じさせません。
また当然ながら展示されている墨俣城のイメージ図には、今いる天守はありません。
ここは何の建物なのか笑

突っ込みどころは満載ですが、全体的にはそれなりに読ませる展示でした。

最後はもちろん最上階からの眺望

大垣城方面と
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岐阜城方面
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特に岐阜城は雨でもくっきり見える近さ。
侵攻の拠点になりそうな近さであることは間違いなさそうですが、実際のところはどうだったんでしょうかね。

墨俣宿

今の墨俣城では少し歴史成分が足りませんので笑、近くまで足を延ばします。
墨俣宿東海道中山道をつなぐ脇街道であった美濃路の宿場町でした。
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石碑も置かれて少しそれっぽく整備されています。

反対側には常夜燈と本陣跡の石碑も。
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今は川の堤防になっていて本陣跡の雰囲気が全くないのがちょっともったいない。

美濃路から一本南の通りへ。
寺町と呼ばれる界隈で、その名の通り寺院がたくさん立ち並びます。

こちらは明台寺さん。
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1126年の開山。由来はさらに遡る由緒正しきお寺です。
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先へ進むと寺院に囲まれた、まさに寺町の様相に。

広専寺さんとお向かいは
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本正寺さん
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雰囲気のある山門と思ったら、墨俣宿脇本陣の門を移築したものでした。

お隣、突き当りには等覚寺さん
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さらに隣は光受寺さん
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こちらはしだれ梅がきれいだそう。8月は青々、というか鬱蒼としていました。
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どこまでも続く寺町、というほどではないにせよ、雰囲気は良いです。
墨俣城天守が無くても良い観光地では。。。

寺町を抜けて本陣の通りに戻ると、墨俣宿脇本陣
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いわゆる脇本陣の跡地に趣きある民家が建てられています。
当時の建物が濃尾地震で倒壊した後にほぼ同様の構造で再建されたもの。
さきほどの本正寺さんの山門はここにあったものが移築されたものです。

大垣市景観遺産には、(安藤家)と登録されていますが、これは代々脇本陣役を務めた西美濃三人衆、安藤守就の御子息を指しています。
今は民泊となりましたが、宿場町だけあってさすがの歴史です。

空き地や建て替えられた箇所も多いですが、ところどころ雰囲気を残すカフェなんかも残っていました。
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下の地図の通りすぐですので、墨俣城訪問の際は少し足を延ばしてみても良いのでは。

感想

満足度 2/5

作った側も再現するつもりはなかったところとは言え、現地に行くとやはりこれじゃない感を感じざるをえませんでした。
どうせやるなら城内に描かれたイメージ図に近いものにすればよかったのに、と思ってしまいますが、それはそれで一般受けしないでしょうし、あったなかった論争の火種にもなりそうではあります。

細かいことを気にしなければ、有名なエピソードのある城っぽい何か、ですし、軽く観光するにはいいところかも?

と思うと、ふるさと創生になってはいるんですかね。
今の城の立ち位置は観光地だからいいのかな。

アクセス

墨俣城

  • アクセス
    電車・バス:JR東海道本線 大垣駅または岐阜駅からバス 墨俣バス停下車 約12分
    車:名神高速 安八SICから約15分
           岐阜羽島ICから約20分
      無料駐車場あり
      橋近くにも小さな駐車場はありますが、犀川さくら公園駐車場が便利です。
  • 城跡
    開城時間:9:00~17:00(最終入館16:30)
    休城日:月曜日 祝日の翌日(土日月の場合変更) 年末年始
    入城料:一般200円、18歳以下無料
  • 所要時間
    1時間
  • 付近のスポット
    天守から見えた岐阜城はいかがでしょう。

    tmtmz.hatenablog.com

    遺構が少なく、模擬天守が目玉になっているあたり、清州城もちょっと近いかもしれません。近くの本陣跡も。ただ、こちらは歴史が明確ですね。

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    #城


続百名城 高天神城(147・静岡県掛川市)2/2-東峰の本丸へ

前回に引き続き、高天神城。今回は東峰を回ります。

全く様相が異なる一城別郭を間近に見られるのは貴重ですね。
西峰ほどの深い堀切はなくとも、断崖の上の東峰もやはり堅固な名城でした。

お城:高天神城 静岡県掛川市
HP: 高天神城跡 - 観光サイト
訪問日:2019年5月、2023年2月

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訪問記

東峰

西峰の探索から戻って二つの尾根をつなぐ井戸曲輪から再スタート。
再度、略図にご登場願います。

右側に描かれた東峰は、最高地点に築かれた本丸から御前曲輪、三の丸と並びます。
また、本丸ふもとに的場曲輪も持ちます。

的場曲輪から本丸、御前曲輪、三の丸、追手門へと逆順で進みましょう。

「現在地」から東峰に上がり、
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最初は的場曲輪から。
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虎口を抜けると、斜面に築かれた曲輪に出ました。
西峰で見てきた曲輪たちと比べて横に広がりを持っており、そもそも尾根上ではない立地も含めて西峰の曲輪とは全く異なる様相です。

的場曲輪、という名前から弓矢の練習をしていたとも言われます。
また、発掘調査では砂利を敷き詰めていたことが確認されており、重いものか、弾薬のような湿気対策が必要なものを置いていたのでは、と言われています。

的場曲輪の奥からは本丸に上る通路と、もう一つ下る通路があります。
下から進むと突き当りには大河内石窟
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徳川方の軍監だった大河内政局は、武田勝頼による侵攻の際、降伏に反対したため城主小笠原長忠により幽閉されました。

そのまま7年後の高天神城奪還まで耐え忍び、救出されます。
その忠義に対して家康は恩賞を与えたとされます。
その間、密かに世話をしていたのが、この戦いで辛くも城を脱出した横田尹松でした。

石窟で7年過ごした大河内政局は歩けなくなっていたとされます。
そこまでしても敵方に降らない忠義、驚きです。

石窟から戻って、もう一方の道を進むと本丸につながります。
ただ搦手のような方向から入るのもなんなので、一度戻って大手に近い側の虎口から。
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左手が本丸、右手は本丸と尾根続きの御前曲輪に続きます。

さすがは本丸と思える深い深い虎口。こっちから入ってよかった。
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このあたりも西峰とは違う様相です。

本丸全景
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的場曲輪と同様に、西峰の曲輪群とは異なりある程度の広さを持つ曲輪です。
居住スペースにも使われていたんだろうなと思わせる広さ。

細部を見ると、的場曲輪のある西側には低いながらも土塁が残り、
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東側は土塁はありませんが断崖絶壁です。
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的場曲輪から続く側にも低くなってはいますが土塁と虎口が見られます。
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堀こそありませんが、断崖を生かした守りであったことが窺い知れます。

南隣の御前曲輪へ
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本丸と高さはほぼ同じ、土塁と虎口で仕切られています。

御前曲輪に入る前に、高天神六砦の一つ、火ヶ峰砦を望むことができます。
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望むことができるというか、見えてしまうというか。
劣勢に立たされていく絶望のほんの一端を感じられるような気がします。

感傷に浸りつつ、振り返って御前曲輪を眺めます。
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急にポップになりました笑

大東町が設置した顔出しパネル、置くなら本丸ではと思いますが、奥に見える地元の方が作られた戦前の模擬天守跡のコンクリ足場とともに御前曲輪に鎮座されています。
本丸を避けるのは戦前も今も共通なんですかね。遠慮なのかな。

御前曲輪にはもう一つ、元天神社もあります。
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西の丸で見た高天神社はもともとここにあったそう。本丸至近ですし、納得です。

元天神社脇の虎口から通路に戻り、
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三の丸
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本丸、御前曲輪の南、一段下がった立地です。
三の丸は小笠原与左衛門清有が守ったことから与左衛門平とも呼ばれます。

外周はぐるっと土塁に囲まれています。
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追手門にほど近い比較的広い曲輪、かつ本丸、御前曲輪の直下ですし、防御も重視されていたのでしょう。

このまま追手門へ下ります。
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もう一つ下の曲輪には着到櫓
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その名の通り敵の襲来を見張りました。

狭い曲輪ですが当然眺めはよく
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また高い土塁にも守られています。
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これを越える高さの櫓があったのかな。

さらに下りると追手門
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と言っても看板はあれど、どこがそれかはちょっとわかりません。。

そのまま駐車場へ。f:id:tmtmz:20230223213934j:image
大手にあたりますが今は完全に裏口。
駐車場も看板もありますが、人は明らかに少ないですね。

大通りには立派な看板がありますが、
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最後の交差点はこのレベルですので、追手門から行かれる方は予習必須です。
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感想

満足度 4/5

堀がすばらしい西峰と典型的な山城が残る東峰
武田と徳川の歴史や攻城戦の工夫も垣間見えて一粒で二度おいしいような、一城別郭の名城でした。

山城ですがアクセスも容易で、一般の方もたくさん訪問されていました
よく整備して下さった旧大東町の方に感謝です。

アクセス

高天神城

  • アクセス
    電車・バス:JR東海道線 掛川駅からバス 土方バス停下車徒歩15分
    車:東名高速掛川ICより約15分
      無料駐車場あり
  • スタンプ・開館時間 
     大東北公民館
     開館時間:9:00~17:00
     休館日:月曜日、年末年始
     アクセス:
      電車・バス:JR掛川駅からバス 大東北公民館 下車すぐ
     (土方の一つ掛川駅よりのバス停です。)
      車:東名高速 掛川ICより約15分
        無料駐車場あり
    掛川観光協会ビジターセンター「旅のスイッチ」
     開館時間:9:00~17:00
     休館日:年末年始
     アクセス:JR掛川駅南口構内
    掛川南部観光案内処
     開館時間:9:00~16:00
     休館日:水・木曜日、年末年始
    アクセス:電車・バス:JR袋井駅からバス 西田町 下車すぐ
      車:東名高速 掛川ICより約30分
        無料駐車場あり
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    ~1.5時間
  • 付近のスポット
    近くの百名城はやはり掛川城

    tmtmz.hatenablog.com高天神城攻め関連で。

    tmtmz.hatenablog.comこちらも高天神城絡みの名城です。

    tmtmz.hatenablog.com時代は異なりますが、良いところでした。

    tmtmz.hatenablog.com

     

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    #城


続百名城 高天神城(147・静岡県掛川市)1/2-武田流改修の跡が残る西峰へ

続百名城 高天神城へ。
高天神を制する者は遠州を制するとも言われた要衝でした。

大河ではチラッと登場程度かつ、訪問はそれよりずっと前でしたが、それでもたくさんの観光客。
注目度の高さを感じつつ、西峰の遺構を見てまわられていた方は少なかったような。
今もはっきりと残る素晴らしい遺構を手軽に感じられてとても面白いので、本丸だけでなく堂の尾曲輪方面にも足を延ばされるのをおススメします。

お城:高天神城 静岡県掛川市
HP: 高天神城跡 - 観光サイト
訪問日:2019年5月、2023年2月

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概要

築城時期は諸説あり、今川氏が勢力を拡大する中で築かれたと考えられています。
今川氏家臣の福島氏、続いて小笠原氏が城主となりました。

桶狭間の戦い後、小笠原氏は徳川方につき、武田軍の侵攻に相対することとなります。
信玄による侵攻には耐えますが、1574年、勝頼により攻め落とされます。

勝頼は高天神城を改修しますが、長篠の戦いで形勢逆転。
徳川氏が高天神城周囲に6つの砦を築いて包囲し、5年がかりで攻め落とします。

兵糧攻めにより追い詰められ、最後は城番の岡部元信を先頭に全員突撃し、玉砕。援軍を送れなかった武田氏の名声は大きく低下したとされます。

その後、廃城となりました。

訪問記

掛川駅から高天神城

遠州の要衝、高天神城へ。今回は公共交通で向かいます。
駅から離れてはいますが、意外と(?)アクセスが確保されていたので。

スタートはJR掛川駅の北口
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新幹線も止まりますが、こだまのみ。
東海道新幹線の駅では少し存在感が薄い駅の、新幹線が通っているとは思えない和風駅舎からスタートです。

掛川駅からは天竜浜名湖鉄道というローカル線も出ています。
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なかなか味のある路線でしたので、良ければ寄り道の記憶もどうぞ。

tmtmz.hatenablog.com

もう一度駅北口へ。
掛川駅で見たかった掛川城は駅からは見えず、代わりに大河の旗だけ拝んだら、
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バスに揺られて高天神城へ。

高天神城まではバスで1本。1時間に1~2本と最低限の数もありました。
最寄りっぽい名前の高天神入口バス停にはほぼバスは行きませんが。

まずはパンフ目当てに大東北公民館へ。
最寄りもそのまま大東北公民館前のバス停、30分の道のりです。
高天神城に直行される場合は、次の土方バス停で降りるのが良いでしょう。

その名の通り、バス停目の前の公民館でパンフレットをゲット
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パンフレットは掛川駅のバス停や現地にもありますが、他にも高天神城の歴史の展示が多く、散策前に寄っておきたい場所かもしれません。
馴染みの無い公民館に入るのは少し勇気がいりますが、良くしてもらえましたし。

続100名城スタンプもこちらで押すことができます。
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モデルは搦手門付近かな。
声をかけてスタンプを出してもらうスタイルなので、こちらも少し勇気がいります。

高天神城方面へ歩いて向かいましょう。

道中気になる碑は千人塚
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1581年の第二次高天神城の戦いの多数の戦死者を埋葬した塚でした。
凄惨で知られる戦いの塚と言われると、感じるところも違いますね。

高天神城西峰

大東北公民館から歩いて15分ほどで城北側の搦手門駐車場に到着
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搦手門ではありますが、今は正面入り口のようになっていて、駐車場も広い広い。

駐車場の最奥から登城開始です。
想像図で分かる通り、高天神城は西峰と東峰からなる一城別郭の縄張りを持ちます。
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今いる搦手門はちょうど二つの尾根の間。いかにも挟撃されそうな構図で嫌だ嫌だ。

搦手門から登城開始です
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このあたりの足元は整備されている印象ですが、
坂道はなかなか急。
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そんなに距離があるものでもないので頑張りましょう。

登ると、三日月井戸
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武田氏の頃のもので、飲み水かと思ったらそうではないようです。
今は金魚が泳いでいました。まさか当時金魚を飼っていたわけではないでしょうが(笑)

三日月井戸から少し登ると2つの尾根の間に到着です。
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現地の縄張図からは鐘曲輪かと思いましたが、それはこの下の薮の中。
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その名の通り、敵襲を知らせる鐘や太鼓を鳴らしたそう。

この先、本格的に城域に入りますので、目の前にある縄張図を見ていきましょう。
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東西に2本、南北方向に延びる尾根に、いくつかの曲輪を持ちます。
西峰は西の丸を、東峰は本丸を中心として尾根に沿って曲輪を並べた構造です。

西峰には武田氏の改修の跡が見られ、横堀や堀切も残ります。まずはそんな西峰から。

最初は東西をつなぐ井戸曲輪
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その名の通りかな井戸が置かれています。
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先ほどの三日月井戸まで行かずともこちらで十分飲み水は確保できそうですね。

傍らには尾白稲荷も置かれています。
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この先、西峰を北へ、看板通り二の丸方面に向かいます。
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こちらも看板の通り、かなりの急斜面に細い通路が置かれていて、

崖下には搦手方面から来た道が見えています。
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やっぱり狙いたい放題ですね。
ここから本格的に西峰の曲輪を見ていきます。

まずは袖曲輪
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西側と中央に土塁を持つ小さな曲輪です。f:id:tmtmz:20230223212818j:image
一見何の変哲もない曲輪ですが、

その北端、堂の尾曲輪との間がすごい。
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深くて急な堀切で切られています。いやーすごい。

絵になる堀切です。
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堀切を降りると目の前に広がるのが長い長い空堀
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西峰に縦に伸びる曲輪群すべての西側に沿うように全長100mにも達します。

先ほどの袖曲輪側にも伸びます。
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こちらは武田氏による改修でできました。
高天神城は西側だけが緩斜面で武田軍もここから攻めた弱点だったからだとか。
先の堀切も併せて、力の入れようがすごいです。

いったん曲輪に戻って北上します。続いては堂の尾曲輪
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西側に土塁を持つ南北に長い曲輪です。やはり西側の守りへの意識が感じられます。

現地には、武田軍侵攻時に二の丸主将だった本間氏清、跡を継いだ丸尾義清兄弟の死を伝える解説が書かれています。
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供養碑は袖曲輪下にありました。何度も戦の舞台となっていると、重みが違います。

土塁伝いに進んでいくと、また堀切
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次の井楼曲輪との間を切ります。
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先ほどのものほどではなくてもこちらも十分にくっきり。

井楼曲輪
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こちらもやはり西に土塁を持つ南北に伸びた曲輪です。
曲輪北端から振り返ると全景が分かりやすいかも。
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西峰北端に位置して眺望が良く、物見の櫓が置かれていました。
堂の尾曲輪で説明のあった本間、丸尾兄弟の狙撃はここであったとのこと。

北端からの眺め
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木々が生い茂るうえに櫓もないですが、それでも良い眺望です。
櫓を置きたくなる気持ちもよく分かる。

井楼曲輪を降りて、西の空堀伝いに戻りましょう。
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ここまでの曲輪群全てをカバーするように伸びる空堀
ここまで来てもこの深さが残るところもまたすごい。よほど深く作られたのでしょう。

井楼曲輪付近には竪堀もほる力の入れようです。
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まあ肉眼ではよく分からないのですが。

やっぱりこっちのどこまでも伸びる感じがいいな。
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徳川氏による攻城戦は兵糧攻めで、ここまでした防御機能も実戦では使われなかったと考えられます。守りによる威圧感で力攻めさせなかったともいえるのかな。

空堀伝いに戻り、西峰の中心となる西の丸方面へ向かいます。
まずは袖曲輪の上にある二の丸
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少し登る程度でほぼ同じ高さにあり、堂の尾曲輪などと一連の曲輪群という印象。
ただ、尾根が少し広がった場所にあるため、東西方向に長いかなり広い曲輪です。

西側に土塁を持っていることは共通
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この先、西の丸とはかなり高さが違います。
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西の丸にはそのまま攻めさせないあたりも上手い作りになっています。

西の丸へは井戸曲輪から登ります。
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今は高天神社となっているこの場所が西の丸
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参拝しつつ、
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気になるのは脇の土塁
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今までと比べても圧倒的に残っています。
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それだけ厳重に守られていたんでしょうね。

脇の堀切を越えて馬場平
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馬場の名に反する細い曲輪と思ったら、番場の当て字で見張番場があった場所だとか。
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南方面への眺望がすばらしい。
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奥の延びるのは犬戻り猿戻り 
甚五郎の抜け道
とも呼ばれ、第二次高天神城攻めの際に横田尹松が城を脱出、勝頼に落城を報告した道だそう。
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私は脱出せずに東峰へ向かいます。
切の良いところで、東峰はまた次回。

近くだとやはり徳川氏の高天神城の攻めの際に築かれた横須賀城

tmtmz.hatenablog.com掛川に来たらやはり寄りたい掛川城もいかがでしょう。

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小布施の街並み散策 東信の城めぐり旅⑩

荒砥城に引き続いては、栗と北斎と花のまち 小布施へ。
地域も違えば城でもなく、タイトル詐欺も甚だしいですが、良い所なのでちょいと遠くに立ち寄りたくなってしまいまして。

美味しい栗と蕎麦、北斎さんの天井絵と一足延ばした甲斐は大ありでした。
そりゃ人気にもなりますね。

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小布施栗

早朝の荒砥城散策からその足で、北信濃有数の観光地、小布施へ。
11:00前の到着で、人も多けりゃ車も多い。GWの小布施を侮っていたかもしれません。
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街並み写真すらろくに撮れない人の多さ。途切れたところで1枚。

何とか車を置いたらすぐ栗グルメに向かいます。早く行かないとやばそうだったので。

小布施で有名なお店の一つ、桜井甘精堂 泉石亭さんへ。
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11:30の到着でも混雑がすごく、こんな写真しか撮れませんでした。
入店すら苦労するほどの待ちとは。

向かいの本店で栗スイーツを見たり、近くのいい雰囲気の小径を歩いたりしながら待つこと15分
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GWの新緑が鮮やかでこんな景色があるなら待ち時間があっても良かったのかも。

混雑のわりに早く呼ばれたのはカウンターOKだったおかげでしょう。
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どうやら最初のカウンターの客になってしまったようで。

頼んだのは一茶御膳

栗の存在感抜群の栗わっぱと
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信州のそばを同時に楽しめる御膳です。
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ほくほくの甘い栗ともちもちのおこわ、美味しいお蕎麦に加えて豚の角煮までついてきて、満足感高めの御膳でした。
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栗わっぱと蕎麦に負けずに存在感を放つお味噌汁のサイズにも驚きましたが笑
得した気分になりながら、ごちそうさまでした。

r.gnavi.co.jp

小布施街歩き-小布施陣屋跡

満腹になったら改めて小布施の街並みを歩きましょう。
小布施も伝統的な街並みを修復しており、そこかしこに趣を感じる建物が並びます。
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こちらは栗スイーツでも有名な小布施堂さん。

伝統的な雰囲気と活気が共存する通りも。
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観光地感は強めですが、これくらい活気がある方が歩いている分には楽しかったりもします。あんまり人がいないもの寂しいので。

伝統がにじみ出る酒蔵もあり、
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その向かいにはこんな看板も立っています。

小布施陣屋跡
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江戸時代中期に陣屋が置かれた場所の近くには今もいい路地が。
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なんか走りたくなる景色笑 さすがに走りませんでしたが。

抜けると
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標柱がありました。
流石に跡地ですからね笑 今は駐車場になっています。

素直に駐車場オーナーの竹風堂さんで栗おこわを買って帰りましょう。
さっき食べたばっかりですが、ついついテイクアウトを

岩松院

少し遠くへ足を伸ばします。
街なかから離れた場所にもぜひ立ち寄りたいスポットがあるのです。

道中、長閑な農地と住宅が広がりますが、街路樹を愛でつつ
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思いのほか早く感じた徒歩30分で到着したのが、岩松院
ここにぜひ訪ねておきたいスポットがたくさんあります。
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明るい木漏れ日の参道って珍しい気がします。新緑が似合う景色です。

山門をくぐって、
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本堂
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ここまではままある立派なお寺だなという印象ですが、この本堂の中に最初の目玉
北斎ゆかりの天井画 八方睨み鳳凰があります。

大きな大きな天井画が、いまでも鮮やかな色彩で描かれており、八方睨みの名の通りにどこから見ても睨みつけてくるような迫力でした。
お寺の方の説明を聞いて、その後じっくり観察させていただいて、芸術に疎い身でもそのすごさの一端を感じられた気がします。

撮影禁止でしたので写真は公式HPからご覧ください。
忘れるのが嫌でポストカードを買いましたが、それを載せるのも気が引けるので。

www.gansho-in.or.jp

岩松院をもう少し回ります。
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お庭も綺麗と思ったら、こちらの池は、やせ蛙負けるな一茶これにありの舞台だとか。
いろんな著名人の名前を聞いて何となく自分も著名人になったような、気はしないか笑

さらに、もう一人ゆかりのある著名人が、福島正則
ここを菩提寺としており、霊廟も置かれています。
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広島城修築を咎められ、信州高井野藩に改易になった後、この地で治水や新田開発に励みました。
高井野藩での生活は僅か5年でしたが、その間に菩提寺と定めたのが岩松院でした。
武勇で名を馳せた猛将がこの地で眠っているとは知りませんでした。合掌。

雁田薬師

さて、岩松院からその足でもう一か所。
10分ほどでたどり着いたのが雁田薬師 浄光寺
寿命を延ばして下さるお薬師様だそう。

GWだからでしょうか、結構な人出の仁王門を抜けると、
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写真は相変わらず人が途切れたタイミングを見計らいました。

これぞ参道と言った木に囲まれた石段。
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岩松院の明るい木漏れ日の参道も良かったですが、こちらはいっそう風情を感じる景色

実は仁王門のスピーカーから爆音で解説が響いていて、現地ではあまり風情を感じなかったりもしましたが笑

薬師堂に到着。
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茅葺の薬師堂はただただ美しい。
1408年の建立で、重要文化財にも指定されています。
木々に囲まれた神聖な雰囲気が良いです。

やはり人出が多かったりであまりおちついて参拝はできませんでしたが、人の少ない夕暮れなんかに来ると一層風情がありそうですね。

こちらのお寺、仁王門脇にスラックライン場があったり、グランピング場も近かったりと、結構今風な楽しみ方もされていて、もう少し時間を取って訪ねても良かったかも。

最後は小布施の街に帰って栗の名残をソフトクリームで味わったら、旅も終了。f:id:tmtmz:20220504132724j:image
龍岡城から千曲川沿いに城をたどって小諸、上田と北上したこの旅。
信州の著名な城跡と歴史ある街並み、あと美味しいものを堪能できた、良い旅行となりました。

この旅の始まりは龍岡城でした。

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長野ではこんなところも回りました。

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荒砥城 (長野県千曲市) -バブルの香り感じる温泉街の復元山城 東信の城めぐり⑧

東信の城めぐり、続いては復元山城で有名な荒砥城。

ネット上でも多数紹介されていますが、実際に見て感じる復元建物や周辺の雰囲気はやはり違います。
遺構が分かりやすいともっと良いですが、それでも気軽に登れて雰囲気が分かる山城は貴重ですね。

お城:荒砥城 長野県千曲市
HP:城山史跡公園「荒砥城跡」/千曲市
訪問日:2022年5月

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概要

室町時代末期、この地の豪族村上氏の一族、山田氏によって築かれたとされます。
村上氏は武田氏と争いますが、1553年に本拠の葛尾城が落城。山田氏は滅亡しました。

その後、武田氏家臣の屋代氏が屋代城から移ります。

川中島の戦いなどを経て、武田氏が滅亡すると屋代氏は上杉氏に従います。
しかし、徳川家康の調略もあり、1584年に反旗を翻し、荒砥城に籠城します。

上杉氏により落城し、そのまま廃城。屋代氏は家康の重臣となりました。

昭和の頃はテーマパークとして利用されますが、平成に入り中世山城を再現した歴史公園として整備されました。

訪問記

千曲川沿いにさらに北上し、戸倉上山田温泉に投宿。
温泉街になかなかなバブルの香りを感じた翌朝、荒砥城へ向かいます。
上山田温泉のバブルの香りは最後に。
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この道路を通って荒砥城に向かった訳ではありませんよ笑

荒砥城は温泉街からも見える立地。
中世山城だけあって、かなりの高さですが車で行けるのでありがたいものです。
大変急な山道で到底歩けません。。。

しばらく進むと山中にもバブルの香りただよう博物館や廃墟。
B級スポット好きの方にはたまらないんじゃないかな。
中世山城に向かっているとは思えない立地です笑

まさに近代の夢の跡、、、などと考えていたら、駐車場に到着。
先述のとおり、荒砥城は今は城山史跡公園として整備されています。
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観光地として整備されていますが郭の名前も振られて、城好きへの配慮も感じます。
まぁここまで来る人で城好きじゃない人は少ないか。

パンフレットから縄張り部分を抜粋
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本郭から四の郭(かつては五の郭)まで一列に並んだ連郭式の縄張りです。回りやすくてありがたい笑

案内所手前には石碑。
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力が入ってますね。テーマパーク感は強いですが。

案内所を抜けるとすぐ裏手が四の郭
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案内図の通り結構な広さを持ちます。整備は行き届いていますが、解説は特になし。

先に進んで三の郭はこのあたりのちょっとした広がりなのでしょう。
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こちらは改変されていてよく分かりません。やっぱり解説もありません。

登るとすぐに二の郭の虎口へ
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たいそう立派な石垣を用いた門がおかれています。
これはそれっぽいかなと思いますが、

内部はちょっとやりすぎ感も。
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本当にこうだったらすごいですが、どことなくテーマパーク感を感じます。
どの辺まで遺構に基づいているのでしょうか。解説が欲しい。

二の郭内部は兵舎や櫓が復元されています。
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こちらもどこまで忠実なのかは分かりませんが、イメージはしやすいですね。

櫓は登ることもできます。
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木造だと維持管理も大変でしょうに、ありがたい。

麓の戸倉上山田温泉街や
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村上氏の本拠、葛尾城方面を眺めることができます。
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こうやって眺めながら連絡を取り合っていたのでしょうか。
あちらも行ってみたいですが、家族旅行で行くところではないですね笑

兵舎の中は荒砥城の歴史にまつわる展示がたくさん。
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たしか年季を感じるビデオもあったような。このあたりは城好きとしては嬉しい。

本郭へ向かいましょう。
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門はさっきと同じで笑
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内部もやっぱり同じ
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本当にこうだったならいいですが、そんなことあるかな

本郭内部には館や兵舎が復元されています。
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立体復元は平面復原よりイメージはしやすいです。どこまで当時と、、、。

登ったからには本郭からの展望も。
こちらは北方面。山田氏の後、屋代氏の屋代城も見えます。
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街並みは異なりますが、山や川などは今も昔もこんな感じなのでしょうかね。

ちなみに、案内板は城情報多め。城好きを意識している姿勢は一貫していますね。
その割に遺構の案内は少ないけど。
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こういうのを見ると、それらの城にも登ってみたくなりますね。また遠征したい。。

この先、尾根伝いに荒砥小城や若宮入山城、証城と続きますが、今日はここまで。

最後は本郭から二の郭越しに麓を。f:id:tmtmz:20220504132340j:image
兵舎、櫓越しに見下ろす雰囲気はいいですね。
中世山城は大体こんな感じだったんだろうかな。

おまけ 戸倉上山田温泉

最後はおまけで麓の戸倉上山田温泉街の様子

表通りは綺麗な温泉街ですが、一歩路地に入るとバブルを通り越して昭和から残っていそうな街並みが残ります。場末感というやつですかね。
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この雰囲気がエモいと受けているのだとか。
狭い路地に派手な看板の雰囲気は、こだわればいい写真が撮れるかも。
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ホテルで推されていたのは今も残る射的場。
こういった雰囲気が好きな方は足を延ばしてみても良いのでは。

感想

満足度 3/5

遺構は感じられませんでしたが、復元建物のそれっぽさはなかなかなもの。
大河のロケに使われるのも納得です。
惜しむらくはやっぱり、当時との関係性。何度も観光開発を受けていて難しいのかな。
あと、周辺もうちょっときれいにならないかな。

アクセス

荒砥城

  • アクセス
    電車・バス:しなの鉄道 戸倉駅からタクシーで約10分
          千曲市循環バスもありますが、日祝運休かつ本数僅少です。
          最後はかなりの坂道です。 
    車:上信越道 坂城ICから約20分
      長野道 更埴ICから約30分
      無料駐車場あり
  • 城跡
    開城時間:9:00~17:00(最終入館16:30)
    休城日:年末年始
    入城料:大人300円、高校生150円、中学生以下無料
  • 所要時間
    1時間
  • 付近のスポット

    実はここも見えているようです。

    tmtmz.hatenablog.com

    この旅の始まりは龍岡城でした。

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    長野ではこんなところも回りました。

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姨捨の棚田を散策 -東信の城めぐり⑧

絶景で名高い姨捨の棚田へ。三大車窓の姨捨駅も併せて巡ってきました。
噂にたがわぬ絶景、素晴らしかった。
今度は列車で夜景を見たいかな。

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姨捨の棚田・長楽寺地区

この旅で初めて城でも宿場町でもない場所へ。たまにはこういう場所にも行きますよ笑

向かったのは景色で名高い姨捨の棚田。もちろんお目当ても棚田の景色です。

棚田というからには、付近は斜面と狭い道路となかなかに不安をあおってきますが、そんな対向車の不安を乗り越えて、日本遺産センターの駐車場にやってきました。
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まあ実際には行きも帰りもすれ違わなかったんですけどね。
ひそかに車を停める場所も心配していたので立派な駐車場に一安心です。

姨捨の棚田と一言で言っても広く、長楽寺四十八枚田姪石・上姪石の大きくわけて3地区に分かれています。
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今いる日本遺産センターは長楽寺地区に至近。
長楽寺→姨捨駅→姪石・上姪石へと散策していきましょう。

早速、長楽寺さんへ
駐車場からだと中途半端なスタートとなりますので、いったん山門まで下ります。
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早速の冠木門がいい雰囲気を出しています。

立地が分かりやすい引きでも一枚
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絵にかいたような新緑と坂道の中の山寺です。茅葺屋根も良い。

小ぢんまりとしたお寺ですが、1835年ごろの建築と推定される茅葺の月見堂や
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姨石と名付けられた巨石
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こちらも江戸時代終わりの建物と推定される本堂と、
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棚田を抜きにしても十分見どころがあります。

さらにこの時は善光寺の御開帳に合わせて秘仏御本尊の御開帳をされていました。
たまたまの参拝が7年に一度にあたってしまって、運がいいような罰当たりなような。

ご本尊と対面させていただいたところで、姨捨散策に戻ります。

長楽寺さんから少し登ると、棚田が始まりました。
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GWはまだ水もはっていなくてオフシーズンですかね。

それでも遠くに見える善光寺平と棚田は、登りきる前から美しい。
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あわせて結構な坂道ということもお察しいただける写真かと思いますが、それでも登りたくなる景色です。
ただ長楽寺さんから上のこのあたりは一面の棚田という感じではなかったりもして。
一面の棚田は姪石地区までお預けです。

姨捨

引き続き急坂を乗り越えて、JRの線路が見えてきました。
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遮断機の無い踏切は初体験だったので、

たくさん写真を撮ってしまいました。
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とまれみよの通りに停まってかなり遠くまで見てから渡りましたよ。

こちらも遮断機の無い踏切から姨捨駅のプラットホームを
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こうしてみると複線のようですが、

実はこれは駅構内の線路。先で途切れています。
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本線は先ほどの単線の線路。姨捨駅はスイッチバックの珍しい構造をしています。

山側に置かれた駅舎。こちらもおしゃれです。
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レトロなデザインと思ったら、本当に大正デモクラシーの頃の設計だとか。

待合室もモダン。
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そして、ホームからは一面の絶景

、、、と言いたいところですが、山側のホームなのでもう少しお待ちくださいね笑
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ホームから後ろを向いたベンチの様子が良く見える写真をお伝えしたくて。

当然向こうのホームからもう一枚。
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善光寺平を一望する絶景。晴れて良かったー
手前に線路が見えるのもポイント高め。なんという急勾配に駅を作ったんでしょうね。

これから向かう姪石地区には水を入れた田んぼもありました。
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全部の田んぼに水が入ったら一層綺麗でしょうね。ちょっと早かった。。

改めて駅を探索です。
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ホームだけを見たら何の変哲もない駅ですが、何度も言っている通り、ここはスイッチバックの駅。
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駅名表でもアピールしてきます。

麓からの電車は一度奥の引き上げ線に入ってから
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折り返してやってきます。
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そうしないと止まれないくらいの勾配ですからね。ちょうどいいタイミングで電車が来ました。

そして、電車から素晴らしい景色を見られるのでしょう。羨ましい。
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のんびりしていたら別の列車もやってきました。
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ツアーで使われたリゾートビューふるさとという列車。ラッピングがかわいい。
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そりゃこの景色ですし、寄り道しますよね。

とか言っていたら対向も入ってきてにわかにラッシュの様相を呈してきました。
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山間の静かな駅かと思いきや、結構忙しい。

列車交換を駅舎とともに。良い画です。
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後からやってきた電車が先に発車。奥の引き上げ線に入ってから
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折り返して下っていきました。何度見てもすごい勾配で。

我々も出発しましょう。
スイッチバックする必要はありませんが、引き上げ線を見て向かいます。
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一回乗った状態であそこに行ってみたいものです。

姨捨の棚田 姪石地区

にわか鉄道好きはこれくらいにして、改めて棚田を回ります。

姪石地区に到着。こちらは絵にかいたような一面の棚田です。
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青空に善光寺平方面の遠望も相まって素晴らしい景色です。

近くから見ると結構水が入った田んぼも多いですね。
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まさに、田植え準備真っ盛り。

このあたりの棚田は室町時代末期には作られていたと考えられています。
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江戸時代、ため池整備が進んで本格的に開発された棚田は全体で1800枚もあるそう。
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その昔から絶景で有名で、月が写る景色は田毎の月と呼ばれます。
平成11年には、棚田として初めて国の名勝にも指定されました。

という訳で、最も美しいのは水が入ったころの夜景なのでしょうが、この大小さまざまな田に水が張られつつある景色も十二分に美しい。
と言いますか、生活の息吹を感じられる気がして、この時期もこの時期で良いです。

水がはられつつある田んぼと、姪石
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神聖なものとされている姪石。古くからこの地を守ってくださったのでしょう。

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棚田の御多分に漏れず、維持管理の苦労もある様で、オーナー制度も行われています。

さすがにオーナーになるには責任が取りきれませんが、このきれいな景色が少しでも続くよう心の中でそっと応援して、次のスポットへ向かいます。

この旅は龍岡城からでした。

tmtmz.hatenablog.com

長野の歴史ある街並みを巡る旅の記憶です。

tmtmz.hatenablog.com

棚田と言えば、能登の白米千枚田に向かったことも。

tmtmz.hatenablog.com

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百名城 上田城下町散策-上田藩主居館跡・柳町 東信の城めぐり旅⑦

上田城訪問から引き続き、周辺の城下町をぶらぶら。

さすがに一面の城下町という雰囲気ではありませんが、所々に居館の名残や雰囲気の良い商店街も残っています。

いつも時間が合わずに町並みを歩くだけのことが多いですが、この時は珍しく買い物もできました。

散策も楽しいですが、お店に入れるとまた違いますね。
柳町はちょっと足を延ばす必要はありますが、足を延ばして正解でした。

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上田藩主居館跡

上田城散策を終えたところからスタートです。

上田城訪問の記憶はこちら。

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二の丸橋から大手に抜けて、正面の観光協会のお土産と展示には目もくれず、時間がなかったもので。。。向かったのは上田藩主居館跡

道中、真田十勇士のパネルはありつつもさすがに市街地でしたが、5分ほど歩くと、そんな街中に残る怪しい方形の堀の一部が見えてきました。

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ここが上田藩主居館跡上田城三の丸に置かれ、御屋形と呼ばれた区画でした。
当時から130mほどの広さで、3つの建物が並べられていました。

下の写真に写る堀や土塁、奥の表門は当時から残る遺構です。
堀は狭くなり、土塁は崩落防止の石積みの改変を受けていますが、このあたりは真田氏の頃の面影を残すそう。
土塀は江戸時代末期の建築。いずれも藩主屋敷に使われていた頃の痕跡を残します。
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表門をアップで撮ると、今でも藩主の屋敷に導かれるような気がしませんか。
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車が写っているからそんなことはないか笑 
そもそも中央の扉が開いているときにこんな間近には居られないか。

今の表門は1790年、松平忠済のころに焼失し、居館とともに再建されたものです。
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重厚感もあり見るからに立派な門は、長野県下最大規模の薬医門。

架かっている額の通り、今は上田高校の校門として使われています。
高校に薬医門と言えば水戸城も思い出しますが、こちらは完全に校門として使われています。

こんな校門くぐるだけで賢くなれそう笑

水戸城の薬医門はこちらtmtmz.hatenablog.com

柳町

藩主居館跡、上田高校からさらに歩くこと10分ほど。
上田城からまっすぐ歩いても10分ほど。やってきたのは柳町地区。
旧北国街道に面する、城下町の趣を残す地区です。
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都市化、住宅街化した街中に、突如現れる白壁、格子窓、石畳の舗装。
入り口から違った雰囲気があります。

かつては上田城の城下町、北国街道の宿場町として栄えていました。
その名残を、今も所々に残るうだつに感じることができます。
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また屋根の高さが揃っていて、整然とした街並みになっている点も柳町の見どころ。
というのは案内板の受け売りですが、写真で本当に真っすぐに屋根が伸びていて、見ていて気持ちいい景色ですよね。

現代人(私)にとっては、街並みの他におしゃれなお店が並んでいることも見どころ。
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造り酒屋や

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天然酵母が売りのパン屋さん。
ほかにもスイーツ、蕎麦店なんかもありました。
古き良き街並みに溶け込みつつ魅力的なお店が並ぶ、というのもポイントが高い。
パン美味しかったな。

真っすぐ歩けば5分ほどで終わる小さな街並みで、空き地もあったりするのですが、その分、魅力的なお店も多く、
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一歩裏路地に入るとなまこ壁の蔵が残っていたりとこれまた魅力的。
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上田城観光の際はすこし足を延ばして楽しんでいただければ。

この旅は龍岡城からでした。

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長野の歴史ある街並みを巡る旅の記憶です。

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