にわかお城ファンの旅行記

にわかお城ファンの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。城と景色と郷土料理が楽しみな旅好きです。

百名城 水戸城(14・茨城県水戸市)1/2-復元された大手門から今も残る薬医門へ

土浦城に続いて、茨城の百名城は水戸城です。

1回目に来たときは大手門の復元工事真っ最中で、二の丸は完全に工事現場でしたが、復元工事が終わってから再訪すると全く印象は変わりました。

跡地はほとんど学校になっていますが、それでも徳川御三家の城ですから、隠し切れない格式が感じられますよ。

お城:水戸城 茨城県水戸市
HP:水戸城跡 « 水戸市の観光情報サイト「水戸旅」【公式】水戸観光コンベンション協会
訪問日:2018年10月、2021年4月
f:id:tmtmz:20210417231820j:image

概要

1193年、馬場資幹が源頼朝から大掾に任命され、居館を築いたのが始まりです。

1427年に馬場大掾氏の留守をついて江戸氏が占拠しました。

1590年、佐竹義宣が江戸氏を攻め、入城します。
佐竹氏時代は僅か13年でしたが、この間に曲輪を整え、出入口を移し、大手門などを作るなど、近世城郭に改修されました。

佐竹氏の秋田移封後は、何人かの城主を挟んで、家康の11男、頼房が入り、廃城まで水戸徳川家が治めました。
頼房時代に、三の丸や城下町が整備拡張され、二ノ丸に御殿や三階櫓が立てられました。
また、9代斉昭のころに藩校弘道館偕楽園が作られました。

幕末の天狗党の乱や、廃城後の放火、太平洋戦争時の空襲により城内の建物の多くは焼失しましたが、弘道館や薬医門が現存しています。
また2021年に大手門が復元されるなど、復元整備事業も進められています。

訪問記

水戸駅~大手門

水戸駅から訪問開始です。

水戸駅ペデストリアンデッキからすでに櫓が見えていて、テンションを上げてくれます。
f:id:tmtmz:20210417232230j:image
こいのぼりにしか目がいかないって?奥の二の丸隅櫓ですよ。

まずはこの地図で真っすぐ右上に伸びる道を通って弘道館公園へ。
f:id:tmtmz:20210417230119j:image

わざわざこの道を通ったのは、ここが深い深い堀跡だから。
櫓や二の丸の高さを見ても堀の深さがよく分かります。
f:id:tmtmz:20210417231844j:image

左側が三の丸側
f:id:tmtmz:20210417230153j:image
そして、あそこまで登るのかとげんなりさせてくれます笑
登るだけでも嫌なんですから、攻めるなんてもっての外ですね。

。。。さて、つべこべ言わずに登りますか。

登りきって弘道館前の広場に到着。
f:id:tmtmz:20210417230146j:image
正面が駐車場。
知名度のわりに狭いですが、前回来たときは意外と停められました。

左手すぐに見える弘道館にも惹かれますが、まずは大手門から二の丸方面へ。
美味しいものは後に残しておくたちなので。
f:id:tmtmz:20210417230217j:image

ちなみに、水戸城は三の丸、二の丸、本丸、下の丸が直線状に並ぶ連郭式。
行って帰ってくる形の散策コースになります。
f:id:tmtmz:20210731170209j:image
橋を渡る前に斉昭公を見てスタートです。
f:id:tmtmz:20210417231931j:image
もうちょっと大きくしてあげても良かったのでは。

上から先ほどの空堀跡を上から眺めつつ橋を渡ると
f:id:tmtmz:20210417231816j:image

大手門
f:id:tmtmz:20210417232212j:image
佐竹氏時代の1601年に建てられ、幾度かの建て替えの後、明治時代に解体されたと考えられています。

今の門は2021年に復元されました。さすがに、ピカピカ。良いにおい笑

裏はこんな感じ
f:id:tmtmz:20210417232146j:image

個人的には少し遠目の土塁も含めた全体像が見える構図がお気に入りです。
f:id:tmtmz:20210417232045j:image
高い土塁にこの屈指の規模を持つ門。美しい。

前回来た時は復元中。
土塁の上をまたぐ工事足場がかけられていて何もわからなかったので、再訪してよかった。

二の丸~薬医門

大手門の内側は二の丸。文教地区の綺麗な街並みが広がります。
f:id:tmtmz:20210417231856j:image
たくさんの学校が立ち並ぶ広い広い曲輪ですが、城跡感は薄め。

でもちょいちょい名残はあるので、お散歩にはちょうど良いかも。

f:id:tmtmz:20210417232000j:image
歴史ある門と思ったら、まさかの中学校の門

こういうところも含めて他にはない雰囲気が広がります。

もう少し行くと二の丸展示館
f:id:tmtmz:20210417231850j:image
規模は小さいですが、かつての姿を再現したジオラマがあって無料とありがたい施設です。
こういうのを見ないとなかなかかつての姿は思い浮かべにくいですしね。

安積澹泊像を見つつさらに奧へ。
f:id:tmtmz:20210417232104j:image

水戸城天守にあたる御三階櫓跡がありますが、説明板だけ
f:id:tmtmz:20210417230122j:image
跡地は完全に学校ですから、仕方ない。

学校の隙間にある二中見晴らし台と書いた門と看板が誘っていますね。何があるのかな。
f:id:tmtmz:20210417231831j:image
ご自由に、とは書いてありますが門を抜けると学校のグラウンドが丸見えの通路。
これ平日に行ったら不審者になるやつ…

通り抜けた先には北に隣接する那珂川を望む景色がありました。
f:id:tmtmz:20210417232015j:image
当時もこんな景色だったのでしょう。この眺望は確かに良いかも。

戻って先へ。二の丸御殿も説明板のみ
f:id:tmtmz:20210417232130j:image

二の丸北東方向の入り口 杉山坂と、
f:id:tmtmz:20210417232029j:image
その脇に杉山門が復元されています。
f:id:tmtmz:20210417232116j:image

ただ、杉山坂は現役道路で、二の丸道路との合流はt当然枡形ではなく丁字路です。

一方で杉山門は、かつての枡形、今の杉山坂から90度曲がった場所に建っています。
もちろん枡形なので二の丸道路にもずれた場所。

つまり、杉山坂と二の丸道路の交差点脇に立つよく分からない状態になっています。

もともとの枡形の場所に正確に再建されているんですが、ちょっとかわいそうかな。
足元にかつての通路を書いてあげるとか。。。

本丸・薬医門

杉山門を過ぎるとすぐに二の丸の突き当たり。空堀を越えていよいよ本丸です。
f:id:tmtmz:20210417232200j:image

といっても本丸は水戸第一高校なんですが、勇気を出して正門へ。
f:id:tmtmz:20210417230128j:image

二の丸と本丸の間の堀には水郡線が走っています。
f:id:tmtmz:20210417230138j:image
何も知らないとただの切通しに見えるんでしょうが、知っているとちょっと得した気分

学校の敷地に入るところにはきちんと説明の看板が建てられていました。
f:id:tmtmz:20210417230131j:image
お互い気持ちよく居たいですよね。ちゃんと見学範囲が定められていてこれは安心

正門を過ぎるとすぐに薬医門

f:id:tmtmz:20210417231820j:image
先ほども大手門もそうでしたが、規模が大きい。

こちらの薬医門は水戸城唯一の現存建築物です。
創建時期は、佐竹氏時代だろうと考えられています。

長らく城外に移されていため正確な場所が分からず、あくまで薬医門と呼ばれていますが、規模・風格からして本丸の表門だったと推測されています。

そして、本丸に移築復元されて今に至ります。

それにしても大きさと格式は本当にすごい。
高校の敷地内、部活中の生徒に見られるという、なかなかに入りにくいところにありますが、勇気を出して入ってよかった。

次回は、ここから折り返して弘道館へ。

茨城の百名城関連で、土浦城の訪問記です。

tmtmz.hatenablog.com

↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ

 

続百名城 土浦城 (113・茨城県土浦市) -番外編 土浦城下町を歩く 

土浦城を回った後、散策前に見つけた気になる看板をもとに街歩きをしてきました。
土浦城の痕跡を回る街歩きです。

中城町の蔵が立ち並ぶ街並みは雰囲気もよく、お店が開いている時間に歩きたかったところ。
城の痕跡としては僅かですが、門跡の位置関係を知るだけでも当時の大きな城域を感じることができますね。
f:id:tmtmz:20210328190428j:image

訪問記

冒頭に触れた気になる看板がこちら。
f:id:tmtmz:20210328190330j:image
大手門跡、などの配置を書いてくれています。
これを参考に、大手門跡→南門跡→中城通り→搦手門跡へと回っていきます。

大手門~南門

旧前川門から歩いて5分ほどで最初の目的地大手門跡へ。
f:id:tmtmz:20210328190334j:image
正直、ここにたどり着くまでは遺構のようなものもあるのかなと思っていました。

残念ながら石碑があるだけ。
でもちょっとだけでもこうして歴史を教えてくれることに感謝しないといけないのかも。

現地は綺麗な幼稚園の正門前で、不審者と間違えられそうな立地。
写真を撮るのも憚られる笑

もともと門を備えた内枡形があったらしいのですが、そんな様子はわからなかったな。

さて、まずは南門方面へ向かいます。

覺寺

やってきたのは䓁覺寺。
小田氏治の弟、治算によってこの地に移された由緒正しいお寺です。
f:id:tmtmz:20210328190434j:image
実は土浦城櫓門脇にあった、かつての土浦城の地図にも記載されていました。
ここまで歩いて10分ほど。城域の広さを感じ始めました。

立派な銅鐘と鐘楼が気になります。

f:id:tmtmz:20210328190326j:image
遠目にも異彩を放っていますが、銅鐘は建永年間(1206~07)に小田氏の祖である八田知家が寄進されたもので、菅谷氏時代以降は土浦城の本丸にあったそう。
鐘楼も1865年に建てられたものです。

やはり寺院の歴史は別格です。

さらに歩いて、トータル15分ほどで南門跡
1727年まではここが土浦城の南端でした。
f:id:tmtmz:20210328190311j:image

f:id:tmtmz:20210328190323j:image
ここも名残は石碑と解説板だけでしたが、この手前で道路がクランクになっていました。
当時はこの場所で水戸街道に角馬出が設けられていたそうで、名残だったらいいなぁ。

ちなみに石碑は片側2車線+高架の道路沿い、しかも道路に向いて文字があって大変見にくかった笑

南門~中城町

南端までたどり着いたので、戻って江戸時代の土浦の商業の中心、中城町方面へ。

グーグルマップ載っていた南門の土塁も見たいところですが、どうやら東光寺さんの境内にあった様子。
そもそも東光寺さんにはどうやって行くのかもわからず、こちらは断念。

諦めて真っすぐ中城町へ向かいます。
途中には田宿町の旧町名石碑。
f:id:tmtmz:20210328190409j:image
かつての町人町で、今も寺院が多く残るのが痕跡だとか。たしかに。

周辺は今はさすがに住宅街ですが、チラホラ歴史を感じさせるものもありました。
f:id:tmtmz:20210328190416j:image
このあたりに醤油蔵があったそう。

中城町までたどり着くと、雰囲気のある建物が出てきました。
f:id:tmtmz:20210328190341j:image
水戸街道11番目の宿場町の雰囲気が感じられます。

矢口家住宅
f:id:tmtmz:20210328190348j:image
1800年代中盤の土蔵造りの建物で、間取りの変遷の記録も残ります。

中心部は特に良い雰囲気。
f:id:tmtmz:20210328190428j:image
白黒の蔵がたくさん残っていて、コロナが無ければもっと観光で回りたいところ。
というかもう少し昼間に来てお店を見てみたかった。

左手のまちかど蔵が、土浦市立博物館休館日のスタンプ置き場ですね。

不動院さんを参拝して、

f:id:tmtmz:20210328190406j:image

中城町を端まで行くと櫻橋の欄干
f:id:tmtmz:20210328190413j:image
ここも今や何の変哲もない交差点ですが、かつては水戸街道が川を渡っていました。

かつての川の跡、今の亀城通りを少し土浦城方面へ進むと、搦手門の跡がありました。
f:id:tmtmz:20210328190338j:image
こちらも何の変哲もない石碑ではありますが、このあたりも当時は城域だったのかなぁとか、あの道路が水堀跡だろうか、とか考えると想像が膨らんで良いです。

ほとんど下調べなしにのんびり散歩レベルで楽しんでしまいましたが、中城町を中心に城下町の風情を残そうとされている感は伝わってきました。
市街化が進む街中で残すことも難しいと思いますので、少しだけでもかつての雰囲気を残していただいていることに感謝です。

やっぱり昼間に歩きたかったなぁ。

土浦城の訪問記はこちら

tmtmz.hatenablog.com

↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ

続百名城 土浦城 (113・茨城県土浦市) -亀城公園は地域住民の憩いの場

このブログ初めての関東地方のお城の訪問記 土浦城から開始です。

ブログを始めてすぐにコロナ禍になって、宣言やらで訪問できなかったんですよね。
ようやく隙間をついて北関東を回れました。

まずは亀城。街中で当時の名残を感じるのは厳しいですが、現存建築は立派でした。

お城:土浦城 茨城県土浦市
HP:名所・史跡の紹介 | 土浦市公式ホームページ
訪問日:2019年9月、2021年3月
f:id:tmtmz:20210328185724j:image

概要

室町時代に小田氏の家臣、若泉三郎が築いたのが始まりとされます。

戦国期には、小田氏家臣の菅谷氏の居城となります。
このころ小田氏の勢力は衰え、小田城を奪われると土浦城に移りました。
菅谷氏は小田氏をよく支え、何度も小田城を奪い返しましたが、最終的に小田氏が佐竹氏に臣従し、土浦城を失いました。

小田原征伐のあと、土浦は結城秀康の所領となり、その後も城主はたびたび変わりました。
平信一、信吉のころに城の大まかな形が、松平信興の頃の大改築で最終的な縄張りが作られました。
最終的に城主は土屋氏で落ち着き明治維新を迎えます。

何重もの水堀で囲われ、水害の際にも水没せずに水に浮かぶように見えた姿から亀城と呼ばれています。

訪問記

土浦市立博物館

1度目はスタンプだけでほとんど回った記憶がなかったので、再訪問です。
今回はバスで訪問して、まずは土浦城となりにある博物館へ。

f:id:tmtmz:20210328185844j:image
と思ったらこの時は休館日でした。

1回目の訪問時には、花火が土浦の名物ということを学んだ気がします。
あと105円という中途半端な入館料がやたらと記憶に残りました。

ちなみに、車で土浦城を訪問するときは博物館の無料駐車場を使えますが、博物館を見ないと車を出す券をもらえないのでご注意を。
1回目は結構びっくりしました。

亀城公園

休館日なら仕方ない、ということで亀城公園へ。
f:id:tmtmz:20210328185944j:image
割れてしまっていて見にくいですが、左側の博物館側から訪問。

下の外濠沿いに位置する二ノ丸→櫓門を通って本丸→霞門から旧前川門へ回ります。
f:id:tmtmz:20210328185721j:image
水堀と復元された西櫓を見ながら進むと二ノ丸へ。

このあたりは公園となっています。
f:id:tmtmz:20210328190005j:image

ちょっとした動物園。
f:id:tmtmz:20210328185956j:image
都市部の公園あるあるでしょうか。小田原城もこんなのありましたね。

進むとすぐに櫓門
f:id:tmtmz:20210328185859j:image
大手に当たる太鼓門でした。
こちらは江戸時代からの現存建築、かつ関東地方唯一の現存する櫓門です。

櫓門脇に先ほどのバキバキの地図がありました。
f:id:tmtmz:20210328185745j:image
さらにその片隅にひっそりと二ノ丸の石碑。
f:id:tmtmz:20210328185932j:image
地図でも二の丸ということは理解できますが、二ノ丸も残っているのは一部、というか縄張りはほとんど残っていないため、現地を巡っても分かりませんでした。
市街地の平城なので、この辺は仕方ないかな。

櫓門脇に城址
f:id:tmtmz:20210328185936j:image

本丸・百名城スタンプ

櫓門をくぐって本丸内部へ。
f:id:tmtmz:20210328185918j:image
かつては郡役所としても利用された本丸御殿があったそうですが、明治時代に焼失。
今は広場の様相です。

すぐ目に入るのは東櫓
f:id:tmtmz:20210328190013j:image
松平信吉のあと、西尾氏の頃に西櫓とともに建てられましたが、本丸御殿の火災による損傷で解体されました。

博物館の105円のチケットでこちらも中に入ることが可能です。

中に入るとスタンプ
f:id:tmtmz:20210722222125j:image
西櫓と水堀でしょうか。

そんな西櫓も復元されています。
f:id:tmtmz:20210328185809j:image
こちらは昭和の台風被害で解体、平成4年に当時の材料で復元されました。
そのような経緯もあってか土浦城では数少ない立派な説明板もありました。
ちょっとのっぺりしすぎている気はしますが、当時もこんなもんだったのかな。

本丸は土塁に囲まれています。
f:id:tmtmz:20210328185837j:image
改変されてはいるようですが、内部から見る雰囲気はこんな感じだったんでしょうね。

東櫓の脇には霞門
f:id:tmtmz:20210328185741j:image
搦手にあたる位置にあり、こじんまりしていますが、こちらも現存建築物です。

ここを抜けると、
f:id:tmtmz:20210328185752j:image
水堀越しの東櫓
何となく雰囲気のある構図じゃないですか。

二ノ丸東側にあたる場所を散策します。
f:id:tmtmz:20210328185832j:image
と言ってもやはり縄張りがよく分からない公園なのですが。。。

聖徳太子堂というお堂を見ながら
f:id:tmtmz:20210328185927j:image
右手の水堀越しの東櫓を眺めていくと、
f:id:tmtmz:20210328190110j:image

旧前川口門
f:id:tmtmz:20210328185734j:image
もともとはもっと外、武家屋敷のあった多計郭と町屋を仕切る門であったと言われます。
この場所には二ノ丸の入り口の二之門がありました。

これで土浦城は一周。
少し周りの城下町を散策していたら、櫓門のライトアップが始まりました。
f:id:tmtmz:20210328185724j:image
満開の桜にライトアップされた櫓門。
美しいものを見せていただいて、今度こそ土浦城の見学終了です。

感想

満足度 2/5

櫓門や霞門、旧前川門は良いですが、城跡としての遺構は少ない。
二ノ丸も堀が埋められていて、亀城と呼ばれた当時の姿を思い浮かべるのはちょっと厳しいです。
現存建築と復元の建築を見て楽しむところですね。

基本情報

土浦城

  • アクセス
    電車:JR土浦駅から徒歩15分 またはバス 亀城公園前バス停 下車すぐ
    車:常磐道 土浦北ICから約10分
      駐車場あり
     博物館を見ないと出られない駐車場ですので要注意。
  • スタンプ・開館時間
    土浦市立博物館・土浦城東櫓
    開館時間:9:00~16:30(東櫓は12:15~13:00が昼休み)
     休館日:月曜日、年末年始(12/28-1/4)
     入館料:大人105円、小中高生50円(土浦城東櫓と共通です。)
    月曜日はこちらで押印可能です。
     土浦市観光協会 まちかど蔵「大徳」
     開館時間:9:00~18:00
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    ~0.5h
  • 付近のスポット
    百名城関連だと、水戸城や笠間城が近くです。

↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ

続百名城 小牧山城(149・愛知県小牧市)-信長と家康の痕跡が残る平山城跡

緊急事態宣言の狭間に訪問した小牧山城の訪問記です。

普通に登ったらなんてことのない山かもしれませんが、麓で勉強するだけで興味深い山城と感じるんだから面白い。

実は昨年末に訪問したのですが、そのあとずっと宣言が出ていたので寝かせた結果、季節が正反対の訪問記になってしまいました。
まぁ涼を感じるということで。

お城:小牧山城(149) 愛知県小牧市
HP: れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)
訪問日:2020年12月
f:id:tmtmz:20201228231522j:image

概要

1563年、織田信長が美濃攻略の拠点として築き、清州城から移り住んだのが始まりです。
城とともに南側には城下町も作りましたが、1567年に稲葉山城を陥落させると信長は岐阜城と改名して移り、廃城となりました。

1584年、小牧長久手の戦いの際、徳川家康織田信雄軍が小牧山城を本陣とし、城の周囲に堀や土塁を巡らせます。
戦ののち再度放棄され、江戸時代には徳川家の聖地の一つとして立ち入りが制限されました。

訪問記

山麓〜れきしるこまき

小牧山北駐車場に車を置いてスタート。
駐車場は2時間だけ無料。すべて見切れるでしょうか。

散策開始前に、まずは現地の看板で順路を確認です。
ネットではなかなか順路を見つけられませんでしたので。
f:id:tmtmz:20201228231305j:image
東側の曲輪を、れきしるこまき まで歩いて、大手道から登りますかね。

近くに土塁断面の展示がありました。
この土塁は小牧長久手の戦いの時家康軍によって築かれたもの。
f:id:tmtmz:20201228231425j:image
隣の説明板を見ると、色の違う部分ごとに作り方が変わっているそう。
色の違いは分かりますが、それ以上はちょっと難しかった…

土塁を抜けて、麓部分は曲輪がたくさん並んでいます。
これは発掘調査に結果に基づいて小牧長久手の戦いの頃の姿を再現したものとのこと。
f:id:tmtmz:20201228231522j:image

f:id:tmtmz:20201228231334j:image
とはいえ、公園の芝生広場の装いで、なかなか難しい…

進むと曲輪脇に井戸の復元
f:id:tmtmz:20201228231308j:image
信長時代の武家屋敷の井戸が発掘された場所です。

東側の虎口
f:id:tmtmz:20201228231456j:image
土塁でなんとか分かりますが、こちらも難しい。。

先へ進むと今度は堀で仕切られた区画。この曲輪は分かりやすい。
f:id:tmtmz:20201228231250j:image
堀の向こうはおそらく小牧山城で最も大きな曲輪で、信長の屋敷跡と推測されている所、だったかな

南東側の虎口
f:id:tmtmz:20201228231416j:image
こちらも非常に分かりやすい。通ってみたくなる形をしています。

この周囲に模型があるので、ここから散策開始してもよさそうですね。
f:id:tmtmz:20201228231219j:image

そして、れきしるこまきに到着。

中身は三英傑関係の城や小牧山城の石垣の紹介など、いわゆる歴史資料館ですが、最新技術を駆使した展示がわかりやすく楽しかったです。
資料映像を非接触で選択できる仕組みはポストコロナの時代にマッチしてますね。

ここで予備知識を入れたおかげで、上で石垣を見たときの感動が変わりました。

大手道から主郭・スタンプへ

先へ。大手道に向かいます。

途中には改めて土塁
f:id:tmtmz:20201228231422j:image
写真では分かりにくいですが、この土塁は本当に高かった。

そして、ようやく大手道
f:id:tmtmz:20201228231325j:image
ここから登り始めます。
整備はされていますが、土の道なのでハイキングコースと言ったところです。

大手道で山を登って天守に向かう設計は安土城訪問記)に通ずるものを感じますね。

登る前にもう少し周りを観察。
というのも当時の大手道は反対側にも伸びているから。
f:id:tmtmz:20201228231519j:image
正面は小牧市役所ですが、車回しに市役所の建物に向かってまっすぐ伸びる線があります。
これが当時の大手道跡。市役所一階の床にも続いているそうです。

大手道を登り始めます。
f:id:tmtmz:20201228231503j:image
途中からどんどん自然の道に還って行くと思ったら、いつの間にか大手道を外れていました笑

でも、お陰で立派な空堀を見られました。
f:id:tmtmz:20201228231459j:image
これは深い。家康の頃に築かれたと思われます。

さて、大手道に戻ります。
f:id:tmtmz:20201228231408j:image
まさかこの道の途中、舗装が変わっているところで90度折れているなんて。

改めて大手道を登り切ると主郭です。主郭の目玉は石垣。

主郭に差し掛かると、石垣からの転落石がたくさん。
f:id:tmtmz:20201228231419j:image
いやー大きい。

発掘で見つかった石垣の裏込め石も残されていました。
f:id:tmtmz:20201228231428j:image
よく見ると平成22年の発掘で出てきたそう。調査期間の長さに驚きです。

主郭西側には石垣が見えています。
f:id:tmtmz:20201228231338j:image

f:id:tmtmz:20201228231344j:image
使われている石の大きさがすごい。
安土城もそうですが、権力というか派手好きというか。よくこの山の上まで運んできたものです。
これを4年しか使わなかったとはもったいない。

その上は模擬天守
f:id:tmtmz:20201228231405j:image
当時を模したものではなく、小牧市歴史館として建てられた資料館です。

中は小牧の歴史に関する展示などなど。よくある昭和の歴史資料館という感じで、れきしるこまきを見た後だとちょっと時代を感じます。。

スタンプはここの入り口です。
f:id:tmtmz:20210112230753j:image
天守がモデルですね。
なんだか白いのは押しミスかデザインか。

模擬天守最上階からの景色。眺望は最高ですね。
天気も良かったので岐阜城犬山城を探しましたが、肉眼では流石に厳しかった。。
f:id:tmtmz:20201228231212j:image

f:id:tmtmz:20201228231412j:image
名古屋空港FDAの飛行機も見えました。
静岡空港にしかいないと思っていたFDAにこんなところで出会うなんて。

帰りは搦手門方面へ。
途中にはブルーシートに覆われた区画がありました。
f:id:tmtmz:20201228231432j:image
今も発掘が続けられている現場でしょう。
最近見つかった三重の石垣かな?

そしてこちらには立派な
f:id:tmtmz:20201228231437j:image

もう少し降りると虎口土橋もありました。
f:id:tmtmz:20201228231225j:image
この辺りは完全に山城の風情ですね。お手軽に山城を味わえるのは良いです。

最後は搦手門
f:id:tmtmz:20201228231341j:image

この後、スタート地点の駐車場へ。
いろんな景色を見られつつ、無料の2時間以内に帰ってこられました。

感想

満足度 2.5/5

麓の曲輪や土塁、山上の石垣や空堀など見所もありますが、続百名城としては一見分かりにくいところかもしれません。

個人的には石垣はもちろんですが、搦手側の堀や虎口、土橋がよかったかな

見所を「れきしるこまき」で勉強してから登るのがオススメです。

基本情報

小牧山城
愛知県小牧市堀の内1-1

↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ

大鐘家 (静岡県牧之原市) -重文の庄屋屋敷のあじさい祭

梅雨時の花、アジサイを見に、静岡県中部の牧之原市にある大鐘家のアジサイ祭りに行ってきました。

名前の付いた家からお察しかもしれませんが、こちらは国の重要文化財のお家。
由緒正しき旗本の家系の庄屋屋敷です。ただ現役。

お屋敷自体もお庭のアジサイ祭りもどちらも大満足のスポットでした。

大鐘家
HP: 大鐘家
訪問日:2021年6月

f:id:tmtmz:20210620212125j:image

概要

江戸時代中期の大庄屋大鐘家の屋敷です。

大鐘家7代貞綱のころ、柴田勝家の家臣となり、丸岡城柴田勝豊の家老として仕えました。丸岡城の訪問記はこちら

その後、勝豊とともに豊臣方につき、賤ケ岳の戦いの後に長浜城主となった山内一豊の命でこの地に移り住みました。
江戸時代には、旗本として徳川家に仕え、この屋敷を築きました。

訪問記

駐車場に車を置いて、さっそく散策開始。

緑の山を背景にしたきれいな歴史ある長屋門
ロケに使えそうな雰囲気のある第一印象です。金〇一少年とかに出てきそう。
f:id:tmtmz:20210620212053j:image

大鐘家の全体像はこちら。
f:id:tmtmz:20210620212035j:image
赤〇のチケット売り場でチケットを購入後に長屋門から奥を見学、その後右下のアジサイを見るのが見学ルートです。

長屋門・主屋

というわけで、さっそく長屋門と主屋へ向かいます。
f:id:tmtmz:20210620211903j:image
もぎり役の人のコスプレは、お子さんの気を引きたいのかな。

いつまで待っても人が途切れませんでしたので、帰りに撮った斜めのアングルも一枚
f:id:tmtmz:20210620212130j:image
この長屋門は18世紀後半に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。
屋根の上に設けられた9本の千木と笠木が格式などを表しているのだそう。

振り返って、左に農機具小屋、右に番人部屋が置かれています。

f:id:tmtmz:20210620212248j:image

長屋門を過ぎるとすぐに主屋
f:id:tmtmz:20210620212018j:image
こちらは18世紀初頭の建築で、やはり国の重要文化財に指定されています。

今も現役というのが驚きです。
そして、その割にガッツリと公開されている点も驚きです。
静岡県菊川市にある黒田代官屋敷(訪問記)もそうですが、現役で住まわれている重文って多いんですね。

中ではつるし雛の展示
f:id:tmtmz:20210620212024j:image
6月に行ったんですけどね。

立派な梁
f:id:tmtmz:20210620211840j:image

小堀遠州作の庭園を見ることができます。
f:id:tmtmz:20210620212044j:image
こちらにもアジサイが咲いていますが、メインとなるアジサイはもっと先です。

主屋裏には蔵があり、大鐘家に伝わる歴史遺産が展示されていました。
普通に小規模な博物館に来ている気分ですが、人の家なんですよね。すごい。

アジサイ見学

蔵の見学を終えて、ここからアジサイです。

と言いたいところですが、まずは半夏生がお出迎え
f:id:tmtmz:20210620211957j:image
夏至から数えて11日目に咲くとのことですが、6月初旬に訪問した際にこの状態。
やっぱり今年は早いですね。

近くにもちろんアジサイ
f:id:tmtmz:20210620211933j:image
蔵とともに。

裏庭、というか裏山を散策開始です。

ピンクのアジサイ
f:id:tmtmz:20210620212159j:image
アジサイは土のpHで色が変わるんですよね。

ある程度登ると、海と富士山とアジサイが見えるスポットへ。
f:id:tmtmz:20210620212309j:image
梅雨時なので天気はいまいちですが、富士山は頭だけ出してくれました。珍しい。

海は、、、
f:id:tmtmz:20210620212258j:image
さすがにあんまりかな。

さらに散策。
f:id:tmtmz:20210620212209j:image

大きなアジサイ
f:id:tmtmz:20210620211844j:image

裏山は大体こんな感じのアジサイの小径でした。
f:id:tmtmz:20210620212228j:image
雨の日は足元が気になるかもしれませんね。

大鐘家のお稲荷様もいらっしゃいました。
f:id:tmtmz:20210620212041j:image
家にお稲荷様とは、、、ですが、さすがは名家です。

相良城の石垣

裏山の見学を終えて、次は手前の庭園に向かいますが、長屋門の庭側に気になる説明が。
f:id:tmtmz:20210620212137j:image

長屋門足元の石垣は相良城の石垣を購入したものだそう。
f:id:tmtmz:20210620212000j:image
歴史は感じていましたが、あまりにきれいに積まれていてスルーするところでした。

f:id:tmtmz:20210620212014j:image
ちゃんと隅石まで堪能したら、次のアジサイへ。

アジサイ・酔芙蓉庭園

まさかの石垣のあとは、予定通りアジサイ見学を再開。
こちらの庭園は裏山と違っていろいろな種類のアジサイが咲き誇っていました。

こちらはいわゆるよく見るアジサイですが、
f:id:tmtmz:20210620211930j:image

花の形が違うものや
f:id:tmtmz:20210620211949j:image

もっと小さめの花のもの
f:id:tmtmz:20210620211924j:image

すみだの花火というアジサイ
f:id:tmtmz:20210620211918j:image

まあるく白いアナベルというアジサイ
f:id:tmtmz:20210620211852j:image

これは、、、何だったかな。でも変わった形。
f:id:tmtmz:20210620212241j:image

黒じくアジサイは見た目そのまんまの名前
f:id:tmtmz:20210620212212j:image
アジサイにこんなにたくさんの種類があるとは。奥が深いんですね。

と、こんな感じで一周見て見学終了です。
f:id:tmtmz:20210620212125j:image
最後はアジサイ越しの長屋門でお別れ。
歴史ある美しい建物ときれいなアジサイ。絵になりますね。

感想

アジサイは十二分にきれいで、量も種類も多く満足です。
晴れていたら駿河湾越しの富士山も見えてとても綺麗だったんでしょうが、頭だけ出してくれただけでも感謝しないと。

アジサイを抜きにしても建物や展示物で満足できますし、アジサイ以外の時期にもたくさんお祭りをされているので、何度でも楽しめそうです。

アクセス

大鐘家

  • アクセス
    鉄道・バス:JR藤枝駅から静鉄バス「片浜」バス停下車 徒歩5分
    車:東名吉田ICから20分 東名相良牧之原ICから15分
      無料駐車場(150台)あり。
  • 開館時間
    9:00~17:00
    休館日:年末年始
    入館料:大人400~700円、子供200~400円(時期による)
  • 所要時間
    1hr
  • 付近のスポット
    同じようなお屋敷で、黒田代官屋敷の梅まつりはいかがでしょうか。

    tmtmz.hatenablog.comアジサイつながり

    tmtmz.hatenablog.com城跡だと小山城、高天神城が近いです。

    tmtmz.hatenablog.com

    ↓気が向いたら押してやってください
    にほんブログ村 旅行ブログへ


顔戸城 (岐阜県御嵩町) -堀と土塁の中の住宅地は中世平城跡 名鉄広見線末端区間に乗って

可児市の城めぐり、最後は可児市をちょっと外れて御嵩町顔戸城(ごうどじょう)
顔戸明智八郷と呼ばれた明智荘の一集落です。

明智駅から顔戸駅までの名鉄広見線末端区間の乗車記とともにご紹介。

顔戸城に残る遺構は少ないですが、その少ない遺構からも伝わる特徴的な居館の構造は少し足を延ばす価値ありです。
できれば上から見てみたかったなあ。

お城:顔戸城 静岡県御嵩町
HP:顔戸城址|観光スポット|ぎふの旅ガイド
訪問日:2021年3月
f:id:tmtmz:20210315191749j:image

概要

顔戸城は、室町時代の初期のころ斎藤妙椿が築きました。

南に可児川、東北南は深い空堀と土塁を設けた平城で、東西150m、南北167mの城域は居館として使われていたと考えられています。

今も空堀と土塁が残る貴重な中世平城です。

訪問記

名鉄広見線末端区間に乗車

明智城訪問記)から顔戸城への移動にあわせて名鉄広見線の末端区間に乗車。

名鉄名古屋鉄道は名古屋を中心に広大な路線網を持つ大手私鉄ですが、ローカル線も多数抱えています。

愛知県の犬山駅から新可児駅を通って御嵩町御嵩までをつなぐ広見線の末端区間新可児駅御嵩もそんなローカル線の一つ。
いや、存続が危うい路線の一つといえるかもしれません。
f:id:tmtmz:20210315191708j:image
かつては終点の御嵩駅から新名古屋駅方面への直通電車も出ていたのですが、新可児駅で分断され、乗り換え改札まで設置されてしまいました。

御嵩駅側は2両の赤い電車が行ったり来たりしているだけ。
ICカードが使えないので昔ながらの切符を買って乗車します。

ローカルな雰囲気は素晴らしいのですが、そこかしこに繁栄の名残があるのがうら淋しい。

コロナ禍で厳しさを増しているであろうこの区間を応援しに、1駅だけですが乗車します。

まずは明智城最寄りの明智駅へ。
f:id:tmtmz:20210315191630j:image
歴史を感じる駅舎はありますが、無人駅。写真中央のクリーム色の機械が券売機です。
駅舎とは無関係の場所に置かなくても良いのに。

2面3線のホームは屋根もしっかり
f:id:tmtmz:20210315191641j:image

というのも、かつてはここから八百津町までをつなぐ名鉄八百津線が出ていたから。
f:id:tmtmz:20210315191717j:image
2001年までは美濃金山城訪問記)最寄りだった兼山駅へも続いていました。
今は同じ区間をつなぐYAOバスが出ています。

明智の駅名は明智城に拠りますが、大河の熱が残る明智城とは打って変わって静かでした。
f:id:tmtmz:20210315191815j:image
それでもさすがに大手私鉄、30分に1本は電車があり、真昼間でも私のほかにも乗客もおり、まだまだ大切な足として機能している様子。

懐かしい名鉄赤い電車で1駅。すぐに目的の顔戸駅に到着。
f:id:tmtmz:20210315191826j:image
顔戸駅の隣は御嵩口駅。終点の御嵩駅もすぐです。

顔戸駅はザ・ローカル駅の様相。
f:id:tmtmz:20210315191650j:image
単線の線路に小さな駅舎。青春映画が撮れそうな雰囲気。好きです。

f:id:tmtmz:20210315191805j:image
きっと、学校帰りにこの駅で、また明日~と言いながら別れる日常があるのでしょう。
そんな日常が続いてほしい。

顔戸駅にはこの区間を盛り上げる広告も掲示してありました。
f:id:tmtmz:20210315191752j:image
このブログに目を通して下さるような歴史好きの方にうってつけのマップじゃないかと思います。コロナが落ち着いたらぜひ。

街中には日に焼けた広見線利用促進運動の旗がありました。
f:id:tmtmz:20210315191802j:image
呼びかけだけでは残りませんので、本当に乗って残そう広見線、ですね。

顔戸城訪問

ようやくタイトルに戻って顔戸城へ。
先ほどの顔戸駅から徒歩5分程度と至近距離です。

まずは上空からの写真で様子をご覧ください。


顔戸城跡と書かれているところからぐるっと四角く続く緑の林が顔戸城跡の土塁と堀です。
その規模感と今の使われ方が見えるでしょうか。

これを見に行きます。

まずは上の地図で「顔戸城跡」のマークがある場所へ。立派な石碑と旗がお目見えです。
f:id:tmtmz:20210315191749j:image
石碑には縄張り図もあります。
f:id:tmtmz:20210315192038j:image
周りをぐるっと囲む堀と土塁が一番の見どころ。
櫓跡や居館跡があるように書いてありますが、近寄ることもできなかったので。。

それにしても石にこれ刻むの大変じゃないのかな。

この石碑の脇に立派な堀が残っています。
f:id:tmtmz:20210315191839j:image
北側の堀はよく見える状態

f:id:tmtmz:20210315191720j:image
西側は藪藪してますね。

堀外の土塁は割と分かる状態
f:id:tmtmz:20210315191714j:image
この中に館があったら確かに安全性高いかも。

北側の堀沿いに歩きたいところですが、住宅街になっているので、いったん離れて北面へ。
こちらも同様に藪藪した堀。
f:id:tmtmz:20210315191830j:image
言われなければわからない竹林ですね。

土橋っぽいところもありますが、入る勇気はでませんでした。。
f:id:tmtmz:20210315191745j:image
西側にも空堀は残っていますが、やっぱり周りは住宅街。
f:id:tmtmz:20210315191833j:image
周りはずっとこんな感じの堀が続いています。

南側からの舗装路で堀の中へ向かいます。
中に入っても民家が立ち並んでいました。

さすがに民家の写真を撮る気にはならないので、空き地から曲輪内部の雰囲気を一枚。
f:id:tmtmz:20210315191637j:image
この横は普通の民家ですが、奥の木々は堀と土塁です。

堀と土塁に囲まれた民家というのは、なんとも安全な土地ですね。
f:id:tmtmz:20210315191644j:image
土塁は今も結構な高さが残っています。
この外にそこそこ深さが残る堀があると思うと、侵入する勇気が出なくなりますね。

まぁ平和な現代では不要な代物かもしれませんが。

感想

満足度 2/5

今の遺構は周囲をぐるっと囲む空堀と土塁のみですが、その大きさはとても立派。
中に住宅街ができるくらいの広さの城館に住まわれていた当時の城主の権力に思いを馳せながら一周してみると良い散歩になるのではないでしょうか。

その時にはぜひ名鉄広見線で。

アクセス

顔戸

明智城 (岐阜県可児市) -明智光秀出生の地?を巡る

引き続き岐阜県可児市の城巡り、続いては明智城です。

明智光秀ゆかりの地ということで、名前だけで訪問を決めました。
大河が終わったところのタイミングでしたし。

ですが、古い城跡でも一部に遺構も残っていて見どころありますね。
整備状態から代々の地元の方の明智家への気持ちがもよく伝わってきました。

お城:明智城 岐阜県可児市
HP:明智城跡|観光スポット|ぎふの旅ガイド
訪問日:2021年3月
f:id:tmtmz:20210315190920j:image

概要

1342年、美濃の守護であった土岐頼兼が明智氏と改名して築城し、約200年に渡り、明智氏代々の居城となったとされます。
長山城とも呼ばれます。

1556年、明智光秀の叔父、光安が城主の時に、斎藤義龍の攻撃を受けて落城しました。
光安も自刃しますが、光秀は城から脱出、明智家を再興しました。

明智光秀出生の地とされていますが、諸説唱えられています。

訪問記

伝光秀産湯の井戸

明智城の前にまずは近くにある伝 光秀産湯の井戸へ。
f:id:tmtmz:20210315190932j:image
耕地整備で面影はありませんが、この辺りの田んぼの中に50年前まで塚があったそう。
今はもはや何も、という感じですね。

明智城との距離感はこんな感じ。
f:id:tmtmz:20210315191114j:image
あの山が明智城です。

明智城に向かう途中で飛び出し坊や
f:id:tmtmz:20210315191117j:image
安土城訪問記)以来の再会。お久しぶりです。

明智城大手口

歩いて5分少々で大手口に到着
f:id:tmtmz:20210315191252j:image
左手に見えるスペースが駐車場、パンフレットも置かれていました。

入り口前に明智城の散策マップ
f:id:tmtmz:20210315191213j:image
こういう地図は助かります。

最南部に本丸、北に2つの入り口があって東が大手、西が搦手になっています。
本丸は残念ながら配水池になっていますが、一筆書きで回りやすい構造はありがたい笑

もう一つ歴史を感じる看板が立てられていました。
f:id:tmtmz:20210315190953j:image
第一文から明智光秀生誕の地と言い切る潔さ。気持ちが入っていますね。

大手側の桔梗坂から城内部へ進んでいきます。
f:id:tmtmz:20210315191331j:image
大河効果か、旗がたくさん。

城内にはところどころ丁寧な案内板を設けてあり、スムースに回ることができます。
f:id:tmtmz:20210315191221j:image
この地図だとたくさんの曲輪が城外とされていますが、まぁそんなもんでしょうか。

左手の大手曲輪を眺めつつ、
f:id:tmtmz:20210315191242j:image

大手門
f:id:tmtmz:20210315190920j:image
この冠木門は色々なところで取り上げられる、明智城で一番絵になるスポットですね。

向かって右手上には中ノ曲輪(二ノ曲輪)
f:id:tmtmz:20210315191311j:image
見事な切岸。当時はこの高さを生かして守ったのでしょう。
ちなみに、足元の看板では中ノ丸と書かれていてちょっと混乱します。どっちが正式名称?

反対側に東出丸曲輪もあるはずなのですが、下からはちょっとわからず。

そうこうしている内にすぐに最上部に到着。
ちょっと小高い丘くらいの高さですね。美濃金山城を登った日には物足りないくらい。

まずは先ほど見た中ノ曲輪を上から散策します。
f:id:tmtmz:20210315190923j:image
今はちょっと広い平場ですが、

切岸は立派。
f:id:tmtmz:20210315191335j:image

戻って、最上部の二ノ丸曲輪へ。
f:id:tmtmz:20210315191319j:image
綺麗に整備されていて、ハイキングによさそうです。トイレもありますし。

二ノ丸曲輪には七ツ塚があります。
f:id:tmtmz:20210315191246j:image
1556年の斎藤義龍との合戦で亡くなった7人の明知方武将を葬った7つの塚と言われます。

南側端には馬場
f:id:tmtmz:20210315191157j:image

その端には逆茂木や
f:id:tmtmz:20210315191055j:image

馬防柵といった設備が再現されていました。
f:id:tmtmz:20210315190958j:image
南側は結構な崖になっていて、見晴らしも良く、守りの面ではよさそう。
f:id:tmtmz:20210315191339j:image

最西端には西出丸曲輪が置かれていました。
f:id:tmtmz:20210315191400j:image

こちらも良い眺めで。
f:id:tmtmz:20210315191301j:image
都市化していないので当時もこんな感じだったのかなと想像しちゃいますね。

ひるがえって本丸曲輪
f:id:tmtmz:20210315190904j:image
と言っても遺構はわずかに土塁が残る程度ですが、

立派な銅像
f:id:tmtmz:20210315191120j:image

石碑
f:id:tmtmz:20210315190907j:image

城址
f:id:tmtmz:20210315191151j:image

看板が置かれています。
f:id:tmtmz:20210315190955j:image
こちらは大手のものより客観的に書かれていますね。

本丸北側には展望台が設けてあります。
f:id:tmtmz:20210315191231j:image
せっかくの大河チャンスですから生かしていかないとね。

眺めはやはり素晴らしい。
f:id:tmtmz:20210315191148j:image
美濃金山城訪問記)も見えていて、現地の看板と同じ見た目なのですぐ見つかります。
あ、右手前の3つ山が連なる真ん中です。わからないか。。

搦手口へ

さて、本丸も堪能したところで搦手口へと降りていきましょう。
f:id:tmtmz:20210315191123j:image
なんだか脅されていますが、

確かに大手口とは打って変わって急傾斜
f:id:tmtmz:20210315191015j:image
搦手道は崩落してしまったらしく、こちらは後世に作られた道。
ですが、遺構をなぞって歩ける道として整備されています。

さっきまで山頂にいたのに、もうこんなに降りてきました。
f:id:tmtmz:20210315191417j:image

腰曲輪(旗のある場所)を眺めながら、
f:id:tmtmz:20210315191325j:image
今も湿り気のある水の手曲輪に到着。
f:id:tmtmz:20210315191048j:image
ここが一番の重要ポイントだけあって、反対側の山腹にも防衛用曲輪がありました。

乾曲輪方面に進むと、二重の竪堀
f:id:tmtmz:20210315190930j:image
はっきりと残っています。やっぱりちゃんと防衛を考えて設計しますよね。
大手側には遺構は少なかったのに、ここへきて突然遺構がたくさんで戸惑います笑

もう一度水の手から登って乾曲輪へ。
ここの堀切は深い。
f:id:tmtmz:20210315191218j:image
虎口を通って
f:id:tmtmz:20210315191032j:image

振り返ると搦手道が手に取るように見下ろせます。
f:id:tmtmz:20210315191051j:image

細長い乾曲輪。
f:id:tmtmz:20210315191304j:image
西側は搦手口を見下ろす切岸になっています。
f:id:tmtmz:20210315191206j:image
この落ち葉では見下ろす勇気はありませんでしたが(笑)

乾曲輪には六親眷属幽魂塔(ろくしんけんぞくゆうこんとう)が建てられています。
f:id:tmtmz:20210315191145j:image
六親眷属とは明智城主一門を意味し、慰霊のためのものと推測されています。
地面に埋もれてわずかに顔を出していたものが昭和48年に見つけられており、地元の人たちが逆臣とされた明智光秀を憚ってひそかに建立した慰霊の塔と考えられています。

あとは搦手門まで下りて、明智城は一周です。
f:id:tmtmz:20210315191019j:image

搦手側も入り口に看板が設置されているので、こちらから回っても大丈夫ですね。
f:id:tmtmz:20210315191039j:image

天龍寺-明智氏歴代の墓

最後に、明智氏歴代の墓日本一大きな明智光秀の位牌があるという天龍寺へ。
歩いても5分くらいです。
f:id:tmtmz:20210315191058j:image
明智光秀公縁寺の記載がまぶしい。

見た目は普通の綺麗な地のお寺ですが、
f:id:tmtmz:20210315191228j:image
脇に明智家歴代の墓が置かれていました。
f:id:tmtmz:20210315191154j:image

日本一大きな位牌は、本堂にあるはずなのですが、コロナの影響か、本堂は閉まっていました。
これはタイミングが悪い。。残念。

感想

満足度 3/5
名前に惹かれて特に調べることもなく歩いてしまいましたが、地元の方の明智光秀への愛着や搦手側のたくさんの遺構を見ることができて、良いところでした。
もちろん大河があったからの整備も多く見られましたが、その前からのものもたくさん見られたのが印象的。
大手側と搦手側で遺構の残り具合に大きな差があるので、搦手まで回らないともったいないところです。

アクセス

明智城

↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ