百名城の松坂城へ。
松阪と言えば牛肉かもしれませんが、有名店の近くにある松坂城にも、負けず劣らず?素晴らしい石垣が残っています。
商都松阪の礎となった城であり、その城下町であり、元をただせば牛肉が有名になったことにもどこかではつながるでしょう。知らんけど。
お肉の待ち時間にも、食後の腹ごなしにも、それ以外にも、少し歩いて高石垣を見に行ってはいかがでしょうか。
お城:松坂城 三重県松阪市
HP:国指定史跡・日本100名城 松坂城跡 - お肉のまち 松阪市公式ホームページ
訪問日:2017年3月、2023年3月
概要
1588年、蒲生氏郷が松ヶ島城に代わる城として築きました。
三層の天守に金ノ間などの櫓を持ちました。さらに、城下には楽市楽座を設けるなど現代にいたる礎となりました。
その後、氏郷が移ると服部一忠が、秀次事件の後は古田重勝が入りました。
古田氏の移封の後は、紀州和歌山藩領となり、明治に至ります。この間に天守は台風で倒壊したとされます。
訪問記
表門~本丸下段
訪問開始は、松阪市駐車場から。
松坂城、今の松阪公園の駐車場最寄りの駐車場です。街中なのに無料とは太っ腹。
街歩きマップにもあるように松坂駅からもそれほど離れておらず、徒歩15分ほど。
途中の見どころを追って散策するのも良いかもしれません。
松阪牛の名店も駅と松阪城の間にありますし。
駐車場から城まではすぐ。道路沿いの高石垣を見上げながら歩くと、
表門の枡形虎口が見えてきます。
早速の圧巻の石垣にテンションが上がります。
ここにあった案内板をお借りして、全体像を確認しましょう。
阪内川沿いの独立丘陵に築かれた平山城です。
最高所に天守台、その周囲に上下段に分かれた本丸、きたい丸、二の丸、隠居丸などの郭を持ち、主要な曲輪は総石垣造となっています。
大手門を越えると、道は二手に分かれています。
左手は土戸御門を抜けて二の丸方面
奧の櫓台は本丸下段の月見櫓。
右手は遠見櫓の下を通って、本丸下段へ続きます。
そして真正面は本丸下段の石垣。高い。
野面の荒い高石垣。良きです。
まずは向かって右手の道を通って本丸下段方面へ向かいます。
大手枡形を構成する石垣上に井戸がありました。
江戸時代の絵図では城内に3カ所井戸が描かれており、今もそれらは現存します。
こちらはその当時からの井戸で、いまも水を湛えているとのこと。
その先には松阪市立歴史民俗資料館。
建物も、松坂城と関係ないとはいえいい感じに年季を帯びています。
飯南郡図書館として明治45年に築かれたもの。
ここに100名城スタンプが置かれています。
もちろんスタンプも石垣。ですよね。
続けて本丸下段へと進みます。櫓台には左から遠見櫓と鐘ノ櫓が建てられていました。
今はいずれも櫓台に登れるようになっています。こちらは本丸上段側の鐘ノ櫓。
遠見櫓よりやや高く、通路をよく見下ろせます。
一方の遠見櫓。足元もそうですが、
名前の通り大手越しに城外が一望できます。
真正面はかつての大手道。良く見えます。
本丸下段を散策しましょう。
こちらは全景。右手が本丸上段、左手少し上がったところが、月見櫓です。
本丸と言いつつ、上段とは明確に区切られた本丸下段。
それなら二ノ丸でいいのではと思ったら、別の曲輪が二ノ丸という。どういう事情でこう名付けられたのでしょうか。
こちらは本丸上段の石垣。相変わらず荒くて高くて良いです。
こちらが月見櫓の櫓台。本丸下段の東側にあたります。
風流な名前ですが、大手道を見下ろす立地で、守りでも重要だったのでは。
南側の角には太鼓櫓がありました。
搦手筋の中御門を見下ろす場所に位置します。
中御門も厳重な作りをしていますね。
足元は少し前まで石段でしたが、コンクリピカピカの手すり付きに。歩きやすさも大事ですが。。。ねぇ。
本丸下段の3つの櫓、遠見櫓、月見櫓、太鼓櫓は多聞櫓でつながった構造でした。
さぞ立派な見た目だったでしょう。
本丸上段~天守台
中御門から続くルートで本丸上段へ向かいます。
先ほど見下ろした部分も枡形でしたが、本丸に続くこちらも枡形。厳重です。
本丸上段全景。奥に見えるは天守台。
こちらは周囲を巡る多聞櫓方面を眺めます。広さはなかなかなもの。
本丸にも多聞が置かれ、櫓をつないでいました。こちらは東にあった金ノ間櫓。
規模が大きな2層の櫓で、文字通り金箔が貼られた金の間があったそう。
見下ろす先は、鐘の櫓と遠見櫓です。つまり大手筋。
振り返れば、中御門から搦手筋も見下ろせる要所に置かれています。威厳を見せつつピンポイントに櫓を配置している、のかな。
北角からの本丸上段全景。ここは櫓はありませんでした。さすがに近すぎるか。
代わりに足元には排水溝。実用的な設備が置かれていました。
天守台に向けて進みます。天守台脇には敵見櫓が置かれていました。
名前と場所からすると北西方向、阪内川越しの敵を見る櫓だったのでしょうか。
そのまま天守へ。
本丸内部から見た天守台の高さはそれほどではありませんが、
広さはなかなか。三層五階の天守が建っていたというのも頷ける。
天守台石垣には転用石もありました。石棺の蓋。
さすがにこれだけ石材を集めるとなると大変だったんでしょうね。
天守台から金の間櫓方面の本丸上段と
きたい丸を見下ろします。
きたい丸方面は、なかなかの高さ。こう見ると全く低くは感じません。
この先、きたい丸方面へ向かいますが、続きはまた次回
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三重の街中の高石垣という点では近いのかも。残り具合は違いますが。続百名城。松阪駅から列車で一本です。かなりのローカル線ですが。
こちらは純粋に近場です。
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