にわかお城ファンの旅行記

にわかお城ファンの旅行記

周りに影響されて城巡りを始めた新参者です。城と景色と郷土料理が楽しみな旅好きです。

福井城(137)-福井城巡り④

福井城巡りは2日目。この日はお城ばかりを巡っていきます。

まずは福井駅前の福井城。
今は県庁になっているところも立派な堀と石垣があるところも、徳川家ゆかりのお城のところも、勝手に地元の駿府城に似たものを感じました。
本丸にドーンと県庁なのはさすがに違いますが。

お城:福井城(137) 福井県福井市
HP: 福井城址 | 観光スポット | 福井県観光情報ホームページ ふくいドットコム
 訪問日:2020年7月

概要

福井城の前身は、1575年に柴田勝家が築いた北ノ庄城です。
北ノ庄城は巨大な天守を持つ城であったと伝えられますが、1583年の賤ケ岳の戦いで柴田勝家が敗死し、北ノ庄城も焼失しました。
1600年に結城秀康が入り、天下普請により北ノ庄城の跡地に新たな城を築城。3代松平忠昌の時に福居城に改名。その後、福井城に改名されました。
天下普請に際して4重の天守も建てられましたが、1669年に焼失。その後は再建されませんでした。

訪問記

朝一番に山代温泉の宿を出て、福井駅前に向かいます。
県の中心駅から歩いて10分の抜群のアクセスです。
ちなみに、県庁地下駐車場をお借りしても、ちゃんと訪問先に城跡を記入したら受け付けてもらえたので、きっと大丈夫。

県庁1階受付でスタンプをゲット。

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スタンプのモデルは御廊下橋ですね。確かに一番絵になるか。

県庁を出て遺構を探しに行きます。手続きに来たみたいで、なかなか城跡探索モードになってきません笑
県庁出て正面にいたのは結城秀康

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のっぺりしていて中国の石碑みたいです。

県庁正面、御本城橋側には石垣が残ります。
正直こちらに遺構は少ないですが、散策路が示されていて、スムーズに回ることができました。丁寧な仕事はありがたいですね。
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江戸時代に入ってからの石垣なので、きれいに加工されて積まれています。

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雁木 登ってみたくなる気持ちは分かります。

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右隅の石の穴は矢穴?でしょうか?

この石垣を登る散策路もありました。
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立派なお堀です。
大きなお堀とビル街というのも駿府城を思い起こさせます。福井の方からすれば逆の感想でしょうが。

県庁正面の遺構はこれくらいなので、天守へ。
本丸は御殿跡を中心に県庁、県警本部、県会議事堂がぎっちりと建っていて、天守台もなかなか隅に追いやられている感が強いです。
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右は天守台、左は県警本部のキチキチ感です。
正面の山里口御門はまさかの工事中。。。
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天守台の一段目の石垣は先ほどよりもう少し荒いですね。

山里口御門は後に置いておいて、まずは天守台上へ。
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突然きれいに整備された公園が広がります。
左手奥の石垣に天守がありました。
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こちらは綺麗に整えられた石垣です。さすがに天守の足元の石垣には綺麗なものを使ったのでしょうか

向かい側には天守の石垣。
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傾いてしまっているのは福井地震(1948年)の影響です。
こちらも切込接?の石垣でしょうか。
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天守台の中に入っていきます。

天守台には礎石らしき石が残されています。
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かなり広いですね。向こうの礎石があった場所に天守が建っていたのだろうと思うと、イメージが湧いて良いです。

天守台にはもう一つの目玉。福井の由来になったとされる「福の井」の井戸
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1601年の築城当時からあったと考えられていて、水の量が変わらなかったことから「福の井」と呼ばれたとか。
そしてその福の井が福井の由来になったという説もあります。
実際には北ノ庄の字が敗北につながるとして福居に改名して、その後福井となったと考えられているとのこと。
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2017年に再整備されていて、今はピカピカですね。
笏谷石でできていることがよく分かる色です。

中を覗き込むと古い井戸枠が残っていました。
さすがにそこまでは見えませんでしたが、説明板に水深が書いてあったので、きっと今でも水を湛えているのでしょう。

天守台から山里口御門へ向かいます。
まずは天守台上から屋根を見学。
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工事中でしたが、一番見たかった、ブラタモリで紹介されていた笏谷石の屋根瓦は間近に見られてよかった。

工事現場を越えた堀側から山里口御門の枡形虎口。
この角度ではわかりにくいですが、今いるところと見えている門の向こうの二重の枡形になっています。
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こちらもピカピカの笏谷石の石垣が見えますね。
狭いながらも着実に整備されていてうれしい。

山里口御門からつづく御廊下橋は屋根付きの珍しい形。
ネットに転がっている写真よりは汚れが出てきて馴染んできた気がします。
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戦国の世だと屋根を掛ける余裕もない気がしますが、泰平の世になったので屋根をかけられたのでしょうか?

御廊下橋を渡って立派な内堀を外から眺めます。
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今は市街地になっている部分も地図で見ると相当な広さでしたし、見てみたかったものです。

最後はぐるっと回って元の御本城橋へ。
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周りの車と比べた時の石垣の高さ、立派さを改めて感じて、福井城終了です。

感想

満足度 2.5/5

7-8割方を県庁や県警本部に占められていて、城跡に行くというより県庁に行くという印象が強いですね。
ただ、その中でも内堀の石垣や天守台付近は立派です。
コツコツと復元整備もされていますし、何より笏谷石の地域性が良いですね。
ブラタモリ見てから行って良かった。

本丸しか残っていなくてこれだけのサイズという壮大な城跡ですが、ちょっと想像しづらかったのと、どうしても県庁の建物が見えてしまって気持ちが盛り上がりにくかったのが惜しいところです。

基本情報

福井城
福井県福井市大手

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白山平泉寺 -福井城巡り③

初日最後は白山平泉寺を訪問。
夕立にあって途中で退散してしまいましたが、コケに包まれた境内は人も少なくとても静かで心洗われる場所でした。
雨さえ降っていなければ中世の石畳道まで行ったのになぁ。

白山平泉寺
HP: 開山1300年 福井県勝山市国史跡 白山平泉寺
訪問日:2020年7月

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概要

神社の概要を書くのも恐れ多くて変な感じですが、ここはただの神社ではないので簡単に。

平泉寺は泰澄大師が717年に開かれました。
平安時代以降、比叡山延暦寺の勢力下にはいり、白山信仰の中心として栄えました。
その後も越前守護の保護を受けつつ、境内を中心に48社、36堂、6000坊の院坊が立ち並び、僧兵8000人を抱える強大な勢力になりました。
朝倉氏に比肩する勢力となりつつも、朝倉氏と近しい関係をつづけましたが、朝倉義景が滅ぶと混乱に陥ります。

紆余曲折あって越前一向一揆に襲われた朝倉景鏡をかくまうと、一向一揆の標的となり、一山丸ごと焼失、滅亡してしまいました。
9年後に顕海僧正が再興されましたが、往時の規模に戻ることなく現代に至ります。
明治時代の神仏分離令によって、寺号をすてて白山神社となりました。

訪問記

歴史も現在の姿もどちらもとても興味があり、この旅のメインスポットの一つでした。
ただ、境内と発掘現場がここまで広いとは知らず、そもそも予定していた時間が足りない上に、雨雲レーダーでは夕立がすぐそこに。
残り時間でどこまで回れるか考えつつ急ぎます。

車はとりあえず見つけた第2駐車場に駐車。
平日の夕方だったからかほかに車も人も係員さんも居ませんでした。(もちろんお金は料金箱に入れましたよ笑)
もう少し進んだところにも駐車場はありますが、歩いて数分の差なのでどちらに停めても大差ないでしょう。
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駐車場にあった案内板。
最長の80分コースでも南谷遺跡発掘地が含まれていないことを見て、発掘地には行けないことを悟りました笑

駐車場から境内の入り口までは歩いて5分程度。
こちらは途中にあった東尋坊の屋敷跡
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あの有名な断崖絶壁 東尋坊の由来となった僧です。
力が強く乱暴な僧であった東尋坊が、一山門徒の反感を買ったため突き落とされた崖が東尋坊だそうです。
もともとそんな怖い由来があったなんて。

苔が見えてきて、白山神社の石碑。さながら入り口という感じです。
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ここからの坂が精進坂。遠くに一の鳥居が見えます。

精進坂左手には顕海寺さん。
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再興された顕海僧正の名前を持つこちら、あとから調べると1583年の平泉寺再興の際に建てられたのが始まりの由緒正しき堂塔でした。
中も見ておけばよかったな。

精進坂を進みます。
一の鳥居前の苔をアップで。
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梅雨時で雨が多かったからか本当に緑が綺麗です。

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先へ進んでも緑の参道。

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人も少なく静寂の空間が広がります。

途中にあった八幡神社
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緑に覆われていますが、どうやってお参りに行くのでしょうか。

参道の一角だけ草がこんもり。
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桃山時代の伝説を今も受け継いで草を残している飼葉料という場所だそう。
今も駿馬が食べに来ていたりして。

奥は御手洗池
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平泉寺の名前の由来になった池です。

二の鳥居を過ぎるとさらに苔がすごくなります。
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左右ともに一面苔の景色が広がります。

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何年かかったらここまでになるのでしょう。本当にきれいです。
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写真で見るより実物の緑はもっとはっきりしていた気がします。ぜひ現地で。

そして正面には拝殿
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拝殿は1859年の造営。寄棟檜皮葺と呼ばれる構造です。
この拝殿の左右には平場が広がっていて、ところどころに礎石が残っています。
この礎石は一向一揆で全焼する前の拝殿のもの。
およそ83メートルあり、三十三間堂より大きな建物だったと言われます。
実際に今の拝殿から離れた場所にまで礎石が残っていて、サイズ感に驚きます。

拝殿の奧にある本社へ。
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こちらは1795年に再建されたもの。
色は質素ですが、彫刻はとても繊細で手が込んでいることがわかります。
扉は33年に1度だけ開けられるのだとか。次は2025年だそうです。覚えてられるかな。

本社の左右には別社が2つ。
白山山頂の三山を祀っているために計3つの社が並ぶ形となっています。

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こちらは大汝社
石垣の下から見てみたいところですが、苔を越えてまで入る勇気はありません。

この先にもたくさん見どころはあるのですが、残念ながら夕立が降ってきてしまったのでここで終了。
次は発掘現場も回れるようにきちんと時間配分してこないと。

基本情報

白山平泉寺
福井県勝山市平泉寺町平泉寺

  • アクセス
    電車: えちぜん鉄道勝山駅から市内観光バス「ダイナゴン」または大福交通バス 平泉寺神社前バス停下車
        ※ダイナゴンは土休日のみ運行(冬季:12月~3月第4金曜日まで運休)、大福交通バスは便数僅少かつ昼以降は予約便です。
    車:  中部縦貫道 勝山ICから車で15分
        有料駐車場が4か所(第1~第4まで)あります。どこでもそんなに距離に違いはありませんので、空いているところに停めるので良いと思います。
  • 利用時間
    見学自由
    無休
  • 所要時間
    境内のみで約1時間
    発掘現場見学にはさらに1時間
  • 付近のスポット
    勝山市で有名なのは恐竜博物館ですね。
    あと、勝山城がすぐ近くです。

この旅は越前大野城からでした。

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越前大野街歩きー福井城巡り②

福井城巡りの旅はいったん城から離れて街歩き。
越前大野の城下町散策です。

コンパクトな碁盤の目の街並みとお寺が立ち並ぶ寺町通の雰囲気に、学生時代に住んでいた京都を思い出して懐かしい気持ちになりました。
さすがは越前の小京都です。

城下町散策

お清水

改めて出発地の結ステーション駐車場を眺めます。
越前大野城の麓かつ城下町の西端に位置するので、どちらに向かうにしても拠点になる場所です。

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シンボルのからくり時計が目を引きます。

街歩きの最初はお清水から。
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大野市では湧き水が豊富で、清水(しょうず)と呼ばれる湧水池がたくさん。
こちらはお殿様の用水としても使われていたそう。
上流から、飲料水、ものを冷やすための水、野菜の洗い場として使うというルールは今も受け継がれているのだとか。
奧に行ったらその様子も見えたのでしょうが、お腹空いていたのでこれくらいで。

お清水の近くの名水手打ちそばお清水さんで、名物越前おろしそばをいただきます。
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地元ブランドっぽかった九頭竜まいたけの乗った、舞茸の天ぷらおろしそばをいただきました。
大根おろしとお出汁とお蕎麦の相性が抜群です。
夏場でしたが暑くてもさっぱり食べられるお味でした。
舞茸も立派な見た目に違わずしっかりと食べ応えがありつつお味も良く、大満足でした。

r.gnavi.co.jp

お腹も満たされたところで街歩きに戻ります。

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何でもない街並みですが、古い建物が残っていて、なんか雰囲気が好きだったので。

見上げるとお城。まさに城下町の雰囲気ですね。
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ここで城北側へ少しワープ。間で越前大野城を訪問してきました。

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武家屋敷

城下町だけあって、大野の街中には武家屋敷もいくつか残っています。
訪問したのは旧田村家大野藩の家老、田村又左衛門家の主屋を復元したものです。
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残っている家は、1827年の大火で類焼したあと、近くの村の農家を移築して武家屋敷に改築したもの。
屋敷内部や庭園を見学することができます。

品物の展示や説明は控えめで、昔の良い家にお邪魔しているような感覚でした。
お庭には越前大野城の土居(土塁)が残っているそうですが、現地では気づきませんでした。。。残念。

現在の旧田村家といえばこれです。
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カラフルな風車壁。映えスポットで、当日もこれをバックにした写真を撮りに来ている方がたくさん。
注目してもらえることは良いことですね。

www.ono-kankou.jp

もう一つの武家屋敷は旧内山家
藩店大野屋、藩船大野丸で幕末期の大野藩財政再建に大きな功績を残した家老、内山良休・隆佐兄弟の屋敷です。
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こちらは歩き疲れつつあったので見学はせず。
ただ、庭園を眺めつつお茶が頂けたそうなので、休憩がてら訪問すればよかったかな。

www.ono-kankou.jp

七間通り・寺町通

七間通り方面へ向かいます。
途中にはまた清水。芹川清水です。
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この湧き水が芹川という川を作っていて、芹川は武家屋敷と町人街を区切る境となっていました。
ここから町人街方面へ向かいます。

近くにあったポップな建物。明治村を思い出したのは私だけではないはず。
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平成大野屋さんのはいから茶屋さんでした。

もう少し進んで七間通り春分の日から大晦日まで毎日朝市が並ぶ通りです。
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この日は遅かったので朝市はありませんが、古い町の雰囲気がたまりません。
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朝市も見てみたかったものです。
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大野では縦の通りを番、横の通りを間で呼ぶようですね。
大阪だと筋と通、京都だと通と条、土地柄を感じます。
七間三番交差点。七条河原町を思い出します。

突き当りまで進んで、こちらは寺町通
金森長近の町づくりの名残で、南北に20のお寺が並んでいます。
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寺町、という地名は行政上はないそうですが、看板でのアピールを見ると誇りのようなものを感じます。

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細い石畳の道にお寺がずっと並んでいる様は壮観です。
そしてこんな道を歩いていると初訪問でも心が落ち着いてきます。こういう雰囲気良いですね。
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それぞれのお寺さんもとてもきれいで立派です。
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今も地域に根付いているのでしょう。

帰り道に変わった看板を発見。奇数月は駐車禁止ということは偶数月は何かあるのでしょうか?
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帰ってから調べたら、商店街の道の片側ずつを月ごとに区切って駐車禁止/可能に分けているそうですね。反対側見ていなかった。。
そしてこれも福井には多い看板なのだとか。お土地柄ですね。

おやつタイム

駐車場に戻って次に向かう前にちょっとだけ休憩。
おやつタイムのお供を探しに平成大野屋へ
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買ってきたのはすこサイダー。赤ずいきの酢漬けと名水のサイダーです。
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味は、優しいお味ですね。
もちろん美味しいサイダーですが、せっかくのご当地サイダーなので、もうちょっとずいき感あっても良かったような。。

おやつタイムのメインは米の菓ゆめすけさんの夢助だんご。
(ゆめすけさんは城下町から少し離れているのでご注意を。)
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こちらも映えスポットらしく、若い女性がたくさん待っていました。
テイクアウトで美味しく頂きました。

www.yumesuke-dango.com

大野を堪能して、次の白山平泉寺に向かいます。

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1.御清水 2.名水手打ちそばお清水 3.武家屋敷旧田村家 4.武家屋敷旧内山家 5.芹川清水 6.はいから屋 7.寺町通り 8.平成大野屋 9.米の菓ゆめすけ
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越前大野城(138)-福井城巡り①

夏の記憶最後は、7月にコロナ対策を万全に向かった福井城巡り旅行のご紹介。
出発前の検温・体調管理、現地ではなるべく人と会わない時間、場所を選んで平日に旅行しました。
人との交流も旅の楽しみの内ですが、それはもう少し落ち着いてから。
気を遣うこと、制限は多かったですが、それでもやはり楽しい時間を過ごすことができました。

最初は越前大野城から訪問です。
雲海の時期ではありませんでしたが、有名な天守台の石垣はやっぱり良かったです。

お城:越前大野城(138)
HP:天空の城 越前大野城
訪問日:2020年7月

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概要

越前一向一揆平定の恩賞として越前大野郡の約2/3を与えられた金森長近が、1576年から4年かけて亀山に築き始めたのが越前大野城の始まりです。
城主は数多く交替するも、1682年に譜代の土井利房が付いてからは定着、以後幕末に至ります。

往時は、山上に本丸、東山麓に二ノ丸が、その東と南に三の丸が置かれた梯郭式の構造で、さらに外側に外堀・内堀を巡らせて防御を固めていました。
本丸には野面積の石垣からなる天守台が置かれ、その上には二層三階建ての大天守二層二階の小天守、天狗の間からなる複合連結式の天守が建っていましたが、1775年に焼失。
天守以外は1795年に再建されましたが、明治維新後に破却されています。

現在は昭和に絵図などをもとに推定復元された鉄筋コンクリート製の天守がシンボルです。
向かいの犬山から稀に見える雲海に浮かぶ天守を指して、天空の城と呼ばれることも多いです。

訪問記

朝一番に家を出発してお昼過ぎに到着。
越前おおの結ステーション駐車場に車を停めて登城開始です。
駐車場から見上げると天守が顔を出してくれていました。
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そういえばこの日は梅雨末期の雨模様でした。
上からの景色が心配になりつつ、傘をさしての登城です。

登り口までにあった神社(柳廻社)には亀山城址の石碑。越前大野城の別名ですね。
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軒先に片付けられていますが、もうちょい表に石碑を出しても良いのでは?笑

南登り口から登城開始。
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搦手門が復元されています。
公園の入り口の作り物っぽい雰囲気を感じてしまいました。。

登り始めて途中に百間坂。ここが江戸時代の本丸へのルートでした。
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この日は雨だったので、百間坂はパスで。
ちなみに、遊歩道なら雨でも全然登れます。

坂を一通り登ったところに土井利忠
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大野土井家の7代目。藩政改革を行った名君です。
藩校 明倫館の開設や、アンテナショップの先駆け、藩店 大野屋の開店などがあげられます。
明倫館の跡地に立つ有終西小学校には「明倫」の石碑が建てられていて、平成大野屋という名前の町おこし会社も設立されています。
今でも名残を大切にしているところが良いですね。

さてもう一登り。
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登り切ったところにも門
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説明がないので門の名前が分かりません…

あれだけ小さかった天守が間近に迫ってきました。登ったわけです。
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本丸に入ると古い石垣が見え始めました。
足元はおそらくお福池。現地では気にしていませんでしたのではっきりとは分かりませんが。。

苔むした雰囲気にテンション上がります。
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武具蔵跡方面。本当に本丸に入ったらいきなり雰囲気がガラッと変わります。

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南から上がると天守台を見上げることなくいきなり天守の中に入ります。楽しみはお預けですね。
検温と連絡先記入を済ませて天守内へ。

と、その前に入ったところでスタンプ。

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もちろんモデルは天守天守台ですね。この構図は後で見られるかな。

天守の入り口で係員さんとしばし雑談。
直前の休日はお客さんが戻っていたものの、この日は平日でとても静かになってしまったのだとか。
コロナの影響を感じます。。
もう少しお話ししたいところですが、濃厚接触しないように早めに切り上げて天守を見学。

天守内は定番の歴史博物館。見学しつつ、最上階へ。
天空の城だけあって眺めはとても良いです。
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市街地方面。雲はかかっていますが、碁盤の目の市街地が何となく見えるかな笑

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越前大野城を撮る撮影スポット、犬山方面。
この日はさすがに登っている人はいないでしょう。

天守の見学を終えて、北登り口方面に向かいます。
天守台から降りる武者走りを上から。
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正面ではないからですが、狭いうえに曲がっていて地味に怖い笑

そして下から天守とともに。
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野面積みの武骨な石垣が良いです。
いびつなように見えて実は強度もあるんです、と現地で学びました。

もう少し離れて天守天守台。きっとスタンプと同じ構図です。
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天守は鉄筋コンクリートで推定復元された復興天守でちょいちょい史実とは異なっているようですが、やっぱり絵にはなります。
再建されるだけ地元から親しまれているということですし、うれしい気持ちにはなりますね。
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反対側からももう一枚。
青空だったらもっときれいだったのかな。。

北へ進みます。
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築城者の金森長近像。
台座のせいか近代の人のような印象を受けます。

その先に城址碑。
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こっちが正門なのかなと思いましたが、この先は麻木櫓跡などを見ていたら気づいたら公園ゾーンに差し掛かって、亀山観音石仏を見たらそのまま下山完了。

大野城巡りから街歩きにうつります。

tmtmz.hatenablog.com

感想

満足度 3.5/5

天守付近につくまではよくある城跡公園という雰囲気ですが、天守台付近の石垣は立派の一言。
これを見るために登る価値はあると思います。

地元の方が城を大切にされていることがよく伝わりましたし、スタッフさんが良い人だったのでここは良いお城です笑

基本情報

越前大野
福井県大野市城町3-109

  • アクセス
    電車: JR九頭竜線 越前大野駅から登り口まで徒歩20分
        越前大野駅からバスで大野六間バス停または結ステーションまで10-15分
        福井駅からバスで大野六間バス停まで1時間10分
        登り口から天守まで徒歩20分
    車:  北陸自動車道福井ICから30分または東海北陸道白鳥ICから油坂峠道路を経て1時間15分
        無料駐車場が多数。
        城跡へのアクセスで考えると、亀山南第一駐車場(12台)、亀山西駐車場(23台)。
        城下町へのアクセスも両方考えると結ステーション駐車場(103台)がおススメですが、それ以外にもたくさんあります。
  • スタンプ・開館時間
    越前大野城1階
    9:00~17:00(4~9月)、6:00~16:00(10-11月)、12月~3月休業
    入館料:大人 300円、中学生以下 無料
    冬季休館中は武家屋敷旧田村家での押印が可能です。
    武家屋敷旧田村家 施設紹介 大野市公式ウェブサイト
  • 城跡
    同上
  • 所要時間
    登山口からの上り下り込みで1時間。登山口から天守まで約20分
  • 付近のスポット
    百名城関連だと、福井城、一乗谷丸岡城ですね。全部これから回ります。
    小京都の街並みを眺める街歩きも楽しいです。

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大井川川越遺跡(静岡県島田市)

いつの間にやら稲刈りまで始まっていて、本当に季節が進むのは早いです。
ですが、前回に続けて夏の記憶。
大井川の川越に関する史跡を訪ねました。
かの有名な「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」の舞台となった地です。

大井川川越遺跡:静岡県島田市
HP:島田市観光協会

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概要

江戸時代、江戸防衛のために大井川の架橋や渡船は禁じられていました。
大井川は水量も多く流れも急だったため、川を越える手助けをする商売人たちが現れました。
当初は比較的自由に料金を決めていましたが、わざと深い場所を通って高い金をとることもあったそうです。(タクシーに乗ったらぼったくられた、というようなものでしょうか。)

これではいけないと、川を渡る方法や料金を統一するために作られたのが川越制度、その管理のための施設が川会所でした。
大井川川越遺跡は、その川会所を中心とした川越制度に関する遺跡で、江戸時代の川会所など川越に関する施設群が残されています。

訪問記

静岡に住んでいてもこの遺跡のことはなかなか知らず、たまたま紹介されていたのを見てフットワーク軽く翌日見に行きました。
何かのついでに前を通るような場所でもないんですよね。

車を島田市博物館の駐車場に置くと、いきなり石碑のお出迎え。

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川を越えている様子でしょうが、人の上半身が埋まっているのは正直不気味です。。。夜は見たくない。。
台の上に乗って、まさに川を越えている様子で写真を撮ることもできますよ。

川を渡るときはこういう台で渡るイメージでしたが、これでも水量によって今のお金で1万円前後かかっていたそう。
当たり前ですが、旅なんて簡単にはできませんね。良い時代になったものです。

脇のメインストリートへ向かいます。

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この地図にあるように、道沿いにかつての治水設備や川会所、そのほか川越関係の施設が残されていて、ふらっと回ることができました。

最初にある以降は せぎ跡。
大井川が増水した時に水を止めるための設備です。

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なんだか低い気がしますが、これで十分だったのか、これ以上作れなかったのか、昔はもっと高かったのか。
低くなってしまったのかな。

こちらは八重枠稲荷神社

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川越衆の安全を祈願して(または川で亡くなった人の供養を目的に)1760年に建てられたそう。
写真では見えませんが、社殿の石積みは当時のもので、大井川の川石を亀甲型にして積み上げたものとのこと。

続いて明らかに土手の跡と思われる高まりの前にこちらの看板。
江戸時代初期に築かれた島田大堤という堤防跡でした。
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今は道路になっていますが、こちらは立派な高さを誇っています。
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生垣の向こうの木が生えているあたりが島田大堤の上です。写真ではなかなか伝わりませんが…
ちなみにこの石碑は松尾芭蕉の句碑です。本当にいろいろなところで見かけます。

その大堤の隣に川会所
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この遺跡のメイン施設ですね。
川の深さに応じて料金を決めたり、川札(人足を雇うために必要な札)を販売したり、川を留める/開ける判断をしていた川役人がいたところです。

この建物は1856年に建てられたものが何度も移築されたのちに今の地にやってきたもの。
実際にあった場所から少しだけ大井川方面にずれた場所に移築されています。
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見た目は普通の古民家ですね。
中に入ることもできます。

中は無料、というか誰も人がいませんでした笑
川越で人を乗せた連台などが展示されていて、この遺跡で数少ない長文の説明板もあります。
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こんな感じで川越に関して説明が書かれています。読めないと思いますが。。

この先にも当時の建物がいくつも残されています。f:id:tmtmz:20200822172128j:image
ちらほら空き地もありますが、建物の復元が進められてだいぶ町っぽくなっています。
今も現役で人が住んでいる建物もあって驚きです。

写真左手に見えるカフェ風の建物がこの遺跡でほぼ唯一飲食物を売っている場所でした。
地元の大先輩方が楽しく談笑されていて私は入る勇気が起きませんでしたが。

散策を続けます。

こちらは札場。
川越の際に客から人足に渡された川札をお金に換えて、人足に賃金として渡していた場所です。
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中にも入れますが、あまり商売っけを感じない展示でした笑
この遺跡全般に説明は薄めだったので、説明会などにあわせて訪問した方が面白いかもしれません。

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札場軒先からの風景。舗装がなければドラマのロケなんかもできそうな雰囲気です。

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向かいは番宿。人足たちの集合場所でした。
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右に写っていた十番宿を近くで見学。
十番目まで必要なほどの人足がいたと思うと、当時の賑わいっぷりが伺えます。
島田側、金谷側ともに650人を超えていたそうです。

その向かいの仲間の宿という名前の建物。
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人足の代表者たちが会合を開いたところです。

荷縄屋
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荷造りをしたところ。同じような古民家なので看板と説明を読まないとスルーしてしまいそう。
朝市もやっているようですが、この日はお休み。

三番宿
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中から覗く蝋人形が怖いです笑

最後は1番奥にあった井戸
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いつ掘られたのかはわかりませんが、昭和29年まで使われていたそう。
もしかしたら川越をしていた当時も水くみをしていたのかもしれませんね。

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夏空がよく似合う景色です。タイムスリップした気分になれます。

軽く回れる小さな遺跡で人も少ないですが、建物はたくさん残されていて散策するには面白いところでした。

基本情報

大井川川越遺跡
静岡県島田市河原1

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百名城訪問記 掛川城(42)その2

めっきり涼しくなりましたね。
昼間はカラッと晴れてお出かけ日和。外に出かけなる良い季節です。

さて、記事は掛川城の続きです。この日はお盆でとても暑かった。。。
でも天守は風が通り抜けてとても気持ちよかったことを覚えています。

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訪問記

天守

ようやく天守内部に入ります。f:id:tmtmz:20200907215932j:image
この天守は、1993年に再建されました。
同じ山内一豊の築城した高知城掛川城を参考にしたということで、その高知城を参考に、絵図などに基づいて再建されています。

3層4階、12m×10mの天守は小さいものですが、入口の付櫓、東西の張り出しなどで大きく見せる工夫がなされています。

さすがは木造復元。中を歩くと特有のギシギシ音が雰囲気を高めてくれます。
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この急な階段もいいですね。階段下が生活感漂ってますが笑

お城内部の定番もきちんと再現されています。
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石落とし

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武者隠し

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狭間

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鯱は、掛川城の玄関下御門を移築した油山寺の山門の鯱を参考に作られたそう。

最上階からの展望。とてもよく見えます。まあそれだけ登っていますから。
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南東側。太鼓門や二ノ丸など、近場の縄張りもよく見えます。
あたり一帯が見渡せることを思うと、この場所に城を築いた理由がよく分かります。

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東側。足元右の大きな屋敷は二の丸御殿。
天守を降りてあそこへ向かいます。

二の丸御殿

二の丸御殿に向かう途中に本丸を囲む堀の一つ、十露盤堀があります。

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この十露盤堀も本丸周りの防御のための堀の一つです。
名前の由来は形だと考えられているそう。
現代だと無理やり感を感じますが、当時はきっとそろばんの箱はメジャーですもんね。

二の丸御殿に向かう途中に二の丸茶室
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とくに由緒はなさそうですが、伝統的な日本建築で地元名産の掛川茶を楽しむことができます。

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こちらはその隣にあった二の丸美術館

そして掛川城のもう一つの目玉。二の丸御殿へ。
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この二の丸御殿は藩の公的な式典の場、役所、藩主の公邸という3つの顔を持つ施設です。
江戸後期1861年に再建されて、1868年(明治元年)まで実際に使われていたものが残っています。
現存城郭御殿は、二条城、川越城高知城掛川城の4か所しかありません。
数少ないと言われると途端に大事に感じてしまう不思議です。

早速中へと行きたいところですが、その前にスタンプ。

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もちろんモデルは天守ですね。
日付の通り押したのはだいぶ前。
スタンプ帳を忘れて手近な紙に押したんですが、もう一回来るなら空けておけばよかったかな。

中は自由に歩き回ることができます。

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西半分は畳敷き。
とくにこのあたりは最も重要な対面儀式のための間でした。
きっと当時も藩のえらい方々がこの廊下を歩いていたんだろうと思うと、あまり長居してはいけない気がしますね。

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途中にあった大太鼓。さすがに叩きませんて。

中庭
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板の汚れ具合など、中庭は特に雰囲気がある気がします。

東側は板の間になっていました。
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諸役所の建物であり、目付・奉行などの部屋などがある部分なので質素に作ってあるのでしょう。

二の丸御殿を一周して掛川城終了。
残っている縄張りは狭いですが、十分に楽しめる良いお城でした。

感想

満足度 3.5/5

新幹線からも見える天守のイメージばかりでしたが、大手門や二の丸御殿など、再建・現存の建物が多く、楽しめるお城跡でした。
城好きでなくても普通の観光スポットとしても楽しめるでしょう。
天守に登って周りを見渡すだけでも良い観光になります。

縄張りの遺構が残っている場所は小さめ、天守も小さめではありますが、やはり木造再建された天守は雰囲気が良いです。
御殿も現存なだけあって当時の様子、生活が垣間見えました。
駅から近くアクセスも良く気軽に回れることも含めて良い観光スポットです。

基本情報

掛川城
静岡県掛川市掛川1138-24

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百名城訪問記 掛川城(42)その1

今回は掛川城の訪問記です。
新幹線からも見える木造復元天守が有名ですね。

最近はめっきり秋めいてきましたが、訪問したのは完全な真夏。
日差しと気温に負けずに堪能してきました。

お城:掛川城(42)静岡県掛川市
HP:掛川城|静岡県掛川市
訪問日:2016年4月、2020年8月

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概要

室町時代今川氏が家臣の朝比奈氏に命じて築かせたのが始まりです。
当初は掛川古城と呼ばれ、今の掛川城より東にありましたが、今川氏の勢力拡大に伴い、現在の地に移りました。
今川氏滅亡に伴い、家康が領有し、武田氏との戦いの最前線となりましたが、豊臣秀吉の天下統一に伴い、家康は関東へ移封。
その後、山内一豊が入城しました。
山内一豊の手によって、三重の天守を持つ近世城郭への改修や城下町の整備が行われました。

天守安政東海地震で倒壊し、再建されませんでしたが、1994年に戦後初の木造復元天守として再建されました。
なお、二の丸御殿も同じ安政東海地震で倒壊しましたが、こちらは1861年に再建され、現在もその姿を見ることができます。

訪問記

スタンプを集め始めてすぐに訪問しましたが、遠出する気が起きなかったこのお盆休みに再訪問。暑かった。。。
前回は何も知らずに天守周りだけを見ましたが、今回は余すところなく訪問しました。

という訳で、当時に則って最初は大手門から。

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この大手門は天守のあと、1995年に復元されました。
当時と同じ2層の櫓門で復元されています。
さすがは表玄関。本当に大きくて立派です。

天守を眺める角度でもう一枚。
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当時より北に50mほど移して復元されていますので、ちょっと位置関係は違いますが、かつても入城する際はこんな景色だったのでしょう。
ちなみに、駐車場は大手門近くにあるので、今でも車で来たらここから見学を始めることになりそうです。

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大手門の裏には発掘調査で見つかった礎石が展示されていました。

そして大手門正面には番所の建物が残されています。
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正門を入って取り調べを受けて、という流れがよく想像できます。
こちらも安政東海地震で倒壊しましたが、1859年に再建されたものが移築を経つつ現存しています。

番所の裏には三光稲荷というお稲荷さんがあります。
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見た目は小さなお稲荷さんですが、山内一豊掛川城主だったころ、秀吉の命で伏見桃山城の築城にかかわった縁で、伏見稲荷を勧請したのが始まりとのこと。

正保の絵図からすると、この後すぐに外堀役の逆川を渡り、三の丸、二の丸方面から天守に向かうのが正しいルートなのでしょうが、宅地化しているので、ここは現代風に逆川沿いに大通りを通って天守へ向かいます。
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現在の逆川。細いですがとても深い。堀の役目は十分に果たせそうです。
両岸に植わっている桜は掛川桜という新品種だとか。

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逆川越しに天守を見上げます。
現代の掛川城というとこの辺りから先を指す気がしますが、ちょっと橋と道路がきれいすぎますかね。

橋を渡ってすぐ左手にもちょっとした展示があります。
正保絵図の展示。
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掛川城の復元はこの絵図をもとに行われたものも多く、とても貴重な資料です。現地では大きすぎてよくわかりませんが笑

脇には松尾池跡という説明板も。松尾池は本丸南側の堀です。
ここがそうだったんですかね。

天守方面に進んでこちらは三日月堀
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本丸を守る堀の一つですね。
8mの深さがあり、発掘調査では石垣も出てきたそうですが、この写真以上は見えませんでした。上から見ないと。

天守へ向かいます。
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三の丸広場付近から。夏空に天守が映えます。
現地ではまぶしくて見上げられませんでしたが笑

この階段を登って四足門をくぐって本丸へ入ります。
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四足門プラス天守掛川城の定番の構図です。

四足門だけでもう一枚。
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四足門は発掘調査では痕跡は認められなかったものの、正保絵図に基づいて再建されたそう。

四足門をくぐってすぐのところにあった復元模型。
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堀などはなくなっていて、現在の姿からこの縄張りを想像するのは難しいですが、現地にあると本丸付近がとても想像しやすくなります。

反対側には太鼓櫓
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もともとは荒和布櫓という櫓があった場所ですが、三の丸にあった太鼓櫓が移築されています。
中に入ることはできませんが、こちらも雰囲気を高めてくれます。

このあたりに入場券売り場があって、ここから有料ゾーン。
入城券は二の丸御殿と共通です。

入城券を買った曲輪は本丸跡
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当時は本丸御殿があった場所ですが、今はお花畑になっています。
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今日は暑いのでパスで。。。

見上げると登城路が。良い雰囲気ですね。
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ちなみに、側溝や足元の階段が玉石になっているのは、発掘調査結果に即したもの。
玉石垣といえば同じ掛川市にある横須賀城が浮かびますが、関係しているのでしょうか。

tmtmz.hatenablog.com登り切って一枚
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天守丸はとても小さな曲輪でした。

ちなみに、天守までは結構な高さです。
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天守に入る前から見晴らしが良い。

わずかなスペースに井戸f:id:tmtmz:20200907220015j:image
今川氏真のころ、家康に攻められた際にこの井戸から立ち込めた霧に守られたことから、霧吹き井戸と呼ばれています。

いよいよ天守内部へ。
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というところで今回はここまで。最近こんなんばっかりですみません。。

次回、天守から二の丸御殿を回ります。

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