にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

百名城 名古屋城 (44・名古屋市中区) 3/3-二之丸に残る見どころへ

名古屋城散策の記事も三回目。
一見よくある城址公園ですが、実はそこかしこに見どころがある二之丸を回ります。

東門から入った際、目の前に見える天守に惹かれる気持ちは分かりますが、一目散に向かうのは実にもったいないです。

お城:名古屋城(44)名古屋市中区
HP:名古屋城公式ウェブサイト
訪問日:2017年7月、2022年2月

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訪問記

西之丸大手枡形

本丸を見終えて帰ってきました西之丸。
この部分は、かつては西之丸ではなく本丸大手馬出でした。
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痕跡は少ないですが、二之丸側には不思議な立地になってしまった石垣が残ります。
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二之丸側からの景色には馬出の雰囲気が残るような。
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この角度からなら曲輪と見紛う馬出の規模感や、堀と石垣に挟まれた通路の狭さなどの防御機能が何となくわかるかな。
そりゃ本丸の表門ががら空きの訳ないですよね笑

二之丸

ここから二之丸を見ていきます。

かつては将軍の御座所、本丸御殿に機能が移ってからは藩主の住居として二之丸御殿が置かれていました。
二之丸庭園弓道場や馬場なども置かれた広い二之丸も、今はよくある芝生の公園ですが、実は今も見どころもたくさん。

東南隅櫓を見ながら北上して、
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本丸搦手馬出
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遠望ですが、こちらも石垣と門で馬出があったかつての様子は少しうかがえるかな。
どこへ行っても堀と馬出に阻まれる、近くて遠い本丸ですね。
まぁそんなのんびり眺めていられる場所ではないですけど。

かつて御殿があったあたりは、前述の通りいわゆる城址公園の趣ですが、
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北側隅には当時の名残も見られます。
こちらは本丸搦手馬出との堀に築かれた埋門跡
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非常時に藩主が脱出するための門でした。
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今も門の痕跡が見られます。

北面には南蛮練塀
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南蛮たたきで作られた土塀で、鉄砲狭間もあけられていました。
かなり風化が進んでいて、今や柵より低いですが、それでも残るあたり、説明板に非常に堅固と書かれた強度のあらわれでしょうか。

なんで普通の塀にしなかったんだろうとか、結構気になる興味深い遺構だと思いますが、あまり人がいなかったんですよね。もったいない。

二之丸にはこんなものもありました。那古野城の碑
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二之丸の御殿があったあたりに、その前にあったのが那古野城
今川氏親が築き、氏豊が城主を務めました。
1538年には織田信秀が奪い、信長が居城としていた時期もありましたが、1555年に清須に移ってから廃城となりました。

廃城となってから名古屋城が築かれるまでは荒野だったとのことですが、同じ場所に再度城が築かれたことを思うと、皆が感じる築城の適地だったのでしょう。

二之丸庭園

今の二之丸で最も敷地をとっている二之丸庭園へ。

かつて二之丸御殿の北に整備された二之丸庭園は、十代藩主斉朝の頃に大幅に拡張され、御殿の庭園として日本一の広さを誇りました。
明治維新後、軍用地となり一部は失われましたが、調査結果を元に再整備が行われ、今に至ります。
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そんな整備された二之丸庭園で一番印象的だったのが、こちらの北園池
北御庭と呼ばれる区域の中心にあたり、見ての通り池と石組からなります。
これは江戸時代の様子をほぼ留めているとのこと
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庭を語る知識はなくても、巨石と深い池からなる荒々しさは圧巻でした。

写真右奥の築山も江戸時代の絵図にも描かれたもので権現山と呼ばれます。
二之丸庭園で1番高く5m70。規模が大きいのは横だけでなく、縦もでした。

絵図でも東庭園に描かれた南池。こちらは発掘調査で確認されたもの。
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池は多くの庭園に置かれていますが、この池の広さも目を惹くものでした。
これでも東庭園の一部に過ぎないんですから、全体の規模たるや推して知るべしです。

二之丸西、東鉄門

二之丸庭園を見終わると今の東門に到り、有料区域は終了。
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ですが、まだ見どころは終わっていません。
というか、今は仕切られていますが、かつての二之丸も終わっていません。

ドルフィンズアリーナが建つ付近も、当時の二之丸、馬場が置かれた場所でした。
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そしてその西側に二之丸の大手門、西鉄が置かれていました。
今もひっそりと、というには大きな枡形が残り、
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外門に当たる大手二之門も残ります。
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この枡形虎口は、当時は多聞櫓が囲んでいました。

大手だった外門、かつ現存建築のはずですが、今は人も少なく、落ち葉も溜まって裏門のような雰囲気。
二之丸の搦手、東鉄門の外門だった二之丸東二之門も、本丸搦手に移設されて人が少ない寂しい状態でしたし、二之丸の現存の門たちはなんだか不憫ですね。。

そんな気持ちを汲んで?、二之丸東側の東鉄門へも向かいます。

枡形と
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外門があった石垣。
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規模も石垣の精緻さも素晴らしい。
地下鉄の駅も近く、人も多いので東二之門を置いておいても良かった気もしますが、事情があったんでしょう。

最後は、二之丸外周をぐるっと見てまわります。

今は市街化された三之丸とを仕切る深くて広大な空堀
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ここまで広いともはや堀というより曲輪がおけそうなくらい。
そう思ったのは私だけではない様で、一本外側の堀、三之丸外堀名鉄電車が走っていた時期がありました。

今はさらに近くを地下鉄が走っています。
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訪問時は見た目で必死に?最寄り駅をアピールしていましたが、今は駅名も名古屋城駅に変わったはず。

北側の水堀へ。
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広大な水堀越しに今まで見てきた曲輪を眺めます。
この辺のアングルなんか、建築物がないこと以外は当時のままじゃないかな

締めはやはり美しい西北隅櫓
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いつまでも見ていられる美しさに後ろ髪を惹かれつつ、次の城へ向かいます。

感想

満足度 4/5

何度となく観光で訪れた名城ですが、ある程度城めぐりを経験して改めて訪問すると、その縄張のシンプルさに逆に驚かされました。
シンプルながらも十分な防御性はあるようにも思えて、時代背景ゆえなんでしょう。

復元された本丸御殿は言うまでもなく見事。
これだけを見るために名古屋に足を運ぶ価値は十分にあります。

本丸も早く入れるようになるといいな。

アクセス

名古屋城

  • アクセス
    電車・バス:地下鉄名城線 名古屋城駅(旧市役所駅)から徒歩約5分
    車:名古屋高速都心環状線 丸の内ICから約5分
      有料駐車場あり
  • スタンプ・開館時間
    正門改札所、東門改札所、総合案内所
    開館時間:9:00~16:30
     休城日:12月29日~1月1日
     入城料:大人500円、名古屋市内在住高齢者100円、中学生以下無料
  • 城跡
    同上
  • 所要時間
    1~1.5時間
  • 付近のスポット
    愛知県の百名城でこちらはいかがでしょう。

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百名城 名古屋城 (44・名古屋市中区) 2/3-キラキラピカピカの本丸御殿へ

引き続き、名古屋城を散策です。

いよいよ本丸。
天守は入れなくても本丸御殿に入れるので、普通に観光の目玉になります。
キラキラピカピカ、贅の限りを尽くした御殿は当時をよく再現されていて、素人でも十分にすごさが分かる造りでした。いやはや。

お城:名古屋城(44)名古屋市中区
HP:名古屋城公式ウェブサイト
訪問日:2017年7月、2022年2月

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訪問記

本丸

引き続き本丸を巡ります。
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天守と御殿に目が行きがちですが、もちろんほかにも見どころがあります。

こちらは、本丸に3つあった虎口のうち搦手にあたる東門の枡形
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大手と見紛う規模の枡形虎口
かつては、今いる南側に東一の門と呼ばれる櫓門、北、西には多聞櫓、東には東二の門が、さらに近くには東北隅櫓もありました。

門や多聞櫓は空襲や濃尾地震で失われましたが、
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清正石と呼ばれる巨石は今も残されています。清正はもちろん築城の名手、加藤清正
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遠くから見てもこの存在感です。

東二の門も失われていますが、かつての二の丸東鉄門が移築されています。
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この門は1612年に作られた現存建築。

ただ、この先が工事中で通り抜けできず、この時はほとんど誰も見物客がいなかったのはちょっとかわいそう。。

本丸御殿

さて、本丸御殿へと足を進めていきます。
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こちらも空襲で失われた本丸御殿は、2018年にほぼ復元が完了してピカピカです。
中も違う意味でピッカピカの御殿を見ていきます。

御殿というと城主の住まいのイメージがありますが、この本丸御殿に尾張藩主が住んでいたのはごく短期間。ほとんどの期間を将軍家の御成御殿として用いられました。

非常に格式高く作られた御殿は、多数保管されていた資料や障壁画により、忠実に復元されました。
現代ではフラッシュを焚かなければ写真もOKと、平民にも開放されています。
平和な時代に感謝しつつ、豪華絢爛な御殿を拝見しましょう。

来客が最初に通される玄関は一の間、
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二の間とも大きな虎がお出迎え。
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いきなりキンキラに虎と権力を見せつけられるスタートです。

相変わらず虎が睨む広い広い大廊下を抜けて
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表書院
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相変わらずキラキラの襖や手の込んだ釘隠など、細部まで素晴らしい。

表書院は藩主謁見の間として使われていました。
現代でも藩主が座る上段の間は遠くて見にくい笑
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近くからもう一枚。
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ここの細工は一層すごいですし、

欄間も細かい。
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表書院よりはやや落ち着いた趣のこちらの部屋は対面所
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藩主との私的な面会や宴会に用いられました。
襖絵は四季の風景が描かれています。

でも、上段の間はやっぱり格が違います。
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ここからさらに格式が上がります。続いては鷺の廊下
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ついに長押の上まで障壁画となりました。
上洛殿とともに家光の上洛に合わせて増築された部分だけあって、明らかに違います。

さらに進むと明かりとりの欄間の細工がグレードアップ
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あまりに無縁な世界かつ建築の素人でも、格式の上がり方が分かっていくのが面白い。

そして最も格式の高い上洛殿
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当然、鷺の廊下よりさらに豪華で、天井にも板絵が飾られ、欄間は極彩色の彫刻が掘られています。

この装飾は、上洛殿の廊下にも。
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さすがは御成用の御殿。圧倒的な装飾です。

上洛殿最後は上段の間。
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各所の装飾がさらに立派になり、これ以上ない状態。
自分だったら到底落ち着けませんが、これが日常だと逆に無いと寂しくなるのかな。

ここから折り返し。舞台裏、控えの間を見ていきます。

こちらは梅の間
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将軍をもてなす上級家臣の控えの間でした。
天井や長押の上などはこれまでと比べると質素。。。まぁ十分キラキラしてますけどね

近くには上御膳所
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下御膳所の料理を準備するスペース。
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この辺までくるとだいぶ落ち着いた雰囲気ですね。
まぁ控室だと思うと上御膳所なんかはありえない装飾をされてはいますが。

この時は黒木書院や湯殿書院は見られず、これで一周でした。

最後に外から車寄を見学
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将軍など来客向けの入口で、さすがに現代も平民には解放されていません。
というか畏れ多くて入れません笑

本丸御殿が復元されたことで本丸御殿越しの天守も見られるようになりました。
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絵になるのはもちろんですが、この裏はすぐに石垣、門で、これくらいぎちぎちに建物があったのか、という当時がさらに分かりやすいのも復元のありがたさの一つかな。

その、本丸御殿すぐ裏にある本丸大手の枡形へ。
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さすがの巨大な石垣が残ります。かつてはこの上に本丸表一の門、枡形を囲むように多聞櫓、外に向けて表二の門が置かれていました。

多聞櫓は濃尾地震で、表一の門は戦災で失われてしまいましたが、表二の門は現存。
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所々のゆがみっぷりが年季を感じさせて逆に良いです。

当然ながら、表門の脇には櫓もあります。東南隅櫓
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こちらも現存建築です。本丸から外に回って堪能しましょう。

西南隅櫓と同じ外観二重内部三階の東南隅櫓。かつては多聞櫓が続いていました。
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外側に向いた出窓の石落としも同じですが、実は破風の形状が微妙に違います。
パンフレットを見て初めて気づいたわけですが、気づくと理由が気になります。。。

このあと、堀を抜けて二之丸方面へ。
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というところで、また次回へ。

西之丸、御深井丸、西南隅櫓や西北隅櫓はこちら

tmtmz.hatenablog.com

徳川関連で、松平の郷をめぐったこともありました。

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#城


 

百名城 名古屋城 (44・名古屋市中区) 1/3- 西之丸、御深井丸から本丸へ

有名な有名な名城、名古屋城へ。
尾張名古屋は城で持つ、であり、三名城であり、そのエピソードには事欠きません。

ただ、この趣味にハマってから見に行くのは初めて。
隈なく回って、名城の名城たるゆえんを感じに行きますよ。天守には入れませんが。

お城:名古屋城(44)名古屋市中区
HP:名古屋城公式ウェブサイト
訪問日:2017年7月、2022年2月

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概要

1610年、家康の命により、今川氏の那古野城が置かれていた地に築かれました。
西への備え、清州に代わる尾張の中心として、西国大名に天下普請が命じられました。

金鯱を載せた五重の天守を中心とした巨城が築かれ、三名城にも数えられました。
また、清州からの都市移転で築かれた街割りは名古屋の街の原型となりました。

以降、明治維新に至るまで尾張徳川家の居城となります。

明治維新では破城の申し出が受理されますが、ドイツ公使らの訴えにより姫路城とともに保存されました。
しかし、第二次大戦の空襲で大小天守、御殿など中心部の建築物を焼失しました。

戦後、鉄筋コンクリート天守が再建され、2018年からは復元された本丸御殿も公開されました。
現在、天守の木造復元が議論されています。

訪問記

偉大すぎて避けてきた名城へ。
ただ、どう書いても全ては書ききれないでしょうし、気負わずに振り返っていきます。

訪問記は正門前駐車場からスタート。
混雑覚悟でしたが、平日だったからか空いていて少し拍子抜け。

金シャチ横丁の誘惑を振り払ってf:id:tmtmz:20220222202848j:image

大きな堀を越えると、あっという間に旧榎多門、今の正門
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今は大きな枡形の内側に櫓門がある構造ですが、元々は枡形の外側にも冠木門が置かれ、さらに多聞櫓に囲まれていました。

櫓門は明治時代に濃尾地震で倒壊した榎多門の後に移築された江戸城の旧蓮池門、を外観復元したもの。
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江戸城から櫓門を持ってくるなんて、今の感覚ではありえないように感じますが、それだけ当時の名古屋城の扱いが特別だったということでしょう。
足元の石垣含めてとんでもなく立派だったことが伺えます。

この榎多門前に受付があり、スタンプを入手可能です。
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モデルはもちろん天守ですね。

この先の有料区域に入る前にパンフレットをお借りして縄張りを確認。
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本丸を中心に東に二之丸、西に西之丸御深井丸を、さらに南に三之丸を持ちます。

格の割には簡単な縄張りですが、深い堀や、南と東の本丸虎口には馬出が設けてあるなど、防御も考えられています。
ただ、南の馬出は埋め立てられ、東は長らく修復中でほぼ見学不可なのは少し残念。

建築物のうち、天守や本丸御殿は戦災に見舞われましたが、いくつかの隅櫓は現存しており、復元天守、御殿とともに見学の目玉です。

今回は西之丸から御深井丸、本丸、二之丸へと見学するルートで巡ります。

西之丸

最初は西之丸へ
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西之丸はかつて米蔵が立ち並んでいました。
今は外観を再現した西の丸御蔵城宝館が建てられています。(写真左奥)

右奥にも広いですが、表二之門前にあった大手馬出との間の堀が埋め立てられたもの。

西之丸だと入ったところの大きな大きな金シャチのレプリカや
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カヤの木も見どころでしょうか。

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樹齢600年、尾張徳川家初代藩主の義直が実を食したとも伝わる巨木です。

ただ、どうしても正面の天守と隅櫓に目が行きます。
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正面が西南隅櫓、右奥は東南隅櫓表二之門、左手奥は言わずもがなの天守です。
天守以外は現存建築です。

榎多門を抜けるとすぐにこの景色で、やはり縄張りがシンプルすぎる気もしますが、この先には深い堀があるのでこれでも良いのかもしれません。
というか、時代的に圧倒的な権力を見せられれば良かったのかな。

西南隅櫓はぱっと見は二重ですが、実は窓のとおりに3階建て。
南と西の張り出し部分に石落としが設けてあります。
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訪問時には見つけられませんでしたが、この堀に鹿が飼われているそう。
番犬ならぬ番鹿、ではなくて、いわゆるペットとして江戸時代から飼われていました。
平和な時代も長かったですしね。

先へ。大手は表二之門ですが、今回は御深井丸を経て不明門から向かいます。

御深井丸との境は鵜の首と呼ばれる狭い通路
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上の写真では広めに見えますが、
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左右の緑は堀で大軍では通れません。しかも本丸と今いる御深井丸が高く狙い放題。

本丸の空堀も恐ろしく大きいですし。f:id:tmtmz:20220222212524j:image

鵜の首を避けようにも西之丸と御深井丸の間の堀もかなり立派。
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シンプルながらさすがの守りと感じました。

ここまでくると嫌でも目が行く大天守ですが、
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まず見ておきたいのは、大小天守をつなぐ櫓台の剣塀
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土塀の軒先に槍の穂先が並べられています。強烈な鉄条網みたいなものかな。違うか。

そのうえで改めて石垣と天守
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大きな大きな5重の天守に緑青の屋根と金シャチ。格好良いです。
足元のパイプ?が気になるあたり、木造再建を考えたくなるのはわからなくないかも。

御深井丸

本丸に目が行っていましたが、2つ目の曲輪、御深井丸(おふけまる)に到着です。
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多数の武器庫が並んでいたとされる曲輪は、今は緑豊かな公園の様相です。
西之丸にたくさんいた観光客もまばらです。

御深井丸の見どころは、乃木倉庫
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乃木希典が名古屋にいた頃に建てられたとされる旧陸軍の武器庫です。
第二次大戦時は宝物を入れていたため、天守の焼失時も無事だったのだそう。

もう一つが、西北隅櫓
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そこらの天守にも匹敵するような三重の大きな隅櫓も現存建築です。
清州城から移築した可能性も考えられています。

外堀側から眺めるといっそう格好良い。
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三重であることに加えて1層1層の平面の大きさも素晴らしい。
この立派さ、清州城から持ってきたと言われても信じられる風格です。
御深井丸からこのアングルを見に行くのはかなり遠いですが(笑)

ちなみに、外堀の広さも尋常ではありません。
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絶対にこちらからは攻めさせない広さ。

御深井丸をさらに奧へ。不明門付近には天守礎石が並べてあります。
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こちらが焼失したかつての天守に使われていた礎石たち。さすがに数が多い。

そのほか、櫓台や
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立派な門跡がありますが、このあたりは解説なし。
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この門なんかとてもよさそうですが、工事中なので仕方ない。

相変わらず大きな空堀を越えて
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不明門から本丸へ向かいましょう。
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不明門はその名の通り、常に施錠されていた開かずの門です。
ここだけ本丸虎口に馬出がありませんが、使うつもりがなかったから、でしょう。
とはいえ剣塀は使われていてぬかりありません。
かつての不明門は戦災で燃えてしまいましたが、復元されました。

脇道にそれますが、不明門からの天守は思い切りエレベータが主張していますね。
史跡とバリアフリーとの両立は難しい問題ですが、忠実に再建するにしてもバリアフリーなしはありえず、一番見えない角度にエレベータを置く今の形は一つの方法だろうと思います。本丸からも木に隠れてますし、考えられていますよね。
とはいえ、木造で作り直す時にはもう一つ目立たない形にならないかな。技術的に厳しいのは分かりますが。

不明門をぬけても本丸の景色は広がらず、さすがに枡形になっていました。
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そして気になる石垣の刻印と焦げ
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焦げの方は天守が燃えたときの戦災によるものでしょう。無念です。

天守へは、大天守脇の小天守から入ります。
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と言いつつ、今は耐震性の問題とかで入れないのです。残念。

その分、本丸御殿と大小両天守を一枚に収めた良い写真が撮れますよ。
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と、視界が開けたところで、ここから本丸の探索はまた次回へ。

愛知県の名城で、こちらはいかがでしょうか。

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2022年振り返り 今年もありがとうございました

2022年も気づけば年の瀬。
あわただしい師走の毎日、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

こんな場末のブログものらりくらりと3回目の年越しを迎えました。
今年も自分の中では恒例の一年の振り返りをしていきたいと思います。

本題の前にこちらも自分の中では慣例に倣い、まずはこの記事でお伝えしたいことから。

今年も1年、拙い記事をお読みいただき、スター、コメントなどで反応していただき、ありがとうございました。

いろいろあって遠出もできておらず、投稿頻度も右肩下がりですが、きっと一時的なものと信じて、来年もマイペースに続けていけたらと思います。
まずは遠出を再開するところからかな。

こちらは2022マイベスト写真
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夏の山里は浜松の山奥にある高根城本丸から見た水窪の街並み。
高根城もまだ記事としてまとめられておらず。。。また来年お届けできれば。

2022年城めぐりを振り返る

2022年に訪問した城の数は以下の通り

訪城数  28
 百名城  8
 続百名城 7
 その他  13

今年は途中から忙しくなった影響で訪城数はかなり少なめ

百名城、続百名城に関しては、これでも再訪を含むので、実質スタンプはほとんど進んでおらず。ちゃんとスタンプを埋められるか、かなり不安になってきました。

記事投稿のタイミングも遅れに遅れているので、訪問時期は気にせず、今年投稿した中から印象的だった城を3つご紹介

百名城・七尾城

有名な能登の百名城。

百名城だけあって当然素晴らしい城だと思って訪問する訳ですが、そんな高いハードルを軽々と超える名城でした。
五段の高石垣には尊さすら感じるような。今思い出してもまた見たくなります。

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苔蒸した白い高石垣に包まれる気分は最高でした。

紅葉で黄色く染まった二の丸の景色も、本丸からの七尾湾の眺めも素晴らしく、山城散策の疲れを吹き飛ばしてくれました。
まぁ上まで車で行けるんですが、そういうところも素晴らしい笑

tmtmz.hatenablog.com

続百名城・要害山城

続百名城からは武田氏の詰城。

もともとはその山城っぷりに音を上げて、駅前のスタンプだけにしてしまったところでした。思い立って再訪してよかった。

検索でクマがサジェストされて訪問前はビクビクでしたが、現地では興奮が勝ってしまいました。山上の石垣・枡形虎口、一見の価値ありです。
サジェストは近くの熊城の影響も含んでいるような気もしたり。

要害山城から見た躑躅ヶ崎館
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写真は無理やり感ありますが、肉眼だともう少し分かりやすかったはず。

tmtmz.hatenablog.com

伊豆長浜城

百名城以外からは伊豆の長浜城

観光地化狙い以外で、これだけ丁寧に整備された百名城選外は珍しいのでは。
曲輪の様子、櫓の様子、なにより海越しの富士山の美しさが印象的でした。
百名城選外でも城好きでない友人を誘える名城です。

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こんな景色がみえるといえば、城に興味が薄くてもきっと見に来てくれるはず。
そして、復元遺構に興味を示してくれるはず。

tmtmz.hatenablog.com

改めて、2022年はありがとうございました。

2023年は忙しい中でも時間を見つけて旅行も再開して、楽しい一年にできれば。
そしてぼちぼちブログの方も続けていければ。

みなさまにとって2023年が良い一年になりますように。
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城 - ブログ村ハッシュタグ
#城


続百名城 石垣山城 (126・神奈川県小田原市) -かの有名な一夜城へ

数多くの逸話を持つ小田原の石垣山一夜城へ。

さすがに一夜というのは盛っているにしても伝わる話もなかなかすごい。
さらにその規模もかなりすごく、これを小田原城から見たときの気分たるや。。。

小田原城からあと一歩足を延ばさないともったいない名城です。

お城:石垣山城(126)神奈川県小田原市
HP:小田原市 | 石垣山一夜城
訪問日:2022年6月

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概要

1590年、小田原攻めで秀吉により築かれた陣城で、東国最初の総石垣の近世城郭です。
小田原城を望む笠懸山山頂に、わずか80日で築かれました。

一夜城伝説も伝わりますが、小田原城から見えないように築城し、完成後に木々を伐採してあたかも1日でできたように見せた、と言われます。
さすがに夜間の工事では火を使っていたはずで小田原城からは見えていた、とも言われますし、少なくとも一夜では作られていなかったようです。

訪問記

一夜城駐車場から散策スタート。

平日はバスがなくアクセスは難ありですが、逆に土日の車は箱根への渋滞がすごい。。
道を間違えて渋滞に突っ込んだ私みたいにならないように…
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車はたくさん停まってますが、ヨロイヅカファームのお客さんの方が多そうかな。
石垣山城にもそれなりにいましたが。

私は右手のトイレに直行してお腹が痛かった訳じゃないですよ笑スタンプを押してきました。
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モデルは石垣。いきなり見えてきます。

道を渡って城跡へ。

現地の看板で全体像を確認しましょう。
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本丸周囲に西、南、東、二の丸、さらに外側に出曲輪、三の丸を持ちます。
天守があったかは定かではありませんが、天守台は本丸南西に置かれています。
出曲輪、三の丸以外を見学可能です。

南、東曲輪の間の大手を進み、西、本丸、二の丸、井戸曲輪と見てまわります。

こんな復元模式図もありました。
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南曲輪・西曲輪

大手と考えられている東口から入城です。
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山城ですがほぼ高低差なく入れます。
ここまでに登ってきたわけですが、車だとアクセス容易でありがたい。

早速左手に見えるのが南曲輪の石垣
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いきなり巨大な石垣跡に圧倒されます。
80日で作ったというのも陣城というのが信じがたい。。。
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石垣が崩れているのは主に破城によるもの。

登りきるまで堪能したら、
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こちらも破城の影響でなかなかワイルドな虎口を進んでいきます。
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このあたりは足元に注意が必要です。

南曲輪
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さほど広くない曲輪ですが、

堀(道路)からの高低差はすごいものがあります。
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この高さの石垣があったわけですからね。

振り返って南曲輪をもう一枚
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高いと言った南曲輪ですが、石垣山城の現存区域では一番下。

登って、本丸石垣を見ながら西曲輪へ
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西曲輪への虎口
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このあたりで門の基台跡が見つかっていますし、左手奥にも高まりがあります。

西曲輪
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南曲輪よりは少し広め。とはいえさほど広くはない曲輪です。

ここから見上げると、本丸や天守台の石垣があります。
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天守台のものは高さ10mを超えます。返す返す陣城の規模ではないですよね。

本丸・天守

西曲輪から戻って見上げた本丸へ
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写ってませんが、奥で折れて枡形となっています。

本丸に到着
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本丸は笹薮中心。また、これまでの曲輪とは違いかなりの広さです。

東側には当時も今も物見台が置かれていて、小田原城を望むことができます。
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天気の良くない日でしたが、見えて良かった。

本丸南西の天守台へ。
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今はなだらかな丘ですが、転がる石からするとかなりの天守台があったのでしょう。
天守があったかはわかっていません。

天守台から見ると本丸はこんな感じ。
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本丸の広さを改めて感じます。どういう使い方だったんでしょうか。

二の丸

本丸東側から二の丸方面へ抜けていきましょう。まだまだ見どころ盛りだくさんです。

まずは虎口から。
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こちらも石が転がる状態ですが、枡形を形成していたことがよく分かります。
往時は高低差も含めて一層防御性のある枡形だったんでしょう。

このまま二の丸へ進むと素晴らしい絵が広がります。

本丸石垣と
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二の丸全景
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本丸の高さ、二の丸の広さがよく分かる絵じゃないですか。

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こちらの石垣は高さ20mを超えます。幅と言い、迫力がすごい。

下りて、
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広い二の丸を眺めます。
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馬屋曲輪とも呼ばれる二の丸には、その名の通り馬屋が置かれていたと伝わります。

二の丸から眺めた先ほどの石垣。
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半分崩れていても、擁壁のような存在感です。

二の丸を北へ進むと櫓台跡も残されていました。
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櫓台あたりからももちろん小田原城を視認可能です。
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二の丸の北端にも櫓台があったようですが、今は展望台に。
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眺望は、、、よく分かりませんでした。
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井戸曲輪

もう一つの見どころ、井戸曲輪は二の丸のすぐ隣
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下りた先に、石塁で作った巨大な井戸がありました。

淀君化粧の井戸とも言われる井戸はまだ水が湧いているそう。
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さすがに水は見えませんでしたが、

石垣の雰囲気には圧倒されました。
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高さ、荒々しさ、それでいて整っている様。素晴らしい。
破城箇所が多い石垣山城で、きれいに残っているのもまた珍しく、目を惹きます。

最後は二の丸東面の石垣を見ながら入口へ
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この辺にも小さめの石を用いた立派な石垣が残ります。つくづく、陣城とは思えない。

反対側には東曲輪
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こちらは最初に見た南曲輪、西曲輪同様に小さな曲輪です

最後は、こだわり自販機でご当地土産を、見て、石垣山城登城完了です。
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感想

満足度 4/5

80日で作られたとは思えない規模の石垣を堪能することができました。
破城されているとは言え南曲輪、本丸の石垣は圧巻ですし、井戸曲輪も本当に立派。

これが陣城なんですからもう圧倒的ですよね。

帰りにヨロイヅカファームでお土産を買い忘れたことだけが心残りです。

アクセス

石垣山城

 

続百名城 小机城 (125・横浜市港北区) 2/2-都会の森に残る空堀 北の空堀と西郭へ

前回に引き続き、横浜市の小机城を散策です。

最初に見た南の空堀も本当に深くてすごい。。。と思いましたが、それをさらに越えてくる北の空堀

本当によくこんな空堀を作ったものです。
そしてそんな素晴らしい遺構がよく住宅街に残ってくれたものです。

前編はこちら

tmtmz.hatenablog.com

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訪問記

北側の空堀

二の丸まで見たのが1回目。
後編では二の丸から降りて、北側の空堀を見ていきます。

最初に通った南側の空堀よりさらに規模感を感じる空堀へ。
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いやーすごい
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どこまでも続く深く広い空堀
本来は到底のんびりしてられない場所ですが、思わずのんびり眺めたくなる景色
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とんでもない加工量です。圧巻。

これでも見たのは二の丸北側だけ。
つなぎの曲輪の北側にも続きますが、蚊の襲撃がひどく急いでつなぎ曲輪へ戻ります。写真ではいつまでも見ていたくなる景色ですが、現地ではもう痒くて痒くて。。
虫よけ忘れるんじゃなかった。。。

つなぎの郭・本丸(西郭)

蚊の襲撃に耐えかねて、早足で二の丸とつなぎの郭の間、つなぎの郭への虎口に帰ってきました。
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ようやくつなぎの郭へ入ります。

南北に細長い郭へ入ったそばから、反対側には本丸も見えていました。
本丸に対しても高い立地です。
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その形状から馬出の扱いかと思いますが、その辺の解説は無いんですよね。

もちろんまずはこの郭を散策。南端には櫓がありました。
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見通しが悪くて当時の景色は分かりづらいですが、空堀を挟んで最初に通った南側の通路に相対する立地。櫓を置きたくなりますよね。
もちろん、南側からの侵入者への攻撃にも使われていたと考えられています。

空堀の深さはこんな感じ。十二分に広いです。
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北端も見ておきましょう。
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櫓跡の記載はありませんでしたが、南端と同じく深い空堀に突き出す形です。

一通り回ったら、ようやく本丸へ。
こちら側には二の丸側と違って土橋が設けてあります。
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たしかに二の丸より少し守りが固いかな?
これだけ近いと実質一体化していたんじゃないかという気もしますが。

本丸虎口
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浅いですが、土塁の痕跡を感じます。

そして本丸
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二の丸と同じかやや狭いくらいの曲輪は、結構な高さを残す土塁に囲まれています。
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反対の虎口に冠木門が再現されていました。あちらが大手だったか。天邪鬼が過ぎた笑

ここでようやく立派な解説と
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なぜか野球のバックネットのようなものも。
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ここでの野球はボールがどっか行っちゃうリスクは小さくていいですね。土塁に囲まれてますし。いや、普段どう使っているのか知りませんが。

二の丸と同様にここを本丸と呼ぶのも現地の看板に従ってのもの。
どちらが本丸かの議論に結論は出ていません。
パンフレットによれば、後北条氏の進出後に大規模に改修されたものとも考えられています。

このあたりの考察ができる知識を身に着けたいものです。
素人目には、バックネットのある野球ができる公園にしか見えません。。。

富士仙元

最後は第三京浜の向こう側へ。
本丸を南に抜けて、冠木門を外から振り返っておきましょう。
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二の丸よりは守りが堅そうに見えますが、当時はどうだったんでしょうかね。

本丸南面も深い堀に囲まれています。この辺は二の丸と一緒。
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この写真奥へ進むと入り口に戻りますが、反対へ折れて第三京浜の向こう側へ
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車がビュンビュン通る隣を降りて、地下道をくぐって、また階段を上って対岸へ。
反対側の階段は高速から丸見えで結構恥ずかしい(笑)

反対側もそれなりに広く、土橋か尾根のような景色が広がります。
が、遺構かの判別は自分には付けられませんでした。
もといた場所より整備も甘めなような気もしてなかなか。。。

唯一分かったのが、看板にあった富士仙元。中央の高まりを登って、
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頂上に塚が置かれていました。
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さすがに当時からのものではないと思いますが、きっと何らかの由緒があるはず。
帰り道の無事を祈りつつ、小机城の散策終了です。

感想

満足度 3.5/5

横浜市街から多少離れているとはいえ、新横浜の隣駅の駅前にここまでの遺構が残るとは。重ね重ねよく残ってくれました。

眺めはありませんが、堀と曲輪の高低差がすばらしい。
虫よけをちゃんとしてもっと堪能できる状態で来るんだった。

今はちょっと解説が物足りなくて素人には分からないところも多いですが、発掘調査もされていますし、いろいろと明らかになってくれると嬉しいものです。
そうすれば解説も増えるでしょう。

駅反対の日産スタジアムと合わせてぜひ。

アクセス

小机城

  • アクセス
    電車・バス:JR横浜線 小机駅から徒歩約10分
    車:首都高 神奈川7号横浜北線 新横浜ICから約5分
      駐車場なし 付近にコインパーキングが多数あります。
  • スタンプ・開館時間
    横浜市城郷小机地区センター
    開館時間:9:00~21:00 日曜日は17:00まで
     休館日:第4月曜日(祝日の場合、翌日)、年末年始
     入館料:スタンプ押印は無料
  • 城跡
    散策自由
  • 所要時間
    ~0.5時間
  • 付近のスポット
    前編はこちら。

    tmtmz.hatenablog.com

    横浜線沿線だと、八王子城滝山城がアクセス容易でしょうか。

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続百名城 小机城 (125・横浜市港北区) 1/2-都会の森に残る深い空堀 南の空堀と東郭を巡る

新横浜から一駅。
素晴らしいアクセスの続百名城・小机城へ。

完全な住宅街を抜けると、深い堀に囲まれた素晴らしい遺構が待っていました。
訪問の際は虫よけを忘れずに。

お城:小机城 横浜市港北区
HP:市民の森・ふれあいの樹林ガイドマップ 横浜市
訪問日:2019年9月、2022年6月

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概要

築城年代は定かではありませんが、15世紀半ばまでと考えられています。

1478年の長尾景春の乱で景春方が立てこもり、扇谷上杉方の太田道灌が攻略しました。
上杉氏の領地となりますが、後北条氏の進出で廃城。
後に改めて整備されたと考えられています。

小田原征伐でも合戦はなく、落城。その後、家康の関東入府後に廃城となりました。

訪問記

横浜線小机駅からスタート

小机城に駐車場はなく、周りは住宅街。車の場合も小机駅周辺のコインパーキングに停めることになるでしょう。
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小机駅日産スタジアムの最寄駅ですが、スタンプがあるのは反対の南口。
駅前はローカルな商店街が広がる、いかにも周辺住民のための駅といった雰囲気です。

まずは駅出てすぐの横浜市城郷小机地区センターでスタンプをゲット
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こちらも完全に地域住民向けですが、入口にスタンプがあるので臆せず入りましょう。

パンフレットもここでゲットできます。
そして、パンフレットを見て、2階に小机城の展示があったことを今知りました。
臆していたことがバレてしまう笑

スタンプは分かりやすい堀の景色。
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まさにこんな感じの景色でした。もっと深いかも。

地区センターから小机城へは線路を挟んで徒歩10分弱。
道中は看板完備で道に迷う心配ゼロです。
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マリノスケの兜は小机城仕様のようですね。さすがにいつもの格好じゃなかったか。

最後までマリノスケとミズキーに導かれて登城口へ。
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本当にギリギリまで住宅街が迫っています。

城内へ

城内を散策する前に縄張りを確認しましょう。
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中心部に2つの曲輪とそれらをつなぐ「つなぎの曲輪
周辺に多数の腰曲輪、南西には出城も置かれていました。
現在は破線で描かれた第三京浜が分断していますが、中心の2つの曲輪とその周りの堀などを見ることができます。

今いるのは根古谷あたり
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現在地は小机城址市民の森としての看板の方が分かりやすいかもしれません。

改めて根古谷から散策スタート
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腰曲輪のようなな様子が見えますが、どこまで当時のままかは分からないかな。
かつては城主や家臣の屋敷地が広がっていた場所とのこと。
もっと広かったんでしょうが、宅地になったところもあるのかも。

根古谷付近から住宅街が嘘のような森ですが、足元はきれい。さすが都会の城跡です。

腰曲輪のような平場を見ながら
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小山を登ると
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広がるのが空堀
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この空堀の規模、深さが小机城一番の見どころです。
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堀の両側に土塁が設けられた北条流の堀が広がります。
左が本丸、右がつなぎの曲輪だったかな。本丸、二の丸の表記は現地看板に合わせています。

通路に沿ってまずは二の丸へ
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どこまでも続く深い堀に沿うと

角は少し広がった曲輪
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櫓を置きたくなる見た目、場所ですが、説明なし。というか解説がありませんでした。
あまり調査が進んでいないことも影響しているかもしれません。

二の丸方面へは少し下がりながら向かいます。
空堀をより低い視点で堪能できるわけです。
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高さがすごい。

このあたりにも腰曲輪のような広がります。解説が欲しい。
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登って二の丸とつなぎの曲輪の間へ
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左手には本丸方面へつながるつなぎの曲輪への虎口
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正面は、北側にも広く広がる堀へと降りる通路
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そして右手は、二の丸につながるちょっとした平場に井楼がありました。
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このあたりに武器庫があったと言われています。

二の丸(東郭)

井楼の奥に広がる曲輪を越えると二の丸の虎口。
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今は左手の櫓台を兼ねる土塁のみで広いものですが、かつては土塁があったのだとか。
このへんは解説あり。嬉しい。

天邪鬼を発揮して、今もそれなりの高さを保つ櫓台
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通って
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二の丸
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現地では二の丸と呼ばれていますが、二の丸、本丸の位置づけは結論が出ていません。
パンフレットによれば、東郭が初期小机城の本丸であったとも考えられています。

今の姿は土塁も少なく防御性に不安を覚えますが、これは畑地となったときに土塁が撤去されたためだそうで、当時の姿は不明。このあとの「本丸」との差も小さいような。
まあ素人がチラッと考えただけで位置づけが分かる訳もないです。

今は中央部に植え込みがあって南北に分かれていますが、さすがにこれも当時とは違うのでしょう。
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こちらは植え込みの北側。
現地では北側はあまり広さを感じなかったんですが、写真ではそれなりに広い。
記憶違いかな。。。

ここから、北側の空堀を降りて散策。
南側も十分凄かったですが、北側はそれにもましてすごい。

というところから、また次回へ。

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