観音寺城訪問記その2は観音正寺から伝本丸、伝平井丸を回ります。
伝本丸、伝平井丸に残る巨石は本当に立派。さぞ重要な曲輪であったであろう迫力がありました。
観音正寺からならそこまでの距離ではないので、ここだけ見るものありかも。
お城:観音寺城 滋賀県近江八幡市
HP:観音寺城跡 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!
訪問日:2023年3月
訪問記
伝沢田丸から観音正寺へ
その1では北端の大土塁に沿って、最高所の沢田丸まで進みました。
相変わらず字が読めないこちらの縄張図でいう中央上の赤ラインが分岐するのが伝沢田丸。
ここから下への赤ライン沿いに、中央赤背景の観音正寺へ向かいます。
伝沢田丸から観音正寺方面への最短ルートは結構な急こう配。
道中、無数の曲輪群を突っ切って下りているはずですが、現地はおろか縄張図上も名前の書かれた曲輪はありません。
まあこんな有様ですし。
という訳で、5分そこらでさくっと下りきったら
しばし平坦な道で観音正寺へ。
いつのものかは分かりませんが、良い感じの石垣などを見ていたら
思い切り裏から観音正寺に突入していました。
仁王像が睨みをきかせる正門でお金を払って改めて拝観しましょう。
観音正寺は、605年、聖徳太子の創建とも伝わる古刹です。
一説には聖徳太子が人魚と出会い、人魚の願いを聞き入れて建立したともされます。
佐々木六角氏の頃にはもちろん存在していて、その庇護を受けて大いに繁栄しました。
しかし、観音寺城が拡張すると防御の障害となって麓へ移り、信長の侵攻もあり、荒廃します。その後、1606年に現在の山上に移って復興されました。
山中にある境内は細長いもの
突き当りに本堂があります。
元は明治期に彦根城の欅御殿を移築したものでしたが、1993年に人魚のミイラと伝えられた本尊とともに焼失。2004年に再建されたものです。
ただ、新しいといっても、造りは荘厳そのもの。よいです。
もう一つ心に残ったのがこちら。
石仏ではなく、岩がたくさん並べられた崖。説明もなく何かは分かりませんでしたが、とにかく石材が豊富な山だったことだけはよく分かりました。だから観音寺城も古い時代から石垣を作れたんですね。
せっかくの景色こそ雲がかかって見えませんでしたが、結構な山中でも、多くの参拝者で賑わう理由が分かった気がします。
伝本丸へ
参拝がすんだら、元来た道を本丸方面へ向かいます。
ちなみに、境内にも一応道案内は出ています。
伝沢田丸から降りてきた道と本丸方面への分岐。今度は平坦な方を進みます。
平坦路は長くは続かないもので、5分も歩けば再度坂道。
まずは本丸方面から。大石垣は追手道をだいぶ下りた先にあたります。
石段、脇の石垣ともに深く苔むしていてとても良い雰囲気です。
登ること数分で伝本丸。
見通しが悪くて広さを感じづらいですが、かなりの広さを誇ります。
先の石段といい立派ではあるのですが、本丸というのは江戸時代の絵図をもとにした名称で、曲輪の配置などから疑問も持たれているとのこと。
ただ、先の写真の中央右手の標柱には本城跡とは書かれていますし、かなり年季の入った解説板も置かれていて、今の扱いは本丸と呼べるものです。
伝本丸の見どころの一つが、北側に位置する立派な石塁からなる喰い違い虎口。伝本丸裏虎口とされます。
使われている石も大きく威圧感があります。
抜けて少し進むと井戸
太夫井戸伝承地、と書かれた井戸には、いまだ水が湛えられていました。
周囲には低めの石塁も多数置かれていました。
下りるのはこのくらいにして、伝本丸へ戻ります。
外から見た伝本丸裏虎口。藪が少なめで一層よい感じです。
本丸ということには疑問があるにしても、重要な曲輪であったことは間違いなさそう。
再度伝本丸内へ。
縄張図にもある通り、西、南面は高い土塁、石塁に守られています。
足元には、溜枡と呼ばれる貯水施設も。
伝本丸下にも井戸はありましたが、ここにも。水が豊富な適地だったんでしょう。
本丸を一周したところで、大石段を下りて次へ向かいます。
伝平井丸へ
再度、本丸大石段を下りきったところへ
今度は大石垣方面へ進みます。大石垣までは15分
少し進むと帯曲輪程度の小さな曲輪。看板はありませんがおそらく伝三の丸
足元には竪堀が伸びるそうですが、よく分からず。
ここまで僅か1分程度でしたが、この曲輪の端までくると大石垣までは7分まで近づいていました(笑)
もう一つ伝三の丸と思しき曲輪
他の曲輪は家臣団の名前が付けられているところ、ここだけ三の丸と呼ばれている理由も気になります。
薮の中に顔をのぞかせる石垣を見ながら先へ進むと
立派な石垣が見えてきました。こちらが伝平井丸
最初に見える立派な石垣にもテンションが上がりますが、
なんといっても巨石を用いた虎口は圧巻。思わず声が出てしまいました。
興奮のあまり同じ虎口で何枚も写真を撮っていました(笑)
石垣の南東部には埋門もあったようですが、今は崩落してしまっています。これは残念
平井丸内部を散策しましょう。広い曲輪内部には平井氏屋敷跡の標柱。
木がひどくて見通しが効きませんが、奥に進むとちょっとした虎口と石段
その奥には石段数段分だけ高い小さな曲輪がありました。
伝平井丸の最奥部ですし、最も重要な区画だったのでしょう。
その奥は到底進めそうになかったので引き返します。
内側から見た平井丸虎口も写真に納めてから次へ
虎口を抜けて西方向に目をやると、伝平井丸石垣と相対する伝落合丸の石垣も見えてきます。
標柱には伝落合氏屋敷跡とありますが、他と合わせて伝落合丸とさせていただきます。
こちらが伝平井丸石垣
石の大きさからすでに威圧感があります。
こちらは伝落合丸の石垣
こちらもなかなかの巨石が使われています。隅角部が丸みを帯びていて特徴的です。
このまま伝落合丸を見ていきたいところですが、長くなってきたので続きはまた次回。
付近のスポット
近江八幡市には百名城がたくさんあります。
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