水口城に続いて、その前に水口城と呼ばれていた水口岡山城へ。
こちらは、街を見下ろす山の上にある、いかにもな平山城です。
ただ、その規模感や遺構はなかなかなもの。登りもそこそこありますが、登る価値のある立派な石垣も残っています。
HP:国史跡 水口岡山城跡について/甲賀市
訪問日:2023年3月

概要
1585年、中村一氏が豊臣秀吉の命により大岡山山頂に築城しました。
当時は水口城と呼ばれました。
関ケ原の合戦において城主、長束正家が西軍に着いたことにより廃城。
石材は1634年に築かれた水口城(訪問記)に転用されたとされます。
当時本丸は総石垣であったと推定され、転用されたとはいえ一部に高石垣が残ります。
訪問記
水口城から徒歩で訪問。直接向かう場合、近江鉄道の水口駅または水口石橋駅が最寄りです。
こちらはその水口石橋駅
当ブログでは3記事連続の登場です。使い回しごめんなさい。水口岡山城に直行される方もいらっしゃると思いますので。
水口石橋駅からは徒歩15分ほど。パンフレットが駅近くの甲賀市ひとまち街道交流館にありますので、反対方向ですが事前に寄っておくのがお勧めです。
登城口への道中は、からくり時計など風情ある旧東海道の街並みが広がります。
パンフレットで登り口が大岡寺の裏手にあることを確認して、まずは参拝します。
大岡寺は、水口岡山城の築城以前に大岡山の山頂にあり、築城に際して移転、再建されたもの。歴代水口藩主の祈願所ともなっていました。
今回はトレースしていませんが、大手道が境内を真っすぐ走るような関係性です。
立派な本堂と
美しい池を眺めて
登り口を探しますが、見当たらず。。。
大手道は、境内裏手の県道を挟んだ反対側に延びるようですが見つけきれず、少しずれた西口にたどり着きました。
登り口脇には案内も無料駐車場もありますし、舗装もされてて結果オーライかな。
おどろおどろしい秀吉もいました。
甲賀市ひとまち交流館では、パンフレット以外も色々配っているようです。力入ってますね。
登城前に山頂の縄張図を借りて全体を確認しましょう。
山頂の尾根に伝本丸、伝二の丸、伝三の丸、伝西の丸が並び、周囲に腰曲輪を持ちます。
本丸は総石垣であったと推定されていますが、現在は北面に一部残る程度です。
現在地は、左下のトイレのあたり。伝西の丸方面へと山を登っていきます。
朝まで降っていた雨が上がったばかりの舗装路からスタート
足元と曇り空に頑張って耐えてもらえるよう祈りつつ登っていきます。
よく分からないキャラも応援してくれています。
登り始めて5分で腰曲輪の一つへ。
児童公園となっていますが、明確に曲輪です。他から離れた低い場所にあるので使われ方は違ったのでしょう。
引き続きガンガン登っていきます。
右手には竪堀?も見えはしますが、森の中にありなかなか判別が難しい。
平山城ですが、そこそこ登りますね。
さらに5分で次の曲輪へ
薮で見えにくいですが、結構な広さの曲輪でした。あと、ぬかるみで足がやられた。。。
このあたりから曲輪が連続するようになります。
山頂部と連携しながら使われていた曲輪でしょうか。
他にも見えていない曲輪があるでしょうし、結構な人数を収容できたのでは。
もう少し登ります。そして、すぐに腰曲輪
その上が伝西の丸 山頂部最西端の曲輪に到着です。
奧は微妙に高さが違っていて、使われ方も違ったのでしょう。
今の伝西の丸は天翔の櫓や
解説付きの土塀も置かれていて整備状態はとても良いです。
登り口の案内といい、麓でのキャラ推しといい、いろんな方向で城跡の整備にはかなり力が入っています。
上段全景でもう一枚。
本丸との位置関係も確認しておきましょう。
本丸はまだまだ高所に。間は深い堀で仕切られています。
この堀、一見傾斜はなだらかですが
まだまだ鋭く残っていて
南北斜面の竪堀へと続きます。南側が、さきほど判別が難しかった竪堀のはず。
堀底から本丸への道が伸びています。
本丸側は虎口になっていますし、当時もこうだったのかな。
小さな曲輪を経て道は南側へ。
ここで北側へ目をやると石垣があります。伝本丸石垣の上段

こちらはわずかに残る、と言ったところですが、
下段には立派な石垣が残ります。
荒々しい雰囲気に、算木のようになっている隅石まで見て取れます。良い。
総石垣だったとされる本丸のかつての姿は、さぞ立派だったのでしょう。
先の道に戻って、虎口を抜けて
伝本丸へ
奧を見通せないほど細長い形をしています。
西端から振り向くとなかなかの景色。足元が先ほどの伝西の丸です。
このあたりに櫓台も残っています。置きたくなる気持ちはよく分かる景色です。
どこまでも細長い伝本丸を奧へ
このあたりの伝本丸中央部に、大手道が直接登ってきます。当時からこうだったと考えられています。
東端には、伝天守跡とされる、低い櫓台がありました。
絵図等では天守台とされていて埋没した石垣も見つかっています。
一方で、大手門との位置関係から、西端の櫓台を天守台と考える説もあります。こちらからは石で作られた階段が見つかっています。どちらにも大きな構造物があったのは確かなのでしょう。
ここから、伝二の丸方面へ向かいます。続きはまた次回。
付近のスポット
なにより近いのはこちら。
やや離れてはいますが、滋賀の城めぐりの記憶です。
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