まずは美濃金山城。
犬山城に天守が移されたという説は否定されていますが、破却された石垣や曲輪に数多く残された礎石を見ると当時の天守、建物が知りたくなる気持ちはよくわかります。
あの山の中にどんな立派な建物があったんでしょうか。
お城:美濃金山城 岐阜県可児市
HP:美濃金山城跡 | 戦国城跡巡り事業-可児市の乱-|可児市PRサイト
訪問日:2021年3月
概要
1537年、斎藤正義が築城した烏峰城が興りです。
1565年に織田信長配下の森可成が入り、金山城と改称されました。
その後は森家の城として長可、蘭丸、忠政が城主となりますが、関ヶ原の戦いのあと破城となりました。
今も破城の痕跡が残る城跡として、国史跡に指定されています。
訪問記
百名城スタンプ
3月下旬の緊急事態宣言のはざまに訪問。
まずはスタンプを押しに可児市観光交流館へ。
山間の狭い街中の立地ですが、駐車場完備の立派な施設でした。
流石に大河終わったばかりなので、蘭丸と光秀推しですね。
スタンプはこんな感じ
モデルは本丸の礎石ですね。
そして、ここでパンフもゲット。
登城口
観光交流館から米蔵経由で歩くこともできますが、今日は車で登城口へ
ショートカットなら、出丸や蘭丸広場の駐車場(図中真ん中上と下)を使うこと可能。
出丸が一番近い(というかまさに曲輪の中)ですが、最後の道は車一台分の細さです。
今回は道にビビったのと、下から見たいと、第1駐車場を利用しました。
でも、出丸までの間は遺構少なめでした。失敗したかな。
車を置いて、大手道を歩きます。
地図ではルートがたくさん書かれていますが、好みで選んで大丈夫かと。
これは公園ですね。3月だったので、気持ちの良いハイキング。
それなりに登りはしますが。
森家の家紋の植え込みや
蘭丸産湯の井戸の再現を見ながらさくっと進みます。
看板では城内に井戸がない、パンフでは東腰曲輪に井戸があると書かれていてどっちなんでしょう?
10分くらいで蘭丸ふる里の森へ。
桜の木がたくさん。千本桜はシーズンだと綺麗でしょうね。
ここからさらに登ります。
さすがにもう土になりますが、相変わらずきちんと整備で歩きやすい。
出丸
さらに10分弱で出丸に到着。
駐車場があるなら遺構はないのかなと思っていたら、南面の石垣は当時のものだそう。
この辺りから遺構が見え始めます。
めちゃくちゃきれいですが、こっちも当時のものなんでしょうか。
景色も素晴らしい。さすがは出丸という立地です。
丸石があるあたりに出丸櫓が建てられていたそう。
ただ、現地ではどの石かわかりませんでした。。落ちている大きな石?
登城口
出丸を過ぎると改めて登城口が登場。
パンフレットがあることからも、運転技術があれば出丸に車を停めるのが正解だったかな。
パンフレットにようやく城内の縄張りが書かれています。
迷うような順路ではないですが、現地に看板はないので、これは必須です。
ここからは一層山になります。歩ける服装が良いでしょうね。
整備はされているので、山城の中では楽に歩ける方ですかね。
三ノ丸門跡
足元の平たい石が礎石です。
近くには破却された石垣が残されています。
崩れた状態のまま残っているのはすごいですね。
三ノ丸
門をくぐると三ノ丸
そこそこ広い曲輪で建物があったことが分かっています。天気が良すぎて写真が飛んでますね。。
先の写真右手の石碑は、払い下げ記念碑でした。
昭和のころまで御料林だったため遺構の残りが良いのだそう。
甲府城(訪問記)と同じですね。あちらはもっと奇抜でしたが。
三ノ丸の反対側には水の手につながる登り口からの虎口。
この先には湧き水があったらしく気になりますが、崩れていて下りられません。残念。
石碑の脇から三ノ丸北曲輪に進むと、真上に位置する西腰曲輪の石垣がよく見えます。
あの石垣は古い。
三ノ丸北曲輪も大きな石がゴロゴロしていますが、用途の説明はありませんでした。
二ノ丸
引き続き、三ノ丸の次の段にある二ノ丸へ。さすがに曲輪間は直ぐです。
二ノ丸には二ノ丸門のほか、侍屋敷や物見櫓がありました。
奧に進もうとしたら、なんとカモシカ!
初めて見ました。今の城の主ですね。
ゆっくりとお引き取りを待ってから、二ノ丸を見学。
二ノ丸にも礎石がたくさん。
礎石の配置から渡り廊下のある建物があったとみられています。
大手枡形虎口
次の曲輪との間には大手枡形虎口がありました。
これはしっかりと形が残っていて、明らかに枡形虎口です。
これだけの石が使われていると思うと、さぞ立派な門があったのかな。
また、内外両方に門の礎石も見られます。
門は愛知県犬山市の瑞泉寺に移されたと伝えられていて、礎石の寸法が一致するのだとか。
枡形虎口を抜けると、正面に本丸が見えてきました。
ですが、まずは手前にある腰曲輪を回ります。
南腰曲輪
ここにも礎石がたくさん
西腰曲輪(だったかな)にも礎石がたくさん。
このあたり何が建っていたのか気になります。
天守台石垣はだいぶ崩れていますが、隅石の算木積が見てとれます。
本丸
改めて本丸へ
本丸全景
わりあい広い平場でしょうか。
ここでも足元には礎石がたくさん
礎石の配置や出土品から、4棟の建物、御殿や茶室があったと推測されています。
瓦や排水溝も確認されていて、居住性のある建物であったことが分かっています。
こんな山頂に、と思ってしまいますが、それだけの時代に使われていた城跡、ということですね。
立派な城址碑と
立派な解説板
そして素晴らしい景色。
景色も含めて見晴らし最高です。
登ってきた甲斐がありました。
本丸を見て回ると、南側に本丸虎口がありました。
この写真左手、入口向かって正面の石垣沿いには四つの礎石があり、虎口を覆う建物の存在が想像されています。
石垣には縦置きの石も配置されていて、威厳をみせる意図も推測されています。
この写真ではちょっと分かりにくいかな。
これで本丸まで見終わりましたが、最後にもう少しだけ。
本丸の搦手側にある東腰曲輪へ
こちらには雨水をためる集水桝のようなものがあったと考えられています。
こちら側の本丸の石垣は自然の岩を利用した形。
破城の際に捨てられたと思われる瓦や、侍屋敷の礎石も見つかっています。
搦手門
ここにも門の礎石らしき石が残っています。写真では陰になってしまいましたが。
ここまでで、山中の区域は見学完了。最後に足元にあった大堀切だけ見ていきます。
左近屋敷側が尾根になっているのを切るための大堀切。
深さがすごくないですか。高さは約10m。絶対に登れないと思わせるだけの深さがありました。
これで、美濃金山城見学完了です。
感想
満足度 3.5/5
出丸までは遺構が少なく不安になりますが、その先はよく残っていて面白い。
石垣に礎石に当時を思い浮かべるのに十分な材料が残っています。
山頂からの見晴らしも素晴らしく、ここに城を築いた意図が分かる気がしました。
そこそこ登りますが、ちゃんと登りきらないとダメですね。
アクセス
美濃金山城
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