記録は少ないものの、この地の古城の多分に漏れず、やはり北畠氏関連のエピソードを持ちます。
訪問理由はルート上にあるから、という軽いものでしたが、アクセス容易なわりに遺構の残りは良く、良い意味で裏切られた名城でした。
北畠氏居館跡からのルートに選んだ道路には悪い意味で裏切られましたが。
お城:五箇篠山城 三重県多気町
HP:自然地形を巧みに利用−五箇篠山城の攻防
訪問日:2023年3月
概要
鎌倉時代中頃、野呂氏隆が築いて以来、野呂氏の居城であったと伝えられています。
文献上の初出は、1343年、仁木義長による攻城です。
室町期には五箇氏が入っていたと伝えられます。
五箇氏は北畠氏に背いたとして誅殺され、その後は野呂氏、織田信長の伊勢侵攻の後は安保氏が入ったとされます。
1576年、北畠氏は三瀬の変で滅亡します。
本能寺の変の後、北畠具親がすでに荒れていたと思われる五箇篠山城に入り再興ののろしを上げましたが、鎮圧されました。
訪問記
仁柿峠越え
多気北畠氏居館跡、霧山城の後、その足で訪問です。
まずは下の地図で左上方向にある、多気北畠氏居館跡(北畠神社)との位置関係、その間を短絡する国道368号線をご覧いただいてから、この先をお読みください。
途中のクネクネは気になりますが、この道を通らないと日没タイムアップだったので迷うことなく突っ込みました。最初はすごく良い道でしたし国道ですし。
何度も何度も「大型車通行不能」の看板が三重県から出されているあたり、嫌な予感はしましたが、まぁ行けるだろうと思ってしまったんですよね。大型車じゃなかったし。
何度目かの看板の後、道は急に細くなり、ひび割れだらけになり、ついにはガードレールすらない場所まで。。。失敗した。
後で知りましたが、有名な酷道のようですね。
薄暗い雰囲気に車一台分の狭い道、山城で1人の時よりずっと不安でした笑
視界が開けず断崖を感じなかったこと、対向車が来なかったことが幸いでした。もう通らない…
五箇篠山城訪問
多気北畠氏城館から恐ろしい酷道を超えて辿り着いた五箇篠山城。普通にアクセスすればこんなことにはなりませんので、ご安心を。
ちなみに、バイパスが作られていて、もう少しで楽にアクセスできるようになります。
完成予定は延び続けているようですが。出来たとてあまり転戦する方は居ないかもしれませんが笑
車を置かせていただいたのは多気町立勢和図書館
図書館の周りは運動公園になっていて、駐車場もひろくてありがたい。
奥の階段が五箇篠山城の登り口。
背中側が図書館です。
図書館内には五箇篠山城の解説もありますので、先に立ち寄るのがおススメ。
現地には縄張図はありませんし。
全体像は余湖さんのHPよりお借りした縄張図で確認です。現地でもお世話になりました。
山頂部に東西4つの郭が並び、一段下がった曲輪を通路としています。
1郭には枡形虎口や土塁も設けてあり、山腹にもたくさんの腰曲輪が置かれていました。全部は追えていませんがいくつかは素人目にも見えるものでした。
それでは、達筆の城址碑の脇から登城開始。
今の登り口は縄張図の1郭下に描かれた階段。
登りはしますが、公園整備の一環か、非常に歩きやすくて助かります。
頂上まで250mとのこと。登り始めの写真だったはず。
道中、縄張図にも描かれていた腰曲輪の一つかと。
ものの5分で登り切りました。
こちらが1郭に通じる枡形虎口
横に目を向ければ城内を連絡する腰曲輪です。
1郭の切岸もなかなか急な状態で良いです。
足元は運動公園。
子供たちの楽しそうな声が響いていました。ここに人がいるとは思ってないだろうな笑
改めて1郭内部へ向かいましょう。こちらが1段低い枡形部。
広さはさほどではありませんが、残り具合は素晴らしい。
土塁上から見下ろすとこんな感じ。
再興を図った際に改修されたのでしょうかね。
1郭内部
こちらもそんなに広くはありませんが、土塁に囲われた曲輪です。
土塁は今も明瞭に残ります。主郭だったんだろうと思わせられる作りです。
眺望も素晴らしい。確か北方向と
西方向
足元には腰曲輪も見えています。
南方向は先の運動公園で、いずれの方向も断崖で見晴らしのきく立地です。
振り返って1郭全景。奥の細くなっている部分、枡形周囲の土塁へ向かいます。
右手が枡形部分、左手は2郭とを切る二重堀切です。
この二重堀切はかなり特徴的。間に狭い曲輪を配した造りをしています。
深い二重堀切としては間の土塁をもっと横長にしないと意味がない気がしますし、土塁部分に登ったとしても身動きが取れない気がします。何を意図した設計でしょうかね。
奥の2郭は土塁がありません。改修の手が回らなかったのか、必要なかったのか。
やはり広さはさほどでもありません。ここで再興ののろしを上げるには心許ないような
ちなみに2郭の登り口は分からなかったので2郭内部の様子が見える貴重なアングルです。
堀はどちらも今も急峻です。良い残り具合。
2郭は登れず、3郭方向へ
2郭と3郭の間も深い堀で断ち切ってあります。
たしか、3郭の切岸
やはり高さと傾斜が残っていますが、このあたりは木が残っていて薮感が出てきます。
3郭もたしか登れず、そのまま3郭と4郭の間の堀切へ
左手の高い3郭と違って4郭は高さがありません。
手前と奥で2段に分かれた構造をしています。
ついでに周りの木々も残っていて雰囲気は山城に。これは一粒で二度おいしい感(笑)
東端はこちらも堀切。
やはり残り具合は良好です。
この先にも郭がありますが、傾斜も急で降りられる気がしません。入り口に騙されてろくな装備をしてきませんでしたし。
ということで、五箇篠山城散策はここまで。
手前から3,2,1郭だったかな。北側の腰曲輪から。
東西に長いとはいえ、ここにこもって戦うのか。。。と思わず思ってしまいました。
引き続き三重県の城を巡ります。
感想
満足度 3.5/5
運動公園脇の小山という立地ながら、登ってみると素晴らしい残り具合。不思議な形の二重堀切もありますし。
駐車場も完備で、ありがたい限り。おすすめの山城です。
独立していてかつ高さはあるとは言え、そこまで大きくも無ければ、大きな工夫があるようにも感じられないこの城から再興を狙うのは難易度が高すぎるのでは、と思わなくはないですが、そのあたり現代人には分からない何かがあるのでしょうか。
アクセス
五箇篠山城