三河の山城シリーズ最初は、城好きには言わずとしれた名城、古宮城へ。
スタンプ目当てだけで城を回っていた頃でも感じられた遺構の素晴らしさを、二度目の訪問で一層深く味わうことができました。
街中からは山一つ越えるハードルはありますが、駐車場からはすぐ。手軽さに見合わない素晴らしい遺構が広がります。
お城:古宮城 愛知県新城市
HP:古宮城跡:新城市
訪問日:2019年12月、2024年3月
概要
1573年、武田信玄が亡くなると領主、奥平定能・定昌親子は徳川家へと離反。
その際、古宮城の戦いが起こりました。
武田軍は滝山城へ移った奥平家を追いますが、その際に手薄となった古宮城を徳川軍が攻撃、一時撤退させたとされます。
1575年の長篠の戦いの後、武田軍の拠点としての機能は薄れたと考えられています。
訪問記
作手歴史民俗資料館
古宮城へは2度目の訪問。スタンプ目当ての前回と違って今回の目的は縄張を堪能すること。多少は分かるようになったかな。
スタンプは作手歴史民俗資料館にあります。
今回も縄張図と付け焼刃の知識を手に入れるために再訪してきました。
現地には案内が乏しいので、ここで前情報を入れておくことが肝要です。私有地を開放して下さっているだけでありがたいです。
こちらは前回手に入れたスタンプ
現地にはこの何倍も杉が生えていました(笑)
前回訪問時はスタッフさんから古宮城ではなく近くの亀山城の魅力を熱弁されました。
やはり侵略者の城ではなく地元徳川の城への愛着があるようで。
今回は亀山城訪問の時間も確保してきました。
西側南部
車で現地へ。白鳥神社脇の駐車場からスタートです。
車数台分のスペース。平日昼間の訪問時、先客はゼロでした。
駐車場脇には立派な解説と
案内図。
図で見ても分かる通り、きわめて複雑な縄張りをしています。
中央の大堀切⑥の西側が防衛に重きを、東側が居住性に重きを置いた縄張とされます。
赤→緑の推奨ルートに沿って西地区から回り、⑤の丸馬出にも足を延ばしていきます。
改めて白鳥神社前の現在地から散策スタート。城の南側は一面の田んぼです。
当時は東、北含めて湿地帯。
唯一地続きだった西側に防御正面が置かれたと考えられています。
それでは白鳥神社に
お参りをして
脇から城跡散策を開始です。
この階段の向こうは一気にディープな世界です。
最初の看板は堀。
これだけ見ても何が何だかですが、平坦地(通路? 右手)と左手奥の主郭との間に設けられたもの。主郭とはかなり高低差がありますが、さらに厳重に守られていました。
まずは西へ進みます。
足元はずっとこんな感じ。整備頂いていて装備がなくても回れなくはないです。
登り口からすこし西へ進んで、図中では左の③にあたる両袖枡形虎口
土塁切れ目の向こうは主郭です。
高い土塁に囲まれ、入口は喰い違い、左手には櫓台、と本当に手厚く守られています。
登り始めから主郭までが近すぎるのは、白鳥神社側から登ることを想定されていなかった、それだけの湿地帯だったということでしょうが、それでも万一ここまで来られた時の工夫が感じられます。
大手道である南西側へ向かいます。
櫓台足元の通路を進むと、大堀切に架かる土橋へ。
こちらの大堀切は本当に立派で、現状でも堀の深さに驚きます。
そのうえ、両側ともに麓まで完全に断ち切ってあり、城の東西をつなぐのは土橋だけ。
西側からの侵略者はここを通るしかありませんが、当然ここは先ほどの主郭脇の櫓台から見下ろされている訳で。
土橋の西側はやはり土塁に囲まれた西曲輪(二の丸)と
城外へとつながる通路。こちらにも枡形虎口が置かれています。
ただ、こちらは看板は出ているものの痕跡は薄め。
南側で埋まってしまったのか、もともとそこまで厳重ではなかったのかな。
この先、急斜面ですが南側に下った所にも曲輪がありました。
ルートはやや不明瞭ながら、⑤丸馬出までやってきました。
土塁の内側に広い曲輪
土塁は南西側に向けて切れていて
もう一つ同じような曲輪を経て
大手口方面、城外へと続いていました。
このあたりの曲輪に守備兵を置いていて、大手口の警備にあたっていたのでしょう。
下りるとすぐに南西側の大手口に着きます。
とはいえ、一番傾斜が緩い通路は降りてきた側ではなく北(奧)へ向かうもの。
初見だと奥へ導かれてしまうでしょう。後ほどこちらもたどっていきます。
西側北部
ぐっと戻って、④の西曲輪(二の丸)へ。
高い土塁に囲まれ、居住性も高そうな曲輪です。
杉がすごくて見通しはききませんが(笑)
虎口は二か所。入ってきた東側と北側。
こちらが大手側の北の虎口ですが、さすがに高くて狭い。
方形の大きな西曲輪は中央南北方向に土塁を置いて東西に仕切られています。
この土塁も高く、人を隠すには十分で
土塁の向こうも見通しはききませんが十分に広い区画。
ここにも防御の兵が置かれていたんだろうなと思わされます。
先の馬出の上にありよく見下ろせるので、そちら側の防御も担当していたんでしょう。
北側の虎口から先へ。
ここは規模は小さいですが、明確に外枡形になっていて振り返るとこんな感じ。
今にも城兵が飛び出してきそうで。。。
そしてここから北側の景色がまた特徴的。
堀で仕切られた細い通路が左右につづら折れになって続いています。
登城路はこの細い土塁上。攻め手はろくに身動きもとれず上から狙われ放題です。
向こう側が西曲輪の土塁です。
さらにこのつづら折れ自体も迷路のように入り組んでいて、かなり分かりづらい。
私はここで順路を外しました(笑)
という訳でふと気づくと最下段に。
この絵だけでもすごい土木量ということはお分かりいただけるのではと思います。
北側最下段にも土塁に囲まれた曲輪が広がります。
用途が気になる小さい土塁が通路を遮るように置かれていたりもしながら
進むと先の大手口へ。
これで古宮城の西半分。翻ってもう一度今度は東側を見に進みましょう。
最下段の曲輪を進み、大堀切手前の虎口にたどり着きました。
こちらもやはり狭い虎口で区切られていて、越えると深い深い大堀切
写真奥、見えていませんが土橋方面を眺めています。
反対側は城外へ。
正面(だったかな)も土塁で切られて東側への侵入を拒んでいます。
これを見ると大手口からの侵入者は先のつづら折れを登らざるを得ないでしょう。
ただ、私は今の順路に従ってこの土塁を越えて東側へ侵入します。
続きはまた次回。
付近のスポット
百名城がらみだと長篠城、吉田城は近くです。
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