にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

水口城 (滋賀県甲賀市) -徳川将軍の宿館

甲賀市水口にある平城、水口城へ。

徳川家光の宿館として築かれた平城は、街中にありますが雰囲気を保っています。
今もぐるっと残る水堀を一周してきました。

お城:水口城 滋賀県甲賀市
HP:水口城資料館 水口城跡 | 甲賀市観光ガイド
訪問日:2023年3月

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概要

1634年、徳川家光の上洛に伴い、宿館として築かれました。作事奉行には小堀遠州が当たりました。
家光の上洛後は幕府管理下に置かれましたが、将軍の宿舎としての使用は一度きりでした。

1682年に加藤氏が入封。水口藩が成立します。
本丸御殿は正徳年間(1711-1716年)に解体されました。
明治維新に伴い廃城となり、建物や石垣の大半は競売にかけられました。

訪問記

スタート地点は近江鉄道水口石橋駅
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水口城の最寄りはお隣の水口城南駅ですが、水口岡山城にも行きたかったので、甲賀市ひとまち街道交流館に立ち寄ってまとめて情報収集です。
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両方のパンフレットを入手してから水口城へ。

隣の駅から歩くと言っても距離は近く、駅から城までは歩いて10分ほど。
旧東海道沿いに水口宿の名残を感じる建物もあって飽きません。
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旧東海道は水口城にぶつかると曲げられていました。
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ここが水口城の天王口跡。水口城の二の丸は完全に市街化されていて、このあたりも何の変哲もない住宅でしたが、元の城域を感じる貴重な看板です。

天王口跡から歩くこと5分ほどで、水口城に到着。
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地方の市街地の街中に、唐突に格好良い水堀、石垣と土塀、櫓が登場です。

近くの看板で本丸の全体像を確認します。
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水堀に囲まれた方形の本丸は、四隅に矢倉を、北に内枡形、東に外枡形の出丸の2カ所の虎口を持ちました。
今も外周の水堀は姿をとどめています。

改めて出丸を眺めます。
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水堀と石垣の遺構に、御成橋や門、土塀が復原されていてとても良い雰囲気です。

奥の矢倉は、本丸乾矢倉が民家に移築されていたものを再移築し復興矢倉としたもの。現在は資料館となっています。
この場所には当時番所が置かれていて、模擬となりますが、道路から良く見えるこの場所に矢倉があると絵になるという気持ちはわからなくはないです。

門は当時から高麗門でした。雰囲気は近いのかもしれません。
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より近くで見たいところでしたが、訪問時は橋の改修中。
もちろん代わりの通路は用意されていますが、何となく外周から先に見ることに。

ちなみに、水堀沿い、道路沿いには桜が植えられていました。
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桜越しに写真を撮れたりもします。
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綺麗ですね。良い。

復興櫓とは言え、資料館も堀越しに撮っておきましょう。
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背後は車通りの多い道路と思うと、まあアピールにはなりますよね。

まずは南面へ。
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石垣は競売にかけられたためにこのあたりは土塁になっています。
巽矢倉のあった場所ですが、面影を感じるのは難しい。

南西角、坤矢倉のあった場所から南面の水堀
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こちらも櫓の痕跡を感じるのは難しい所。むしろ良く水堀が残ったというべきなのかもしれません。

西面の水堀も同様。
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防球ネットが見えている通り、本丸は水口高校のグラウンドになっています。

ただ、写真左端にチラッと写るように、少しだけ石垣が残されています。乾矢倉の櫓台
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結構な高石垣が残されていました。その割に場所は完全に裏で、案内も少なく(無く?)扱いは雑なのですが。
大部分の石垣が競売にかけられたなか、ここは残されたのはなぜでしょう。。。?

途中で積み方が変わっていて、上部は妙にきれいで、積み直しがあったように見えるところも気になります。競売にかけるような扱いだったのに積み直したのでしょうか?
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北面は天端が一部欠けてしまっています。そのままというのも雑なような。。。
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疑問は尽きませんが、櫓台から、水口城が徳川将軍家の宿館にふさわしい威容を誇っていたことの一部は感じられました。

北面には小さな橋が架かっていました。こちらがかつての虎口の跡
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内枡形の北御門がありましたが、今の姿はただのグラウンド裏口ですね。

最後は飛んで、出丸内部へ。
訪問時は御成橋を通れず、本丸水口高校グラウンド脇を通るルートとなっていました。
グラウンドでは野球部員がのんびりおしゃべりしながらキャッチボール中。青春の一風景をお邪魔しないようにそっと通過します。

グラウンドに本丸御殿の名残は感じられませんでしたが、出丸周辺は整備されています。こちらが本丸と出丸をつなぐ大手門。
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抜けるとすぐに資料館です。
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時間の都合で外観だけの見学で済ませて、

最後は御成橋から水堀越しの桜並木へ。
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工事を避けた窮屈な画角ではありますが、桜と水堀と石垣の絵は美しい。

引き続き、水口で城めぐりを続けます。

旅の記憶はこちらから。

tmtmz.hatenablog.com

感想

満足度 2.5/5

水堀と出丸近辺の石垣は良く残っていて、雰囲気は確かに感じられます。
将軍の宿館という割に小ぢんまりしている気もしますが、二ノ丸が残っていればもう少し違ったのか、もともと小さなものだったのか。

資料館も外観がきれいすぎるきらいはありますが、絵にはなりますし、なにより街中の平城でアクセスが楽。近くによることがあれば、足を延ばしてみてみたいところです。

アクセス

水口城