にわかお城ファンの旅行記

にわかお城ファンの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。城と景色と郷土料理が楽しみな旅好きです。

百名城 山中城(40) 1/3 -岱崎出丸を回る

障子堀で有名な山中城の訪問記。
何回も来ていますが、恥ずかしながら障子堀の周辺で満足していて、全部回るのは初めて。
見どころ盛りだくさんで、障子堀が出てくるのは次くらいかな。

まずは岱崎出丸
立派な曲輪遺構を見つつ悲しい歴史を知ると、見方も変わってきますね。

お城:山中城 静岡県三島市
HP:山中城跡公園 | 三島市観光Web
訪問日:2016年10月、2021年3月
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概要

戦国末期の永禄年間(1558-1570)後北条氏小田原城の西の備えとして、武田、今川領と国境を接する伊豆半島の付け根に築城しました。
尾根筋に曲輪を置き、東海道を城域に取り込んだ構造をしています。

豊臣秀吉との関係が悪化すると、最前線の軍事拠点の一つとなり、堀や岱崎出丸を築くなどの大改修を行いました。
しかし、その増築も間に合わない1590年、約7万からなる豊臣軍の総攻撃を受け、北条軍4千の奮戦むなしく半日で落城。

その後長らく廃城となっていましたが、発掘調査の結果、曲輪や架橋の様子、障子堀などの畝堀がほぼそのままの形で発見されました。
現在、発掘調査結果をもとに復元整備された姿を見ることができます。

訪問記

3月終わりの暖かい日に車で訪問。

都合3回目ですが、余すところなく回る意気込みで来たのは初めてかも。
もったいないことをしていました。

山中城は、東海道を取り込んだ構造そのままに、国道1号箱根峠の旧道沿いにあります。
城域中央にある売店付近にバス停や小さな駐車場があり、散策の拠点になっています。

今回もそこに車を置こうとしたところ、なんと満車。
土日の昼間は人が多いようです。そういえばこの時間に来るのも初めてかも。

もう少し三島寄りの広い駐車場は空きがたくさん。ようやく散策スタートです。

駐車場脇から堀を越えたところに、売店方面に向かう箱根旧街道が走っていました。
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石畳の並木道はとても雰囲気の良い街道で怪我の功名でした。
まぁ江戸時代の遺構なので時代は違いますが。

歩いて5分ほどで売店に到着。地図を見ながら散策ルートを考えます。
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左手の岱崎出丸を見てから中央に戻って、右側の本丸方面の散策に向かいましょう。
タイトルからネタバレしていますね(笑)

岱崎出丸

岱崎出丸方面に進むといきなりたくさんの旗が現れます。
人も他の城跡比で多めでしたし、流石にこれくらい有名だと地元のプッシュも違います。
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少し歩くと最初の曲輪に到着。御馬場曲輪
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地面が斜めで少し分かりにくいですが、土塁に加えて、西は空堀、南は崖に面しています。

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土塁はこっちの方が分かりやすいかな。

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南側の空堀と田形平野の眺め。
こんな感じで平野に睨みをきかせていたのでしょうか。

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空堀はその深さに驚きます。
ほかの場所ほどではありませんが、ここにも堀中での動きを遮る畝が設けてあります。
堀底から畝だけで2mもある深い堀です。

御馬場曲輪から空堀を挟んだ隣には曲輪のようなスペース。
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木が生えたただの丘のようにも見えると思ったら、構築途中の曲輪と考えられているそう。
本当に途中で戦闘に入ってしまったんですね。。

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今は四阿が置かれています。

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この曲輪は北側以外に土塁はなく、西はそのまま堀に繋がっていました。
間に合わなかったんでしょうかね。。

奥には富士山が顔を出していました。

岱崎出丸には至る所に説明板が置かれていて勉強になります。
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間宮康俊を中心とする部隊が置かれ、全員討死したと伝えられているとのこと。合掌。

すり鉢曲輪・一ノ堀

もう少し先に進むと岱崎出丸南端にあるすり鉢曲輪
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こちらはその名の通りすり鉢状の曲輪。というか形からそう呼ばれているのですが。
土塁も含めて整備されています。
やはり南から攻め込まれることを想定してこちらを先に整備したのでしょうか。

隣には武者溜まりも置かれていて、重視されていたことがよく分かります。
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それぞれ降りて見学です。まずは武者溜まり。
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結構な広さです。かなりの人数が準備できたのでは。

すり鉢曲輪へ。
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しっかりとした虎口もあります。相変わらず深さがすごい。

すり鉢曲輪の底から見上げた様子。
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曲輪自体がかなりの深さになっていて、高い土塁に囲まれていることがよく分かります。

隅には見張り台
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上からは田方平野など、今の三島市街地が一望できます。
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真下の気になる畝堀に目が行っちゃってますね笑

出丸西側に築かれた恐ろしく深い畝堀は一ノ堀

出丸と東海道を区切ります。
これまでの調査で、150mに17の畝が設けてあり、傾斜は70度堀底から土塁先端まで斜距離にして18-20mの堀であることがわかっています。

今は崩落防止で芝生ですが、当時は崩れやすい関東ローム層の土でできていました。
普通の格好でも登れる気はしませんが、武具を付けたらと思うと、登る気も起きません。

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今は富士山ビューポイントの一つでしょうか。

すり鉢曲輪から折り返します。ずっと東海道との間を仕切る一ノ堀。
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よくつくりましたね。本当に。

この他にも検出されてはいるものの調査途中で復元されていない堀などもあるので、本当はもっとずっと工夫が凝らされているはず。

岱崎出丸だけでも十二分な工夫を感じますが、まだまだ見どころ盛りだくさん。
先へ向かいます。

次回、障子堀まで行けるかな。

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