にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

狩野城 (静岡県伊豆市) -絵師 狩野派の発祥の地

伊豆半島の真ん中あたり、伊豆市狩野城へ。

伊豆市にあった狩野荘を本拠とした狩野氏の狩野城。
この狩野氏は有名な絵師の狩野派につながる系譜ともされています。

まぁ当たり前ですが城跡には大きな看板以外に絵師の痕跡はありませんので、絵に造詣が無くても大丈夫です。
その分(?)整備された遺構が残っていて見どころアリ。
絵師の名を借りなくても有名になってよいお城です。

お城:狩野城 静岡県伊豆市
HP:伊豆市 観光情報 特設サイト
訪問日:2022年1月

f:id:tmtmz:20220103201923j:image

概要

平安時代末期に狩野氏によって築かれました。

1180年、時の城主、狩野茂光は子の親光とともに源頼朝の下で石橋山の戦いに参戦、自刃します。その際、狩野城も落城しました。

狩野城は再興されますが、1493年からの北条早雲(伊勢宗瑞)の伊豆侵攻により攻略されました。
その後、狩野氏は後北条氏に従います。

なお、狩野氏第16代の狩野正信絵師狩野派の祖とされます。他にも説はあるようですが。

訪問記

伊豆半島の真ん中あたり、修善寺を通り過ぎたあたりの狩野城

Google mapに従い、伊豆半島の中央を貫く国道414号から脇道に折れてすぐ駐車場。
交差点には看板完備、わき道も道幅十分の良いアクセスで到着です。
f:id:tmtmz:20220103201915j:image
それなりに広い駐車場にも看板しっかり

駐車場には案内板もばっちり
f:id:tmtmz:20220103201947j:image

むしろ細かすぎるぐらいの立派さです。
f:id:tmtmz:20220103202038j:image

パンフ箱
f:id:tmtmz:20220103201952j:image
は空でしたが笑

さて、現地案内板の縄張り図をお借りして歩き方を確認です。
f:id:tmtmz:20220103202020j:image
この図の遊歩道を左回りに見ていきます。
赤い遺構が点在しているように書かれていますが、実際には一番左下の出丸はよく分からず、中郭〜西郭が中心で、図の通り、小さな曲輪が点在する縄張りでした。

散策開始
f:id:tmtmz:20220103201824j:image
緩やかに登るハイキングコースと言った整備具合。

最初の分岐をスルーして、左回りコースへ向かいます。
分岐や分かれ道は多いですが、道標が置いてあります。
f:id:tmtmz:20220103201750j:image
とはいえ、縄張り図との照合はちょっと骨が折れました。
デフォルメされているのと、10分歩いても遺構が見えず、不安になるんですよね

こんな平場も曲輪に見えてきたり(笑)
f:id:tmtmz:20220103201954j:image

実際には曲輪には看板がしっかりと整備されていました。焦る必要なかった。
f:id:tmtmz:20220103202052j:image
こちらは出丸

それなりに広い曲輪ですが、周りとの標高差も小さく、見晴らしもきかず。
半分自然地形にも見えてしまう曲輪でした。

中心部側には虎口も残っているので、間違いなく遺構ではあるのですが。
f:id:tmtmz:20220103202007j:image
出丸という名前にふさわしく少し離れているところにもちょっと不安になりながら先へ
f:id:tmtmz:20220103202035j:image

少し歩いて次の曲輪は、東郭。登って入ります。
f:id:tmtmz:20220103201804j:image

こちらが東郭
f:id:tmtmz:20220103202122j:image
普通の曲輪のように見えますが、実はU字型の土塁を持つ曲輪でした。
f:id:tmtmz:20220103202001j:image
縄張図にも小さく描かれている通りの形。
ようやく見えた明確な遺構にテンションが上がります。

今いる場所が城の中心部寄りということを思うと、私のような出丸側からの敵を隠れて上から迎え撃つ曲輪、土塁だったのかな。
奧からの敵を迎え撃つような土塁にも見えますが、奥に道はありませんし。

先ほど登ってきた方面は中郭との堀にもなっています。
f:id:tmtmz:20220103201905j:image
結構しっかりと深い堀です。やっと城域に入った感じ。

登って中郭
f:id:tmtmz:20220103201923j:image
細長い曲輪は狩野城で一番広いものでした。南、西と

北に明確な土塁が残ります。
f:id:tmtmz:20220103202054j:image

土塁上の石碑は旧字が読めませんでしたが、狩野茂光公関連の何かの址
f:id:tmtmz:20220103202101j:image
隣のかなり老朽化した建物は題目堂というお堂。武将の霊を祀っているそうです。

南西の土塁を登ると
f:id:tmtmz:20220103202129j:image

上には南郭という看板。
f:id:tmtmz:20220103201936j:image

さほど広くはありませんが、見晴らしもよさそうですし、物見台か櫓台だったのかな。
f:id:tmtmz:20220103202046j:image
ネット上にはこの曲輪の南にもいくつか曲輪があるという情報がありますが、現地ではルートが分からず。

下りて戻って先へ向かいます。
f:id:tmtmz:20220103201934j:image
土塁上からの方が中郭全景はよく分かりますね。
広いと言ってもとても広いわけではなく、ほかの曲輪が一層狭いだけといったところ。
古い時代の城跡だからでしょうかね。

次の本郭へも深い堀を通って向かいます。
f:id:tmtmz:20220103201930j:image
なかなか深くて良い。

こっちは縄張図にあった水の手方面だったかな。
f:id:tmtmz:20220103201900j:image

そして本郭へ到着
f:id:tmtmz:20220103202040j:image
虎口のある北側と西側に土塁が残り、本郭の看板も立ちますが、明らかに中郭より小さく余裕で一望できる規模

看板から振り返って北側虎口方面を一枚
f:id:tmtmz:20220103201944j:image
今通路となっているところからの比高も小さくて防御が固いようにも思えず、本当にここが狩野城の中心だったのかは、少し気になるところ。
中郭が中心な気がしてしまうのは、大きい所が中心に見える素人発想なのかなぁ。

先へ。

西郭との間には二重堀切があります。
f:id:tmtmz:20220103201832j:image
かなり浅くなってはいますが、それでもはっきりと分かる二重堀切。良い。

期せずして後に行くほど面白い遺構が出てくるルートになりました。
そしてこれを見ると先ほどの本郭が大切に守られているように思えるから不思議笑

二重堀の東側堀底から一枚。
f:id:tmtmz:20220103201913j:image
こうしてみると意外と中央部分も高く見えるもの。やっぱり堀の写真は難しい。

上がったところは西郭
f:id:tmtmz:20220103202127j:image
こちらもやはり小さめ。東、本、西郭は同じくらいの小ささですね。

西郭は東側も深い堀切で切られています。
f:id:tmtmz:20220103201939j:image
これは深い。最後が一番深いかも。

最初の出丸側と比べると高い守りへの意識が伺えます。
城のこちら側が大事だったのか、地形上の問題ゆえか。次から地形図も読み込むようにしようかな。

抜けた先には広い平場がありますが、土塁などはなし。
f:id:tmtmz:20220103202057j:image
先ほどの堀切までが遺構が残る区域でしょうね。

最後は遊歩道を通って最初の駐車場に帰ります。
f:id:tmtmz:20220103201829j:image
こちらは行き道と比べて落ち葉が多めですが、まあ歩ける道でした。
最後に良い遺構が見られた補正もあるでしょう。良い気分で無事帰還です。

感想

満足度 3/5

最初はなかなか遺構が見つけられず、ルートを追うのも大変でどうなることかと思いましたが、進むにつれて郭や土塁、二重堀など明確な遺構が現れて楽しい城めぐりとなりました。
焦らずのんびり歩くことがコツですね。

パンフレットも見たかったなぁ。

アクセス

狩野城