このブログ初めての関東地方のお城の訪問記 土浦城から開始です。
ブログを始めてすぐにコロナ禍になって、宣言やらで訪問できなかったんですよね。
ようやく隙間をついて北関東を回れました。
まずは亀城。街中で当時の名残を感じるのは厳しいですが、現存建築は立派でした。
お城:土浦城 茨城県土浦市
HP:名所・史跡の紹介 | 土浦市公式ホームページ
訪問日:2019年9月、2021年3月
概要
室町時代に小田氏の家臣、若泉三郎が築いたのが始まりとされます。
戦国期には、小田氏家臣の菅谷氏の居城となります。
このころ小田氏の勢力は衰え、小田城を奪われると土浦城に移りました。
菅谷氏は小田氏をよく支え、何度も小田城を奪い返しましたが、最終的に小田氏が佐竹氏に臣従し、土浦城を失いました。
小田原征伐のあと、土浦は結城秀康の所領となり、その後も城主はたびたび変わりました。
松平信一、信吉のころに城の大まかな形が、松平信興の頃の大改築で最終的な縄張りが作られました。
最終的に城主は土屋氏で落ち着き明治維新を迎えます。
何重もの水堀で囲われ、水害の際にも水没せずに水に浮かぶように見えた姿から亀城と呼ばれています。
訪問記
土浦市立博物館
1度目はスタンプだけでほとんど回った記憶がなかったので、再訪問です。
今回はバスで訪問して、まずは土浦城となりにある博物館へ。
と思ったらこの時は休館日でした。
1回目の訪問時には、花火が土浦の名物ということを学んだ気がします。
あと105円という中途半端な入館料がやたらと記憶に残りました。
ちなみに、車で土浦城を訪問するときは博物館の無料駐車場を使えますが、博物館を見ないと車を出す券をもらえないのでご注意を。
1回目は結構びっくりしました。
亀城公園
休館日なら仕方ない、ということで亀城公園へ。
割れてしまっていて見にくいですが、左側の博物館側から訪問。
下の外濠沿いに位置する二ノ丸→櫓門を通って本丸→霞門から旧前川門へ回ります。
水堀と復元された西櫓を見ながら進むと二ノ丸へ。
このあたりは公園となっています。
ちょっとした動物園。
都市部の公園あるあるでしょうか。小田原城もこんなのありましたね。
進むとすぐに櫓門
大手に当たる太鼓門でした。
こちらは江戸時代からの現存建築、かつ関東地方唯一の現存する櫓門です。
櫓門脇に先ほどのバキバキの地図がありました。
さらにその片隅にひっそりと二ノ丸の石碑。
地図でも二の丸ということは理解できますが、二ノ丸も残っているのは一部、というか縄張りはほとんど残っていないため、現地を巡っても分かりませんでした。
市街地の平城なので、この辺は仕方ないかな。
櫓門脇に城址碑
本丸・百名城スタンプ
櫓門をくぐって本丸内部へ。
かつては郡役所としても利用された本丸御殿があったそうですが、明治時代に焼失。
今は広場の様相です。
すぐ目に入るのは東櫓
松平信吉のあと、西尾氏の頃に西櫓とともに建てられましたが、本丸御殿の火災による損傷で解体されました。
博物館の105円のチケットでこちらも中に入ることが可能です。
中に入るとスタンプ
西櫓と水堀でしょうか。
そんな西櫓も復元されています。
こちらは昭和の台風被害で解体、平成4年に当時の材料で復元されました。
そのような経緯もあってか土浦城では数少ない立派な説明板もありました。
ちょっとのっぺりしすぎている気はしますが、当時もこんなもんだったのかな。
本丸は土塁に囲まれています。
改変されてはいるようですが、内部から見る雰囲気はこんな感じだったんでしょうね。
東櫓の脇には霞門
搦手にあたる位置にあり、こじんまりしていますが、こちらも現存建築物です。
ここを抜けると、
水堀越しの東櫓
何となく雰囲気のある構図じゃないですか。
二ノ丸東側にあたる場所を散策します。
と言ってもやはり縄張りがよく分からない公園なのですが。。。
聖徳太子堂というお堂を見ながら
右手の水堀越しの東櫓を眺めていくと、
旧前川口門
もともとはもっと外、武家屋敷のあった多計郭と町屋を仕切る門であったと言われます。
この場所には二ノ丸の入り口の二之門がありました。
これで土浦城は一周。
少し周りの城下町を散策していたら、櫓門のライトアップが始まりました。
満開の桜にライトアップされた櫓門。
美しいものを見せていただいて、今度こそ土浦城の見学終了です。
感想
満足度 2/5
櫓門や霞門、旧前川門は良いですが、城跡としての遺構は少ない。
二ノ丸も堀が埋められていて、亀城と呼ばれた当時の姿を思い浮かべるのはちょっと厳しいです。
現存建築と復元の建築を見て楽しむところですね。