足利氏館の後は、お隣足利学校へ。
本当にすぐ隣なので訪問しない手はありません。
日本最古の学校と言われる足利学校。
落雷による建物焼失で歴史にも分からないところはありますが、今見られる姿は最古のフレーズに違わない美しいものでした。
概要
創建は、奈良時代、平安時代初期、鎌倉時代初期など諸説ありますが、少なくとも1439年には関東管領だった上杉憲実が学校を再興したことが分かっています。
全国から学徒を集め、1549年にはフランシスコ・ザビエルから「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」とも称されました。
明治5年に廃校となり、一時は多くの建物が撤去されますが、保存運動により復元されて今に至ります。
訪問記
足利学校見学
足利学校は足利氏館からすぐ。ここまで来たら行かない手はありません。2回目
この石碑がある場所はちと遠いですが。
足利学校も足利氏館・鑁阿寺と同様に、一部を堀と土塁で囲まれています。
いつ元ができたかは分かりませんが、この姿は古のそれと大差ないのでしょう。
古い時代から学校は警備を大事にされていたのかな。
南側にある正面に回ります。
正面玄関は入徳門
入徳とは、徳に入る=道徳心を学ぶところに入る=学校に入るという意味だそう。
勉強になります。
この先でお金を払って、入学証を手に入れます。
お金で入学証を買うなんて響きが悪い笑
先に進むと有名な学校門。
日本で唯一学校という言葉を掲げた門。
1668年に創建された、足利学校のシンボルです。
何となく一番外にある入徳門の方がシンボルになりそうな気もしますが、こっちになったのは白壁を含めた門の雰囲気もあるのかな。
学校門の脇で土塁を横から見ることができます。
足利氏館同様に結構な高さで。
学校門を抜けてもいきなり有名な茅葺の建物が現れるわけではありません。
木々も生い茂っていて最初はなんだか神社に来たような雰囲気でした。
まずは遺蹟図書館
足利学校の廃校後に書物の保存のために建てられました。
今の建物は大正4年のレトロな雰囲気なもの。何となく宝物殿っぽいような。
その奥には杏壇門を越えて
孔子廟
その名の通り孔子を祀る廟。1668年に造営されました。
内部には孔子の座像と足利学校の創始者と伝わる小野篁の像が祀られています。
こちらもどことなく神社っぽさを感じます。
孔子廟から右側へ進むと木々が減り、明るいお庭と茅葺の建物からなる、いわゆる足利学校としてイメージする区画が始まります。
主屋ももう見えているのですが、後にとっておいてまずは周辺から。
建物南側の南庭園
発掘調査結果と江戸時代の絵図をもとに江戸中期の姿が復原されています。
主屋の近くにあるのが裏門
通れませんが、外側からはこんな感じ
小さいものの、茅葺で趣はあります。
そして裏門と言いつつ主屋の入り口真正面にあります。
かつては正門の学校門ではなくこちらが普段使いの門でした。
周囲を見たら建物へ。
衆寮
僧坊または学生寮として使われていました。
こんな感じで泊まり込みで写本していたんでしょうね
そして主屋へ
向かって右側、茅葺屋根の庫裡と2つの建物の間にある玄関
あと左側の方丈と見えていない書院からなります。
左側の方丈は儀式用、右側の庫裏は台所や土間もある日常生活の場でした。
この建物の中が足利学校一番の見学スポットです。
入口には宥座之器というもの
金属の容器に水を入れて少しずつ奥に傾けて行くと水平に合うというもの
入れすぎると奥に傾いてしまうところから、中庸の大切さを学ぶものだそう。
足利学校にあった書物をもとに作られたものですし、かつてもこれで遊んだ学生さんも居たことでしょう。
内部は庫裡、方丈などすべて見学可能。
非常に広い大広間や足利学校の歴史や資料を見ることができます。
大広間では漢字試験をやっていました。卒業してまでテストを受けたくはないなぁ。。
方丈から見た北庭園
建物内から見る、南庭園より一つ格式高く広い庭園でした。
人が多くて正面から見られなかったのがちょっと残念。
主屋の見学を終えて、あと少しだけ足利学校の裏、北側の建物を眺めます。
こちら側は裏なので、生活感漂う建物が残ります。
木小屋
いわゆる物置で、薪や日常用品、食糧などを保管していました。
土蔵
木小屋と違って燃えたら困る貴重品を入れておく蔵でした。
入っていたものは書かれていませんでしたが、何が入っていたのでしょうか。
貴重な書物とかかな。
足利駅
最後はJR足利駅から帰路へ。
あれだけ晴れていたのに雷雲が来てしまいまして。もう一城行きたかったのですが。
仕方ないので足利駅前の機関車と
ちょっと塗装が剥げてきていてかわいそうな。。
ちょっとおしゃれな足利駅を見て帰ります。
北関東の夏は夕立が多いのかな。
次来るときはもっと早くから活動開始にします。
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