にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

続百名城 岸和田城 (161・大阪府岸和田市) -住宅街に溶け込んだ水堀と石垣と復興天守

昨年末の関西遠征を振り返っていきます。最初は続百名城の岸和田城

岸和田と聞いてもだんじりくらいしか浮かばない人間でしたが、なかなか立派な復興天守に水堀に石垣
そりゃ駅でおススメされるだけはありますね。

お城:岸和田城(161)大阪府岸和田市
HP:岸和田城特設サイト- 岸和田市公式ウェブサイト
訪問日:2021年12月

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概要

築城時期は不明ですが、岸和田古城から戦国時代に現地に移ったとみられます。

1585年には羽柴秀吉紀州討伐の後、秀吉の叔父、小出秀政が整備し、5層の天守も築かれました。
その後の歴代城主たちも、惣構えや城下、外堀や寺町などを築く改修を続け、1640年、岡部宣勝の頃に完成を迎えました。

1827年、落雷で天守を焼失、再建されないまま明治維新を迎え、廃城となりました。

訪問記

岸和田城訪問のスタート地点は南海本線岸和田駅
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岸和田と言えば、のだんじり
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と並んで岸和田城も紹介されていました。
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関西に住んでいた頃、岸和田にお城の印象はありませんでしたが、地元では推されていたんですね。失礼しました。

完全にベッドタウンの住宅街を歩くこと10分弱

かつての岸和田城主、岡部氏の新御茶屋跡を地元財閥が別邸とした五風荘を横目に
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立派な堀と天守が見えてきました。
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街中にこんな立派な堀と石垣、復興天守があったなんて驚きです。
犬走りがとても特徴的ですね。

そして、この姿を見て今自分が城内に居たことに気がつきました。
天守閣入り口あたりにあった絵図をもとに全体像を確認しましょう。
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本丸を中心に周りを曲輪が囲むきれいな輪郭式の大きな縄張りがあったんですね。
五風荘のあたりも本丸を囲む二の曲輪で、その外側にも城域が広がっていましたが、さすがに都市化しています。まぁ仕方ない。

大手にあたる二の丸方面へ、本丸をぐるっと回って向かいます。
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こちらにもしっかりと犬走り。何のために作ったんでしょうかね。

この辺から洗濯ができそうだなとか平和ボケなことを思ってしまいましたし。
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実際には搦手になる橋でも架かっていたのでしょうか。

本丸の堀はどこを見ても立派な広さが残っていてとても威厳を感じます。
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このあたりはまさに名城の趣きです。
自分が今いる周囲は二の曲輪とは思えないですが、そこは街中ですから仕方ない。

本丸に入る前に二の丸を見ていきましょう。

南東側には多聞櫓
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を模したトイレ。さすがにちょっとちゃちい。

二の丸は御殿が広がっていましたが、今は広場と観光交流センターが設けてあります。
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そんな中、北端にひっそりと置かれた伏見櫓の看板
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ここには伏見城から移築された伏見櫓がありました。
初期徳川政権において戦略上重要な城に伏見櫓が移される傾向があったことから、当時の岸和田城の位置づけが窺い知れる遺構です。

ここ以外、街中に遺構の解説をあまり見つけられなかった今の岸和田城においても、とても重要な場所であることが分かりました。

改めて本丸
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復興でも建物があると雰囲気が出ますね。

石垣と堀はとても立派ですし。
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中へ入って天守へ。
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とても馴染んだ天守ですが、実は当時のものとはまるで違う様相
当時は5層の天守であったことが絵図で分かっています。さすがに5層を立て直すことはできなかったのかな。

天守入口で百名城スタンプをゲット
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その後、岸和田城の歴史を学んだあとは、お決まりの展望へ。
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海側を眺めます。

気になる足元のお庭は八陣の庭
1953年に当時の庭園設計の第一人者、重森三玲氏の手により設計されました。
諸葛孔明の八陣法を取り入れ、当時なかった天守からの眺めを意識して作られた国指定名勝です。

枯山水を愛でる感性はありませんが、きれいなお庭です。
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天守とお庭。どちらも当時からすると全く異なるものですが、今の姿としてはどちらも馴染んでいます。
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重ね重ね天守はもう少し当時に近づけられなかったものかとは思ってしまいますが。

最後は二の丸北側の百間堀方面を散策。

古くは二の丸の石垣下まで海水が入り込む葦原であったとされますが、1600年代初頭に城下町として整備されました。
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今もこのあたりは狭いながらも瓦屋根が広がる雰囲気の良い景色が広がります。

そして二の丸方面に広がるのが百間堀
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今でも百間あるかと思うような広い堀ですが、これでも道路建設で埋められて狭くなっています。

というところで、岸和田城見学を完了。

最後はもう一つの南海本線の駅、蛸地蔵駅から和歌山方面へ。
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この駅もステンドグラスのある、何となく良い雰囲気のある駅でした。

おまけ:特急ひのとりで大阪南部へ

今回、岸和田城へ向かうにあたっての出発地点は近鉄名古屋駅でした。
新幹線でも良かったんですが、せっかく大阪南部なので近くに向かえる近鉄特急で。

というのも、その特別感で有名な特急ひのとりに乗ってみたかったのです。

電車の外観を撮るような鉄道好きもどきの行動に出ちゃったりしながら、ちょっと特別な移動を開始です。
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写真は終点の難波駅で。

近鉄名古屋駅大阪難波駅を2時間ちょっとでつなぐひのとりは、両端1両ずつにさらに特別なプレミアム車両を設けてあります。
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革張りのゆったりシートは、前の席まで足が全く届かない広い空間を持っています。

もう一つ特別なのは、座席のバックシェル。
リクライニング(電動!)をすべて倒しても後ろの人に全く影響しないのは嬉しい。

デッキにはカフェスポットも。
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ここは買って試すべきだったか。

座席へは階段を上がるので、少し高い目線からの展望を楽しむこともできます。
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運よく最後列が取れたので、振り返るとなかなか見られない景色が広がっていました。

名古屋から難波までの2時間余り。
新幹線より長い時間もあっという間。むしろもっと乗っていたい列車でした。

感想

満足度 3/5

街中に唐突に現れる天守と堀、石垣。
いわゆるお城の景色をしているので、普通の観光スポットとしても人気が出そうです。というか、普通に観光に来られていましたね。

天守が低くなっていたり、二の曲輪の外側はほとんど残っていなかったりと残念な所はありますが、街中の平城でここまで残っていたらそちらを楽しむべきなのでしょう。

アクセス

岸和田城

  • アクセス
    電車・バス:南海本線 岸和田駅から徒歩13分
       または南海本線 蛸地蔵駅から徒歩8分
       またはJR阪和線 東岸和田駅からバス 岸和田駅下車徒歩13分
    車:阪神高速4号湾岸線 岸和田南ICから約7分
    岸和田市役所第4駐車場をご利用ください
  • スタンプ・開館時間
    岸和田城天主閣受付
    開館時間:10:00~17:00(最終入場16:00)
     休城日:月曜日、年末年始(祝日、お城まつり期間中は開場)
     入城料:大人300円、中学生以下無料
    月曜は岸和田市二の丸広場観光交流センターで押印できます。
  • 城跡
    同上
  • 所要時間
    ~0.5時間
  • 付近のスポット
    百名城関連だと大阪城和歌山城が近くです。

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