にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

加納城(岐阜県岐阜市)-岐阜城に代わる天下普請の城

岐阜城に引き続き、岐阜駅前の加納城へ。
岐阜城の廃城後に、天守や石垣が移されたと伝わっています。

明確な遺構は住宅街に公園として残された本丸の周りだけですが、その本丸には立派な石垣が残されていて、往時を伝えてくれています。

お城:加納城 岐阜県岐阜市
HP:オフィシャルなものは見つけられませんでした。
訪問日:2020年10月

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概要

中世加納城は1445年に斎藤利永によって築城されますが、1538年に廃城となりました。

関ケ原の戦い後の1601年、徳川家康の命により中世加納城の跡地に築城されました。
初代城主、奥平信昌のあとは譜代大名が入れ替わり、明治維新の際に廃城となります。

東と南北に川が流れ、西には長刀堀を設けた平城で、本丸を中心に5つの曲輪が設けられました。
石垣などは関ケ原の戦いの前哨戦で落城した岐阜城から運ばれたとされます。

二の丸北東角には岐阜城天守を移築したとされる御三階櫓がありましたが、1728年に落雷で焼失しています。

訪問記

岐阜駅から徒歩での訪問。駅徒歩20分ほどの小散歩です。
岐阜城からわざわざ資材を移して作った家康肝入りの城跡はどんなもんでしょう。

徒歩20分と聞くと少し遠い印象もありますが、道中には大手門跡や中山道の案内などがあって意外とすぐ。
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こちらは大手門跡。今は住宅街の路地と街道の交差点です。
一応交差点の名前にも大手の名を残していますが、流石に街中で痕跡は少なめです。

岐阜駅からだと少し手前、北側に中山道が通っていて、加納宿が置かれていました。
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写真はやや離れた場所で見かけた碑

本丸へは、たくさんの小中学校が立ち並ぶ文教地区を抜けていきます。

「学校が立ち並ぶ」から想像される通り、加納城の城下町に関連した場所でした。
大部分は侍屋敷跡を利用したものですが、南端の加納小学校は三の丸跡にあります。
と言っても、例によって小学校はじろじろ見られず、チラ見だけして城跡へ。

あとで分かったことですが、加納小学校南東端には御三階櫓の石垣も残されています。
ここは看板も出ているようなので予習しておけばよかった。

大手門から真っすぐに加納城の本丸跡、今の加納公園へ到着。
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こちらが今の加納公園のマップ。
外枡形のある本丸の形は綺麗に保たれています。

このマップ、絵では遊具やテニスコートが書かれていますが、字があるのは本丸跡だけという。都市公園ではなくて城跡ということをアピールしてるのかな。

ちなみに今の地図と当時の姿を重ねた縄張り図もあるので、本丸以外の様子も何となく想像することができます。ここは予習なしでも行けたのに、御三階櫓を見逃すなんて。

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2つ目の地図の通り、本丸北側の今の入り口へ。
かつてここは堀で、大手門は外枡形に置かれていました。

堀は埋められていますが、その名残は感じられます。
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大手北堀は堀底に畝を設けた障子堀であったことが分かっています。
障子堀と言えば山中城訪問記)などの北条氏のイメージですが、徳川氏も取り入れていたんですね。

ここの土塁には見にくいですが石垣が残されています。
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隅櫓はありませんが、堀の広さと石垣の高さに大きさの一端を感じるような。

今の入り口から本丸内へ。
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本丸は綺麗な芝生広場となっていて、

周囲は高い土塁に囲まれています。
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ほぼ方形の本丸に方向感覚を失わないうちに出っ張った外枡形
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こちらは道らしい道はないですが、先へ進むと土塁の切れ目
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テニスコートのあたりが二の丸で、そことをつなぐ極楽橋、筋鐵門があったあたりでしょう。たぶん。

このあとは、土塁に登ったりしながら南側の公園入口へ。
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ここは当時から本丸と隣の大藪曲輪をつなぐ臆病門と橋が架かっていました。
臆病門とはなかなかなネーミングで。

最後は西側遊具ゾーンに残る石垣を見ながら戻ります。

最初の堀の石垣よりもよく見えますので、ここら辺が加納城のハイライトでしょう。
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しっかりと残る石垣。

北西端には天守台が置かれていました。
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こちらの石垣もしっかり。いいですねぇ。

並木の裏手にあるのでちょっとだけ手がかかりますが、頑張ってみる価値ありますよ。
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その後は住宅街を散策しながら名残を楽しみつつ岐阜駅へ戻りました。
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感想

満足度 3/5

残る遺構は本丸中心に少しだけですが、本丸はしっかりと残されていますし、堀や石垣も様子はよく分かります。天守台石垣はとても良い。
アクセスも容易ですし、岐阜城探索のついでに寄ってみるのはアリかと。

岐阜城からもほど近いですが、それでも山頂から天守と石垣を運ぶのはさぞ大変だったんじゃないかなぁ。

アクセス

加納城