周囲には城下町も残り、恥ずかしながら存じ上げませんでしたが、城を中心とした観光地となっていました。地元では秋山城とも呼ばれ親しまれています。
まずはお城部分から。多少の登りはありますが、その分眺望は素晴らしい。
近世城郭としては短命だったものの、随所に残る石垣や遺構、破城の資料など、濃密な歴史も興味深いところでした。
お城:宇陀松山城 奈良県宇陀市
HP:宇陀市/史跡宇陀松山城跡
訪問日:2023年3月
概要
戦国時代、国人であった秋山氏が築いた秋山城が前身と考えられています。
1585年、豊臣秀長が郡山城に入ると家臣が変わるがわる領有しました。
その1人、多賀秀種により、本格的な改修と城下の整備が行われたと推測されます。
関ケ原の戦いを経て、秀種は改易。代わった福島氏のころ、松山に改称されます。
1615年、大坂の陣の後、内通の疑いで福島氏も改易。破城となります。
この破城には小堀遠州が関わっており、書状も残されています。
その後、織田信雄以後4代の織田氏が入ったのち、天領となりました。
訪問記
まちかどラボ~雀門
道の駅 宇陀路大宇陀から散策スタート。
3月の三連休とあってか、かなりの賑わいでした。
あまり知りませんでしたが、人気の観光地なのかな。
柿の葉寿司、美味しかったです。あと、せんとくん、お久しぶりです。
歩いて数分で、まちかどラボさんへ。
ここから、宇陀松山の古き良き町並みが広がりますが、まずはお城から。
そして、こちらに続百名城スタンプがあります。
モデルは崩れた石垣。破城が推しポイントになるのは珍しい。
この裏の登城路から登っていきます。
足元は車道ですが、通行止め。歩きやすくてありがたい一方、城に向かう感は乏しいかな。
5分ほど登って少しずつ様相が変わってきたあたりで案内板も登場。
図をお借りして全体像を確認しましょう。
中心部に本丸と天守郭、一段下に二ノ丸、さらにその下に御加番郭や御定番郭などが置かれ、その外は横堀で切ってあります。
本丸・二ノ丸の中心郭群は総石垣に枡形虎口、礎石建物群などの織豊系城郭の特徴を残しています。
順路に沿うと、右上の「現在地」から順に本丸、天守郭へ向かう流れとなります。
という訳で、ようやく足元も自然に近くなり、本格的な登城開始です。
堀底のような通路を上がっていきます。
森の中にも明瞭に残る堀や
たぶん何らかの郭だろうけど、自信の持てない平場を見ながら進むと
深い深い堀がお出迎え。
右手が本丸方面。
もともとの傾斜も使いつつ、すごい高低差で絶対に攻め込ませない意思を感じます。
そしてこのあたりからは木が切られて見やすく整備されています。ありがたい。
空堀からすぐに虎口が見えてきました。案内板から10分、麓からは15分ほど。
南西虎口部、雀門跡です。
中心郭群と城外を仕切る重要な虎口で、外枡形の虎口が作られています。
さらに、内側上部には虎口郭を設けて、枡形を連続させています。
緩くなっているとはいえ土塁は良く残っていますし、足元には石垣ものぞいています。
整備のおかげもありますが、ここからが本格的に手を入れた部分なんだろうという、空気が変わる感じ、良いです。
雀門右手(南)は御定番郭ですが、こちらはよく分からず。
中心郭群の外までの整備は高望みかな。
中心郭群
内部へ向かいます。
右奥は外縁部への通路。ちらっと見えている通り、通行止めでした。
枡形の内部へ。真正面おそらく西帯郭から狙われているんだろうなぁ。
虎口内部から雀門を振り返って。
このあたりの高低差も攻めるにはなかなか厄介ですね。
左に折れて、虎口郭の下へ
右手にはちょっとした窪みがありました。なんでしょう??
改めて虎口郭下部に到着。足元のみ綺麗な石垣が残っていて、
左手は崩されていました。破城の絡みでしょうか。
矢穴なんかも見つつ
右手に折れて門があったであろう場所を抜けます。
ここで通路は、正面の西帯郭方面と、左手の虎口郭方面の二手に分かれます。
たしか西帯郭は荒れていて、そのまま虎口郭へ。
虎口郭という名前から虎口の防御だけを意図した小さな郭を想像していましたが、なかなか広い。
当然、先ほどの虎口はしっかりと見下ろせますし、
先ほどまで上がってきていた登城路、郭、横堀を見下ろすこともできる立地
この方面の防衛上の重要な郭だったんだろうと思わせてくれます。
虎口郭西側の御加番曲輪はよく分からず。進んで本丸西虎口から本丸へ。
こちらも全体に角が取れていますが、
変わらず足元に少し石垣が見えていて往時の名残を感じさせます。
破城前はさぞ立派な石垣だったのでしょう。
本丸全景。広い郭は城内最大でした。
この本丸全体に本丸御殿が建てられていました。
足元には礎石もはっきりと残っています。本丸御殿のどこかの礎石なのでしょう。
さらに先へ。本丸には、東側の南面にもう一つの虎口が置かれています。
こちらは東帯郭を介して大御殿郭、二の丸方面へと続きます。
西側と比べてあっさりした構造で、あちらが大手にあたるんだろうなという様子。
この先も惹かれる景色が広がっていますが、ひっそりと立ち入り禁止の札が。
誘惑を何とか振り払って、本丸に戻ります。
本丸東側に続く天守郭へ。
見ての通り、西側の同じ面に南北2つの虎口を持ちます。
また、右手前には大きな石が転がっています。これも破城の絡みかな。
南側の虎口はあっさりとしたスロープ状ですが、
北側は明らかに格式高い足回り。
当時は付櫓も置かれていました。南が通用口でこちらが正面玄関という感じですかね。
天守郭全景
天守郭は外周を多門櫓で囲い、西側に城主の生活空間である奥向御殿が、
東側に天守が建てられていたと考えられています。
東側には南北に張り出しが設けられ、ここに付櫓を持つ三重程度の天守が建てられていたのでは、と考えられています。
この足元が張り出し部分、だったかなぁ。うろ覚えです。。。
どちらかというと遠くに見えるあちらの遺構に気を惹かれてしまいまして。
天守郭一段下に置かれた大御殿郭と、そこから二ノ丸をつなぐ大門(南東虎口)です。
遠くからでもはっきりとわかる大門の遺構、天守郭足元の横堀など、近くで見たい欲を掻き立ててくれます。行きたい。あの立ち入り禁止は本当だったのかな。。。
アップでもう一枚。
大門という名に恥じない大きな門があったのでしょう。
堀の向こうの二ノ丸は、ほんの少しだけ整備されて後は森ですが、縄張図上は本丸に匹敵する広い郭だったようです。
天守郭から北東側を眺めます。
手前は同じく大御殿郭、奥は東御加番郭です。
間を切る堀が良く見えています。東御加番曲輪も縄張図上はもう少し広いような。
最後は、天守郭からの眺望を見ていきます。こちらは確か南面。
こちらは北東方面だったかな
どちらも素晴らしい眺めです。
春日門ルート
下山は行きとは別ルート。春日門ルートで下ります。
分岐は案内板が置かれたこの場所から。
まちかどラボ(千軒舎)からのルートはコンクリでしたが、こちらは自然豊か。
それでも整備されていて心配するほどではありません。こちらの方が雰囲気あったかな。
分岐から5分少しで登り口に到着。
その名の通り春日神社脇にたどり着きました。
このあとは春日神社から麓の街並みを見ていきますが、続きはまた次回。
感想
満足度 4/5
短命ゆえか一般的にはメジャーでないと思いますが、遺構は素晴らしい。
雀門から本丸、天守郭もそうですし、いけませんでしたが大門や御殿郭も遠目にも良く残っていました。
城下町の賑わい含めて、もう少しメジャーでも良いような。昔関西にいても知らなかったのは自分が疎いだけかな。
行き届いた整備も含めて好印象で、二の丸方面も行けるようになったら再訪したいところ。
アクセス
宇陀松山城
- アクセス
電車・バス:近鉄大阪線榛原駅からバス 大宇陀バス停下車 徒歩約20分
大宇陀バス停は道の駅「宇陀路大宇陀」にあります。
登り口は、まちかどラボ・千軒舎と春日神社にあります。
車:名阪国道針ICより約30分
専用駐車場はありませんが、宇陀松山の街並み散策には道の駅「宇陀路大宇陀」の駐車場を利用するよう案内されています。 - 城跡
散策自由 - 所要時間
1時間 - 付近のスポット
県境を越えますが、実は近くにあるのです。
tmtmz.hatenablog.comもちろん歴史的にも近しい大和郡山城も。
訪問したら追記します。↓気が向いたら押してやってください
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