津城に引き続き、再訪の機会を得た多気北畠氏城館の記事を更新です。
名松線で向かったのはコロナ前のことですが、いま思い返しても楽しい訪問でした。
地元の方とふれあって良い思い出ができると、土地の印象が一気に良くなりますよね。
再訪は車でしたが、名松線も再訪したいところ。
2020年の訪問記に再訪時の写真を追加して更新しました。
お城:多気北畠氏城館 三重県津市
HP:津市 - 多気北畠氏遺跡の概要
訪問日:2020年1月, 2023年3月
概要
1342年、北畠顕能が築いたと言われます。その後、8代にわたり北畠氏の本拠でした。
8代具教は織田信長の侵攻を受け1569年に降伏、その後も抵抗しますが1576年に誅殺され、詰城とともに廃城となりました。
居館と、近くに詰城、さらに奥には戦時の詰城(霧山城)を持つ構造でした。
居館跡は1500年ごろに大規模な造成が行われたことが分かっており、それを境に前期、後期と分けて捉えられています。
訪問記
伊勢奥津駅
津城を訪問したその足で、JR名松線に乗って終点の伊勢奥津駅へ。
この名松線訪問が、わざわざ青空フリーパスを購入した一つの理由でもあります。
JR東海屈指のローカル線、名松線はコロナ前でも2時間に1本の運行。
お客さんもごくわずか。単線対向待ちで10分以上停まるなど、道中は非常にのんびり。これぞローカル線と言った雰囲気でした。
日常から遠く離れた土地の雰囲気を濃密に感じられるローカル線、好きですね。
ちなみに、家城駅前には下剋上球児のモデル、2018年甲子園に出場して話題となった白山高校がありました。よく書かれていた2時間に1本の列車は名松線だったのか。
終点伊勢奥津まで約1.5時間。
当時13:06松阪駅発の列車に乗って、ついたのは14:30
ここからの移動を考えても実質的な城訪問最終列車でした。
という訳で、実際には駅到着後すぐに多気北畠氏城館へ出発したのですが、本記事ではまず伊勢奥津駅周辺を散策します。
小さな駅の隅に給水塔が残されていました。
ここで途切れた線路は名松線の名、名張を目指していました。
駅の周辺は小さな集落。
古くは大阪から伊勢を目指した伊勢本街道の宿場町だった奥津の町
今は鄙びた雰囲気ですが、随所にかつての賑わいを残します。
駅前に残る立派な建物は明治から大正にかけてのよろずやでした。
今はまちかど博物館になっており、予約すれば見学可能だそう。
近くには道標や
延命地蔵様もいらっしゃいました。
この「のれん」が奥津の町を彩る一つのアクセントに。
各家の軒先にオリジナルののれんを掲げて町おこしをされています。
そういえば伊勢奥津駅にも掲げてありました。
人の少なさには過疎を感じずにいられませんが、盛り上げようとする気概や人のぬくもりも感じることができました。
帰りの列車で配られたポストカードもそうですし、
もう一つぬくもりを感じたのが自転車を借りた駅前の観光案内所ひだまりさん
通りすがりの観光客にお茶を振る舞って丁寧にもてなしてくださり、帰りの列車の心配や、時間をつぶす喫茶店の紹介までしてくださいました。
レンタサイクルの返却が16時の閉店まで、というのは玉に傷でしたが、その温かな対応で、一気に伊勢奥津のファンになってしまいました。
伊勢奥津での楽しい経験を振り返っていると、多気北畠氏城館にたどり着く前に終わってしまいそうなので、そろそろ話を進めます。
多気北畠氏城館
ひだまりさんで電動自転車と恥ずかしい蛍光色のビブスを渡されて、移動スタートです。
道中、名松線を一枚。
まさに山間の山村。絵に描いたようなローカル線の風景です。良き良き。
そこから山をトンネルで越えて、伊勢本街道のお隣、多気の集落へ。
こちらも風情ある町並みに、道標が残ります。良きです。
すぐいせ道、は残念ながら直ぐではなく、真っすぐ、の意味。
この多気こそが北畠氏の本拠地。江戸時代よりさらに前にも栄えていました。
長い長い導入を終えて、多気北畠氏居館跡を見てまわりましょう。
今は北畠神社が建てられています。
鳥居をくぐって境内へ
中に入るとこんな感じ。立派な神社です。
居館跡に建つ、と言っても今は名残を感じるのは難しく、気分は参拝です。
社務所で御朱印、、、ではなく続100名城スタンプを頂きます。
古い時代の居館ですが、三段に分かれた上段と中段の境に石垣が用いられていたことが一つの特徴。そんな上段と中段をつなぐ大手口にあたる入口跡がモデルですね。
参拝をしたら境内を散策します。
三段構造の内、およそ上段と中段に跨るように境内が広がっています。
今はどこまで行っても神社ですが、所々に案内も。
ここはスタンプモデルの入り口あと。
さすがに見える状態ではありませんが、足元には石垣が埋まっているのかな。
ここで見つかった石垣が1500年代前半のもの。
中世館跡では日本最古の石垣で、それをアピールする看板もあります。
が、さすがにこの景色では実感は湧きづらいかな。
雰囲気の良い神社ではあるのですが。
なお、居館だった頃から守りが必要な場所でも、外部にアピールするための場所でもなかったため、上段をより厳かにするためのものと考えられているようです。
上段最奥部からは礎石建物跡も検出されています。
やはり様子を感じるのは難しいものの、15世紀前半の人の営みに思いを馳せられる、というのはロマンがあります。
折り返して、社務所正面、今の多気北畠氏城館で一番の見どころであろう、1500年代前半に作られた庭園へ向かいます。
信長の侵攻により北畠氏が滅んだあとも、埋もれずに残ったという驚きの庭園。
300円払ってもみる価値アリです。
米字池と呼ばれる池泉と枯山水が同居し、看板によると大自然と調和しつつ質実剛健、武将好みの男性的な庭園、だそう。
質実剛健さは、私には高尚すぎましたが、雰囲気の良い庭園であることは分かりました。
当時置かれたであろう石の配置や
実に複雑な池の形
苔の雰囲気など
当時、北畠氏がもてなそうと考えられた客人とは程遠い格にしても、庭園のよさのごくごく一部は感じ取れたような気がしました。
この日はレンタサイクルの返却時間(16時。。。)の都合もあり、ここまで。
詰城や霧山城も後日訪問しましたので、おって追加しますね。
感想
満足度 2.5/5
多気北畠氏城館のうち、詰城や霧山城を除いた城館部分だけを切り取ってしまうと評価は低くならざるを得ません。庭園はもちろん良いものですが、遺構は見えませんので。
ただ、伊勢奥津や多気の街並み、人の雰囲気などは5/5の評価で、もう少し時間を取って訪れたい土地でした。
アクセス
多気北畠氏城館