にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

続百名城 吉田城(151・愛知県豊橋市)-豊川望む復興櫓

愛知県豊橋市の続百名城、吉田城へ。

復興鉄櫓が観光の目玉ですが、足元の石垣や空堀は続百名城に違わぬ残り具合。
そもそも公園の駐車場脇から立派な土塁が残っていますし。

綺麗な豊橋公園にここまでの遺構が残っていたとは。

お城:吉田城(151)愛知県豊橋市
HP:吉田城/豊橋市
訪問日:2019年12月、2022年6月

概要

1505年、今川氏親の命により牧野古白が築いた今橋城が前身とされます。
度々城主がかわりますが、今川義元の頃に落ち着き、吉田城と呼ばれ始めます。

1564年、今川氏の勢力が弱まると松平家康が奪い、酒井忠次が城主となります。
家康の関東移封後は池田輝政が入り、城の改修や城下町の整備を行いました。

江戸時代には譜代大名が城主となりますが、なかなか安定せず、1700年代中盤に大河内松平家でようやく定着。明治維新を迎えました。

戦後、跡地は豊橋公園となり、1954年には鉄櫓が復興されました。

訪問記

三の丸・二の丸

豊橋公園の駐車場からスタート。
近くを走る路面電車も乗ってみたいんですが、なかなかタイミングがあいません。。

駐車場隣のテニスコートで高校の大会が開かれていて選手と保護者がたくさんいる中、居心地の悪さも感じつつ、そそくさと三の丸方面へ逃げ込みます。
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テニスコートに囲まれた近代的な駐車場からいきなりの土塁。ギャップがすごい。

三の丸に入ったところで全体像を確認です。(案内図は三の丸口門にあったもの)
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豊川を背に、本丸、二の丸・金柑丸、三の丸が囲います。
それぞれ堀と土塁で区切られていました。
三の丸の外側にも藩士屋敷が広がり、外側を堀で囲う広大な城域でした。

実は駐車場から城域でしたが、面影も無いので改めて三の丸から散策開始です。

三の丸は、三の丸会館など人工物もあって、足元も整備されているんですが、
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脇には堀が残されてもいて、なかなかに頭が混乱する状況です。いや嬉しいんですが。
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しかも説明がない笑

真っすぐ本丸方面へ進むと、またも土塁とこちらは深さも残る堀
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土塁の向こうは(たぶん)金柑丸 今川氏時代の本丸とも言われます。

土塁はかなり高くて、
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堀も深い
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説明はなくとも分かるすごさ。遺構の圧力で押してくるスタイルですね笑
綺麗な公園によくこの状態で残してくれたものです。

真っすぐ行くといきなり本丸なので、方向転換。三の丸を回ります。

三の丸と二の丸を区切るこちらも高い土塁
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切れ目もあったりするんですが、やっぱり説明はなし。虎口じゃないかな。

今は豊橋市美術博物館が置かれる三の丸南端に到着。
ここまで来ても三の丸と外を切る土塁はしっかりと残っています。
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ただ、三の丸方面は公園。
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石碑はありますが、想像は厳しいかな。
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ここは地方役所跡 それより奥の土塁が気になります。

評定櫓跡
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二の丸にあったそうで、この辺は境界も分からないくらい改変されています。

三の丸口門
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こちらも説明はなし。土塁が想像を掻き立てますが、どんな門だったのでしょう。

脇には太鼓櫓が建っていたそう。
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門の正面が三の丸から二の丸方面。この辺も跡形もない。。
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左の高まりが着到櫓だったはず。

二の丸口門跡の石碑と
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二の丸御殿の石碑
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区画すらないのでなかなかに想像力が問われます。

少々つらい石碑探しはここまでにして、百名城スタンプを押しに行きます。
隣の市役所東館13階にスタンプがあります。
百名城スタンプが役所にあるのは割とあるあるですが、地元でもない役所に入るのって勇気がいりません?笑
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少し勇気を出して押したスタンプのモデルはもちろん鉄櫓。川越しが良い構図ですよね。

スタンプのある13階は手筒花火や路面電車など地元の名物、歴史の展示もあります。
なかなかいい展示でしたよ。スタンプは見つけづらかったけど。

本丸・腰曲輪

さて改めて本丸方面へ。本丸付近は二の丸と違って遺構が良く残るのです。

本丸の南側、南御多門は工事中。。前回訪問時の写真を借用です。
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本丸の大手にあたる門。とても立派な石垣のうち左手には千貫櫓が建っていました。
本丸四隅に建てられた隅櫓の一つです。
二の丸、三の丸は土の城でしたが、本丸周辺は石垣もふんだんに使われています。

このまま本丸に進む前にもう少し脇から。まずは本丸周囲の空堀
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いやー深い。今までより圧倒的に良く残っています。

堀を見ながら川べりへ。
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左手の石垣は鉄櫓下にある池田輝政時代、吉田城最古の石垣とも言われるもの。
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石の種類も相まって荒々しさが良いです。

脇には川手櫓 
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隣には腰曲輪も置かれていて、
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豊川方面の守りもぬかりはありませんでした。

結構広い川ですが、乗り越えられるといきなり本丸、は心許ないですもんね。
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犬山城みたいに攻められることもありますし。

tmtmz.hatenablog.com

豊川沿いに少し進むと、物資搬入口として使われた水門も残されています。
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水門があるのは先の写真左手の橋のたもと。当時の城の広さが垣間見える気がします。

改めて腰曲輪から本丸へ。
こちらには北御多門が置かれていました。
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石垣と枡形が良く残ります。明らかに石の雰囲気は先ほどの鉄櫓とは違います。
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このあたりの石垣は刻印石も多いですが、名古屋城築城の余りを転用したからだそう。

本丸全景 
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本丸には四隅に隅櫓、中央には将軍上洛時の宿舎としても使われた御殿がありました。
本丸御殿は1707年の地震で倒壊、再建されませんでした。

四つの隅櫓のうち、北西の鉄櫓は復興されています。
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こちらが復興されたのは、最大の櫓で当時から天守相当の櫓だったから。
天守と書かれた文書も複数あるそうです。

ただ、古写真の姿よりいわゆる天守っぽいというか、いささか違うような。。。

あと、内部は資料館で百名城スタンプもあるそうですが、開館時間が15時まで。
まだ間に合ったことがありません。短い。。。

本丸を見ていきましょう。

川沿いの武具所跡
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北東側の入道櫓
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櫓台はしっかりと残っています。

東側の裏御門
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本丸周りですのでやはり空堀が深い。
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本丸側が石垣となっていて、手も込んでいます。

土橋を渡って
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空堀の向こうは金柑丸 
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土塁と堀に挟まれた細い曲輪で、今は神社が置かれています。
今橋城と呼ばれていた頃の本丸だったとされます。
狭い気がするのは二の丸などが拡張されたからかな。

金柑丸を抜けると最初の三の丸会館に。これで吉田城は一周です。

感想

満足度 3.5/5

三の丸の土塁・空堀、本丸周辺の空堀や石垣など見どころ多めでした。
二の丸は少し難しかったですが、本丸・金柑丸周辺だけでも十分に楽しめるのでは。

石碑に加えて説明があればもっと嬉しいですが、それより鉄櫓の開館時間がもう少し延びてほしいなぁ。

アクセス

吉田城