松平城に引き続き、松平氏の故郷、松平郷を巡ります。
松平城から歩ける距離にある松平氏館跡と松平郷。
今は館跡に建つ松平東照宮と、松平家の菩提寺高月院を抱える小さな集落です。
この時は七五三シーズンだったからか、普段からか、かなりの人出。
予想していませんでしたが、人気ある姿を見られたのも良いものでした。
改めて松平郷入口の駐車場からスタート
看板で黄色、オレンジとなっている駐車場が、今は松平東照宮となっている松平氏館跡の隣にありますので、松平城に興味がなければ最初からそちらがおススメです。
まぁ入口の駐車場から歩いても5分かかりませんが。
という訳で健康のために歩いて松平郷の中心へ。
駐車場には解説もばっちりです。
左の家系図、一番上が松平初代親氏、左下でハイライトされているのが家康です。
松平郷松平家はすぐに分岐した右側の家系です。
ここから順番に回っていきましょう。
松平氏館跡 松平東照宮
名前から想像できる通り、初代、松平親氏の居館として使われたところでした。
その後、松平郷松平家の居館、1619年に東照宮が合祀され、松平東照宮となりました。
今も松平東照宮として続いていて、周辺には堀と石垣も見られます。
堀に住むコイに餌をやる家族を見て、秋の暖かな日も相まって最初から温かい気持ちで散策開始です。
水堀や石垣は、松平郷松平家9代の尚栄が関ケ原の戦いの後に築いたと言われます。
それなりの広さを持つ水堀に囲まれた四角い区画。
古くからこの敷地で居館だったんだろうな、と想像させてくれる見た目です。
境内は背後に山が迫る立地。守りを意図したんだろうな。
同じ松平親氏が築いたとされる松平城は、背中方向に隣の隣の山。
こちらは居館から程よい距離で街道を抑えられる立地を取ったのかな。
中を見ていきます。
入り口わきには詳しい案内板
登場人物が登場人物なので、いつにもまして読んでいてワクワクする文章でした。
例によってまず参拝。
境内の見どころを回ります。
産湯の井戸
境内右奥にあるのが、産湯の井戸
三代松平信光出生時に使われ、それ以来松平家代々の産湯の祝泉となったとのこと。
家康の出生時にも竹筒に詰めて岡崎まで早馬で運んだそう。
岡崎城にも産湯の井戸(訪問記)がありましたが、いろんなところから集まったのかな。
産湯の井戸の奥には奥宮
この辺りは奥まっていて特に神聖な雰囲気が漂っている気がしました。
もともと居館の一角に八幡社があったとのことで、産八幡の宮と呼ばれていますし、かつてのそれに当たるのかな。
松平郷館
もう一度境内へ戻って松平郷館を見学
無料の小さな博物館。
というとイマイチに聞こえますが、松平家ゆかりの展示品がなかなか興味深い。
コンパクトでふらっと寄ってみるのにおすすめの博物館です。
松平郷散策
松平親氏像
松平郷をさらに奥に進みます。
最初にいたのが松平親氏像
青銅色だからか、どことなくエキゾチックな印象
高月院への参道は室町塀が続く雰囲気の良い道のりでした。
反対側は民家と田畑。のどかでほっこりします。
室町塀の奧には天下茶屋という名前のカフェもありました。
高月院
のどかな室町塀の通りを突き当たって到着したのが高月院 松平家の菩提寺です。
1376年松平親氏が堂や塔を建立し、高月院と改称。菩提寺とした歴史があります。
古い門は、本堂とともに1641年に徳川家光の命で再建されたそう。
境内は広く、明るい印象。所々に石垣もありました。
歴史を思うと、古い石垣かなとか、いつからこの様子だろうとか、疑問がつきません。
松平郷を見晴らす立地というのも意味があるのかな。
境内にはたくさんのお手植えの木々もありました。
特にこちらは家康公のお手植えだとか。
寿命的には世代交代しているんだろうなぁとは思いますが、こう書ける、信じる気になる歴史があります。
とか考えていたら、グサッと刺さる一言
直球で言われると胸に来るものがあります笑
高月院の副住職さんはYoutubeチャンネルも持たれているようで、先進的な取り組みに敏感な方なのかもしれません。
本堂に到着
こちらも家光の命で再建されたもの。
本堂をモデルに写生されている地元の方がたくさんいらっしゃって、ちょっとしたお出かけスポットなのかな。
松平氏墓所
高月院歴代住職の墓所より一段高いところに置かれています。
中央に松平氏初代の親氏、右に2代泰親、左に4台親忠夫人の墓塔が置かれています。
松平郷で一番の高台に立地する高月院の一番の高台に眠る偉大な先祖。
地元の方からすると、今も守ってもらっているような気持ちになるのかもしれません。
穏やかな気候も相まって、温かい気持ちで散策を終えたところで、次のスポットへ。
松平氏遺跡群の最後、大給城へ向かいます。
この前に訪れた松平城はこちら
家康ゆかりの岡崎城
浜松城もどうぞ。