この旅最後のお城は鮫ヶ尾城。
上杉家のお家騒動、御館の乱で上杉景虎が自害したお城です。
ただ、登っていないんですよね。。。雨が降ってきてしまいまして。。。
ご紹介できないなとも思いつつ、旅行記の締めなのでスタンプまでの簡易版でご紹介。
お城:鮫ヶ尾城(133)新潟県妙高市
HP: 斐太歴史の里:鮫ヶ尾城跡 - 妙高市
訪問日:2019年4月
概要
鮫ヶ尾城の築城年代ははっきりしませんが、出土品から16世紀ごろにはすでに何かしらの城郭が存在していたことがわかっています。
鮫ヶ尾城が歴史の表舞台に登場するのは、御館の乱での戦いです。
上杉謙信の死後、景勝と景虎との後継争いで、序盤は景虎が優勢でしたが、形勢逆転。
次第に追いつめられる中で景虎が逃げ込んだのが鮫ヶ尾城でした。
後北条氏からの養子であり、実の兄を頼って小田原城へ逃れようとしたとされます。
当時の城主・堀江宗親は元は景虎方でしたが、すでに景勝方に内応しており、鮫ヶ尾城は総攻撃を受けて落城。景虎は自刃したと伝えられます。
訪問記
高田城訪問のあと、車で移動。移動中に雨が降ってきてしまいました。。
鮫ヶ尾城のスタンプがある、斐太歴史の里の駐車場へは15分くらいで到着です。
無料でそこそこの広さがあってありがたい。
最後は細そうな脇道に入りますが、そんなに距離もないので勇気をもって進みましょう。
駐車場から道沿いにしばらく歩くと芝生の公園が広がり、斐太遺跡に到着です。
遺跡には竪穴式住居が復元されていました。
下調べなしで来たので、城跡に竪穴式住居?当時の庶民の生活を再現しているのか?と一瞬だけ勘違いしました(んな訳ない)
当然、これは斐太遺跡という弥生時代の遺跡です。
HPによると、斐太遺跡は弥生時代後期後半(3世紀)卑弥呼の時代の集落遺跡で、200軒を超える竪穴式住居跡が見つかっているそうです。
当時も戦乱の時代で集落の周りには大規模な環濠が築かれていました。
出土品は短期間に集中していて、戦乱の時代に見晴らしの良い台地上に築かれて、短期間で放棄されたことがわかります。
近くには古墳群もあり、中世の遺跡である鮫ヶ尾城跡もこの上にあり、と古くからの人々の営みを窺い知れることは興味深いところです。
竪穴式住居を過ぎると、スタンプのある斐太歴史の里総合案内所に到着です。
と、その前にスタンプの前に案内所手前にあった看板たち
こちらは斐太歴史の里全体の案内図。
カタクリの群生地やギフチョウの生息地など、散策すると面白そうなところがたくさん。
こちらは鮫ヶ尾城の案内板。
そういえばここで初めて案内を見た気がします。
右の絵を見て城跡の遠さに心が折れかけたのは内緒の話。
案内所は小さなお土産コーナーと鮫ヶ尾城や斐太遺跡の出土品展示コーナー、休憩所があります。
ふらっと立ち寄っただけの旅行者にお茶とお漬物を出して下さり、至れり尽くせりのサービスでした。こういう出会いがうれしいですね。
ここでスタンプをゲット。
いいアングルですね。登りたかったなぁ。。
スタンプの後は展示品を見学。
一番印象的だったのは鮫ヶ尾城で出土した炭化米です。当時の戦いを物語る出土品ですね。
と、見学しているうちに雨が上がることを願っていましたが、一向に上がる気配がないので、残念ながらここで断念。
これで今回の百名城遠征は終了です。
燕三条ラーメン
新潟最後の食事は燕三条系背脂ラーメンでした。
鮫ヶ尾城からはかなり離れているのでもうお昼ご飯という時間ではありませんでしたが、空きっ腹を抱えてもうひとっ走り。
頂いたのはラーメン勝さんの中華そば(だったかな)
この全面に乗る背脂と太麺が燕三条系ラーメンの特徴です。
なかなかに濃い味でしたが、15時まで待った空腹にはベストマッチ。
とても美味しく頂きました。
基本情報
- アクセス
電車:えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン北新井駅から
徒歩35分
車:上信越自動車道 中郷ICより約15分または新井スマートICより約5分
無料駐車場あり - スタンプ・開館時間
斐太歴史の里総合案内所
9:00~17:00(10月は16:00、11月は15:00まで)
12月~3月は休業日です。それ以外は無休
神の宮温泉かわら亭(12月~3月)
900~21:30 - 城跡
散策自由 - 所要時間
登っていないので分かりません。。。 - 付近のスポット
近くの百名城関連だと高田城、春日山城でしょうか。
ちなみにGW東北城巡りは多賀城からでした。
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