能登観光と言えば百名城の七尾城
五大山城にも数えられる名城を巡ります。
前編は旧大手道を降りて三の丸方面へ。
百名城スタンプのモデルにもなっている野面の5段石垣など、のっけから雰囲気の良さを感じることができました。
お城:七尾城 石川県七尾市
HP:七尾城跡について - 七尾城史資料館・懐古館情報
訪問日:2016年8月、2021年11月
概要
築城年代は不明確ですが、16世紀前半に能登畠山氏が築きました。
七つの尾根に跨っていることが七尾の名前の由来とされます。
1577年、上杉謙信が七尾城の戦いの末に奪取、能登畠山氏は滅亡します。
謙信は、その眺めを絶賛したと言います。
1581年、織田信長から能登を与えられた前田利家が入城しますが、港に近い小丸山に新たな城を築き、七尾城は放棄されました。
訪問記
2回目の訪問ですが、1度目は七尾城史資料館とスタンプだけ。
しかも失敗してるし。。。
実質初訪問で、スタンプの景色はよく分かりませんが。。。である段々の石垣が楽しみ。
スタンプのある資料館から七尾城までは車で10分ほど。
全部登りで七尾駅からのレンタサイクルで向かった1回目には到底いけませんでした。
歩けばいいんですけどね。
駐車場への道は大半がすれ違いが厳しい1車線で、対向車が来ないことを願いながらのひやひやドライブでした。それでも歩くことを思うとずっとマシ。。。
ひやひやを乗り越えて、七尾城駐車場からスタートです。広さは10台くらいかな。
駐車場の時点で谷の間から素晴らしい眺望が見えています。これは眺望も楽しみ。
駐車場には立派な看板にパンフレット。
城史資料館を見てからの方が楽しめるとしても、現地からでも行ける配慮が嬉しい。
絵の方を拡大してもう一枚
左上が三の丸、そこから下に二の丸、右に曲がりながら本丸につながります。
絵本丸のさらに右、看板右端に長屋敷、その北側に今は駐車場があります。
三の丸と二の丸の間、本丸と長屋敷の間に大堀切が描かれています。気になる。
散策ルートはパンフレットに記載されていました。
七尾城跡中心部散策ルートを、あえて逆に。
パンフの下から反時計回りにパンフでは上端の三の丸まで進んで、本丸に戻るルートで見ていきます。
何となくですが、本丸を最後に見たかったので。
調度丸へ
駐車場からすぐに大堀切。左が長屋敷、右が本丸ですが、高すぎて見えません。
一見自然の谷かと思いそうな窪みは、人工的な堀切。なかなか見ないサイズでは。
当時は橋が架けられていたそう。
本丸の隣に屋敷を構えた長氏の位置付けですよね。
右側本丸方面にむけた当時の姿のCGも置かれていました。
今の姿とCGを見比べると、とてもイメージしやすい。
しかも随所にこれがありました。細かな配慮が嬉しいですね。
改めて先へ進みましょう。山城ですが足元はウッドチップ。
これは歩きやすい。
歩いてすぐに最初の曲輪、調度丸に到着です。
その名の通り、弓矢などの武具を整えた曲輪。
この時は誰もいませんでしたが、発掘調査をしていそうな雰囲気でした。
調度丸から桜馬場方面の石垣も見えていました。
スタンプのモデルにもなっている石垣は、低い石垣が連なった高石垣。
これだけつながる段々の石垣はなかなか見ません。
高石垣を作る技術がない中の工夫でしょうか。それともこっちの利点もあるのか。
結果として長年の風雪にも耐えて残っていて、技術力はうかがえます。
そして今の白い石垣と緑のコントラストが美しい。何とも言えない良い雰囲気でした。
長居したくなるような、何度も振り返ってしまいました。
調度丸から本丸を見上げます。
ここから見ても高さがすごい。
この高さから今いる所まで掘っていた、長屋敷との間の堀切って深すぎる。。
寺屋敷、安寧寺跡
調度丸→本丸がパンフ推奨ルートですが、本丸は後に残して三の丸方面、旧大手道へ。
調度丸の虎口もきれいに石垣が残っています。
ここから振り返る石垣がとても綺麗でした。一番楽しめる場所じゃないかな。
どこまでも続くかのような白と緑の石垣。
個々の高さはそれほどでも無くても、ここから見るととても高い石垣に見えます。
そして、やっぱりとても雰囲気が良いんですよね。
後ろ髪をひかれながら旧大手道を下ります。
両側に排水溝が完備されて、こちらも良い雰囲気。
道中脇に逸れたところに寺屋敷
代々の墓守を兼ねた僧兵が居住していました。三重塔があったとのこと。
ここは土メインでかなり山城の雰囲気。
続いて大手道沿いには樋の水
お察しの通り、城内の水源でした。枯れたことがないとのこと。
なんと今もきれいな水が湧いています。
袴腰に到着 ここから折り返して三の丸方面へ向かいます。
袴腰は解説もなく、完全な森でした。何の曲輪だったのかな。
隣は安寧寺跡という広い曲輪
当時どう使われていたかは分かっていませんが、今は畠山氏の廟が置かれています。
畠山氏は七尾城の戦いで、疫病の流行と内通という悲劇的な最期を迎えました。合掌。
三の丸
改めて現在地を確認します。
今いる場所は、この図で一番左上。ここから折り返して、三の丸、二の丸へ。
袴腰と安寧寺跡は折り返しにあるだけでなく、だいぶ下りたところにあります。
というわけで、ここからちょっとですが、登り。。
安寧寺跡近くは多少開けた帯曲輪ですが、
その先は完全な斜面。この尾根の上が三の丸です。
見た目は完全な山城でも整備は行き届いているので、問題なく回ることができます。
そして突き当りにある階段を登ると三の丸
南北110m、東西25mの城内最大の曲輪です。
これでも見えていない部分があるくらい広い曲輪です。
北側には何かの跡と思われる石が残されていました。
建物か排水溝でしょうか。説明はありませんでしたので、完全な推測ですが。
石の列の向かいには土塁のような高まりもありました。
建物とお庭かのような配置。とはいえさすがにお庭は作らないか。
本丸、二の丸とは別の、最前線の曲輪群ですし、防衛施設があったのかな。
看板に従って二の丸へ。
三の丸と二の丸は大堀切で仕切られています。
幅40m、高さ26mの大堀切。往時は吊り橋がかかっていたとされます。
ここ、七尾城の大きな見どころの一つだと思います。
最初の本丸と長屋敷との大堀切もそうですが、一つ一つが大きい。
チラホラ大きな石も転がっていました。
石垣には足りませんが、転がっている石は何に使われていたものでしょうか。
二の丸側から高さを感じつつもう一枚
なかなか見ないレベルで深い堀です。やはり。
この先二の丸から本丸へ。謙信絶賛の眺めを見に行きます。
この旅は氷見の魚介からでした。
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