今年最初の投稿は、国宝の現存天守をもつ犬山城。
城好きには非常に有名な名城ですね。
小さい頃に近所に住んでいて、遠足などで何度も訪問した個人的思い出のお城。
白帝城という呼び名にも非常に馴染みがあります。
何度も来た城ですが、曲輪などにも興味を持って訪れるとまた見え方も変わりますね。
お城:犬山城(43) 愛知県犬山市
HP: 国宝犬山城
訪問日:2018年2月、2020年12月
概要
1537年、織田信長の叔父にあたる織田信康が、それまでの居城であった木ノ下城から移す形で築城。
その後は城主の交代が続きますが、1617年に成瀬氏が城主についてからはそのまま平成(!)の時代を迎えます。
その間、明治期に廃城となり、天守以外は破却されます。
天守も濃尾地震で大きな被害を受けますが、その修繕を条件に成瀬氏に所有権が移され、平成に至るまで個人所有の城の状態が続きました。
現在は財団法人犬山城白帝文庫が管理しています。
1930年に国宝保存法に基づく旧国宝に、1952年には文化財保護法に基づき、改めて国宝に指定されています。
訪問記
犬山城の駐車場は天守前の第1と東手の第2、市役所前の第3の3箇所。
順に天守からは離れていきますが、城下町の食べ歩きなんかも楽しそうで、城下町を挟んだ第3駐車場もありだと思います。
ということで犬山駅前、犬山市役所前の第3駐車場に車を停めて、散策スタートです。
天守までは城下町を眺めながら徒歩20分程度。
城下町を抜けると正面に2つの神社がみえてきます。
右手に針綱神社。
からくりを載せた勇壮な車山が曳き回される春の犬山祭は針綱神社の祭礼です。
左手は三光稲荷神社。
今はインスタ映えスポットになっているようで赤鳥居で写真を撮る人の列ができていました。
いずれも場所は変わりましたが往時からある由緒正しい神社です。
今となっては神社の境内で城跡とは思えませんが、この辺りがかつて松の丸と呼ばれた御殿の置かれた曲輪。その後神社が移転してきました。
残念ながら犬山城は天守以外の遺構は破却や移築でほとんど残っていません。
三光稲荷神社の左手に大手道の入り口
犬山城の看板は、道路の青看板も含めて「国宝」を付けて書かれていて、地元の誇りを感じます。
そういえば、犬山にいた小学生時代も国宝天守の4城(当時)をとてもしっかりと教え込まれた気がします。
おかげでお城=国宝と思い込んでいた時期もありました。そんなはずないのに笑
大手道を通って本丸へ。
中門があった所を過ぎたはずですが、場所はよく分かりませんでした。
今のところきれいに整備された歩道という感じ。
大手道は何回か屈曲して、枡形を作りながら天守へ続きます。
大手道途中の解説板に縄張り図が書かれていました。
犬山城の曲輪は数字ではない名前がついていて知識が必要なため、この縄張り図はとても助かりました。
大手道東側には本丸側から杉の丸、桐の丸、松の丸、西側には樅の丸の曲輪が置かれています。
城とまちミュージアムの巨大なジオラマを見ると一層分かりやすいので、訪問されることをおススメします。このブログでは、また後ほど。
大手道を進んで右に90度曲がると、右手には先ほど正面から見たかつての松の丸の裏側が見えてきます。
この辺りには松の丸と大手道をつなぐ松の丸門がありました。
反対側には立派な空堀。
天守以外ほとんど遺構が現地にない犬山城では貴重な遺構です。
左手が大手道、右手が樅の丸です。
門跡、空堀など解説を見ていくと小さい頃は興味のなかった大手道の構造が分かって興味深い。
黒門跡 礎石が残っています。
右手の石垣の上には針綱神社社務所。かつての道具櫓跡です。
左手の石垣の上は樅の丸という曲輪。大手道西側にある唯一の曲輪です。
これらの曲輪から見下ろされる枡形内部の私は、守備隊の格好の餌食ですね。
正面は桐の丸という曲輪。
今は針綱神社の本殿となっています。
大手道に戻って次の曲輪杉の丸の石垣を眺めます。
苔むした緑が良い雰囲気。この辺りの石垣は古い野面積がたくさんあります。
このあたりの石垣も面白いと思うんですが、皆さん天守に一目散です。自分の昔はそうだったかな。
この先で検温を済ませて入場券を入手。
有料区域の最初に鉄門
復元ではありますが、門も全くない犬山城ですので、あると雰囲気出ますよね。
小さい頃の記憶はここからスタートしています。
門をくぐってひるがえって鉄門。
右端に小さく写る鉄門2階につながる階段を上がると百名城スタンプがあります。
もちろん天守がモデルです。
改めて鉄門からの天守
いうまでもなくこれが犬山城見学のメインディッシュです。何回見ても美しい。
正面からもう一度。
大きすぎず小さすぎず。全体のバランスや付櫓、色など均整が取れている気がします。
いやー語彙力不足。
天守内へと行きたいところですが、ここから後半へ。