武田氏館跡に続いて、もう一つ山梨の史跡を巡ってきました。勝沼氏館跡。
こちらは武田氏の親族衆勝沼氏の居館跡です。
もちろん武田氏館跡ほどの広さはありませんが、きちんと整備された郭群が印象的な良い城館跡でした。
お城:勝沼氏館跡 山梨県甲州市
HP:勝沼氏館跡 - 山梨県甲州市観光協会 ぐるり甲州市
訪問日:2021年3月
概要
勝沼氏館跡は、武田信虎の弟信友に始まる武田親族衆、勝沼氏の拠点だったと考えられる、15~16世紀の居館跡です。
信友が1535年に北条氏綱との戦い(山中の戦い)で敗死したのち、子の信元が跡を継ぐも1560年に謀反の疑いにより滅ぼされたと考えられていました。
しかし近年、信友のあと信元ではなく、武田氏重臣の今井氏がこの地を治めたと考えられています。
昭和の調査で遺構が見つかり、1981年に国史跡として指定されました。
館は甲府盆地の東端、日川の河岸段丘上に建てられています。
南と西の崖に沿って内郭を設け、時代を追うごとに東に広がった様子が分かっています。
訪問記
武田氏館を見学後に訪問。
無料駐車場が完備されていますが、看板が少ないのが難点。
いや、普通はカーナビで十分かもしれませんが、私は一回通り過ぎてしまいました。。。
気を取り直して帰ってきました勝沼氏館跡
こちらが駐車場。
旧甲州街道沿いで甲府からだと通り過ぎたところに看板があります。見つけた頃にはもう遅いのでご注意。
駐車場脇にさっそく解説板。
黒い石に黒い字は読みにくいですね笑
先に同じことが書いてあるので頑張って読まなくて大丈夫。
駐車場から館跡が見えなくて焦りますが、駐車場から内郭は少し離れています。
一旦道路に出て左手へ。最初の交差点を左に折れて少しすると内郭に到着です。
内郭にあった地図で見ていただいた方が分かりやすいでしょうか。
内郭、東郭、館外家臣屋敷地が整備されている地域。順にみていきます。
駐車場で知りたかった情報ですが、看板どこかにあったのかな。
内郭
内郭入り口。陶器?の看板で統一されていました。
入口には看板だけでなく休憩所まで整備されています。至れり尽くせり。
この図の右下の橋、北門から入っていきます。
進むと早速の外堀。
内郭側の土塁の高さも含めて、立派ですこれ。警備が厳重です。
先へ進むともう一本内堀を越えて北門へ。
木橋も含めてこんな感じだったのかな。
こちらは浅めです。
2本も掘ってある時点で相当厳重ですが、相変わらず土塁も設けてあります。
内側(右手)の土塁が低めなのは削られていたからだそう。
北門脇には櫓台があったそうですが、右手の高まりかな。
柵が今にも壊れそうなのも再現でしょうか(違
内郭内部へ
郭内部にはとても立派な看板が立てられていました。
パンフレットももちろん完備。
この看板、大きい方は裏側にも解説がびっしりですので、お忘れなく。
こういう看板があるのとないのとで全然印象が変わりますよね。
郭内には15の建物が板塀に仕切られて建っていて、水路も見つかっているのだとか。
その15の建物が平面復元で展示されています。
木は柵の復元ですね。見通しの悪さは安全の証。
ちなみに、看板前には武者だまり
その近くに番屋(警備詰所)がありました。
やっぱり警備は厳重。
土塁沿いに東方向へ進むと台所
と隣の水溜
釜戸神
馴染みのない名前ですが宗教施設だそう
住居跡ですからもちろん雪隠も完備
水路が張り巡らされていて、当時の最先端住居だったんでしょうかね。
水屋
その名の通り水の保管などに使われていました。
今は内郭の発掘調査の解説に使われています。
水屋の隣にも水汲場
本当に水がたくさん。
まだまだあります平面復原。中央に向かっていくと、厩
さらにくつろぎ所
いわゆる茶室や泉殿だそう。
そして隣にある大きな建物が主屋でした。
裏には主人の日常生活の場、常の御座所も。
このあたり、建物にことごとく礎石が使われていて、位の違いが分かります。
主屋の近くの会所は来賓を迎える建物。広縁も備えていました。
もちろん隣には水溜
内郭の南西端には工房
鍛冶場だったと考えられています。
水溜は工房にも設置されていました。
まぁ水は必要ですもんね。
内郭下には日川が流れます。
高さからも安全な立地ということがよく分かります。
こちらの崖側には太鼓櫓も建っていたそう。
よくここから太鼓櫓の跡を見つけたものです。
最後に東門に向かいます。隅には蔵が複数置かれていました。
こちらは半地下
こちらはそのものずばりの蔵の跡。
東門脇にも櫓が建っていました。
そして東門
ただこちらは立ち入り禁止。
脇から覗くと土塁をまたぐ橋台がありますが、これはいつの時代のものかなぁ。
ここまでで内郭が終了。
たくさんの平面展示にお腹いっぱいですが、まだまだあります。
館外家臣屋敷跡
見学を終えたのは内郭ですので、まだ家臣団の住居跡が残っています。
少し離れていますが、土塁脇を進むと、
また整備された地区が見えてきました。
このあたりから東郭と家臣屋敷跡。まずは端の家臣屋敷跡へ。
この地区でも2軒の屋敷跡が確認されていて、うち1軒の立体復元があります。
本当に整備が丁寧。
内郭内と違って掘立小屋でしたが、規模から中級クラスの屋敷跡と考えられています。
復元された1軒は内郭への水路から水を取っており、内郭への水供給を管理していたと推測されています。
もう1軒は井戸から水を汲んでいましたが、その井戸まで復元されていました。
いやーすごい。でも看板にまだ整備を進めていく予定だとか。本当に感謝感謝です。
東郭
最後は東郭へ。こちらにはたくさんの堀がありました。
全部が堀だったわけではなく、内郭に水を送る水路もありました。
水路脇には排泥処理施設。こういう施設を見たのは初めてかもしれません。
東郭内部にも平面復原がたくさん。こちらは工房でした。
これでようやく勝沼氏館跡終了です。
おまけ
おちゃらか。
地元ではせっせっせーのよいよいよい、は、アルプス一万尺だった気がします。
お国柄が出ますね。
感想
満足度 4/5
事前調査不足で大きな期待をせずに行きましたが、復原展示と解説とで大満足でした。
珍しく訪問時にほかのお客さんがいましたが、これなら納得。
当時の生活の様子が想像できて楽しかったです。
まだ整備される意向がありそうな看板だったので、これからにも期待です。