武田氏館の訪問記も最終回。
神社から土の城跡と来ましたが、緑の曲輪と整備された綺麗な曲輪を回ります。
お屋形様の散歩道ももちろん気持ちよかったですが、大手周辺の整備された地区は見ていてとても楽しかった。
武田神社の訪問記はこちらから。
お城:武田氏館(24) 山梨県甲府市
HP:信玄公のまち 古府を歩く|躑躅ヶ崎の館
訪問日:2017年7月、2021年3月
訪問記
味噌曲輪・稲荷曲輪
もう一度全体図を確認。
今回は西曲輪から味噌曲輪へ出たところからスタート。時計回りに大手へと回ります。
正面はまさに発掘現場ですね。
ブルーシートに被われた馬出がひっそりとたたずんでいます。
向こうに緑の味噌曲輪が広がりますが、まずは右手に隣接する稲荷曲輪に向かいます。
発掘現場のロープにはちょっとした解説も置かれていました。
浸水の跡がみえますが、まぁ読めるので助かります。
西曲輪や主郭とを区切る空堀を眺めつつ進むと、
ちょっとした高まりになっている稲荷曲輪へ。
上がると狭めの曲輪。
ここには当時から館の鎮守が置かれていました。
もう一度味噌曲輪を眺めます。
古地図には蔵屋敷と記載されており、食料や物資の貯蔵施設があったとみられています。
今は野原ですね。
もう一度最初の馬出を通って、西側に隣接する道路へ向かいます。
この角度だと馬出の感じがよく分かるかな。
お屋形様の散歩道
西側の車道を進むと、お屋形様の散歩道に到着
本当に散歩していたとは思えませんが、でもお屋形様に親しみを持てるなら良いでしょう。
春先の散歩道は、お花畑になっていました。
お屋形様になった気分になりますね。ならない?
散歩道から味噌曲輪を眺めますが、印象はあんまり変わらないかな。
もっと東へ進んで無名曲輪や御隠居曲輪を眺めます。
無名曲輪は本当に名称などが伝わっていない曲輪。
御隠居曲輪は信虎夫人(大井の方)の隠居所と伝えられます。
このあたり半分以上農地の様相。曲輪の跡はよく分かりませんでした。
何となく区切りはあるような、ないような。
小さな石段はいつの時代のものでしょう。
大手
ぐるっと回って東側の大手門周辺にやってきました。
今は完全に裏門ですが、こちらがかつての大手門 正門でした。
向かいにはそれを物語る遺構が残ります。
大手石塁
階段もあることから、大手門を守るための櫓などの建物の基礎と考えられています。
こちらは発掘された遺構に加えて古地図も参考に復元されました。
上からもう一枚。
こう見ると大手門を守る位置関係、ここが城跡ということがよく分かります。
この石塁は武田氏の時代ではなく、その後の豊臣時代に作られたもの。
武田の時代の甲斐にはこのような石積みの技術は存在しませんでした。
そして、武田氏の時代には、この下に三日月堀が掘られていたことが分かっています。
石塁と被っているところこそ発掘できていませんが、武田氏滅亡後に人為的に埋め戻されたと考えられる跡も見つかっています。
大手門周辺は武田氏館跡の城跡ゾーンの中では一番整備が進んでいます。
詳しい解説板も置かれていて見ていて楽しい。
石塁以外にもいくつか復元整備されています。
今は明るい芝生広場ですね。
目を引く平面展示は厩跡
柱穴の特殊な配置から厩跡と、場所や時期から武田氏滅亡後の建物と推測されています。
顔を上げると、次に目を引くのは土塁
この曲輪を囲む土塁と堀は、惣堀・土塁と呼ばれています。
東側には虎口が2か所。そのうち北側の虎口を眺めます。
遠くて分かりにくいですが、虎口には石の階段が設けられています。
復元された土塁は上に上ることができるようにもなっていますね。
出ると土橋。
ちょっと小ぎれいすぎ?
惣堀には綺麗なソメイヨシノ。
ソメイヨシノが無くてもきれいに整備されていて良いですね。
南側にもう一本土橋。
この南側土橋を渡ったところにも虎口があり、こちらでは門の礎石も見つかっていて、当時の姿が想像しやすい。
と、大手門周辺ゾーンを一周したら、かつての大手門から武田神社に戻りましょう。
見逃していた部分の方が多いくらいでしたが(笑)、これでようやく一周です。
感想
満足度 3.5/5
百名城スタンプとぱっと見の見学だと武田神社の境内だけで終えてしまいそうですが、周りに良い遺構がたくさんありました。
西曲輪の虎口や大手周辺ゾーンの復元整備地区は見ていてとても楽しかった。
北側はまだまだ整備途中といった雰囲気でしたが、このあたりも整備されることがあれば一層楽しく見られそうです。
武田神社だけで終わったらもったいないですね。ホント。
アクセス
武田氏館
↓気が向いたら押してやってください