この趣味を始めて、指定史跡の区分を意識するようになりました。
指定されていないより市町村、都道府県、国指定史跡は見応えがあることが多いから。
今回訪れた深草館は県指定史跡
国とまでは行かなくても、県のお墨付きがあるのは違う、はずでした。
そもそもどうやって入るのコレ
お城:深草館 山梨県北杜市
HP:公式のものはありません
訪問日:2022年2月
概要
逸見清光築城とされる谷戸城の居館、または逸見清光の嫡男光長の居館ともされます。
その後、清光の家臣、堀内下総守の居館となり、主税助の頃に落城しました。
北、東、南に堀を持ち、西には川が流れる立地に、土塁に囲まれた郭が残ります。
訪問記
深草館
谷戸城から南へ車で5分ほど。
せっかく谷戸城に来たんだからと居館跡とも伝わる深草館へ。
下調べでも把握してはいましたが、入る難易度が高いことを現地で改めて認識
行けばどこかから入れるだろうと思っていましたが、ぐるっと回ってもまず田んぼの向こうに辿り着けない。田んぼの奧には堀まで見えています。
先人たちの苦労を無視してはいけませんね。。
ぐるっと回って南西に案内板はありましたが、やはり田んぼの向こう
あの木々のところに行きたい。。
ようやく道路を見つけて田んぼを越えても、まだ堀の向こう
堀として働くのは、西を流れる西衣川。結構深い
結局先人たちの報告通り北西の不安を掻き立てる橋しか見つけられませんでした。
木自体はたわみもせずしっかりしていて、怖いのは細さだけ。
ですが、落ちたらシャレにならない高さです。くれぐれもお気をつけて。
渡った先もなかなか急斜面ですが、階段が整備されていました。整備して下さっている方にご迷惑おかけしないように見学しないと。
あと渡った先には何かの動物の糞も落ちていました。深く考えない。深く考えない。
城内は土塁に囲まれた2つの郭からなります。こちらは北郭
遠くに見える土塁まで続く、結構な広さの郭です。
写真にうつる南郭とを区切る土塁の中央の虎口と、入ってきた北西に開いた外への虎口を持ちます。
こちらが北西の虎口をアップで撮ったもの。
土塁は今でもはっきりと分かる高さ。
ここは特に高い所ではあすが、全体に今もはっきりと分かる土塁に囲まれていて、その奥の堀を思うと、かなりの防御性を持った居館跡です。
土塁の外はこんな感じ。
比較的低かった北側の土塁上から。
北側だけは空堀ですが、それでも上り下りできる気がしません。
奧へ進みましょう。
中央部の虎口を越えて南郭へ
南郭から北郭側を振り返って1枚。
こちらは日当たりの影響か真冬でも緑が残ります。
緑で見通しが効きませんが、かつてはさらに2つの郭に分ける土塁もあったそう。
緑の奧がなんか高いような、気のせいのような。
見える範囲では北郭より土塁が低め。
元々そうだったなら北郭の方が重視されていたということかな。その割に外への虎口は北にありますが。
と、考えを巡らせたところで深草館の見学は完了。
城内はシンプルなものですが、土塁と堀で外界から隔絶された状態が今も残り少しだけ違った空気を感じる空間でした。
金生遺跡
深草館に向かう途中、近くの遺跡にも惹かれてきました。金生遺跡。
こちらは国指定史跡。国だけあってアクセスも容易です(違
金生遺跡は縄文時代のA区と戦国時代のB区からなります。
B区の方は近くの深草館跡の外郭部とみられていますが、整備されているのはA区の方。B区は田んぼになっています。
城好きとしてはB区も整備してほしいところですが、ひとまずA区を見学です。
内部は石列と復元整備された建物が並ぶ公園と言った様子
縄文時代の知識は皆無で現地では分かりませんでしたが、左の石が並ぶ部分が配石遺構を復元したもの。
変わった遺構は、祭祀に用いられたと考えられています。
他にも住居跡が平面、立体共に復元されています。
いわゆる縄文住居よりしっかりしている印象ですが、よくある縄文時代の住居の跡が見つからなかったから、だそう。
かなり暗くてちょっと怖かったですが、中も見られました。
中まできちっと復元されているとは。太っ腹です。
ただ、深草館だけでなくここも誰も居ませんでした。
狭いとはいえこれだけの復元遺構を無料で見られるのに、もったいない気もしました。
感想
満足度 2/5
遺構はよく残っていて堀や土塁から当時の様子が想像できる気がします。
谷戸城の外郭と違ってこちらはよく守られているような。
そういうところからも谷戸城の居館という気がしますが、その割にはちょっと距離がある気もして、住んでいた方はそこまで位高くなかったのかな。でもかなり防御性高いしな、と素人ながらいろんなことを考えてしまいました。
案内や石碑があったら、と思いますが、その前に入りやすくなったらいいな。
アクセス
深草館