長篠の戦いはさすがに知っていましたが、現地に行くとまた認識が変わりました。
資料館がとても良い勉強になりました。
訪問日 :2017年1月、2017年7月
お城:長篠城(46)
訪問記
長篠城はあの有名な長篠の戦いの発端になったお城ですね。
事前には名前ぐらいしか知りませんでした。相変わらずの不勉強で。。
この日は車での訪問でした。
新城ICを降りて国道257号を走っていると、磔になった人の看板があり、そこを曲がると長篠城です。
駐車場もすぐに見つかりました。
現地は一見校庭に見えてしまうくらいなにもありません。
北側に土塁があってその奥に堀があるのですが、土塁もよいアクセントになっていて、長篠城史跡保存館の少し古い見た目も相まって、より一層校庭感を醸し出します。失礼。
百名城巡りの序盤に訪れたこともあって土塁などへの興味が薄かったのも良くなかった。。
スタンプのモデルでしょうか。後ろに土塁が写っているのですが、この時はあまり興味がなく。。
校庭本丸跡を地図で見てもわかる通り、二本の川の合流地点にあります。
どちらも川岸は崖になっていて、天然の要塞になっていました。
ひと通り城跡見学を終えた後に保存館へ。
長篠の戦いや、その時のヒーロー鳥居強右衛門の逸話がわかりやすく展示されています。
まずは資料館入り口でスタンプをゲット。
あの石碑がモデルですね。
鳥居強右衛門の逸話は、色々なところできちんと書かれてますので、簡単に。
武田勝頼率いる15000の軍勢に包囲された長篠城では、奥平家が500の城兵で防御していました。
しかし、火矢で兵糧を失い窮地に追い込まれたため、最後の手段として岡崎城まで徳川軍の援軍を要請することにしました。
強右衛門は15000の軍勢の包囲網を抜け出す役目を志願したのです。
夜間に川に潜って城を抜け出し、翌日午後には約65km離れた岡崎城に到着、援軍要請を完了します。
援軍はその翌日に出発することになっていましたが、強右衛門は援軍を待たずに長篠城に引き返します。
狼煙をあげたあと、援軍を伝えるべく入城を試みますが、そこで武田軍に捕らえられてしまいます。
武田軍は援軍を知り、早期に戦を終結される必要に駆られました。
そこで、武田家の家臣として厚遇するので、城兵には援軍が来ないと伝えるように強右衛門に強要します。
強右衛門は表向きその命令に従ったように見せかけて、城に向かって援軍が来る旨を叫びました。
これにより強右衛門は処刑されますが、城兵は奮起し長篠城を守り抜くこととなりました。
道路にあった磔の看板は、この時の強右衛門の処刑の様子を表したものです。
また、鳥居強右衛門の名前は近くのJRの駅(鳥居駅)の名前にも残っていますね。
資料館は、外観は古めですが、丁寧な展示で理解が深まってとてもよいです。
小さめでサクッと見られますし、興味を惹かれなくても一度見てみることをオススメします。
感想・満足度
3/5
城跡は空堀くらいで、本丸跡は広場という感じですが、保存館が勉強になりました。
有名なわりに小さめですが、周りの整備具合や資料館の展示から地元の想いがよく伝わり、温かい気持ちになれる城跡でした。
基本情報
- スタンプ
長篠城史跡保存館入口に。
開館時間 9:00〜17:00 火曜休館(祝日の場合翌平日)
開館時間外は1階のトイレの前にあります。 - 料金
220円 - 所要時間
城跡だけなら30分 保存館も含めると1.5時間 周りを見るとそれ以上 - 付近のスポット
設楽原歴史資料館 古宮城、吉田城
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