にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

百名城 甲府城(25)1/2 -桜満開の数寄屋曲輪・鍛冶曲輪を回る

甲信の旅に続いて、別日に訪問した甲府城です。

山梨といえば武田家の本拠地ですが、ここはそのあとに作られた石垣のお城。
東日本最大級といわれる高石垣が目を引く立派な名城です。

たまたま桜満開のタイミングでの訪問となり、城跡より桜を見ていたかもしれません。

お城:甲府城(25) 山梨県甲府市
HP: 甲府市/甲府城
訪問日:2017年7月、2021年3月
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概要

甲府城は、武田氏滅亡後に豊臣秀吉の命を受けた、重臣浅野長政・幸長らによって徳川家康への備えとして築城されました。
関ケ原の戦い以降は徳川方の西側への備えとして、徳川一門によって支配されます。

1705年、徳川綱吉側用人柳沢吉保が城主となると、城の拡張、城下町の発展、整備が進められました。
吉保の子、吉里が転封された後は再び幕府直轄地となり、明治に至ります。

1873年に廃城となった後に主要な建物は取り壊され、公共施設や中央本線甲府駅が整備されるなど、城域は縮小しますが、残された城跡が舞鶴城公園として整備、開放されました。

近年、門や櫓の復元再整備が進められています。

訪問記

甲府城は市街地ど真ん中にある城跡なので、駐車場がありません。
コインパーキングはたくさんありますが、確認していかないと痛い目を見る立地です。

はい、1回目は痛い目を見ました。

甲府駅北側、山手御門付近にコインパーキングがたくさんあるので狙い目ですかね。
今回もそこから訪問。

甲府城は往時は広大な城域を誇りましたが、明治期に敷地に駅や県庁が立てられました。
県庁は駿府城訪問記)や福井城(訪問記)、駅もたくさん例があります。
とはいえ、広い状態を見てみたかった。

現在は線路南北に広がる舞鶴城公園歴史公園(山手御門・訪問記に別れています。

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この看板の赤いところが現存の敷地です。

稲荷曲輪・稲荷櫓・百名城スタンプ

今回も北から舞鶴城公園に向かうと、さっそく石垣。
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甲斐といえば武田流築城術の本拠地ですが、甲府城はもう少し新しいお城で、石垣のお城。
いわゆるお城感が出てきました。

北側は曲輪が切り取られていて、今の入り口はとても質素です。
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舞鶴城公園の名前から分かるように、甲府城の別名は舞鶴でした。

入ってすぐに立派な案内板。
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現地で地図を見ながら経路を考えられるのはありがたい。
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左回りに曲輪を南口まで回って、最後に二の丸から本丸に行こうかな。

という訳で最初は稲荷曲輪から。
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広い曲輪ですが、公園感がすごい。
甲府城は全体にこんな感じでとてもきれいです。ちょっと歴史を感じにくい。。

隅には井戸。
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説明が見つかりませんでした。想像にお任せするスタイル?

稲荷曲輪の隅には稲荷櫓
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明治初年まで残っていて、武具蔵として使用されていた建物です。
今のものは平成16年に再建されました。

中には100名城スタンプ。
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稲荷櫓っぽいですが、この角度では見逃した。。

そして、当時の縄張りの再現など定番ですが、ありがたい展示でした。

引き続き稲荷櫓の稲荷曲輪を散策します。

曲輪の天守台側には庄城稲荷跡
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この稲荷が曲輪の名前の由来でしょうね。

後ろに見える高石垣は天守台のもの。
ですが、もう少し稲荷曲輪外周の石垣を見学します。
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こちらには調査で現れた二重の石垣が展示されています。
石のサイズや積み方からすると時代に大差なさそうですが、積み直した理由は何でしょう。

稲荷曲輪の南側
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こちらも芝生広場。
歴史を感じるより、満開の桜に四阿でお花見したくなるスポットです。

稲荷曲輪北側、鍛冶曲輪との境には稲荷曲輪門
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こちらも明治の廃城時まで残っていました。
門自体は豪華絢爛とは思いませんが、周りの石の大きさといい、標準レベルが高いです。

数寄屋曲輪・鍛冶曲輪

このまま鍛冶曲輪に降りる前に一旦戻って東側の数寄屋曲輪へ。
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この曲輪東端には、かつては数寄屋櫓がありました。
今は素晴らしい桜広場になっています。やっぱり良いお花見スポットですね。コロナめ。。

桜を眺めつつ抜けると今度こそ鍛冶曲輪へ。
鍛冶曲輪から数寄屋曲輪の石垣を振り返ります。
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大きな石を使った立派な石垣です。高いですが、まだまだ高石垣はこれから。

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その前に桜と共にもう一枚

鍛冶曲輪の端には石切場がありました。
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こうやって石が取れるからここまで立派な石垣のお城にできたんでしょう。

鍛冶曲輪も今は芝生広場
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明治の廃城時には勧業試験場が立てられ、全国初のワインの量産がなされました。

鍛冶曲輪につながる今の南口からいったん外に出ます。遊亀橋
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今はこちらが正門扱いでしょうかね。
かつてこの場所に橋はなく、追手門が県庁と県民会館の間の道路のところにありました。

遊亀橋から見た堀
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水堀越しの土塀、石垣、桜と素晴らしい景色です。石垣の程よい荒さも良い。

もう一度中に入って鍛冶曲輪
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石垣、桜、石垣、桜とこれでもかと主張してきます。写真左手東側に進みます。

なお、この写真の撮影場所、遊亀橋左手の管理事務所でも100名城スタンプ押印可能です。

進む前に鍛冶曲輪にあった井戸あと。
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と、桜並木。
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春爛漫です。

そして、高石垣へ。
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ここから甲府城のハイライトに進みたいところですが、ここからはまた次へ。

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