和歌山城の訪問記も3回目。
今回は西の丸、二の丸の御殿跡を見て回ります。
御殿自体は残っていなくても西の丸庭園に御橋廊下に、たくさんの復元整備施設を見ていたら御殿の様子も少し見えるような。
お城:和歌山城(62)和歌山県和歌山市
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訪問日:2021年12月
訪問記
三度地図をもとに場所を確認です。
前回下りたのが、天守から下に伸びる新裏坂
今回は、左上の黄緑、西の丸庭園から黄緑ゾーンを右手に二の丸方面へ進みます。
西の丸〜二の丸
という訳で、現在地は西の丸庭園入り口
西の丸庭園は、徳川頼宣が西の丸御殿に築いた庭園です。
内堀の一部や自然地形、湧水も使いながら築かれた、江戸初期における日本屈指の名園とも称されます。
お庭を楽しむ造詣は全くありませんが、それでも何となく心動かされる風景です。
ちょっと長く見ていたくなるような。
こちらは水に浮かぶ鳶魚閣と御橋廊下
紅葉渓庭園と呼ばれるくらいの紅葉の名所なんだろうなぁと思える枯木模様。。。
真冬に来たことを少し後悔
ちなみに、鳶魚閣は当時はもう少し池の真ん中にあったようです。
というのも、この西の丸庭園は、明治維新以後は荒廃していたから。
ここまできれいに復元整備して下さって、無料公開して頂いて、感謝しかありません。
西の丸には、頼宣の隠居所としての御殿も建てられていました。
広間だけでなく能舞台や茶室もあったそうで、趣味をたしなむ場所でもあったのかな。
御殿は復元されていませんが、西の丸と二の丸をつなぐ御橋廊下が復元されました。
かつては藩主とおつきの人しか通れませんでしたが、今は誰でも通れるように。良い時代です。
屋根と壁に囲まれて、外から見えない廊下橋。渡る気分は藩主かな。
この写真が右上に斜めなのは私の腕の問題ですが、奥に上がるのはこの橋特有の傾斜。
やや高い二の丸に向けて斜めにかかった珍しい橋です。
西の丸側の足元を持ち上げて真っすぐかけるより斜めを選んだ理由は何でしょう。
廊下橋と言えば福井城でも復元されていました。
二の丸
渡り切ったら二の丸、ですが、御橋廊下の足元に少し遺構が。
何か大事なものを収納する施設だったと考えられています。
近くに大奥があり、江戸城では大奥近くに緊急時に調度品を納める施設がありました。
ということは、、、と思ってしまいますが、この施設は御橋廊下が架かっていた時期には使われていなかったらしく、いやはや難しい。
改めて二の丸へ
広い二の丸には和歌山城の主要施設が集まる御殿があり、西から東に、謁見や儀式、政庁として使われた表、藩主の居間や家老、側近が詰める場が置かれた中奥と大奥とに分かれていました。
もちろん周りは多門や櫓に囲まれ、内部にも庭などもありました。
上の写真のあたりは大奥があった場所。
このあたりが中奥で浅野期から御屋敷と呼ばれていました。
表との境は不明瞭な一方で大奥とは厳重に区画されていました。
このあたりが表。政庁があった場所
今の姿に違いはよく分かりませんが。。。
表の付近にあった建物は明治期に大阪城に移されたものの、戦後すぐに失火で焼失。
古写真ではたいそう立派な御殿だっただけにもったいない。。
裏坂・大手門
このまま大手門に向かう前に少しだけ寄り道。通っていないかった裏坂へ。
ここは昔からある通路で台所門跡があります。
苔むして雰囲気の良い野面を見ながらそこそこ登ると
銀明水に到着
城内に40ほどある井戸の一つですが、素人が簡単に見つけられるのは少ないような。
それなりに天守からも近く非常用水となっていました。ええ、もう一度登りました。
最後は大手門方面へ。
一中門を抜けていきます。
きれいな切込接。解説を見つけられませんでしたが、徳川期のものでしょうか。
これだけ綺麗で大きいと振り返って見たくもなります。
大手門と北内堀に架かる一の橋から城外へ。
浅野氏の頃に岡口門から変えてここに大手門が置かれました。
ただ、大手門、一の橋と呼ばれるようになったのは1769年からと比較的最近のこと。
岡口門と比べてちょっと質素に見えるのはその辺もあるのかな。
門自体は明治末期に倒壊しましたが、昭和の頃に再建されています。
当時は門の西側(写真右手)に月見櫓が設けられていました。
改めて北内堀
右手の内郭、二の丸と左手の外郭、三の丸を仕切っていました。
かつては、今の道路のセンターラインを越えたところまで続く41mの堀幅だったとか。
いやいや広すぎでしょうよ。
最後は天守ビュースポットからの一枚でお別れです。
御橋廊下越しの天守。
時間が無くてもたっぷり時間をかけて巡ってしまう、良いお城でした。
引き続き、関西の城めぐりを続けます。
感想
満足度 4.5/5
さすがは御三家の居城でした。
正直ここまでとは思っておらず、あまり時間を取っておらず、失礼しました。
足元の曲輪群、天守はもちろんですが、素人目にも分かる石垣の違いなど、いろいろ味わって回れるところも良いです。
珍しい連立式の天守もかつての姿に復元されていてとても良い雰囲気ですが、第2次大戦まで残っていたと聞くと当時の天守が惜しくなってしまいます。