にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

百名城 上田城 (27・長野県上田市) 1/2-徳川を二度破った真田氏の本拠地 尼ヶ淵を巡る 東信の城めぐり旅⑤

長野県は東信地方の城めぐりの旅、さらに千曲川を下って上田へやってきました。

もちろん目的地は上田城 
真田氏ゆかりの上田市の一大観光名所だけあって、さすがに人気ですね。

その1は上田城の二の丸、尼ヶ淵を回ります。
大手から東虎口櫓門へと入ってしまうことが多いですが、尼ヶ淵から見上げると、なぜここに城を築いたのかよく分かる気がしました。

お城:上田城(27)長野県上田市
HP:【上田城】真田氏・仙石氏・松平氏の居城 長野県上田市の観光スポット
訪問日:2016年8月、2022年5月

f:id:tmtmz:20220503235109j:image

概要

1583年、真田昌幸が築城を開始しました。
当時は千曲川の分流、尼ヶ淵に面した城でした。

1585年、徳川家康との間で第一次上田合戦が起こりますが、撃退します。
1600年、関ケ原の戦いで西軍についた昌幸は、上田城に籠城して関ケ原に向かう徳川秀忠軍を迎え撃ち、秀忠軍は関ケ原に遅参することとなりました。

関ケ原の戦い後、徳川軍により徹底的に破却されます。

1626年、新たに入った仙石忠政が、埋められた堀を戻す、櫓を建てるなど復興します。
しかし、1628年に忠政が亡くなると、未完のまま幕末を迎えました。

明治期には大半が払い下げられますが、少しして公園としての整備も始められます。
昭和、平成と少しずつ復元整備され今に至ります。

訪問記

東信地方の城めぐり、三城目は上田城
大河ドラマは昔日のものでも、とてもとても多い観光客。真田氏の人気を感じます。

人気が凄すぎて無料駐車場が満車で困ったりもしたのですが、GWなので仕方ない。
城北、二の丸跡にある観光駐車場からスタートです。

最初に絵図で全体像を確認。写真は尼ヶ淵の看板から借用しています。
f:id:tmtmz:20220503235502j:image
千曲川支流の尼ヶ淵に面して本丸堀を挟んで外周に二の丸、二の丸堀を配置。
西に小泉曲輪、東に屋敷地もありますが、これで全部と縄張りはシンプルなもの。

今は、二の丸堀の一部こそ残るものの、二の丸や北側の堀などは公園となり、本丸と周囲の堀のみが良く残る状況です。
現存の西櫓、移築復元された南北櫓や復元整備された櫓門などの建築とともに観光の目玉になっています。
f:id:tmtmz:20220503235315j:image
薄くなってますが、この絵の右上からスタート。
外周を時計回りに見たあと、西虎口から本丸へと散策します。

二の丸北虎口

駐車場から少し西へ。公園を抜けたところの二の丸北虎口から見ていきましょう。

こちらは二の丸に3箇所あった虎口の一つ。
f:id:tmtmz:20220503235448j:image
さすがは名城、立派な虎口です。

今の石垣は大部分復元ですが、一部には当時のものも含みます。
礎石も見つかり、櫓門を建てようとしたことが分かっていますが、実際には建てられることはありませんでした。

虎口を抜けると百間堀と呼ばれる広い堀でした。
埋められていますが、跡地が陸上競技場というところに広さが垣間見えるような。
f:id:tmtmz:20220503235134j:image
さすがに全部が全部堀跡ではないようですけどね。

この陸上競技場に続く道に、虎口から延びる土橋の石垣が残ります。
f:id:tmtmz:20220503235420j:image
一見公園の装飾にも見えてしまう何気ない遺構、良いですよね。

もう一つ、土橋を潜って百間堀の東西を繋ぐ石樋も残ります。
f:id:tmtmz:20220503235114j:image
こちらも当時のもの。あの時代も石同士を嚙合わせる細かな加工ができたんですね。

二の丸堀

北虎口を見たあとは、折り返して二の丸堀から南へ
北側の堀は埋め立てられていますが、東側は比較的良好に残ります。

堀底は緑あふれる遊歩道。
f:id:tmtmz:20220503235350j:image

傾斜が緩い気はしますが、堀の深さは感じつつ、緑を浴びて気持ちの良い散策です。
f:id:tmtmz:20220503235405j:image

こちら、遊歩道になる前は電車が通っていました。
当時の上田交通の公園前駅跡のプラットホームも残ります。
f:id:tmtmz:20220503235425j:image
新緑のプラットホーム。これも良い雰囲気ですが、電車が通っていたらさらによい。可愛らしさに結構人気も出そうな気がします。
上田駅から近すぎてペイしないかな

尼ヶ淵

二の丸の堀から上田城南面の尼ヶ淵へ出てきました。
前述の通り、上田城千曲川分流の尼ヶ淵沿いの河岸段丘上に築かれました。

千曲川は遠ざかりましたが、尼ヶ淵は今も約12mの高低差を誇る断崖絶壁。
近代的な大手近辺からは想像しづらい要害の景色が広がります。
f:id:tmtmz:20220503235109j:image

上からも一枚
f:id:tmtmz:20220503235112j:image
段丘上からは平城ですが、ここから見ると平山城のよう。到底登れない高低差です。

パッチワークのようなつぎはぎ石垣の上に、現存の櫓が二つ。上田城と言えば東虎口の櫓門が象徴的ですが、尼ヶ淵も負けず劣らず象徴的な景色だと思います。

つぎはぎ状に築かれた石垣のほとんどは、崩れやすい崖の保護が目的。
千曲川の増水の度に削られる断崖は悩みの種でもありました。
1732年の洪水を受けて石垣が築かれましたが、石材と石工が足らず石垣が低かったりしています。今も昔も現実的な悩みは尽きないものですね。。

上の写真の右手前に写る部分には排水溝もありました。
f:id:tmtmz:20220503235323j:image
本丸堀から続く場所で、早い時期から空堀だったと考えられている本丸堀に水をいれようとした痕跡があるのも面白い。

西櫓足元をアップでもう一枚
f:id:tmtmz:20220503235443j:image
崖むき出しのワイルドな様子。これから見にいく段丘上からは想像つかない景色です。

西櫓脇の階段から段丘上へ。
隣には本丸堀と本丸西虎口の土橋の石積みが見えています。
f:id:tmtmz:20220503235423j:image
さすがに大きな堀です。

上がって土橋の向こう側をもう一枚。
f:id:tmtmz:20220503235256j:image
こちらは大きな水堀。土橋前後で水を入れる前後を見たような。一粒で二度おいしい。

もちろんとなりは本丸ですが、先に二之丸の西虎口を見に行きましょう。
と言っても、当時の枡形は失われ、土橋も整備されきっていて、
f:id:tmtmz:20220503235144j:image

名残は土橋南側の二の丸堀と
f:id:tmtmz:20220503235510j:image
土橋北側、百間堀と呼ばれたところに作られた野球場、の客席の斜面くらい。f:id:tmtmz:20220503235228j:image
跡地の高低差から名残を感じるのも面白いですが、ちょっと公園感強めかな。

この先には小泉曲輪と呼ばれた曲輪がありました。
茶屋や馬場として使われていたようですが、完全に市街化しています。
看板によると10分ほどで尼ヶ淵同様の断崖が見られるそうですが、折り返して本丸へ。

とキリの良いところで、次回へ。現存櫓たちを見に行きますよ。

この旅は龍岡城からでした。

tmtmz.hatenablog.com

近くの百名城だと小諸城も。個人的お気に入りスポットです。

tmtmz.hatenablog.com

長野ではこんなところも回りました。
tmtmz.hatenablog.com

tmtmz.hatenablog.com

↓気が向いたら押してやってください

城 - ブログ村ハッシュタグ
#城