龍岡城からその足で向かったのは小諸城
小諸なる古城のほとりとも歌われた、立派な門や天守台石垣が印象的な百名城です。
と、行く前に書けてしまう3度目の訪問でしたが、それでもやっぱり良い城でした。
良いものは何回見ても良いものですね。
お城:小諸城(28)長野県小諸市
HP:小諸城址・懐古園 | 信州・小諸|詩情あふれる高原の城下町|こもろ観光局
訪問日:2016年8月、2017年7月、2022年5月
概要
小諸に城が築かれたのは、平安末期から鎌倉時代、小室光兼の館に遡るとされます。
その後、大井氏がこの地を支配。
1487年、大手門北側に鍋蓋城を、子孫が二の丸付近に乙女城を築いたとされます。
1554年、武田信玄が鍋蓋城、乙女城を攻略します。
信玄は、山本勘助、馬場信房に命じて両城を取り込むように拡張整備しました。
1591年には仙谷秀久が入城、天守や大手門などを築き、今の姿となりました。
この三重天守は、1626年、落雷により焼失しました。
1702年、牧野康重が城主となると、そのまま明治維新を迎え、廃城となりました。
城下町より低い場所に郭が立地し、穴城とも呼ばれます。
訪問記
大手門
龍岡城からお昼も食べつつ小諸城へ転戦。
「小諸なる古城のほとり」は親しみの無い世代ですが、雰囲気が好きで何度も訪ねてしまう小諸城。駅前なのもありがたいですし。
三度目の訪問は、あいにくの本降りの雨。でも、違った雰囲気を感じられるでしょう。
今回は車を大手門公園駐車場に停めてスタート。
いつもは着くなり三の門へ向かってしまうのですが、三度目なので冷静に大手門から。
大手門の看板でちゃんと全体像も確認しましょう。
千曲川に向けて、真っすぐ三ノ丸、二ノ丸、北の丸・南の丸、本丸が並び、周辺にも曲輪が置かれていました。
田切地形を利用して、周囲に深い堀を持ちます。
三ノ丸から徐々に下がるように築かれており、穴城とも呼ばれます。
改めて大手門
1612年、仙谷秀久の頃の建築が残ります
石垣と一体化していない、一階が城門で二階は居館形式など特徴があります。
この時は内部が資料館として公開されていました。
展示に加えて貴重な建築の内部も見ておきたいところ。無料でしたし。
内部の写真は遠慮しましたが、入口近くから至近距離で一枚。
二階だけ見ると本当にお屋敷のようです。
大手門をくぐるとそこは三ノ丸、、、ではなく大手門公園駐車場。
三ノ丸は大手門公園としてきれいに再開発されています。
停車場ガーデンというおしゃれ施設も。
オープンカフェもあるようです。
ほぼ駅の真横ですので、きっと普段は賑わっていることでしょう。
ここまで三ノ丸の雰囲気を感じづらい綺麗な公園ですが、隅に歴史ある建物が建っています。
小諸宿本陣主屋
江戸時代の建物で、移築されていたもの。
当時の場所とは異なりますが、近い場所に戻されて歴史資料館として使われています。
三の門
この先、二ノ丸、本丸方面へは線路をくぐって向かいます。
線路に隠れて近づくまで城跡の雰囲気を感じにくいのは、さすが穴城ですね笑
こんなに立派な三の門があるんですが。
こちらも仙谷秀久の頃に置かれた門。
水害で流出し、明和年間に再建されたものが残っています。
石垣も明らかに綺麗なので、もしかしたら一緒に流出したのでしょうかね。
工事していないバージョンはこちら。
重厚な構えに矢狭間、鉄砲狭間も雰囲気がとても良い。まさに小諸城のシンボルです。
門には今の公園の名前である懐古園の扁額が掲げられています。
当時とは違っていても、この額も雰囲気あって良いです。
この先、入城口近くの事務所で100名城スタンプを押すことができます。
モデルももちろん三の門。誰もが認めるシンボルですね。
二ノ丸、二の門
お金を払って先へ進みましょう。
二手に分かれる通路の左手は米蔵などがあった場所につながります。今は動物園。
こちらはわき道の先の谷。田切地形を感じる深い谷です。絶対登れない。
本丸へは右手の道を進むわけですが、またも高い石垣。
こちらは二ノ丸下の石垣
雰囲気良いこの通路、当時も石垣でしたが、今のものはなんと昭和後期の積み直し。
元の石垣は廃城後に道路整備に使われ、永らく石はありませんでした。
復元されたものの、使ったのは当時より大きな石。
立派すぎる、角が取れていないと言ったあたりに違和感は感じていましたが、なんでちょっとオリジナリティを出したのかな。
気を取り直して二の門をくぐります。
正面上が南の丸、右手上は二ノ丸で、つなぐ櫓門が建っていました。
大きな礎石が残されています。
抜けて振り返ると二ノ丸
二度の上田合戦で、徳川方の本陣が置かれました。
さほど広さは感じませんでしたが、三ノ丸を除くと北東端に位置するため、浅間山はじめ眺めの良さはさすがです。写真では見えませんが。
この先、南の丸と
北の丸の石垣に挟まれた通路には、中仕切門が置かれていました。
こちらも礎石が残ります。
右手は北の丸
いまは弓道場になっています。凛とした雰囲気が良いですね。
左手は南の丸
ここから、もともと米蔵だった動物園方面、木谷、南谷を眺めることができます。
深くて広くて急峻。到底登れるものではありません。
これが天然地形なんですから、城を築いてくださいと言わんばかりですね。
南の丸にはもう一つ見どころ。鴬石と呼ばれる石があります。
城主の通行や祝い事の度に鴬の鳴き声をたてた、という伝説が残ります。
堂々と掘られていますが、伝説と言っちゃっていいですよね笑
この先、本丸との間には黒門橋が架かります。
黒門橋は敵襲時にすぐしまえる可動橋でした。
この下は空堀。田切地形の小諸城には珍しく人工の空堀がありました。
いまは紅葉谷と呼ばれるくらい深い谷となっています。
この黒門橋を越えたところからいよいよ本丸付近。
たかい石垣もちらっと見えていますが、続きはまた次回。
この旅は龍岡城からでした。
長野ではこんなところも回りました。
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