にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

一乗谷朝倉氏遺跡(37)復元町並 -福井城巡り⑤

この旅3つ目のお城は一乗谷朝倉氏遺跡
大河でも注目されていてタイムリーな訪問になりました。

事前のブラタモリ予習のおかげで理解も深まり、2回目ですがいっそう楽しく見学できました。
というか、1回目は雪で平面復元がほとんど何も見えなかったんですよね。

お城:一乗谷朝倉氏遺跡(37)
HP: 一乗谷朝倉氏遺跡 | 観光スポット | 福井県観光情報ホームページ ふくいドットコム
訪問日:2018年2月、2020年7月

f:id:tmtmz:20200730091808j:image

概要

一乗谷朝倉氏遺跡は、一乗谷に築かれた朝倉氏5代103年の本拠地の跡です。
朝倉氏の館、その城下町や4つの山城を含みます。

その始まりは1471年に朝倉孝景が拠点を移したことから始まります。
その後、応仁の乱から逃れてきた京の公家や文人などにより発展、最盛期には人口1万人を超えた越前の中心地となりました。
しかしながら1573年、刀禰坂の戦いに敗れた朝倉義景一乗谷を放棄、翌日、織田信長の軍勢によって火に包まれました
その後、越前の中心は北ノ庄城に移り、跡地は田畑に埋もれたことで、跡地は状態良く現代まで残ることになります。
1967年に発掘が始まり、現在では武家屋敷や街並みが復元されています。

訪問記

2回目の訪問ですが、前回は雪の中の訪問で何も見えなかったので、実質初訪問。
福井駅から車で移動します。
駅からもほどほどの距離なので本当は列車で行ってみたいところでしたが、コロナもあるので仕方ない。そもそも列車の本数が問題ですが。

足羽川から一乗谷川沿いの道に曲がると道沿いにも平面復原地区が見えてきてテンション上がります。
f:id:tmtmz:20200730092102j:image
復元町並を通り過ぎて南の入り口前の駐車場に車を停めて出発。
f:id:tmtmz:20200730091805j:image
道の向こうにも見える平場も気になって、どうしても見てしまいますが、まずは目の前の復元町並から。

復原町並

復原町並は朝倉氏の時代の発掘結果や資料に基づいて、当時の街並みを200mにわたって立体復元した日本初の施設です。
ブラタモリ予習で見どころを頭に入れたつもりですが、ちゃんと入り口でタブレットも借りて万全の体制で訪問スタート。

と、その前にゲートでスタンプもゲット(もらったのは1回目の訪問時なので日付はその時のものです)。

f:id:tmtmz:20201024222440j:image
モデルは唐門ですね。もちろん後で回りますよ。次の回になるかも。
無印百名城のスタンプは滲みがちなものも多いですね。

ゲートをくぐるといきなり武家屋敷跡の平面復元が広がります。
f:id:tmtmz:20200730091940j:image
広いです。その後の復原町並の家と比べてもとても広い。
位の高い家臣のお屋敷だったんでしょうね。
f:id:tmtmz:20201027231645j:image
ちなみに1回目の訪問はこんな感じ。すごい雪でした。
雪原で本当にここが同じ場所かの自信もありませんが、遠くに復原町並が見えるのできっと同じ場所のはず。

先に進むと復原町並が始まります。
この写真で向かって右側に町屋や小さめの武家屋敷たちが、左側に大きな武家屋敷があります。
f:id:tmtmz:20200730091808j:image
とても雰囲気があって良いです。
石垣や礎石は発掘されたもの。
区画なども当時のものですし、柱や壁なども発掘調査結果に基づいて復元されています。
当時の景色もこうだったんだろうと思うと想像が膨らみます。

東側の町屋や武家屋敷は建物まで復元されていて中に入ることができます。
f:id:tmtmz:20200730091831j:image
町屋は当時の染物屋など中まで再現されていました。
もちろんそれも当時のものを忠実に再現されているのでしょう。
コスプレ趣味はありませんが、当時の格好で行き来しても違和感なさそうな雰囲気です。

ほかにも町屋がたくさん復元されています。
f:id:tmtmz:20200730091843j:image
今のところ町屋しか見ていませんが、道を挟んだ向かいは間口の大きな武家屋敷の土塀が続いています。
町屋が武家屋敷と近接して建てられていること自体が異例ですが、これは当時商業が発展して、商人が重視されたからだそう。

はい ブラタモリ的知識です。この町屋もブラタモリに登場したものですね。
さすがにあの時の演者さんはいませんでしたが、あの時と同様にお皿を売っていました。

西側では非常に大きな屋敷跡の門が見えてきました。
f:id:tmtmz:20200730091840j:image
こちらの門は4本柱プラス礎石からなる立派なもの。
後程出てくる小さな武家屋敷の門と比べると大違いです。

門をくぐったお屋敷の中。
f:id:tmtmz:20200730091837j:image
こちらは立体復元まではされていませんが、石で区切られた区画の広さと平面復元から雰囲気は良く伝わってきます。
立派な武士の家だったんでしょう。

この門あたりで東側も町屋街が終わり、土塀に囲まれた武家屋敷街になります。
f:id:tmtmz:20200730092117j:plain
町屋街と違って閉鎖的な作りです。

東側の小さな武家屋敷では門も簡素な作り。
f:id:tmtmz:20200730091930j:image
2本の掘っ立て柱からできているあたり、簡素です。と、書いてありました。

こちらの門の中は区画も先ほどより小さめで、どちらかというと庶民派な作り。
とはいえ、もちろん離れや蔵、井戸など建物はたくさんあって、当時の町屋とは全然違います。もちろん今の庶民の家とも全然違います。

と、こんなところで復原町並は見学終了。
このあと本当は川の向こうの朝倉館跡に向かいましたが、そちらに行くとだいぶ長くなるので、ブログでは復原町並の北の平面復原地区へ。

平面復原地区

復原町並からは1ブロックぐらい離れていますが、平面復原地区にも駐車場もたくさんあるので車を使っても、そのまま散策してもどちらでもすぐに行ける距離です。

この地区は、南北の太い道路の周りにたくさんの屋敷、町屋の区画が見つかっていて、山際には寺院跡や医師の家もありました。
今は道路や区画が平面復元されています。
f:id:tmtmz:20200730092023j:image
井戸の跡がとてもたくさん。そんなに広い間取りでないので町屋の区域だと思うのですが、それでもこれだけの井戸があるのが特徴的です。

f:id:tmtmz:20200730091943j:image
井戸とともにたくさんあったのが便所の跡
ブラタモリでキ〇カクシで喜んでいたところですね笑
f:id:tmtmz:20200730091934j:image
甕が埋まっているので紺屋さんの跡だったんでしょう。
復原町並でもそうですが、町屋地区まできちんと排水溝を整備しているところも仕事が丁寧な気がします。
f:id:tmtmz:20200730091949j:image
屋敷跡に立派な木が生えていて、本当はずっと長く時間が経っているはずなのになぜか月日の流れを感じてしまいました。
復原町並とはまた違ったセンチメンタルな気分になって、平面復原を後に、朝倉館跡へ向かいます。

tmtmz.hatenablog.com

この旅は越前大野城からでした。

tmtmz.hatenablog.com
↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ

ソースカツ丼と福井駅前散策 -福井城巡り⑤

福井城の後はお昼ご飯に福井名物B級グルメソースカツ丼
私の中では福井めしといえば、カニより蕎麦よりソースカツ丼のイメージが強いです。
ただのB級グルメ好きかもしれませんが。

ご飯の後はお土産を買いに福井駅前へ。
福井駅前の恐竜は地元の方からすれば日常だとは思いますが、何回福井に行ってもつい見に行ってしまいます。
恐竜モチーフの駅というのは一つの名物ですよね。

f:id:tmtmz:20201016220346j:image

ソースカツ丼

ソースカツ丼発祥の店、ヨーロッパ軒さんでお昼ご飯です。

よそ者なのでソースカツ丼と呼んでしまいますが、福井でカツ丼といえば卵とじではなくこちらのソースカツ丼を想像されるとか。(本当かな。)

以前、敦賀にある敦賀ヨーロッパ軒ソースカツ丼を食べて以来のファンです。
敦賀ヨーロッパ軒はのれん分けしたお店らしいので、本家の味を楽しみに訪問しました。
まぁ都合で総本店には行けなかったのですが苦笑

f:id:tmtmz:20201021205711j:image
何年か前に食べた敦賀ヨーロッパ軒でのソースカツ丼はこんな感じ。

本当は店内で食べたいところですが、よそ者が店内でしゃべりながらご飯を食べるのもアレなのでテイクアウトでお昼ご飯。
このご時世テイクアウトできるのはむしろありがたいことです。
ちなみに、店内はお昼休みの地元のお客さんで大賑わいでした。

注文したのはもちろんソースカツ丼
f:id:tmtmz:20201016220346j:image
薄いモモ肉のカツがサクサクしていて、でもジューシーで美味しい。
ウスターソースベースの秘伝のたれがとてもいい味を出しています。
濃い目の味付けですが、肉が薄いのとタレがご飯とよく合うのでペロッと食べられました。
近くにあったら通いたくなるだろうなぁ。

r.gnavi.co.jp

恐竜の駅 福井駅

お腹が満たされたところでお土産と恐竜を見に福井駅へ。
昼前に行った福井城が福井駅からすぐなので変なルートではありますが、お腹が空いたので仕方ない。
翌日には恐竜博物館にも向かう予定でしたが、その前にフライングで恐竜を楽しみます。

f:id:tmtmz:20201016220334j:image
奧に見えるのは福井駅
近代的な駅舎ですが、壁の恐竜の絵や広場にいる恐竜が違和感満載です。
そもそもDINOSAUR KINGDOM FUKUIのキャッチコピーからみなぎる自信がすごい。
たしかに恐竜といえば福井というイメージはありますね。

近くから見ると、もう恐竜博物館に来てしまったかのような雰囲気。
f:id:tmtmz:20201016220355j:image
駅前にこんな本格的な恐竜とは。
動いていますし、うなっていますし。存在感抜群です。
旅行者にとって、駅を出た瞬間に非日常が広がってワクワクする仕掛けになっています。
普段使いしていたら、、、もう慣れてしまって目に入らないかもしれませんね。

駅の中にもこんな恐竜博士?がいました。
f:id:tmtmz:20201016220524j:image
あんまり隣には座りたくない笑 
コロナの前の写真なので今はマスクしているかもしれません。

むかし冬に訪問した時はこんな感じでした。
f:id:tmtmz:20201016220526j:image
地面が見えなくなって、一層かつての世界に近づいた気がします。
それか未来のジュラシックワールドの世界?
何百年かしたらこんな感じの世界が広がっているかも。

恐竜の前にはゆるキャラがいました。

f:id:tmtmz:20201016220336j:image
Juraticというグループ?らしいですね。
ちゃんとマスクにソーシャルディスタンスで偉いです。

真ん中のラプトはフクイラプトル由来の名前だと思いましたが、他の2体も福井で発掘された恐竜がモチーフだとは思いませんでした。
みんな福井の名前が入ってますし、すごい。

近くには足跡化石の複製もありました。
f:id:tmtmz:20201016220350j:image
もはや恐竜博物館行かなくていいかも笑
まぁ行った結果さらに楽しかったんですけどね。

ということで腹ごなしも済んだところでお土産の羽二重餅を買って次のお城に向かいます。

tmtmz.hatenablog.com

この旅は越前大野城からでした。

tmtmz.hatenablog.com

↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ

福井城(137)-福井城巡り④

福井城巡りは2日目。この日はお城ばかりを巡っていきます。

まずは福井駅前の福井城。
今は県庁になっているところも立派な堀と石垣があるところも、徳川家ゆかりのお城のところも、勝手に地元の駿府城に似たものを感じました。
本丸にドーンと県庁なのはさすがに違いますが。

お城:福井城(137) 福井県福井市
HP: 福井城址 | 観光スポット | 福井県観光情報ホームページ ふくいドットコム
 訪問日:2020年7月

概要

福井城の前身は、1575年に柴田勝家が築いた北ノ庄城です。
北ノ庄城は巨大な天守を持つ城であったと伝えられますが、1583年の賤ケ岳の戦いで柴田勝家が敗死し、北ノ庄城も焼失しました。
1600年に結城秀康が入り、天下普請により北ノ庄城の跡地に新たな城を築城。3代松平忠昌の時に福居城に改名。その後、福井城に改名されました。
天下普請に際して4重の天守も建てられましたが、1669年に焼失。その後は再建されませんでした。

訪問記

朝一番に山代温泉の宿を出て、福井駅前に向かいます。
県の中心駅から歩いて10分の抜群のアクセスです。
ちなみに、県庁地下駐車場をお借りしても、ちゃんと訪問先に城跡を記入したら受け付けてもらえたので、きっと大丈夫。

県庁1階受付でスタンプをゲット。

f:id:tmtmz:20201016224834j:image
スタンプのモデルは御廊下橋ですね。確かに一番絵になるか。

県庁を出て遺構を探しに行きます。手続きに来たみたいで、なかなか城跡探索モードになってきません笑
県庁出て正面にいたのは結城秀康

f:id:tmtmz:20200730075344j:image
のっぺりしていて中国の石碑みたいです。

県庁正面、御本城橋側には石垣が残ります。
正直こちらに遺構は少ないですが、散策路が示されていて、スムーズに回ることができました。丁寧な仕事はありがたいですね。
f:id:tmtmz:20200730075356j:image
江戸時代に入ってからの石垣なので、きれいに加工されて積まれています。

f:id:tmtmz:20201018150334j:image

雁木 登ってみたくなる気持ちは分かります。

f:id:tmtmz:20200730075331j:image
右隅の石の穴は矢穴?でしょうか?

この石垣を登る散策路もありました。
f:id:tmtmz:20200730075352j:image
立派なお堀です。
大きなお堀とビル街というのも駿府城を思い起こさせます。福井の方からすれば逆の感想でしょうが。

県庁正面の遺構はこれくらいなので、天守へ。
本丸は御殿跡を中心に県庁、県警本部、県会議事堂がぎっちりと建っていて、天守台もなかなか隅に追いやられている感が強いです。
f:id:tmtmz:20200730075359j:image
右は天守台、左は県警本部のキチキチ感です。
正面の山里口御門はまさかの工事中。。。
f:id:tmtmz:20200730075418j:image
天守台の一段目の石垣は先ほどよりもう少し荒いですね。

山里口御門は後に置いておいて、まずは天守台上へ。
f:id:tmtmz:20200730075250j:image
突然きれいに整備された公園が広がります。
左手奥の石垣に天守がありました。
f:id:tmtmz:20201017164853p:image
こちらは綺麗に整えられた石垣です。さすがに天守の足元の石垣には綺麗なものを使ったのでしょうか

向かい側には天守の石垣。
f:id:tmtmz:20200730075429j:image
傾いてしまっているのは福井地震(1948年)の影響です。
こちらも切込接?の石垣でしょうか。
f:id:tmtmz:20200730075341j:image
天守台の中に入っていきます。

天守台には礎石らしき石が残されています。
f:id:tmtmz:20200730075300j:image
かなり広いですね。向こうの礎石があった場所に天守が建っていたのだろうと思うと、イメージが湧いて良いです。

天守台にはもう一つの目玉。福井の由来になったとされる「福の井」の井戸
f:id:tmtmz:20200730075334j:image
1601年の築城当時からあったと考えられていて、水の量が変わらなかったことから「福の井」と呼ばれたとか。
そしてその福の井が福井の由来になったという説もあります。
実際には北ノ庄の字が敗北につながるとして福居に改名して、その後福井となったと考えられているとのこと。
f:id:tmtmz:20200730075304j:image
2017年に再整備されていて、今はピカピカですね。
笏谷石でできていることがよく分かる色です。

中を覗き込むと古い井戸枠が残っていました。
さすがにそこまでは見えませんでしたが、説明板に水深が書いてあったので、きっと今でも水を湛えているのでしょう。

天守台から山里口御門へ向かいます。
まずは天守台上から屋根を見学。
f:id:tmtmz:20200730075422j:image
工事中でしたが、一番見たかった、ブラタモリで紹介されていた笏谷石の屋根瓦は間近に見られてよかった。

工事現場を越えた堀側から山里口御門の枡形虎口。
この角度ではわかりにくいですが、今いるところと見えている門の向こうの二重の枡形になっています。
f:id:tmtmz:20200730075253j:image
こちらもピカピカの笏谷石の石垣が見えますね。
狭いながらも着実に整備されていてうれしい。

山里口御門からつづく御廊下橋は屋根付きの珍しい形。
ネットに転がっている写真よりは汚れが出てきて馴染んできた気がします。
f:id:tmtmz:20200730075321j:image
戦国の世だと屋根を掛ける余裕もない気がしますが、泰平の世になったので屋根をかけられたのでしょうか?

御廊下橋を渡って立派な内堀を外から眺めます。
f:id:tmtmz:20200730075257j:image
今は市街地になっている部分も地図で見ると相当な広さでしたし、見てみたかったものです。

最後はぐるっと回って元の御本城橋へ。
f:id:tmtmz:20200730075405j:image
周りの車と比べた時の石垣の高さ、立派さを改めて感じて、福井城終了です。

お昼ご飯はソースカツ丼にしました。

tmtmz.hatenablog.com

感想

満足度 2.5/5

7-8割方を県庁や県警本部に占められていて、城跡に行くというより県庁に行くという印象が強いですね。
ただ、その中でも内堀の石垣や天守台付近は立派です。
コツコツと復元整備もされていますし、何より笏谷石の地域性が良いですね。
ブラタモリ見てから行って良かった。

本丸しか残っていなくてこれだけのサイズという壮大な城跡ですが、ちょっと想像しづらかったのと、どうしても県庁の建物が見えてしまって気持ちが盛り上がりにくかったのが惜しいところです。

基本情報

福井城
福井県福井市大手

tmtmz.hatenablog.com

↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ

白山平泉寺 -福井城巡り③

初日最後は白山平泉寺を訪問。
夕立にあって途中で退散してしまいましたが、コケに包まれた境内は人も少なくとても静かで心洗われる場所でした。
雨さえ降っていなければ中世の石畳道まで行ったのになぁ。

白山平泉寺
HP: 開山1300年 福井県勝山市国史跡 白山平泉寺
訪問日:2020年7月

f:id:tmtmz:20200731100745j:image

概要

神社の概要を書くのも恐れ多くて変な感じですが、ここはただの神社ではないので簡単に。

平泉寺は泰澄大師が717年に開かれました。
平安時代以降、比叡山延暦寺の勢力下にはいり、白山信仰の中心として栄えました。
その後も越前守護の保護を受けつつ、境内を中心に48社、36堂、6000坊の院坊が立ち並び、僧兵8000人を抱える強大な勢力になりました。
朝倉氏に比肩する勢力となりつつも、朝倉氏と近しい関係をつづけましたが、朝倉義景が滅ぶと混乱に陥ります。

紆余曲折あって越前一向一揆に襲われた朝倉景鏡をかくまうと、一向一揆の標的となり、一山丸ごと焼失、滅亡してしまいました。
9年後に顕海僧正が再興されましたが、往時の規模に戻ることなく現代に至ります。
明治時代の神仏分離令によって、寺号をすてて白山神社となりました。

訪問記

歴史も現在の姿もどちらもとても興味があり、この旅のメインスポットの一つでした。
ただ、境内と発掘現場がここまで広いとは知らず、そもそも予定していた時間が足りない上に、雨雲レーダーでは夕立がすぐそこに。
残り時間でどこまで回れるか考えつつ急ぎます。

車はとりあえず見つけた第2駐車場に駐車。
平日の夕方だったからかほかに車も人も係員さんも居ませんでした。(もちろんお金は料金箱に入れましたよ笑)
もう少し進んだところにも駐車場はありますが、歩いて数分の差なのでどちらに停めても大差ないでしょう。
f:id:tmtmz:20200731100807j:image
駐車場にあった案内板。
最長の80分コースでも南谷遺跡発掘地が含まれていないことを見て、発掘地には行けないことを悟りました笑

駐車場から境内の入り口までは歩いて5分程度。
こちらは途中にあった東尋坊の屋敷跡
f:id:tmtmz:20200731100714j:image
あの有名な断崖絶壁 東尋坊の由来となった僧です。
力が強く乱暴な僧であった東尋坊が、一山門徒の反感を買ったため突き落とされた崖が東尋坊だそうです。
もともとそんな怖い由来があったなんて。

苔が見えてきて、白山神社の石碑。さながら入り口という感じです。
f:id:tmtmz:20200731100757j:image
ここからの坂が精進坂。遠くに一の鳥居が見えます。

精進坂左手には顕海寺さん。
f:id:tmtmz:20200731100734j:image
再興された顕海僧正の名前を持つこちら、あとから調べると1583年の平泉寺再興の際に建てられたのが始まりの由緒正しき堂塔でした。
中も見ておけばよかったな。

精進坂を進みます。
一の鳥居前の苔をアップで。
f:id:tmtmz:20200731100813j:image
梅雨時で雨が多かったからか本当に緑が綺麗です。

f:id:tmtmz:20200731100803j:image
先へ進んでも緑の参道。

f:id:tmtmz:20200731100745j:image
人も少なく静寂の空間が広がります。

途中にあった八幡神社
f:id:tmtmz:20200731100819j:image
緑に覆われていますが、どうやってお参りに行くのでしょうか。

参道の一角だけ草がこんもり。
f:id:tmtmz:20200731100751j:image
桃山時代の伝説を今も受け継いで草を残している飼葉料という場所だそう。
今も駿馬が食べに来ていたりして。

奥は御手洗池
f:id:tmtmz:20200731100722j:image
平泉寺の名前の由来になった池です。

二の鳥居を過ぎるとさらに苔がすごくなります。
f:id:tmtmz:20200731100725j:image
左右ともに一面苔の景色が広がります。

f:id:tmtmz:20200731100830j:image
何年かかったらここまでになるのでしょう。本当にきれいです。
f:id:tmtmz:20200731100810j:image
写真で見るより実物の緑はもっとはっきりしていた気がします。ぜひ現地で。

そして正面には拝殿
f:id:tmtmz:20201011142742p:image
拝殿は1859年の造営。寄棟檜皮葺と呼ばれる構造です。
この拝殿の左右には平場が広がっていて、ところどころに礎石が残っています。
この礎石は一向一揆で全焼する前の拝殿のもの。
およそ83メートルあり、三十三間堂より大きな建物だったと言われます。
実際に今の拝殿から離れた場所にまで礎石が残っていて、サイズ感に驚きます。

拝殿の奧にある本社へ。
f:id:tmtmz:20201011142543j:image
こちらは1795年に再建されたもの。
色は質素ですが、彫刻はとても繊細で手が込んでいることがわかります。
扉は33年に1度だけ開けられるのだとか。次は2025年だそうです。覚えてられるかな。

本社の左右には別社が2つ。
白山山頂の三山を祀っているために計3つの社が並ぶ形となっています。

f:id:tmtmz:20200731100737j:image
こちらは大汝社
石垣の下から見てみたいところですが、苔を越えてまで入る勇気はありません。

この先にもたくさん見どころはあるのですが、残念ながら夕立が降ってきてしまったのでここで終了。
次は発掘現場も回れるようにきちんと時間配分してこないと。

つぎは翌日の福井城です。

tmtmz.hatenablog.com

基本情報

白山平泉寺
福井県勝山市平泉寺町平泉寺

  • アクセス
    電車: えちぜん鉄道勝山駅から市内観光バス「ダイナゴン」または大福交通バス 平泉寺神社前バス停下車
        ※ダイナゴンは土休日のみ運行(冬季:12月~3月第4金曜日まで運休)、大福交通バスは便数僅少かつ昼以降は予約便です。
    車:  中部縦貫道 勝山ICから車で15分
        有料駐車場が4か所(第1~第4まで)あります。どこでもそんなに距離に違いはありませんので、空いているところに停めるので良いと思います。
  • 利用時間
    見学自由
    無休
  • 所要時間
    境内のみで約1時間
    発掘現場見学にはさらに1時間
  • 付近のスポット
    勝山市で有名なのは恐竜博物館ですね。
    あと、勝山城がすぐ近くです。

この旅は越前大野城からでした。

tmtmz.hatenablog.com

↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ

越前大野街歩きー福井城巡り②

福井城巡りの旅はいったん城から離れて街歩き。
越前大野の城下町散策です。

コンパクトな碁盤の目の街並みとお寺が立ち並ぶ寺町通の雰囲気に、学生時代に住んでいた京都を思い出して懐かしい気持ちになりました。
さすがは越前の小京都です。

城下町散策

お清水

改めて出発地の結ステーション駐車場を眺めます。
越前大野城の麓かつ城下町の西端に位置するので、どちらに向かうにしても拠点になる場所です。

f:id:tmtmz:20200731100405j:image
シンボルのからくり時計が目を引きます。

街歩きの最初はお清水から。
f:id:tmtmz:20200731100448j:image
大野市では湧き水が豊富で、清水(しょうず)と呼ばれる湧水池がたくさん。
こちらはお殿様の用水としても使われていたそう。
上流から、飲料水、ものを冷やすための水、野菜の洗い場として使うというルールは今も受け継がれているのだとか。
奧に行ったらその様子も見えたのでしょうが、お腹空いていたのでこれくらいで。

お清水の近くの名水手打ちそばお清水さんで、名物越前おろしそばをいただきます。
f:id:tmtmz:20200731100452j:image
地元ブランドっぽかった九頭竜まいたけの乗った、舞茸の天ぷらおろしそばをいただきました。
大根おろしとお出汁とお蕎麦の相性が抜群です。
夏場でしたが暑くてもさっぱり食べられるお味でした。
舞茸も立派な見た目に違わずしっかりと食べ応えがありつつお味も良く、大満足でした。

r.gnavi.co.jp

お腹も満たされたところで街歩きに戻ります。

f:id:tmtmz:20200731100409j:image
何でもない街並みですが、古い建物が残っていて、なんか雰囲気が好きだったので。

見上げるとお城。まさに城下町の雰囲気ですね。
f:id:tmtmz:20200731100352j:image

ここで城北側へ少しワープ。間で越前大野城を訪問してきました。

tmtmz.hatenablog.com

武家屋敷

城下町だけあって、大野の街中には武家屋敷もいくつか残っています。
訪問したのは旧田村家大野藩の家老、田村又左衛門家の主屋を復元したものです。
f:id:tmtmz:20200731100426j:image
残っている家は、1827年の大火で類焼したあと、近くの村の農家を移築して武家屋敷に改築したもの。
屋敷内部や庭園を見学することができます。

品物の展示や説明は控えめで、昔の良い家にお邪魔しているような感覚でした。
お庭には越前大野城の土居(土塁)が残っているそうですが、現地では気づきませんでした。。。残念。

現在の旧田村家といえばこれです。
f:id:tmtmz:20200731100355j:image
カラフルな風車壁。映えスポットで、当日もこれをバックにした写真を撮りに来ている方がたくさん。
注目してもらえることは良いことですね。

www.ono-kankou.jp

もう一つの武家屋敷は旧内山家
藩店大野屋、藩船大野丸で幕末期の大野藩財政再建に大きな功績を残した家老、内山良休・隆佐兄弟の屋敷です。
f:id:tmtmz:20200731100415j:image
こちらは歩き疲れつつあったので見学はせず。
ただ、庭園を眺めつつお茶が頂けたそうなので、休憩がてら訪問すればよかったかな。

www.ono-kankou.jp

七間通り・寺町通

七間通り方面へ向かいます。
途中にはまた清水。芹川清水です。
f:id:tmtmz:20200731100348j:image
この湧き水が芹川という川を作っていて、芹川は武家屋敷と町人街を区切る境となっていました。
ここから町人街方面へ向かいます。

近くにあったポップな建物。明治村を思い出したのは私だけではないはず。
f:id:tmtmz:20200731100435j:image
平成大野屋さんのはいから茶屋さんでした。

もう少し進んで七間通り春分の日から大晦日まで毎日朝市が並ぶ通りです。
f:id:tmtmz:20200731100422j:image
この日は遅かったので朝市はありませんが、古い町の雰囲気がたまりません。
f:id:tmtmz:20200731100516j:image
朝市も見てみたかったものです。
f:id:tmtmz:20200731100509j:image
大野では縦の通りを番、横の通りを間で呼ぶようですね。
大阪だと筋と通、京都だと通と条、土地柄を感じます。
七間三番交差点。七条河原町を思い出します。

突き当りまで進んで、こちらは寺町通
金森長近の町づくりの名残で、南北に20のお寺が並んでいます。
f:id:tmtmz:20200731100444j:image
寺町、という地名は行政上はないそうですが、看板でのアピールを見ると誇りのようなものを感じます。

f:id:tmtmz:20200731100419j:image
細い石畳の道にお寺がずっと並んでいる様は壮観です。
そしてこんな道を歩いていると初訪問でも心が落ち着いてきます。こういう雰囲気良いですね。
f:id:tmtmz:20200731100402j:image
それぞれのお寺さんもとてもきれいで立派です。
f:id:tmtmz:20200731100512j:image
今も地域に根付いているのでしょう。

帰り道に変わった看板を発見。奇数月は駐車禁止ということは偶数月は何かあるのでしょうか?
f:id:tmtmz:20200731100506j:image
帰ってから調べたら、商店街の道の片側ずつを月ごとに区切って駐車禁止/可能に分けているそうですね。反対側見ていなかった。。
そしてこれも福井には多い看板なのだとか。お土地柄ですね。

おやつタイム

駐車場に戻って次に向かう前にちょっとだけ休憩。
おやつタイムのお供を探しに平成大野屋へ
f:id:tmtmz:20200731100412j:image
買ってきたのはすこサイダー。赤ずいきの酢漬けと名水のサイダーです。
f:id:tmtmz:20200731100345j:image
味は、優しいお味ですね。
もちろん美味しいサイダーですが、せっかくのご当地サイダーなので、もうちょっとずいき感あっても良かったような。。

おやつタイムのメインは米の菓ゆめすけさんの夢助だんご。
(ゆめすけさんは城下町から少し離れているのでご注意を。)
f:id:tmtmz:20200731100521j:image
こちらも映えスポットらしく、若い女性がたくさん待っていました。
テイクアウトで美味しく頂きました。

www.yumesuke-dango.com

大野を堪能して、次の白山平泉寺に向かいます。

tmtmz.hatenablog.com

1.御清水 2.名水手打ちそばお清水 3.武家屋敷旧田村家 4.武家屋敷旧内山家 5.芹川清水 6.はいから屋 7.寺町通り 8.平成大野屋 9.米の菓ゆめすけ
↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ

越前大野城(138)-福井城巡り①

夏の記憶最後は、7月にコロナ対策を万全に向かった福井城巡り旅行のご紹介。
出発前の検温・体調管理、現地ではなるべく人と会わない時間、場所を選んで平日に旅行しました。
人との交流も旅の楽しみの内ですが、それはもう少し落ち着いてから。
気を遣うこと、制限は多かったですが、それでもやはり楽しい時間を過ごすことができました。

最初は越前大野城から訪問です。
雲海の時期ではありませんでしたが、有名な天守台の石垣はやっぱり良かったです。

お城:越前大野城(138)
HP:天空の城 越前大野城
訪問日:2020年7月

f:id:tmtmz:20200730075712j:image

概要

越前一向一揆平定の恩賞として越前大野郡の約2/3を与えられた金森長近が、1576年から4年かけて亀山に築き始めたのが越前大野城の始まりです。
城主は数多く交替するも、1682年に譜代の土井利房が付いてからは定着、以後幕末に至ります。

往時は、山上に本丸、東山麓に二ノ丸が、その東と南に三の丸が置かれた梯郭式の構造で、さらに外側に外堀・内堀を巡らせて防御を固めていました。
本丸には野面積の石垣からなる天守台が置かれ、その上には二層三階建ての大天守二層二階の小天守、天狗の間からなる複合連結式の天守が建っていましたが、1775年に焼失。
天守以外は1795年に再建されましたが、明治維新後に破却されています。

現在は昭和に絵図などをもとに推定復元された鉄筋コンクリート製の天守がシンボルです。
向かいの犬山から稀に見える雲海に浮かぶ天守を指して、天空の城と呼ばれることも多いです。

訪問記

朝一番に家を出発してお昼過ぎに到着。
越前おおの結ステーション駐車場に車を停めて登城開始です。
駐車場から見上げると天守が顔を出してくれていました。
f:id:tmtmz:20200730075701j:image
そういえばこの日は梅雨末期の雨模様でした。
上からの景色が心配になりつつ、傘をさしての登城です。

登り口までにあった神社(柳廻社)には亀山城址の石碑。越前大野城の別名ですね。
f:id:tmtmz:20200730075859j:image
軒先に片付けられていますが、もうちょい表に石碑を出しても良いのでは?笑

南登り口から登城開始。
f:id:tmtmz:20200730075657j:image
搦手門が復元されています。
公園の入り口の作り物っぽい雰囲気を感じてしまいました。。

登り始めて途中に百間坂。ここが江戸時代の本丸へのルートでした。
f:id:tmtmz:20200730075749j:image
この日は雨だったので、百間坂はパスで。
ちなみに、遊歩道なら雨でも全然登れます。

坂を一通り登ったところに土井利忠
f:id:tmtmz:20200730075705j:image
大野土井家の7代目。藩政改革を行った名君です。
藩校 明倫館の開設や、アンテナショップの先駆け、藩店 大野屋の開店などがあげられます。
明倫館の跡地に立つ有終西小学校には「明倫」の石碑が建てられていて、平成大野屋という名前の町おこし会社も設立されています。
今でも名残を大切にしているところが良いですね。

さてもう一登り。
f:id:tmtmz:20200730075842j:image
登り切ったところにも門
f:id:tmtmz:20200730075856j:image
説明がないので門の名前が分かりません…

あれだけ小さかった天守が間近に迫ってきました。登ったわけです。
f:id:tmtmz:20200730075731j:image
本丸に入ると古い石垣が見え始めました。
足元はおそらくお福池。現地では気にしていませんでしたのではっきりとは分かりませんが。。

苔むした雰囲気にテンション上がります。
f:id:tmtmz:20200730075906j:image
武具蔵跡方面。本当に本丸に入ったらいきなり雰囲気がガラッと変わります。

f:id:tmtmz:20200730075834j:image
南から上がると天守台を見上げることなくいきなり天守の中に入ります。楽しみはお預けですね。
検温と連絡先記入を済ませて天守内へ。

と、その前に入ったところでスタンプ。

f:id:tmtmz:20201009224740j:image
もちろんモデルは天守天守台ですね。この構図は後で見られるかな。

天守の入り口で係員さんとしばし雑談。
直前の休日はお客さんが戻っていたものの、この日は平日でとても静かになってしまったのだとか。
コロナの影響を感じます。。
もう少しお話ししたいところですが、濃厚接触しないように早めに切り上げて天守を見学。

天守内は定番の歴史博物館。見学しつつ、最上階へ。
天空の城だけあって眺めはとても良いです。
f:id:tmtmz:20200730075723j:image
市街地方面。雲はかかっていますが、碁盤の目の市街地が何となく見えるかな笑

f:id:tmtmz:20200730075715j:image
越前大野城を撮る撮影スポット、犬山方面。
この日はさすがに登っている人はいないでしょう。

天守の見学を終えて、北登り口方面に向かいます。
天守台から降りる武者走りを上から。
f:id:tmtmz:20200730075756j:image
正面ではないからですが、狭いうえに曲がっていて地味に怖い笑

そして下から天守とともに。
f:id:tmtmz:20200730075910j:image
野面積みの武骨な石垣が良いです。
いびつなように見えて実は強度もあるんです、と現地で学びました。

もう少し離れて天守天守台。きっとスタンプと同じ構図です。
f:id:tmtmz:20200730075735j:image
天守は鉄筋コンクリートで推定復元された復興天守でちょいちょい史実とは異なっているようですが、やっぱり絵にはなります。
再建されるだけ地元から親しまれているということですし、うれしい気持ちにはなりますね。
f:id:tmtmz:20200730075712j:image
反対側からももう一枚。
青空だったらもっときれいだったのかな。。

北へ進みます。
f:id:tmtmz:20200730075752j:image
築城者の金森長近像。
台座のせいか近代の人のような印象を受けます。

その先に城址碑。
f:id:tmtmz:20200730075804j:image
こっちが正門なのかなと思いましたが、この先は麻木櫓跡などを見ていたら気づいたら公園ゾーンに差し掛かって、亀山観音石仏を見たらそのまま下山完了。

大野城巡りから街歩きにうつります。

tmtmz.hatenablog.com

感想

満足度 3.5/5

天守付近につくまではよくある城跡公園という雰囲気ですが、天守台付近の石垣は立派の一言。
これを見るために登る価値はあると思います。

地元の方が城を大切にされていることがよく伝わりましたし、スタッフさんが良い人だったのでここは良いお城です笑

基本情報

越前大野
福井県大野市城町3-109

  • アクセス
    電車: JR九頭竜線 越前大野駅から登り口まで徒歩20分
        越前大野駅からバスで大野六間バス停または結ステーションまで10-15分
        福井駅からバスで大野六間バス停まで1時間10分
        登り口から天守まで徒歩20分
    車:  北陸自動車道福井ICから30分または東海北陸道白鳥ICから油坂峠道路を経て1時間15分
        無料駐車場が多数。
        城跡へのアクセスで考えると、亀山南第一駐車場(12台)、亀山西駐車場(23台)。
        城下町へのアクセスも両方考えると結ステーション駐車場(103台)がおススメですが、それ以外にもたくさんあります。
  • スタンプ・開館時間
    越前大野城1階
    9:00~17:00(4~9月)、6:00~16:00(10-11月)、12月~3月休業
    入館料:大人 300円、中学生以下 無料
    冬季休館中は武家屋敷旧田村家での押印が可能です。
    武家屋敷旧田村家 施設紹介 大野市公式ウェブサイト
  • 城跡
    同上
  • 所要時間
    登山口からの上り下り込みで1時間。登山口から天守まで約20分
  • 付近のスポット
    百名城関連だと、福井城、一乗谷丸岡城ですね。全部これから回ります。
    小京都の街並みを眺める街歩きも楽しいです。

    ↓気が向いたら押してやってください

    にほんブログ村 旅行ブログへ

大井川川越遺跡(静岡県島田市)

いつの間にやら稲刈りまで始まっていて、本当に季節が進むのは早いです。
ですが、前回に続けて夏の記憶。
大井川の川越に関する史跡を訪ねました。
かの有名な「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」の舞台となった地です。

大井川川越遺跡:静岡県島田市
HP:島田市観光協会

f:id:tmtmz:20200822172139j:image

概要

江戸時代、江戸防衛のために大井川の架橋や渡船は禁じられていました。
大井川は水量も多く流れも急だったため、川を越える手助けをする商売人たちが現れました。
当初は比較的自由に料金を決めていましたが、わざと深い場所を通って高い金をとることもあったそうです。(タクシーに乗ったらぼったくられた、というようなものでしょうか。)

これではいけないと、川を渡る方法や料金を統一するために作られたのが川越制度、その管理のための施設が川会所でした。
大井川川越遺跡は、その川会所を中心とした川越制度に関する遺跡で、江戸時代の川会所など川越に関する施設群が残されています。

訪問記

静岡に住んでいてもこの遺跡のことはなかなか知らず、たまたま紹介されていたのを見てフットワーク軽く翌日見に行きました。
何かのついでに前を通るような場所でもないんですよね。

車を島田市博物館の駐車場に置くと、いきなり石碑のお出迎え。

f:id:tmtmz:20200822172216j:image
川を越えている様子でしょうが、人の上半身が埋まっているのは正直不気味です。。。夜は見たくない。。
台の上に乗って、まさに川を越えている様子で写真を撮ることもできますよ。

川を渡るときはこういう台で渡るイメージでしたが、これでも水量によって今のお金で1万円前後かかっていたそう。
当たり前ですが、旅なんて簡単にはできませんね。良い時代になったものです。

脇のメインストリートへ向かいます。

f:id:tmtmz:20200822172134j:image
この地図にあるように、道沿いにかつての治水設備や川会所、そのほか川越関係の施設が残されていて、ふらっと回ることができました。

最初にある以降は せぎ跡。
大井川が増水した時に水を止めるための設備です。

f:id:tmtmz:20200822172218j:image
なんだか低い気がしますが、これで十分だったのか、これ以上作れなかったのか、昔はもっと高かったのか。
低くなってしまったのかな。

こちらは八重枠稲荷神社

f:id:tmtmz:20200822172206j:image
川越衆の安全を祈願して(または川で亡くなった人の供養を目的に)1760年に建てられたそう。
写真では見えませんが、社殿の石積みは当時のもので、大井川の川石を亀甲型にして積み上げたものとのこと。

続いて明らかに土手の跡と思われる高まりの前にこちらの看板。
江戸時代初期に築かれた島田大堤という堤防跡でした。
f:id:tmtmz:20200822172221j:image
今は道路になっていますが、こちらは立派な高さを誇っています。
f:id:tmtmz:20200822172209j:image
生垣の向こうの木が生えているあたりが島田大堤の上です。写真ではなかなか伝わりませんが…
ちなみにこの石碑は松尾芭蕉の句碑です。本当にいろいろなところで見かけます。

その大堤の隣に川会所
f:id:tmtmz:20200822172118j:image
この遺跡のメイン施設ですね。
川の深さに応じて料金を決めたり、川札(人足を雇うために必要な札)を販売したり、川を留める/開ける判断をしていた川役人がいたところです。

この建物は1856年に建てられたものが何度も移築されたのちに今の地にやってきたもの。
実際にあった場所から少しだけ大井川方面にずれた場所に移築されています。
f:id:tmtmz:20200822172124j:image
見た目は普通の古民家ですね。
中に入ることもできます。

中は無料、というか誰も人がいませんでした笑
川越で人を乗せた連台などが展示されていて、この遺跡で数少ない長文の説明板もあります。
f:id:tmtmz:20200822172203j:image

こんな感じで川越に関して説明が書かれています。読めないと思いますが。。

この先にも当時の建物がいくつも残されています。f:id:tmtmz:20200822172128j:image
ちらほら空き地もありますが、建物の復元が進められてだいぶ町っぽくなっています。
今も現役で人が住んでいる建物もあって驚きです。

写真左手に見えるカフェ風の建物がこの遺跡でほぼ唯一飲食物を売っている場所でした。
地元の大先輩方が楽しく談笑されていて私は入る勇気が起きませんでしたが。

散策を続けます。

こちらは札場。
川越の際に客から人足に渡された川札をお金に換えて、人足に賃金として渡していた場所です。
f:id:tmtmz:20200822172155j:image
中にも入れますが、あまり商売っけを感じない展示でした笑
この遺跡全般に説明は薄めだったので、説明会などにあわせて訪問した方が面白いかもしれません。

f:id:tmtmz:20200822172120j:image
札場軒先からの風景。舗装がなければドラマのロケなんかもできそうな雰囲気です。

f:id:tmtmz:20200822172151j:image
向かいは番宿。人足たちの集合場所でした。
f:id:tmtmz:20200822172231j:image
右に写っていた十番宿を近くで見学。
十番目まで必要なほどの人足がいたと思うと、当時の賑わいっぷりが伺えます。
島田側、金谷側ともに650人を超えていたそうです。

その向かいの仲間の宿という名前の建物。
f:id:tmtmz:20200822172158j:image
人足の代表者たちが会合を開いたところです。

荷縄屋
f:id:tmtmz:20200822172225j:image
荷造りをしたところ。同じような古民家なので看板と説明を読まないとスルーしてしまいそう。
朝市もやっているようですが、この日はお休み。

三番宿
f:id:tmtmz:20200822172212j:image
中から覗く蝋人形が怖いです笑

最後は1番奥にあった井戸
f:id:tmtmz:20200822172227j:image
いつ掘られたのかはわかりませんが、昭和29年まで使われていたそう。
もしかしたら川越をしていた当時も水くみをしていたのかもしれませんね。

f:id:tmtmz:20200822172139j:image
夏空がよく似合う景色です。タイムスリップした気分になれます。

軽く回れる小さな遺跡で人も少ないですが、建物はたくさん残されていて散策するには面白いところでした。

基本情報

大井川川越遺跡
静岡県島田市河原1

↓気が向いたら押してやってください

にほんブログ村 旅行ブログへ