にわかお城ファンの旅行記

にわか城好きの歴史探訪記

周りに影響されて城巡りを始めました。百名城スタンプ目当てだったのに気がついたら沼にハマっていました。

柿本城 (愛知県新城市) -再現された柵が目をひく井伊谷三人衆の1人 鈴木重時の居城

愛知県の東端、静岡県境にある柿本城へ。

こちらのお城へ出かけた理由は写真で見かけた再現された柵が面白そうだったから。

そんな軽い気持ちでしたが、城の周りそこら中に看板があり、整備も行き届いていて、もっとメジャーになってもいいんじゃないかな。

お城:柿本城 愛知県新城市
HP:柿本城跡 | キラッと奥三河観光ナビ
訪問日:2022年1月

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概要

1568年、井伊家家臣の鈴木重勝三河遠江国境を守るため築城を始めたとされます。
これは、鈴木重時菅沼忠久近藤康用井伊谷3人衆が、徳川家康遠江侵攻において道案内を務め、命を受けたことによります。

1572年、武田信玄遠江侵攻で、本丸のみ完成した段階で攻撃され、和議を結び、開城しました。

城内には主郭と腰曲輪が配置されるも土塁はなく、塀や柵で防御していたものと思われ、今も柵が再現されています。

訪問記

柿本城に隣接する道の駅 鳳来三河三石からスタート。
現在地は、静岡県から愛知県に入ったばかりのまさに遠江三河国境です。
付近には長篠城や設楽原古戦場をはじめ歴史上の重要スポット目白押し。これからもお世話になりそうです。
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道の駅は小さいですが、ちゃんと土地のものを扱われていて、人出もそれなり。
柿本城田舎そばも売られていて、柿本城を推していることが分かりました。

というか、道の駅にでかでかと看板も出ていますし。
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道の駅には顔出しパネルも。
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コアなファン向けな気がしますが、子供受けするのかな、これ笑

柿本城の解説も道の駅にありますし、
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道案内も完璧。この道の駅の一押しスポットが柿本城なんですね。きっと。
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柿本城へのルートは図右側の満光寺側と左の集落を抜けるもの。
圧倒的に満光寺ルートがおススメです。

満光寺

という訳で、まずは道の駅に隣接の満光寺へ。
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武田軍の柿本城攻めで和議の仲介をするなど、古くから存在感を示しました。

現地では家康に関連した逸話も紹介されていました。

1570年頃、武田軍に敗れて落ち延びてきた家康を宿泊させます。
家康はお礼とともに、明朝、一番鶏が鳴いたら起こしてほしいと依頼をしました。

その夜、珍しく真夜中に鶏が鳴き、住職は約束通り家康たちを起こします。
まもなく武田軍が寺を取り囲みますが、家康たちは出発した後でした。

この危機一髪の出来事の恩返しとして、天下統一した家康は満光寺の鶏に三石の扶持を与えました。

道の駅の鳳来三河三石の「三石」は、この出来事に由来した名前です。

山門
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1707年建立の市指定文化財です。

お堂
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落ち着いた雰囲気のお寺です。

看板が出された庭園も鶏も有名で見たいところですが、まずは柿本城へ。

柿本城

お寺の脇から柿本城へ向かいましょう。
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角ごとの看板で丁寧に案内されますので、初見でも心配いりません。多すぎますが笑

道のりは急坂ですが、足元は整備万全。歩きやすい。
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急坂を5分ほどで腰曲輪に到着
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柵や楯が再現されていて雰囲気あります。下から登ってきて狙い打たれる兵の気持ち?

ここで縄張り図から全体を確認です。
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本丸を中心に西に二の丸と三の丸、東に出丸、その他に腰曲輪があります。

登ってきたのは本丸と出丸の間、右下に伸びる線。

今見ているのは本丸右下の小さな腰曲輪たちです。

この後、本丸を通って三の丸、折り返して二の丸、また折り返して出丸、そして左手の黄色の線から城外へ向かいます。

今度は振り返って腰曲輪の柵内部から登ってきた方向を見ましょう。
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守っている兵の気持ち。今ここから眺めても結構ドキドキします。

先の写真では斜面が緩そうに見えますが、ある程度先は切岸になっています。
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本丸へ向かいます。
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本丸には柵に加えて冠木門も再現されています。
当時と同じかは分かりませんが、妄想が広がります。伝令しに行く気持ちで入ります。

本丸は南北70m、東西35m
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柵の間から腰曲輪、その先を眺めます。
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いやービビりますね。本丸にいられる身分じゃないですが笑

本丸には築城者の鈴木重勝の石碑が建てられています。
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道の駅での取り上げられ方を見ても地域の方に大切にされていることが分かります。

石碑のある本丸南側の眼下には街道。
今は木で見えませんがしっかりと監視できる高さでしょう。

柵と反対側、西側の三の丸を眺めます。
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三の丸と名付けられていますが、かなり狭め。腰曲輪くらいの広さでしょうか。

こちら側は堀になっているからか、作らなかっただけか柵はありません。
三の丸西側の堀。
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今もしっかりと残る切岸加工の跡。

三の丸から本丸を見上げるとかなりの高さ
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三の丸までの高低差も含めるとかなりかと思いますが、これでも戦わずに開城になったんですよね。

そのまま西側の二の丸へ
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城内2番目の広さで本丸にも匹敵するようにも感じます。
やはり土塁はありません。

二の丸からの降り口には土塁の看板がありますが、
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土塁はよくわかりませんでした。
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土塁っぽくもありますが、踏み跡っぽくも。。。

この先も続いていそうでしたが、本丸東側の出丸へ戻ります。f:id:tmtmz:20220110203904j:image
本丸より高い不思議な立地で、本丸を望むことができます。f:id:tmtmz:20220110203653j:image
写真では気に隠れて分かりにくいですが、肉眼だとはっきり。こちらが本丸じゃないのかな。

出丸東側はしっかりとした切岸。
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城域の最東端なので守りの意識があったのでしょうね。
こちらを散策路に沿って進むと新東名高速に出ることができます。

最後は、二の丸側の堀から下りて外へ。
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看板はありますが、なかなか急で。。

堀を下から見上げます。
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結構緩くて広く、堀というより谷な気がしなくもありません。

そしてこの先で問題が。

道がなくなった。。。
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1月でこれとは。温かい時期は到底無理ですね。

どうにか降りて振り返ります。
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私の目には道は見えません。。。

看板はあるんですが。
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こちらが最初の看板で示された集落を抜ける道でした。
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看板はありますが、完全に民家の間を通る道。
ここを初見で入って、そのあとあの道は心折れますよ。
圧倒的に満光寺ルートがおススメです。

感想

満足度3/5

ルートの部分で文句は書きましたが、本丸の柵や冠木門、看板ほか地域の方が柿本城を大切にされていることがよく分かりました。
とくに柵は妄想が広がって本当に良かった。
ちょっと遠いですが、山城好きなら登って妄想する良い時間がとれますよ。

アクセス

柿本城