酷暑の8月が終わりましたね。
最近はさすがに少しは落ち着いてきたでしょうか。
コロナも一緒に少し落ち着いてきたので、次こそ長く落ち着いてほしいものです。
さて、過去旅のご紹介が一区切りしたので、最近の近場のおでかけに戻ります。
はじめは静岡県掛川市の横須賀城。
百名城ではありませんですが、高天神城のスタンプをいただいた公民館で掛川三城物語の動画を見てから気になっていたお城です。
河原石の石垣、二つある大手門など特徴たくさんの良いお城でした。
お城:横須賀城 静岡県掛川市
HP:静岡県掛川市 横須賀城跡
訪問日:2020年6月
概要
横須賀城は、武田家の高天神城攻略の拠点として徳川家康が家臣の大須賀康高に命じて1578年に築城した城です。
1581年には目的通りに高天神城が落城、その後は遠州南部の拠点、浜筋道と海上交通の押さえとして機能しました。
城主はめまぐるしく替わったものの、最終的に西尾家で落ち着き、明治維新を迎えました。
一度は城内の樹木に至るまですべてが払い下げられましたが、住民の声によって保存活動が行われ、今に至ります。
訪問記
横須賀城は駐車場が南と西に2か所あります。
特に調べずにナビに従って向かうと南側に到着しましたので、ここから散策開始です。
ちなみに、西の方が少し広くてトイレもあります。
どちらでも一周ぐるっと回って戻る分には大差ないので、お好みで良いと思います。
駐車場脇に掲示板があり、全体像と説明板。
絵図がわかりやすいですね。
現在は本丸を中心に整備されていて二ノ丸、三の丸は大部分が空き地となっています。
また、現在地は当時は外とつながっていなかったこともわかります。
この図にあるように、通常は一つしかない大手門が、東大手門、西大手門と2つ書かれているのが横須賀城の一つの特徴です。
こちらは説明板。なんというか役所の掲示板っぽさを感じますね。
書いてある文章はHPのものと同じでした。
横を見るといきなり河原石の石垣がお出迎え。抜群のアクセスです。
玉石積といわれる珍しい石垣。天竜川の河原石を運んで築いたそうです。
復元に際しては大井川の河原石を用いたとのこと。
天竜川から変わったのは当時と何が違ったのでしょう。
門などは跡も見えなくなっていて、いきなり階段で天守方面へ上る形。
どことなく公園っぽさを感じます。
一段上がって中段。
河原石がなかなか見ないので、城跡じゃないような印象を持たせます。
階段を上って本丸最上段へ。
最上段には復元模型。随所に説明板も置かれていて、整備が丁寧です。
素人でも問題なく様子が理解できてありがたい。
そして奥には天守台です。
城址碑と天守台でもう一枚。
三層四階の天守があったそうですが、宝永地震で倒壊し、そのまま再建されませんでした。
本丸から海側を眺めます。
現在は海は遠くに見えるだけですが、築城当時は南側は直ぐに海で、東西も入り江に囲まれており、城内に船着場がありました。
こちらも宝永地震で隆起して湊が使えなくなり、軍事、経済両面で大打撃を受けたと推測されています。
近くの湊まで運河を作ってしのいだそうです。
もう一度天守台から本丸上段を眺めます。
今は草原ですが、当時はどんな様子だったのでしょうか。
本丸上段を堪能したら、西の丸方面へ向かいます。
西の丸越しの本丸。西の丸は草で道すらわかりにくい状態ですね。。
西の丸から下へ降ります。
こちらは結構急な傾斜です。
随所にこのような案内板があって、理解を助けてくれます。
西の丸西側の駐車場へ。こちらの駐車場にはトイレもあります。
また看板が置かれています。
こちらの歴史の説明はまた別のもの。
いろんな角度から横須賀城のことを学べます。
ここから西側、二ノ丸方面は完全に宅地化されているので、本丸北側の米倉跡を歩いて北の丸方面へ向かいます。
こちらは今は林になっています。
ちなみに、写真右手の崖の上が本丸です。
そんなに登った記憶ないのですが、結構高いです。
米倉の北側は川が流れていて、分かりにくいですがこちらも断崖になっています。
築城当時、陸続きだったのは北側だけですので、こちらの防御を固めたのでしょうか。
そのまま進んで北の丸へ。
北の丸には数棟の建物が経っていて、武器庫の跡だったと言われています。
側室が住んでいたこともあるのだとか。
今は綺麗な芝生広場ですね。ここが一番公園っぽい。
ですが、隅には石が並んだ建物の遺構の復原展示があります。
北の丸の北東方向には松尾山という山があります。
平山城だった横須賀城の主郭の一部は松尾山に延びていました。
こちらは東端の多門櫓跡の平面復原。
多門櫓は発掘調査で推測される構造から、完全な復元は困難とのことで、控えめな復元にとどめてあります。
多門櫓の北側には空堀があったとのことで、頑張ってのぞいてみました。
現地ではもうちょっとわかりやすかったのですが、これは分からないかな。
本丸東側を回って帰ります。
この部分、発掘調査で遺構は見つかっているものの、不明点が多いそうで、復元表示はほとんどありません。
まわりこんで本丸東側へ続くスロープへ。
こちらには立派な河原石の石垣があります。
よくこの高さまで河原石を積み上げたものです。
今は近くで見るとコンクリで補強されているのが見えてしまってちょっと残念ですが。
アップでもう一枚。
不安定そうですが、実際のところ強度面はどうなんでしょう。
石垣にひかれて見に行ってしまった結果、三日月池は見逃していました。
最後にもう一度お決まりの構図から眺めて横須賀城終了です。
感想
満足度 3/5
河原石の石垣がいきなりお出迎えしてくれて、第一印象から特徴的な城跡です。
整備されているのは本丸近辺が中心ですが、説明板も数多く置かれていて、丁寧に整備されているお城という印象です。
ここまで丁寧なら続百名城でも良いんじゃないかな、と思ったり。
せっかく復元した石垣が、その辺にある石垣風の壁のように見えてしまうのは残念ですが、構造上仕方ないですね。