二俣地域の城巡り 最後は二俣城ゆかりの松平信康の菩提寺、清瀧寺へ。
小さな静かなお寺ですが、二俣城ゆかりの見どころも多く、松平信康の霊廟もあり、訪問した甲斐ありました。
清瀧寺
HP:施設スポット検索-清瀧寺|公式/浜松・浜名湖観光情報サイト~浜松だいすきネット~
訪問日:2020年12月
訪問記
二俣城と鳥羽山城を散策した後、信長の命で二俣城で切腹した松平信康の霊廟がある清瀧寺にも足を延ばしてきました。
二俣城からは歩いても10分ぐらいですので、行かない手はないですね。
車は二俣小学校前の無料駐車場に停めました。
二俣周辺史跡等周遊、本田宗一郎ものづくり伝承館、二俣商店街を利用のであれば無料で駐車可能でありがたい。
車を停めたら歩いて清瀧寺へ。
諏訪神社
清瀧寺の正門には諏訪神社が建立されています。
きれいに手入れされた地元のお社という雰囲気ですね。
本堂へ。鳥居と2本の大木が特徴的です。
お邪魔させていただきますので、きちんと参拝してから先へ向かいます。
清瀧寺
諏訪神社の隣、柵もなく清瀧寺の敷地に続きます。
信康山、なんですね。
本堂はこの道を登ったところですが、まずは登る前の見どころへ。
まずは絵になる池から。
地元の方が鯉を眺めながら談笑されていました。
憩いの場所になっていて、よそ者ですがほっこり。
池には小さな滝が流れ込んでいます。清瀧の滝という名前。
清瀧寺の名前は、家康がつけたものです。
敷地内を流れる清涼な滝を見て名付けたとされますので、その滝がこれかもしれません。
池のほとりの井戸櫓
看板には江戸時代のハンドブックのことが書かれていますが、元は二俣城で使われた井戸櫓が移設されたもの。それの復原だと思われます。
二俣城の井戸櫓といえば、、、
井戸がなかった二俣城では井戸櫓を使って天竜川から水を汲んでいました。
戦の際、武田軍はそこに目をつけて上流から筏を流して井戸櫓を倒し、それをきっかけに二俣城を落としたと言われています。
天竜川と二俣城の高低差を思い出すとこのぐらいになりますが、たしかにこんな目立つ建物があったら狙いたくなるかも。
池の反対側には信康堂。
家康と松平信康の木像が置かれていました。
傍らには松平信康の石碑。地元では岡崎三郎信康で統一されています。
最終段落から、地元の方の思い入れが垣間見えて興味深い
近くには寿昌梅という梅の木
信康追悼のために植えられた梅の接ぎ木。
元の木は、元二俣城主大久保忠世の子孫、忠増の正室、寿昌院慈岳元長尼が再建した松連寺に、寿昌院自ら手植えしたと言われています。
ちなみに松連寺は今の京王百草園。
付近の旗の数から、地元の方の信康への思い入れが窺い知れます。
坂を上って本堂へ。
山門
小さめですが歴史を感じる山門がお出迎え。
石碑にも時代を感じます。
ちょっと写真が暗いかな。
山門をくぐると家康お手植えのみかんの分木
駿府城にもお手植えのミカンがありましたが、あれが元でしょうか。
tmtmz.hatenablog.com
先へ進んで本堂
本堂わきにも寿昌梅
下にあったのとの違いは何でしょうか。
脇にはちょっと逸話のある鐘。
HONDAの創業者、本田宗一郎が高等小学校時代に正午を知らせる鐘を30分早くついて弁当を早く食べたのだそう。
なんともほんわかしたエピソードです。
信康廟
さて、本堂わきから奥へ進むとお目当ての信康の霊廟です。
看板のアピールがすごいので、見逃すことはないかと。
登ると右手に信康廟。
柵が閉まっていますが、廟自体はずっと向こうに丁寧に安置されています。
何となく写真を撮るのは気が引けたので、ちょっと遠めからのこの一枚だけ。
手を合わせてから見学させていただきました。
脇には丁寧な解説板もあります。
最後まで松平信康の地元での扱いがわかる良いところでした。
おまけ
ちなみに、隣には本田宗一郎ものづくり伝承館があります。
こちらも理系的には気になる施設です。
二俣城、鳥羽山城と合わせた半日の散策で二俣の雰囲気が気に入ってしまいました。
ものづくり伝承館や笹岡城などまだ見ていないところを目当てにまた来る計画を立てようかな。
アクセス
清瀧寺